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12.第十二章



 二人は半日ほどツェレスタイン城を探索したのち、幾つかの荷物を持って城を出た。ノスフェラトゥ自身、城が陥落した後ツェレスタインがどうなったのか記憶になかったのだが、ある一通の手紙と思しき手記が彼らの歩みを決めたのだ。
「これによれば、その……ゾリューシュカが城の陥落前に脱出し、北西の街に向かうとある。書き置きというか……遺書にも近いモノかもしれんな」
 古い羊皮紙に染み付いたインクを指でなぞり、レネが情報を整理する。
「確かに、あの戦で勝てる保証が私には無かった……それゆえ、マイセル湖や私に敵意のない領主の治める土地へ逃げよ、と民衆に事前に伝えてはいた」
「なるほど」
 ノスフェラトゥの返答にレネは言葉少なに頷く。イーヴァインが『死んだ』日の出来事はノスフェラトゥの話しぶりから容易に予測できるようで、同時に他者には想像も出来ないほどの感情の勃興と喪失がある。ただでさえ低く沈む彼の声は、今や更なる未知の感情をまとって禍々しくさえ聞こえた。
「北西と言えば、心当たりが。ここから西へ、町や集落が都に向かって点々と続いているのさ。まるで女王に助けを求めるかのようにね……その道のりを辿って行けばゾリューシュカの情報を得られるかもしれない」
「そして……最後は都へ?」
「小生はそのつもりだ。君はどうするんだ、ノスフェラトゥ?」
「……わからぬ。ただ、この硝子の靴を対にしてやらねばという感情はある」
「シュヴァイスラントへ戻って来た、と君は言っていたな……きっとそれを、ゾリューシュカも待っていたと小生は思うよ。落ち延びたのなら、きっと今も子孫が居るはずだ。探そう」
 後生大事に発見した靴を布で包み、レネはそれをそっと荷物入れの鞄の中へ置いた。シュヴァイスラントの硝子細工は繊細でいながら、強い。持ち歩いても滅多なことで割れはしないだろう。
「さて、日が暮れる前に最初の集落へたどり着くとしようか」
 こうして二人は、土地全体が墓標となったツェレスタインを去り、北西へと向かうのだった。


