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01.第一章



 その日、エルネタリア公国の首都ルメルグラッド中枢部は、上空に突如現れたドラゴンへの対応に追われていた。兵士が城内を慌ただしく行き来し、その兵士を束ねる役職である騎士団の長たちも、上に下にと報告に奔走する。そして今また一人の騎士団長が、この国を治める小竜公ライオネスの元へと駆け寄って来た。僅かに息を切らし、背中に生えた大きな鳥の羽根をたたむと彼はすぐさま跪く。
「状況は」
 言葉少なに、玉座からライオネスは問う。すると、玉座の間へとやって来た一人の騎士団長・風軍のルサリィエルは頭を下げ、報告した。
「はぐれ竜の類ではなさそうですが、現在飛来した竜はこの城の周囲を飛び回っています。ヴァルプリス部隊が警戒態勢に入っています。如何なさいますか」
「ゼルカル砲の準備は?」
「リヒテンベルクが準備を進めています。撃ち落としますか」
「そのつもりだ。セクリタテアを出せ。レインドに通達を、私も出る」
「かしこまりました」
 ルサリィエルが頷き、玉座の間を後にする。そしてそれを追うようにして、ライオネスもまた腰の長剣に手を添えると立ち上がった。彼は敬礼する兵士たちに目配せしながらそれを引き連れ、城下を一望出来るテラスへと向かう。長く広い廊下にライオネスの靴音が反響し、王者の出陣を合図する。やがて彼は日の光も眩しいテラスへと足を踏み入れた。
 そこには既に他の騎士団長や息子のアレクセイが控えており、現れたライオネスを見るなり一斉に身を屈めた。それに右手で「よい」と応えながら、ライオネスは上空を睨みつける。
「一体何のつもりだ……攻撃する意思もなく、ただただ飛び回っているだけではないか」
 その視線の先には、一匹のドラゴン。深緑を思わせる鱗を日光に輝かせ、ドラゴンは城の上空を旋回していた。やがてそこへエルネタリアの機密兵団・セクリタテアを管理するレインドが現れ、同じく上空を見上げる。
「父上、リヒテンベルクが『準備は整った』と」
「そうか。ではこちらから打って出よう」
 レインドの言葉を受け、伝令兵に命令を託す。するとしばらくして、城下の一角から上空を旋回するドラゴンめがけて眩い光が放たれた。エルネタリア軍が持つ対空兵器、『ゾリャの瞳』とも言われるゼルカル砲の光である。その光は日光を魔力で集積・凝縮し一気に放つというもので、これが当たれば標的はたちどころに燃え上がる。
 しかし、放たれた光をいずれもドラゴンは寸でのところで避けた。ライオネスは思わず舌打ちし、腕を組む。
「なかなか手強い相手のようだな」
「ライオネス様、ヴァルプリス部隊より伝令。あのドラゴンの上に、人が乗っているとのこと」
 エルネタリアで唯一人を乗せて空を飛ぶことが出来る巨鳥『ヴァルプリス』を駆る部隊が、どうやらその役目を果たしたようだ。彼らはドラゴンに切迫し、その状況を確認出来たらしい。
「なんだと? 人……?」
 ヴァルプリス部隊からの通達に、ライオネスは眉をひそめた。「まさか、シュヴァイスラントの空賊ではあるまいな」――彼は瞬時にそう考えたが、それが正解でないことにも、すぐに気づいた。もしシュヴァイスラントの空賊がこのルメルグラッドを襲うならば、まず単騎では挑まないだろうと彼は踏んだのだ。
 なおも攻撃を続けるゼルカル砲の光をよけながら、ドラゴンは徐々にその高度を落としてくる。進路は、まさに今ライオネスが居るこのテラスだ。ついに攻撃の時か――ライオネスは長剣を引き抜くとそれに魔力を込めながら静かに構えた。
