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08.第八章



「ノスフェラトゥ、どうにかあのドラゴンを鎮められるか」
「『ノスフェラトゥ』……あの、守護の騎士ですか?」
 レネが呼んだ名前にフリストは聞き覚えがあった。幾度かレネの手記に記されていた名前だ。レネと共にあり、レネを守る――その活躍ぶりから、フリストはそんな彼の事を『守護の騎士』と呼んでいた。
「守護……? まぁ、言われてみればそうかもしれんな」
 フリストの問い掛けにレネは苦笑する。
「改めて紹介しよう。彼はノスフェラトゥ、小生を主と仰ぐ厭世の騎士だ。スカルアに小生が居ると聞いて半月ほど前にやって来た。運が良かったな」
 ノスフェラトゥが現れたことで安心したのか、レネは笑顔で二人を後方へ案内した。
「はぐれ竜は彼に任せよう。なに、彼の剣の腕は小生が保証する」
「助かります、ノスフェラトゥ殿」
 静かに佇んだままのノスフェラトゥの背中へ、フリストは声を掛ける。するとノスフェラトゥは背中を見せたまま、左手を小さく上げて返事をした。
「安全な場所に下がっていたまえ……死は『我ら』の舞台、生者は観劇するが好ましい」
 そして馬をいななかせると勢いをつけ、ノスフェラトゥははぐれ竜との距離を詰めた。攻撃者の存在に気づいたはぐれ竜が再び首をもたげ咆哮する。
 手足と尻尾、そして翼を使いノスフェラトゥの姿を追ってはぐれ竜は再び暴れ出した。しかし、その攻撃はことごとくかわされる。
「なんて手綱さばきなの……あれ、普通の馬よね?」
 遠くから見守る三人の中で、乗馬に詳しいエルジェが感嘆の声を上げた。まるで信じられないものを見たと言わんばかり、彼女はノスフェラトゥと彼の駆る馬の動きを注視する。
 エルジェの言うとおり、ノスフェラトゥが駆る馬の動きは見事なものだった。まるで手足そのものと言わんばかりに巧みな手綱の操作に応え、右に左にと進路を変える。時には上体を反らし、時には身を屈め、騎士と騎馬は一体となってドラゴンの攻撃を全てかわしていた。
「哀れな竜よ。静かに逝くことも出来ぬとは……」
 そして一瞬の隙を突いてノスフェラトゥが長剣を振るう。それは不気味な風切り音を鳴らし、ドラゴンの脇腹を切り裂いた。
 大きな咆哮が響き渡る。穿たれた傷から大量の血が噴き出し、地面に巨大な染みを作った。そして返り血を浴びたノスフェラトゥが更なる一撃を加えようとしたその時。レネが叫んだ。
「ノスフェラトゥ! 弱らせるだけでいい、殺すな!!」
「……なんだと?」
 動きを止めたノスフェラトゥに一瞬の隙が出来る。それをドラゴンも察したのか、渾身の力を込めて再び攻撃を開始した。振り上げられた腕、その大きく鋭い爪が襲いかかる。
「民に危害を加えるこの恐ろしい生き物を、生かせと言うのか?」
 寸でのところでドラゴンの攻撃を避け、ノスフェラトゥは問うた。手綱を引き、十分にドラゴンとの距離を開け彼は更に問う。
「はぐれ竜は危険な生き物だ。事切れるまで周囲の破壊を止めることはないだろう、それをただ傍観せよと?」
「そうではない。シュヴァイスラント人のお前には理解出来ないかもしれんが、はぐれ竜とて静かに逝くのを望んでいるのだ。穏やかな死を迎えることの難しさは、お前もよく知っているだろう」
「……承知した」
 再び降りかかったドラゴンの攻撃をかわし、ノスフェラトゥが言った。彼はそれと同時に剣を振るい、攻撃後の隙を生んだドラゴンの腕を斬りつける。しかしそれは致命の一撃ではなかった。レネの望み通り、ドラゴンを殺すためではなく弱らせるための攻撃に切り替えたのだ。
 強大な敵を相手に、手加減をして不殺を貫くのは簡単なことではない。一連の流れを見ていたフリストは不安げにレネとノスフェラトゥを見比べる。
「大丈夫なのですか? いくらノスフェラトゥ殿でも、はぐれ竜が相手では……」
「心配いらんだろう。彼は竜にも引けを取らぬ剣士だ」
 フリストはなおも不安を抱え、戦闘の行く先を見る。確かにレネの言うとおり、ノスフェラトゥは強き騎士だ。その剣の腕はレネの著作にも度々描かれており、それが間違いではなかったことをフリストは知る。
 端から見れば、ノスフェラトゥとドラゴンの戦いはさながら舞踏のようでもあった。二者がそれぞれ一手を出せば一歩引き、そして再び一手を繰り出す。そのやりとりは戦いというには非常に優雅なものにも見え始めていた。
 形勢はノスフェラトゥに傾いている。彼は踊るように身を翻してドラゴンの攻撃を避けるが、その直後の隙を絶対に見逃さない。一撃、また一撃と確実にドラゴンへ傷を負わせていく。そしてついに彼は止めの一歩手前で踏み留まり、そのまま急所へと剣を突き出した。
 硬い金属を弾くような音と、肉の裂ける生々しい音が重なった。ぐしゃり、と何かが潰れる。関節を狙ったノスフェラトゥの一撃は、絶妙な力加減でドラゴンの敵意を斬り伏せた。
 やがてバランスを欠いたドラゴンは支えを失い、地に倒れる。地響きのような音と衝撃の後、ドラゴンは完全に沈黙した。
「す、すごい……剣一本でここまで出来るなんて……」
 戦いを見守っていたエルジェが思わず感嘆の声を上げる。剣の扱い方を知っているからこそ理解出来る、ノスフェラトゥの強さを彼女は肌で感じていた。
「よくやった、後は小生に任せたまえ。そういえば、教会関係者もここに来ていたな……探してくる。ノスフェラトゥ、二人を頼むぞ」
「了解した」
 颯爽とその場を後にするレネを呆然と見つめながら、フリストは状況の把握に努めていた。これから何が起こるのだろう。彼は、何を行うつもりなのだろう――?
