08.竜泥棒

ハシェット.28 雨

さて、何から書けば良いものか
インクの残量が多いことだけが救いだ
あまりにも唐突で、あまりにも多くのことが起こり、身に降りかかり、落ちて、飛んで――

竜。ユラン、アレクは見違えた、
魔術師、リヴデューザの男が一人、
ライデンフロストは残ると、公の養子……あの長い銀髪が美しかった

10年。
――10年?



ハシェット.29 曇り

頭の中を整理する。
まず、エルネタリアを脱出することとなった。現在、ボクァート平野、イニマ湖のほとりで身を潜めながらこれを書いている。
このまま南下して山脈を越えれば、控えるは大陸最南の国アーストライア。
様々な疑問は尽きることなく湧いてくるものだが、まずは大陸南方を抜けてルキフェニアへ一度戻るのが得策だろう。
妻の様子も心配だ。先日――というにはあまりにも時間が経過していたようだが――ルキフェニアへと送り届けたエレクも妻には結局会っていないという。
その話をすると決まって彼は難しい顔をして口をつぐんでしまうのだが。
心当たりが無いわけではないが、どうやらこの『10年間』でずいぶんと色んな経験をして、色んな苦味を味わったのだと思う。

そう、10年。

薄々感じてはいたが、エルネタリアで客人としての待遇を受けている間に何やら妙な術を掛けられたらしい。
ライデンフロストもそれには気付いていたが、エレクが来るまでは黙秘を続けていたという。何年もの間。
エレクにもライデンフロストにも、何か国の内情とは違う思惑があるようだ。
そしてそれを糧に、彼等は行動している。
ダシにされた、などとは思わないが……利害が一致するならば、今後も協力しあった方が良いだろう。


長屋の傍に、大きな影が見える。
エレクがエルネタリア首都ルメルグラッドへ『潜入』する際に、リヴデューザの男と共に『盗って来た』竜だ。
名はユラン。竜としての本来の名はとても人の声では発音出来るものではない――とは竜である彼自身の談。
ちょうど人間の発音で一番近いのが『ユラン』なのだそうだ。
シュヴァイスラント女王国で戦闘・騎乗用として生きていたが、
戦傷の悪化が元で廃棄されそうだったところをエレクらに『助けられた』のだという。
まあ、この際たがいの思惑と齟齬は脇に置いておくとして。

なんにせよ、これで助かった……のだろうか。



ハシェット.30 晴れ

元戦竜のユランと初めてまともな会話をした。
ルメルグラッド上空で、嵐の中を飛び回り、エルネタリアの衛兵の追っ手と矢を撒いてみせた胆力はなかなかのものだった。
こんなものがいくらも居るのだから、さぞかしシュヴァイスラント女王国は強大な軍を形成しているに違いない。
そう伝えると、ユランは憤りも露に「同胞を愚弄するか」と牙を剝き出した。
あまり竜という生き物は怒らせない方が良いということを身をもって学んだ。
そうでなくとも、こういったたぐいの『へま』は大陸中、至る所に残っている伝説や古文書が物語っている。
己が食べられてしまう前に好物を聞き出して、なんとか機嫌を取らねばならない。
  →鶏肉、赤身の魚、もしくは、鈴生りの葡萄とキャベツを3束ほど(意外と質素だが量を考えると……?)
  →一番好きなのはゆで卵(塩と香草で煮て、味付けしたもの 仲の良い兵士がよく宴会の折に持って来ていた)

友人の証にと試しにワインを一瓶開けたら、こちらの分を注ぐ前に、こいつめ、全部飲み干してしまった。
更に、竜も酒を飲めばそれなりに酔っ払うようだ。
酔っ払うというか、まさに今、目の前でしばらく泣き上戸になっているのだが。
あまりにぼたぼたと涙を流すので、飲み干されたワインの瓶にその涙を貰うことにした。
『竜の涙』は、巷では不老長寿の素だと持て囃される貴重な薬の一種である。
効果が本当かどうかは知らない。ただ、高値で取引される商品だというのは知っている。
旅人には、これくらいの知識で充分……竜も泣くのだなと改めて知り、少し焚き火の温かみが増す。



シャプテット.1 晴れ

シュヴァイスラント女王国。野心溢るる北の大国。
延々と凍てつく雪と氷の中でかの国の住人達が得たものはその白い大地と正反対の燃えるような心。
そして大空を駆け巡る、竜と船の存在だ。
そんな強大な国からやって来たユランに、「これからどうするのだ」と聞けば「故郷のヘルハイムへ戻る」と彼は答えた。
隣国の実情を伝えなければならないと。
ヘルハイムでは未だ国境で蹂躙を続けるシュヴァイスラントに対して徹底抗戦か、服従かで意見が割れ混乱していると聞く。
そこにかの国からの生還者ユランが戻ればどうなる?
無事ルキフェニアに戻り事なきを得たならば、その次は北を回らなくてはいけない気がしてくる。
ただでさえエルネタリア公国が戦争を匂わせているというのに、これ以上厄介な火種があってたまるか。

夜中に、ヘルハイムの始祖はまだ存命かとユランに尋ねると彼は驚きながらも頷いた。
今まで、ドラゴンにそんなことを尋ねる人間など居なかったからだろう。彼はまだ若い竜だ。
きっと、エルネタリアに伝わる黒竜フェルニゲーシュの逸話も詳しくは知らないだろう。
知っていたところで、裏切り者呼ばわりされてしまうのが関の山だろうが。



シャプテット.2 曇り

ルメルグラッドに一人残っていたライデンフロストが、イニマ湖へとやって来た。
小竜公ライオネスの二子、レインドの代理として。

簡潔に記すならば、エルネタリアという国の罪を懺悔しそれを断罪するに然るべき人物の到来を――彼等はずっと待っていたのだという。

何を馬鹿なことをと笑うのは簡単だ。
しかし、このままではライデンフロストが言うように、エルネタリアは間違いなく他国へと徐々に侵略を始めるだろう。
まずは隣国王の目の届かぬ辺境から。恐らく地方豪族同士の下らぬ縄張り争いだ、などと、もっともらしい理由をつけて。
半ば尽きることのないエルネタリアの『魔石』の力と、強かな小竜公の思惑、そして『セクリタテア』の存在――人の道理に叶っているとは信じがたい。

しかし、国土の小さいエルネタリアではいくら精鋭を従えようともいずれ疲弊し敗北が訪れる、
というのがもっぱら反戦派の考えなのだという。
そしてその筆頭が小竜公ライオネスの義理の子供、レインドであるというのも不思議な話だ。
彼らはこの流浪の学者を捕まえて、そのままエルネタリアの罪とやらを国外へ持ち出そうとしている。
それに協力するかどうかは、もはや個人として考慮の至るところではない。
互いに国というひとつの大きなはらわたの中に居るのだ。おいそれと危険な真似は出来ようはずがない。

だが、既にこの有様となってはエルネタリアに追われる身。
待遇が待遇だったとは言え、何も告げずに逃げ出したのだ。公の怒りは想像に易い。
そして無事にルキフェニアへ戻ったとして、院や国が快く迎えてくれるとも限らぬ。
エレクが言う「あなたを助けに来た」という言葉に、院の中にも味方をしてくれる人物は居そうだが……
ここは博打に出るべきか。
彼らの意思は、この身を守る鋭き矛と、なりえるか。

「そのライオネスとかいうこの国の王は結局、我らドラゴンと人間と、どちらの味方なのだ?」

素朴にも思えたユランの問いが、今は、ひどく重い。



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