 しかし、接近して来たドラゴンはその僅か上方をかすめ、テラス上部の壁に張り付いた。はばたいたドラゴンの翼が発生させる強い風圧がテラスを襲い、ライオネスをはじめエルネタリアの精鋭達が思わず顔を覆う。ライオネスは振り返り、ドラゴンが位置するテラス上部の城壁を見上げた。そして彼はそのドラゴンに乗る一人の人物を見るなり、驚きに声を上げるのだった。
「レネ・ラカトーシュ……!」
 突然飛来した一匹のドラゴンに乗る人物とは、数ヶ月前にエルネタリアを出国したルキフェニアの学術者レネ・ラカトーシュであった。彼はライオネスの思惑の元、実に十年もの間このエルネタリアに『滞在』していた。その彼が突然何者かによって『さらわれた』のが、数ヶ月前。その彼が、まさか戻ってくるとは。思わずライオネスの口の端が上がった。
「どういうつもりかは知らんが、戻って来たか……」
 ドラゴンはそのままテラス上部に位置を取り、静かにこちらを見据えている。そしてその背に乗るレネもまた、険しい表情でこちらを見ていた。
「レネ・ラカトーシュ。貴殿の帰還をエルネタリアは歓迎しよう。一体どういう風の吹き回しか?」
「その言い方だと、小生に対して不義を働いたという自覚はあるようだな、小竜公」
 互いに敵意は無いと見た双方は、短く言葉を交わした。ライオネスは構えていた長剣を鞘に戻し、両手を広げてレネに語りかける。
「私の元へ戻ってくるのならば、もう少し穏便に願いたいものだが……何か目的があるのだろう? 下へ降りて、ゆっくり話そうではないか」
 突然舞い降りたチャンスを、このまま逃す手はない。ライオネスは来訪者レネを手厚く迎えるつもりだった。何しろ彼の身の内には、ライオネス自身から移り渡した『呪い』がある――その『呪い』を封じることこそが、ライオネスの人生を賭けた目的でもあった。
 その言葉に同調したかは定かではないが、レネの乗るドラゴンがゆっくりとテラスへ降りてきた。そしてドラゴンがテラスに降り立ち、その背からレネが静かに着地する。
「久しぶりだな、小竜公」
 その声は再会を喜ぶようなものではなく、油断も隙もない鋭い刃物のようだった。そしてそれを見やり、ライオネスは長く息を吐く。
「突然姿を消したものだから、こちらは大慌てで調査隊を出す羽目になった。謀反者にさらわれたのではないかと、心配していたのだよ」
「ご冗談を」
 ライオネス表面だけの安堵を、レネは素早く見抜く。彼は既に、ライオネスが行って来たこと、そしてレネの身に何をしたかを全て理解しているようだった。
「この首の傷。これが全ての発端だ。これについて、あなたの意見を聞きたい」
「なるほど」
 マントを引き、首筋を露わにしたレネが言った。それはかつてエルネタリアにレネを『匿っていた』頃、ライオネス自身が彼につけた印であった。
「何はともあれ、エルネタリアは再び訪れた貴殿を大切な客人として迎えよう。その竜もだ。食事の用意をさせよう……そこで、話を」
 薄く笑みを浮かべながら、ライオネスは提案する。すると、レネもライオネスの提案が己の目的と合致しているとみたか、迷いながらも幾度か小さく頷いた。


 ルメルグラッド城の一室、玉座の間からそう遠くない位置にそれはある。こじんまりとした、しかし格調高い食堂だ。だが、ここは客人や国賓を迎えて食事をする場ではない。ライオネスが家族との時間を過ごすために使用する部屋であった。
 ライオネスがレネとの対談にこの部屋を選んだのには理由があった。まずひとつ、余計な部下たちの視線を遮断すること。ふたつめは、純粋にレネとせまい空間の中で腹を割った話をするためだ。
 小さめのテーブルに二人がつくと、すぐに給仕がワゴンを引いて食事を運んできた。大きな銀製の皿に盛られた肉や野菜が、蓋を取られるなり湯気を上げる。
「……」
 しかし、それを見るレネの視線は未だ鋭いものだった。彼は注意深く周囲を観察し、決して警戒の姿勢を崩そうとしない。
