黒竜王と勇者ヤノーシュ〈新訳〉

著 レネ・ラカトーシュ
訳 フリスト・ワイセンベルク


 あったことか、なかったことか――。

 むかしむかし、この国がまだエルネタリアと呼ばれるよりもずっとずっと前のこと。ドラゴンが住まう国のそばに、小さな人間の国がありました。その国の王様はたいへん立派で、ほしいものは何でも手にいれることが出来ましたが、お妃様の体が弱く、子宝にだけはめぐまれませんでした。
 年をとってからようやく産まれたたった一人のむすめを、王様とお妃様は「エリューシャ」と名づけてとてもかわいがって育てていました。「この子がおおきくなったら、ぜひともすてきな王子と結婚をさせよう。」王様はそうかんがえていました。そして二人の愛情をいっぱいに受けて育ったエリューシャは、美しく気品のある姫へと成長しました。
 ある日、エリューシャ姫が湖で水浴びをしているととつぜん雲行きがあやしくなり、どこからともなく雷の音が聞えてきました。姫はあわてて湖から出ようとしましたが、ふとドレスをかけていた木を見上げるなり「あっ」と声をあげました。
 なんと、木の上に一匹の大きなドラゴンがとぐろをまいてこっちを見ていたのです。ドラゴンが言いました。「俺さまの名前はフェルニゲーシュだ。おまえは、あの人間の国の姫か。」姫はおどろいて声も出せず、ただただ、うなずくばかりでした。すると、ドラゴンは木の上でとぐろをまいたままフンとはな息を鳴らしました。
「このドレスを返してほしくば、俺さまの妃になれ。」ドラゴンの声はとても大きく、少しはなれたところに居た姫の護衛にも聞こえました。しかし兵士はあわててかけつけるなり、はだかの姫を見てびっくりぎょうてん、そうしている間にすっかりドラゴンに飲み込まれてしまいました。
「そのドレスはお母さまからいただいた大事なものなの、返して!」
「ならば、この俺さまと結婚することだ。」フェルニゲーシュは言いました。姫はほとほと困ってしまい、湖の中で泣いていました。そして、お妃様にもらったドレスをこのままなくしてしまうのもつらかったエリューシャ姫は、ついに観念して、ドラゴンの提案に答えてしまいます。
「約束したな。ではドレスはもらっていくぞ! 王にも伝えてくるからな」
 ドラゴンはひとしきり大笑いをすると、姫のドレスを持ってお城のほうへ飛んでいってしまいました。
「どうしましょう、こまったわ。」姫は湖から上がることも出来ず、日が暮れるまでずっとそこで泣いていました。すると、とおくから自分の名前を呼ぶ声が聞えます。
「エリューシャ姫、エリューシャ姫!」
 声のする方から、一人の若者が馬に乗ってやってきました。若者の名前はヤノーシュ。なかなかむすめが帰ってこないので、心配になった王様が姫をさがすために送った家来でした。ヤノーシュは自分のマントで姫をくるんで馬に乗せると、いちもくさんに来た道をもどっていきました。

