「黄金餅」 山崎町〜釜無村

志ん生の言い立てが有名ですが、志ん朝、談志と並べてみました。 2008/9/14UP

http://spreadsheets.google.com/pub?key=pG__D4IqtmUEfQBVeDNSTLw

黄金餅

地図上でルートを当てはめてみました。完全に正解とはいいきれませんが、、

難しい所は、山崎町の一丁目か二丁目か、のち万年町になった方と思いたい。

山下へ出る迄。銀座線を渡ったかも(ウソ)

土橋から新し橋は掘りの北側を歩く。

愛宕下のどこを曲がったか、薮小路か三才小路か、その次か。

飯倉交差点あたり。雁木坂を階段おりたかな?。

麻布では昔はお屋敷だった道に注意。

近日来演!古地図で全ルートを描いてみたいものです。

googlemap:http://goo.gl/maps/uEksb

より大きな地図で 黄金餅ルート を表示

ロケーションビューで走ってます。http://jp.youtube.com/watch?v=itp42-fdIaU

山崎町=万年町 あたり

東京市において貧民の最も群をなして族集せるは四谷区の鮫ケ橋。

下谷の万年町、山伏町。 芝新網の右に出づるはなからん。 『横山源之助「浅草の底辺 」』

有名な貧民宿や長家があった所。ガタロ商もいたかもしれませんな。明治時代にはアヒル、震災後にはよなげやなどとも言われた、川の中に勤務する人。

ヒロポンに頭やられたオカマが群集してたようです。

参考:http://www.maroon.dti.ne.jp/~satton/taitou-imamukasi/mannentyo.html

http://blog.goo.ne.jp/kenmatsu_fs/e/08c57363bdaa7e1d39fd0d5ab1c5f526

戸無し長屋、泥棒に入られない、ちょいちょい出るって長屋がリアルです。

江戸名所図会ー麻布一本松

上野三枚橋って言っているけどほんとは三橋ですだ。明治時代にはもう三枚橋と混同していたようだ。

貴重な明治の写真。台東区えらい、

http://www.ndl.go.jp/scenery/data/316/m.html

三橋

不忍池から落ちた水はこの三橋の下をくぐり忍川となって流れていた。三橋はその忍川に架かっていた橋で、現在の中央通りを渡す橋であった。橋のあった場所は中央通りと不忍通りの交差する辺り。

明治23年には内国博覧会の混雑を予想して、三つの橋を一つにし、大正5年には三橋の取り壊しが始まって忍川は暗渠となった。

三本の橋がかかっています。真ん中は広いけど大名行列が通るので、町人は小さい橋を渡る。一番右のは葬式が通る橋。

http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/taitou-edo/edo-mihasi.html

現在三橋という甘味屋さんが有ります。

”義民”佐倉惣五郎

http://nandemo.city.narita.chiba.jp/category/1-chiiki/1-7kohdu/1-7-15sohgo-kan.html

でも三枚橋になってるし。

三遊亭金馬(たぶん二代目)版 落語名作揃 落語研究会編 盛陽堂,明45.1 では三橋となっている。

雁鍋屋さん、

広重の「上野山した」は二代広重か?

番付では行司ですから、たいそう人気や権威があったのでしょうな。

談志版

堀丹波守様;江戸後期、文久2年(1862)の切り絵図を見ると、堀様は堀左京亮で、丹波守様は鳥居丹波守様です。しかし、それより6年前、安政3年(1856)版で見ると堀様は堀丹波守様で、鳥居様の屋敷はまだ井上筑後守屋敷です。ここらへんややこしいけどね。

麻布 絶江坂

麻布 七不思議

http://deepazabu.com/m1/7fusigi/7fusigi.html

南麻布 釜無し横町(麻布七不思議 番外)

http://soubouwalk.exblog.jp/4466501/

氷川神社のお祭りで、大きな釜の張子を作り山車で引いたという。しかし、張子が惨めだったので、益々有名になってしまったという。

ついでに文七元結の発祥の店は麻布だと。

http://www.azabujuban.or.jp/juban/tayori/200511/5.html

http://deepazabu.blogspot.jp/2013/01/blog-post_6.html

木蓮寺のモデルの寺。曹溪寺の初代和尚の名が絶江であったそうで名僧だったために、この周辺一帯の地名となって、後に坂の名として残っている。

赤穂義士の中でただ一人生き残った寺坂吉右衛門夫婦の墓がある。

絶好坂向いに延命院がある。標石には弘法大師霊場第5番と書かれ、不動尊霊場第28番。

goo地図 > 古地図

切り絵図DL17MB 黄金餅ルート

圓朝ルート書いてあるmap

青空文庫

黄金餅落語より道案内

市中引き回しの道

願人坊主

願人宿は山崎町に二丁目7軒など江戸市内73軒あった。

巡礼、六十六部、伊勢詣り、物もらいなどが宿泊。宿代24文布団10-16文

住吉踊り

「梅坊主数奇伝」願人の由来

願人の「住吉踊り」

なんといっても志ん生のNHKのが最高

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大正元年の万年町付近地図

http://homepage3.nifty.com/morikawa_works/hiroshige120.html

http://ameblo.jp/cofdm/entry-10244966481.html

最後の骨から拾い上げた金を袂に入れて「どーしたって大きなお世話、おまえになんかわかりゃしないヨっ、、、 _アバヨっ」の「、、、 」の間の取り方と

「_」(タンとほんのわずかに音をさせて)「アバヨっ」って息が最高におかしいです。

ラクゴニメのバージョンでも「_アバヨっ」でトンと音を入れてますので。金を取り終わった時に手を打つか、膝でも叩いていたのか、着物をはたいたしたのでしょう。

春風亭正朝は扇子で床をトンと叩きおまけに手もパンパンとはたいてアバヨとご丁寧に演じておりました(2008TBS落語研究会)

志ん朝版は間無く一気にいきおいでよくアバヨです。

談志のは、、、、、あっしには、、、

喬太郎 純情日記の中に黄金餅がでてきます。