「……怪我は無いか。その様子だと、崩落した建物の被害に遭ったようだが」
「あ、大丈夫です。心配はいりません……あの、本当にありがとうございました、ノスフェラトゥ殿」
「私のことを知っているのか?」
「ええ、文献で何度か。実際にお会いするのは初めてですね。まさかレネさんのみならず貴方にもお会いできるとは……」
「ちょっと、フリスト」
 傍らに跪いたノスフェラトゥについ長々と話してしまうフリストを、エルジェが慌てて制止する。
「ごめんなさい、この人『レネ研究』に没頭していて……」
「そうか、主の……」
 兜の奥で、ノスフェラトゥは笑ったようだった。
「ならばひとつ良いことを教えよう。主は昔、この国からある重要なモノを盗んだことがある……文献の類には記されていないだろうがな」
「えっ、それはどういう……」
「書物のみに彼の素性、真実が記されている訳ではない……それを肝に銘じたまえ、花婿よ」
 優しく諭され、フリストはその意味するところをしばらく考えていた。しかしレネが戻り、その姿を見ている内に彼はふとルメルグラッドで出会った時の事を思い出し納得する。そう、レネという人物は書物の中だけの、空想の産物ではない。実在する、一人の人間なのだ。
「教会の司祭を呼んで来た。これからこの竜を『転源』させよう」
 婚礼の儀を取り仕切っていた司祭を連れて戻ったレネは、力尽きた竜に近付くとその身体にそっと触れた。その行動に最初はフリストをはじめ民衆たちは「危険だ」と声を上げたが、やがてドラゴンが僅かにしか反応しないのを見て静かになった。
「レネさん、『転源』って……?」
 エルジェが聞きなれない単語を前に尋ねる。するとレネは振り返り苦笑した。
「そうか、君たちには馴染みの無い言葉かもしれんな。彼ら竜は、死してなお世界の理の輪の中を巡るんだよ。そしてまた、この大陸に生まれ出でる」
 フェルニゲーシュという国竜を奉り「ドラゴンと人の国」であることを国是としているエルネタリア公国だが、時代が進みその文化は人間寄りになって来ている。ヘルハイム共和国と隣接しながらもドラゴンの文化と知識の継承はなされることなく薄れ、人々が『転源』の存在を忘れて久しい。レネの言葉は、そんなドラゴンの文化をそのまま伝えるかのような、不可思議で古めかしい響きを持っていた。
「さて……まだ意識はあるだろう? 名前を教えてくれないか」
 はぐれ竜に優しく語り掛け、レネが身を寄せる。その後ろに教会の司祭が続き、おずおずと言葉を発した。
「フェルニゲーシュ様の地で果てること、それは即ち隣国ヘルハイムへの旅路の途中で潰えるということ……あなたの身体は我々が丁重に葬ります。あなたの魂が、ヘルハイムの元へ無事に辿り着けますように」
 竜人である教会の司祭は少なからず『転源』の知識を有しているようで、その言葉の通り丁重にドラゴンを葬(おく)ろうとしていた。祈りの言葉を紡ぎ唱える姿は静謐そのもので、これから婚礼の儀とはまた違う「神聖な儀式」が執り行われるのだという空気が周囲に広がった。
「すごいな……レネさんは、竜の言葉が聞き取れるのか」
 司祭が祈りを捧げる間、レネはドラゴンに寄り添い会話を試みているようだった。フリストにとって竜の声は意味も不明な鳴き声にしか聞こえなかったが、レネはその一声一声に頷き、表情を変え、そしてまた語り掛ける。しかしその声もやがて小さくなり、司祭が祈りを終える頃ドラゴンは息を引き取った。



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