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13.終章



 そうして三人はそれぞれに別れた。ノヴァークはエルネタリアへ、そしてレネはラルギネアを目指すこととなった。リュッケルトはイレクスにある邸宅へ戻ると言い、そのまま二人の元を去って行った。
 反対側へ歩いて行くレネを見送り、ノヴァークはひとつ息をつくと自分もまたエルネタリアへ戻るべく道を行く。市場を抜け、門を通り、山を越えてエルネタリア国境に辿り着く。
 そのまま彼は北上し、エルネタリア北部にあるジャンルーヴァを目指した。そこは絨毯革命の折にリヴデューザが小竜公ライオネスより授けられた、トビトカゲ唯一の定住地である。
 国境から半月ほど掛けて辿り着いたギルド本部は、ノヴァークが任務でルキフェニアへ旅立った時と変わらず殺伐とした空気が広がっていた。
 男たちは揃って狩りか契約の任務へ繰り出し、女たちはそんな男たちのために日々使用する保存食や薬を作る――そんなリヴデューザにとって当たり前の景色が広がっている。
 ノヴァークはギルドを仕切る長に活動の報告をし、無事にルキフェニア、エルネタリア、そしてアーストライアでの三つの任務を完遂した事を告げた。そして、アーストライアの「トカゲの巣」で起きてしまった悲劇についても。
 長は低く唸り懸念を露わにしたが、ノヴァークの働きには満足しているようだった。改めてかの強盗騎士への警戒を強めるといった結論を出し、報告は終了した。
 ジャンルーヴァは貧しい村だ。それはあくまで人間にとっては、だが。ここはエルネタリアの民とリヴデューザのトビトカゲが共生する土地で、互いに互いへ干渉しない、ヒトの心の冷たい土地である。また、すぐ北にはドラゴンたちの住まうヘルハイム共和国との国境があり、地政学的にも緊張の緩むことがない場所なのだ。
「お帰りなさい、ノヴァーク。今回は随分長かったのね」
 村を歩いていると、ふと声を掛けられた。振り返ればそこには幼馴染のトビトカゲ、ビェルカが居た。
「久し振りだな、ビェルカ。村は変わりないか」
「ええ。毎日退屈な事には変わりないわ。契約がちっとも回って来ない」
 女だてらに暗殺ギルドに属することを許されているビェルカだがギルドからは邪険にされることが多く、普段は他の女たちと同じように薬草の採取や薬の調合、装備品の手入れなどを行っている。それを彼女は退屈と感じているらしく、ノヴァークと会うなり愚痴がこぼれた。
「今度オレに来た依頼をお前に回そう」
「あら、どういう風の吹き回し? 情けなら不要よ」
「そうじゃない。立て続けに三件も依頼を受けた上に、例の騎士にまで襲われたんだ。少し休みたくてな」
「例のって……死なない騎士?」
「ああ。アーストライアの巣がひとつ、全滅した」
「そんな……よく無事に戻って来てくれたわ。でも、ちょっと時期が悪かったかも」
 ビェルカはノヴァークの報告に驚いたようだった。そして彼女は周囲を見渡すと、ノヴァークの耳元に囁く。
「噂を聞いたわ。エルネタリアの重要人物を公の許可無しに国外へ逃がしたそうね」
「その依頼の話、もう広まっているのか」
「マズイわよ。しかも、公直々にギルドへ依頼が来ているの。レネ・ラカトーシュを連れ戻せ、とね」
「何だと……?」
 ビェルカの報告に、今度はノヴァークの方が驚く番となった。ほんの一ヶ月も経たない内に、レネを取り巻く状況は大きく動いていた。
「このままだとあなたの身も危ないわ、ノヴァーク。もう長には報告を済ませてしまったのよね? どこかに身を隠した方がいい」
「そうだな……」
 ビェルカの忠告に、ノヴァークは正直頭を抱えたい気分だった。ようやくすべての依頼を完遂したと思ったところで、まさかギルドがそんな事態に陥っていたとは。
 ふとレネの身を案じてしまった自分に内心驚きながらも、まずは己の身を何とかしなくてはと彼は考え直した。下手をすれば、依頼を受けた同胞が情報を狙ってノヴァークの元を訪れる可能性もある。
 レネは己の行き先について秘匿すべしとは言わなかった。しかし、ノヴァークはレネの進路を誰にも告げずに居ようと考えていた。何故かは分からない。そうしなければ、と根拠のない確信だけが彼の中にはあった。
「すまないな、ビェルカ。オレはしばらく静かにしているとしよう。何かあれば、また教えてくれるか」
「もちろん。ふふ、あなたが帰ってちょっとは面白くなって来たわね」
 ビェルカは不敵に笑うと、手を振りながらノヴァークの元を去る。それをぼんやりと見つめながら、ノヴァークは徐々に混乱し始めた思考をなんとか制御しようと試みていた。
 彼は考えていた。あまりに情報の伝達が早過ぎる、と。確かにレネがエルネタリアを脱出した事は小竜公も周知の事実だろう。しかし、それを連れ戻す為に公の手先である機密兵団セクリタテアを使わず、彼はリヴデューザに接触した。
 これは完全に見抜かれている。ノヴァークは確信していた。ライオネスはあえて、レネの捜索をリヴデューザに依頼しているのだ。そうなると、機密兵団セクリタテアはその支援を行うために動くはずだ。
 逃げなくては。ノヴァークは決意した。そして次の瞬間には地を蹴り、身を隠すべき場所を求めて走り出す。里を離れ、更に北上し、山にある隠れ家へと向かう。切れる息も、痺れ始める足も関係ない。彼はひたすら走り続けた。
 やがてその足が止まる。隠れ家の目の前で、ようやくノヴァークは己の上がった息を整え始めた。焦っている――このオレが? 驚きと共に空を見上げた。
「一体何が起ころうとしているんだ……」
 そして彼は、今更ながらに湧いた疑問を思わず呟いていた。
 不穏な色の雲が、立ち込めている。


(了)



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