 しかし、最初からそうそう上手く行くはずもなく。彼らははじめの数日間、訪れた町の宿屋で無為な時間を過ごす羽目になった。それもその筈だ。百年も前に消息を絶った一人の女性、その子孫が生きているかどうかも分からないのに探し出すというのだから。時間はかかるだろう。
 だが、ゾリューシュカの残滓はシュヴァイスラントの雪の中、微かに漂っている。レネの行動力と観察眼は、その名に違わず素晴らしいものだった。もしノスフェラトゥが今も一人であったら、広く深く民衆から情報を得るのは難しかっただろう。そして何より、ゾリューシュカを探そうという意思さえ持てなかったはずだ。
 レネは無為とも思える経過の中でも最善を尽くしていた。そしてその四日後に、ようやくその努力は実った。ゾリューシュカの他にもツェレスタインから逃げ延びて来た者たちが西へと移動し今も村や町を作り生活していること、幸運にもツェレスタインの民は最後の戦争の最中犠牲になることは少なかった、という情報などを彼らは手に入れることが出来たのだ。
 ツェレスタインを経って十日ほどが過ぎ、彼らは三つ目の町で同じようにゾリューシュカの情報を求めた。そして遂に、その足跡を掴む。レネはゾリューシュカが人並みに生きていれば、結婚をし子をもうけ、更に孫の代で幼子にその名が受け継がれているだろうと考えていた。その予想は見事に当たり、この街にゾリューシュカという名前の娘が居ることを突き止めたのだ。
「いやあ、思いの外すぐに見つかって良かったなあ。珍しい名前だからというのもあるが、曾孫だったか」
 市場から宿屋へ戻り、開口一番レネが己の貢献を噛み締めた。
「思いの外? でまかせだった訳でもなかろうに、大した情報収集力だ」
 人混みにまみれて多少なりとも『疲れた』のか、ノスフェラトゥはレネに応えながら受付ホールに併設された酒場のテーブルにつく。夕も早い時間のためか喧騒はささやかなもので、耳に心地が良い。
「いらっしゃあい。お客さん、ご注文は?」
 二人の姿を見た給仕の若い女性が、豊満な胸を揺らしながら寄って来る。極寒のさなかだというのに、首から肩、そして胸をはだけた衣装は大陸風のものだ。服の裾には細かな白いレースがあしらわれており、シュヴァイスラントが持つ南への憧れが感じられる。色気で客を釣ろうという魂胆では無さそうだが、目のやり場に困る服装の給仕にレネが少し困ったような表情を浮かべた。
「あー、えっと……じゃあ、ワインを」
「はあい、ワインね。今日はアーストライアの美味しいのが揃ってますよぉ。そちらの方は?」
「私は何も……」
「ちょっと!」
 何も要らない、と意思表示しようとしたノスフェラトゥをレネが慌てて制する。
「待って。待ってくれ。こいつ、メニューが無いから迷ってるんだ。ひとつ持って来てくれないかな?」
「かしこまりましたあ」
 心にもない代弁にノスフェラトゥは不満げにレネを見たが、レネはノスフェラトゥのマントを摘むと小声で囁いた。
「あのな、マイセルでは店主が良い人だったから良かったものの。君も何か飲み食いする振りくらいせんといかんぞ」
「何故……」
「何故もどうしたもあるか。飯屋に来て飯も食わぬ騎士など怪しまれるぞ? いま給仕がメニューを持って来るから、その中から適当にいくつか選べ」
「……」
 ノスフェラトゥは無言のまま、レネの提案に腕を組むことで応えた。肩を大きく上下に動かし、溜息をついたようにも見える。不死者には死肉を食らう種族も存在するが、ノスフェラトゥは基本的にあらゆる意味での食事を摂る必要がない。必要がないことは、しなくてよい。そう考えて百余年を『生きて』来た彼の小さな信念は、徐々にこの数奇な運命の中で変化を余儀なくされていた。彼はそれを沈んだ意識の中で味わいながら、思考する。
 確かに、今は人間を装っていなくてはならない。そうしなければ、『ゾリューシュカ』の元へは辿り着けないだろう。それに、今は鎧が破損して剥き出しの左腕がある。普段よりも、慎重にならざるを得ない。
 ノスフェラトゥは不本意ながらもその変化とやらに従うこととした。今でこそ食事を摂る必要のない存在だとしても、過去までそうだった訳ではない。食べ物に関しての知識は古いながらも持っている。思い出とも呼ばれるそれに手を伸ばすのは、これで何度目だろうか。ふと、そんなことを彼は考えていた。
 やがて給仕が持って来た店のメニューを一枚めくり、やはり沈黙を保ったまま思案していた彼はしばらくしてようやく声を発した。
「香草茶と……」
「はあい、香草茶と?」
「……蜜漬け林檎のケーキを頼む」
「ケーキ!?」
 ノスフェラトゥの思わぬ注文に、給仕は元よりレネまでもがぎょっとして振り返った。
「……何か?」
「いいえいいえ~。では、承りましたあ。しばらくお待ちくださぁい」
 何か気まずいモノでも見たと言わんばかり、給仕の女性は恐らくいつも以上に素早く厨房へ引っ込んで行っただろう。そしてその後ろ姿を呆然と見送るレネが再び口を開いたのは、ノスフェラトゥが受け取ったメニューをカウンターへ返しに行って戻って来た後だった。
「……」
「……」
「……ケーキ?」
「何か」
「甘いもの……好きなんだ」
「昔はよく好んで食べていた」
「あっ、そう……そうなのか……ははは」
 先にテーブルへ到着したワインに舌鼓を打ちながら、レネが苦笑いする。一体何がそれほどの驚きをもたらしたのか不明だが、レネにとって先ほどの注文はよほど意外だったらしい。林檎は大陸で一般的な果物だが、ここシュヴァイスラントでは主に保存食とされている。皮を剥かずに切って蜜漬けにすれば林檎の保存性は上がり、更に焼いた後の色付きも良くなることから民衆は元より貴族にも人気だ。味付けは濃く、少ない食料でいかにして栄養を摂るかという工夫が、そこにはある。
 そんなことをふと思い出しながら、ノスフェラトゥは再び嘆息した。珍しくも素直に己の欲求を示しただけだというのに、この調子の良い学術者は出会ってこの方、何かと反応が大袈裟だ。
 やがてノスフェラトゥの注文した香草茶とケーキも厨房から届けられ、彼らはしばしの休息をとる。
「さて。『ゾリューシュカ』には明日会いに行こうか」
 小気味の良い音を立ててグラスを置いたレネは、ゆったりと椅子に背を預けた。その瞳は宿のあちこちで灯り始めた蝋燭の火を映して、不思議な輝きを放っている。あまり見たことのない色の瞳だ。ノスフェラトゥは改めてその色彩をそれとなく見つめた。
「そうしたいと私も思う。そして可能なら、あの片割れの硝子の靴を『彼女』へ返してやりたい」
「そうだな」
 ノスフェラトゥの見つめる瞳は決して交わらず、レネの山瑠璃色の視線は既に自身の手元へと注がれている。そこにはいつの間に取り出していたのか、道中も暇を見つけては書き込んでいた彼の手帳があった。
「不思議な文字を書くのだな……ルキフェニアの言葉、ではなさそうだが」
「ああ。読んでみるかい? 旅の記録をしているんだよ」
「読んだところで、意味など分からぬ」
「ははは」
 レネの書く文字は独特だ。シュヴァイスラントの言葉ではなく、そして大陸の言葉でもない。丁寧に束ねられた羊皮紙には、深青の細かい糸くずが踊っているようにも見える。学術者である手前、語学にも詳しいのだろうがそれにしては奇妙な文字である。
「これが読める人物が居たら、是非ともお目にかかりたいものだね」
 もっとも、読まれてしまっては仕事が捗らない――そう最後に付け足して、レネはやはり苦笑するのだった。



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