「毒など盛る理由もない。安心して食べたまえ」
 そんなレネに伝えながら、ライオネスは給仕に注がせたワインを一口飲んだ。エルネタリア南西部、アリメンテで収穫された葡萄を使用した一級品のワインだ。芳醇な香りと共に深く強い味が口内に広がり、やがて鼻に抜けていく。それを密かに楽しみながら、ライオネスはレネにもワインをすすめた。
「さて、本題に入る前に……まず始めに、レネ・ラカトーシュ。貴殿は私に謝罪すべきではないのかね」
 その言葉に、ワインを口に含んだままレネが視線を向ける。ワインを飲みかけたままグラスで口元を隠しているのは、心情を悟られたくないからであろう。しばらく彼はそのままの体勢で居たが、やがてワインを飲み込むと「ふう」と息を吐いた。
「何について? エルネタリアを脱出したことに関しては、そもそもそちらが小生の身を拘束していたことに起因している」
「ふむ。ルキフェニア王国との国交回復のため、あの時の提案は飲んで貰えたと思っていたのだが」
「『しばらく』という言葉に裏があったことを、小生はあの時に気付くべきだったよ。まさか小生の知らぬ間に十年もの月日が経っていたとは。聞くところによると、小生に生活の場として提供されていた『黒星塔』……あそこには、時を歪める結界が張ってあったそうだな」
「ライデンフロストか。後で彼とも話をせねばならんようだな」
「……」
 ライオネスはすぐに、レネの言う『話の出所』の正体を察知していた。ライオネスの養子であるレインドを筆頭として、普段は従順な振りをしつつも静かな政治的反抗を続ける反体制派。ライデンフロストは表面的にこそライオネスに忠誠を誓っているが、実質的にはレインドの右腕とも言える油断のならない人物である。ライオネスがこのエルネタリアに留めていたレネの身柄を国外へ逃がしたのは間違いなく反体制派、そしてその手引きをしたのはライデンフロストだろう。
「しかし、私が問いたいのは貴殿が提案を反故にしてエルネタリアを去ったことではない。四十年ほど前になるだろうか……貴殿は私に、ひとつ嘘をついた」
「……嘘?」
「『呪い』だ。幼少時の私に巣食っていた『呪い』……あれを、当時貴殿は害のないモノと結論づけた。もっとも、その時貴殿は既に『死んでいた』ものだから、詳細は分からず終いだったがな。しかし、『呪い』はそうではなかった」
「……その件に関しては、」
 そこまで言い掛け、レネは突然口をつぐんだ。何かを思い出しているのだろう、視線を逸らし、己の意識の中へと彼は焦点を当てている。
「やはり、小竜公。あなたは……」
「思い出したか、レネ・ラカトーシュ……いや、『鏡うつし』と言うべきか。なるほど、やはり『前回』の記憶を強固に保持している訳ではないようだな。これでは代替わりと言われても仕方のないことだ」
 ライオネスを見たレネの山瑠璃色の瞳が、驚きに揺れた。
「あなたが、何故それを」
「『鏡うつし』がこの大陸に一人だけであるとは限らない。意外かもしれんが、私の身近な人物もそうでね」
 ゆるりと椅子の背もたれに身を預け、ライオネスは膝の上で手を組んだ。その鋭い瞳はかつて幼い自分を結果的に見捨てたとも言える学術者レネに向けられており、なおも鋭く細められた。
「貴殿がストリグスキー家を去った後、私は『忌み子』から脱却すべくあらゆる手を尽くした。その方法を教えてくれた貴殿には感謝しよう。しかし、『呪い』は年々、私の体を蝕んでいった」
「そんな、はずは……あの『呪い』は本来善良なものだ。それがどうして……」
「それは貴殿自身に聞いてみると良い。何しろ、その『呪い』は今や貴殿の身体の中だ」



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