 ヤノーシュと姫がもどると、お城はたいへんなことになっていました。門は開けはなたれ、けむりがもくもくとあがっています。ヤノーシュが逃げてきた門番をつかまえて「どうしたのだ」と聞きました。すると門番はふるえながらこたえました。
「ドラゴンが、黒いドラゴンがおそってきた!」
 なんと、さきほど姫に言いよってきたドラゴンが、こんどはお城の中であばれ回っていたというのです。見張りの塔はくずれ、王様を守ろうとした兵士たちはほとんどが返り討ちにあっていました。
「おお、エリューシャよ! もどってきてくれたか!」
 ヤノーシュが連れてきたエリューシャ姫を見て王様は安心しましたが、すぐに困りはてて言いました。
「ヤノーシュにおまえをさがしに行かせたあと、フェルニゲーシュというドラゴンがやってきて、こう言ったのだ。『約束を果たすため、三日後、姫君をもらいに来る』と。我がむすめエリューシャよ、いったいドラゴンとどんな約束をしてしまったのだ?」
 途方に暮れる王様へ、姫は湖で起きたことを包みかくさず教えました。すると、王様はいかり出し、お妃様はあまりのおどろきにそのまま気を失ってしまいました。二人とも、エリューシャ姫にそろそろ『むこ』を迎えさせても良いのではないか、そう思っていた矢先の悲劇でありました。
 「なんということだ。」王様は、すぐさま軍隊をひきいて城じゅうを守らせました。そして、兵士たちは姫にいいよったドラゴンをあぶり出そうと火をたき、寝ずの番をしました。しかし、約束どおり三日後の夜に現れたドラゴンはてごわく、つぎつぎと兵士はたおれ、何度王様が軍隊を送っても、すぐに追い返されてしまいます。そしてついに、王様たちのていこうもむなしく、姫はドラゴンの言ったとおりにさらわれていってしまいました。
 かなしい知らせに病弱のお妃様はますますよわり、王様も「これまでか」と、とうとうあきらめようとしたその時。ヤノーシュが走り出して言いました。
「わたしがもう一度、姫を連れ戻してまいります」
 そしてヤノーシュは馬にまたがると、何人かの兵士を連れてドラゴンのあとを追って行くのでした。

 竜の国は、高い高い山をこえて、ふかいふかい森を通り抜けた中にありました。見たこともない動物や妖精たちが飛び交い、今まで聞いたこともない不思議な音が、色んなところから聞こえてきます。しかし、ヤノーシュはひと月も続くこの旅のあいだ、一度もひるみませんでした。そしてその勇気が、やがて彼らをみちびきます。おくへおくへとつき進み、ようやくドラゴンの巣がある場所へと出たのです。
 するととつぜん、ヤノーシュたちの目の前に黒いほうき星のようなものが落ちてきました。それはものすごいはやさで地面にあたり、ずどん、と大地をふるわせました。ヤノーシュはあわてて馬を引き、落ちてきた黒い星をまじまじと見つめました。
 なんとほうき星は、あの姫をさらっていったフェルニゲーシュでした。「どうしたのだ、ドラゴンよ。わざわざ退治されにやってきたか。」ヤノーシュは声をかけました。するとフェルニゲーシュは息もたえだえに言うのでした。
「若者よ、もし俺さまを助けてくれるのならば、この森から生きて出られるよう、『命の道』をひとつくれてやろう」
「なにを言うか、姫をどこへやった! わたしはおまえをころしに来たのだぞ。こんな森など、すぐに焼きはらってくれる」
 ヤノーシュはやはりひるまず、ドラゴンの前に立ちはだかります。すると、フェルニゲーシュは今度はその大きな翼をうごかして言いました。
「おまえこそ何を言う。われらの巣にずかずかと入りこんでおきながら、同胞たちが無事におまえたちを帰すと思うてか? 俺さまなら、おまえたちを森の外の安全な場所まで連れていってやることが出来るぞ。『地上の道』をひとつ、おまえにくれてやろう」
「だまされるものか、もはや竜と人間は敵同士だ。今まではうやまってきたが、一国の姫をむりやりさらっていくとあっては許されん」
 フェルニゲーシュがなかなか姫の居場所を言おうとしないので、ついにヤノーシュはいかり、剣をふり上げました。お城いちばんの刀鍛冶ドワーフにきたえてもらった、ドラゴンをもまっぷたつにする大きな大きな剣です。
 しかし、ヤノーシュがフェルニゲーシュに切りかかろうとしたその時、姫が現れてヤノーシュを止めました。
「やめて。わたしの夫を、どうかころさないで」
 姫の思わぬことばに、ヤノーシュはあわてて剣をさやにしまいました。姫はいいました。「おねがい、ヤノーシュ。フェルニゲーシュは悪い竜ではないわ。」
「勇気ある若者よ、いま一度たのもう。このあわれな夫婦を助けてはくれまいか。そうすれば、おまえにすべてを見とおす『世界の道』をさずけよう」
 ヤノーシュとその従者たちはあっけにとられて姫とドラゴンとを見ていました。その時です。空からおそろしい声が聞こえてきたのは。
「追っ手が来たぞ。早くかくれるんだ!」
 フェルニゲーシュはその大きな翼で姫を包むと、ヤノーシュに言いました。
「のどがかわいて火も吹けぬ。若者よ、俺さまにぶどう酒を飲ませるのだ」
 ヤノーシュはまよいましたが、これも姫を助けるためだと思い決意しました。言われるままに、持っていたぶどう酒をフェルニゲーシュの口まではこぶと、とくとくそそいで飲ませました。するとフェルニゲーシュは瞬く間に元気を取り戻し、首を伸ばすと空に向かって叫びました。
「同胞スヴァローグよ、なぜそこまでしてにくむのか!」
 フェルニゲーシュを追ってやってきたスヴァローグは、火を吹きながら答えます。
「人間などというひよわな種族を妻にしたおまえには、わかるまい!」
 スヴァローグは、竜の国でも一番の人間ぎらいで有名した。彼は、人間を妻にしたフェルニゲーシュがどうしてもゆるせなかったのです。スヴァローグの吐いたほのおがヤノーシュたちをおそいます。フェルニゲーシュは妻である姫をまもってなかなか動くことが出来ず、ヤノーシュの従者たちがもつ弓矢もスヴァローグには届きません。このままでは、みんな焼かれてしまいます。
 その時です。ヤノーシュがふところに手をしのばせ、鏡のようなものを取り出しました。小さく手のひらにおさまったそれをヤノーシュはスヴァローグと吐き出された炎に向けます。するとその鏡は光かがやき、ふしぎな力でほのおをしりぞけました。
「なんだこれは!」
 スヴァローグはおどろきました。まさか、自分の吐いたほのおがはね返ってくるとは、思いもよらなかったのです。あっという間に火につつまれ、落ちていくスヴァローグ。それをヤノーシュはしっかりと、地面に一番ちかくなったころを狙って一太刀をあびせました。そしてスヴァローグが弱ったところに、今度はフェルニゲーシュがほのおを吐きます。
 フェルニゲーシュの吐いたほのおとヤノーシュがふりかざした剣にはたちうち出来ず、スヴァローグは傷を負って逃げ帰っていきました。

 追っ手のドラゴンをねじふせたヤノーシュとフェルニゲーシュ、そして姫と従者たちは竜の国をはなれ、やがて人も竜もいない山のふもとへとたどりつきました。
 そこで彼らは、この場所を自分たちの家にしようと決めました。フェルニゲーシュとエリューシャ姫が仲のよい夫婦であることを知ったヤノーシュは、いそいで国にもどり、王様に竜の国で起こったことをつたえました。
 王様もお妃様もはじめはその話を信じようとしませんでしたが、ヤノーシュの熱心な話しぶりにようやく事実をみとめ、国におふれを出すと商人や農民、家来たちをみんなひきつれて、フェルニゲーシュと姫のもとへやってきました。姫はたいそう喜び、そのご、フェルニゲーシュと人間たちは少しずつ畑をたがやしながら仲良く暮らしました。
 姫を無事に王様と再会させたヤノーシュは勇者として国民にあがめられ、その後も新しくできたこの国のためにいっしょうけんめい働きました。フェルニゲーシュによって『命の道』を与えられていたヤノーシュは年をとらず、また『地上の道』によって、どの道がどこへ続いているのか彼はよく知っていました。それはあたらしく出来た竜と人間の国を、大きく発展させました。
 やがて寿命を迎えたフェルニゲーシュから、ヤノーシュは最後に『世界の道』を授かりました。そしてすっかり大きくなった竜と人間の国をあとにして、ヤノーシュは一人しずかに旅立ったということです。


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