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09.第九章



「ほう……? 珍しい武器を使うのだな」
 静かな声の中に、甲高い金属音が鳴った。素早い動きでそれぞれ飛来した鎖を打ち落としたノスフェラトゥが長剣を構え直す。しかし、ノヴァークの戦術はその先を見越していた。
「フン!」
 弾かれた鎖を中空でたわませ、三本の鎖を一つにまとめるとそれを騎士の頭上から振り下ろしたのだ。そしてノスフェラトゥがそれを盾で防御しようとした瞬間を狙い、更に鎧の隙間を狙ってナイフを投擲する。
「!」
 相手の戦力が不明である以上、持久戦に持ち込むのは何としても避けたい。頭上から叩きつけた武具付きの鎖をノヴァークはその反動を利用して瞬時に引き戻し、土を蹴った。一気にノスフェラトゥとの距離を詰め、懐に飛び込んでいく。
 腰の太刀を引き抜き、一閃を浴びせた。しかしそれはまたしてもノスフェラトゥの長剣に阻まれる。
「甘いな。剣とはこう使うものだ」
 低い声が笑った。
「くっ……!」
 ノヴァークの攻撃を防いでいた長剣を握り直したノスフェラトゥが、突如その攻撃を斬撃ではなく突出に変えたのだ。
 危うく顔の半分を削り取られるところを辛うじて首をひねり回避したノヴァークは、己の血が滴るのも気づかぬままに素早く後ろへと跳躍していた。上がった息を後から追いかけるようにしてやってきた痛みと、血の流れる感覚が熱となって首を下る。
「切っ先に迷いが見える……お前、まだ考えているのか?」
「……ッ」
「どうやって私がこの『巣』を壊滅させたのかを」
 ゆらりと歩み寄るその姿は亡霊のようにも見えた。ノスフェラトゥは外から差し込む僅かな光を長剣に反射させ、そこに煌めくノヴァークの血を見つめていた。
「答えは至って単純だ……『剣以外に生くる道なく、さすれば剣によって道は開かれん』」
「……俺の国の言葉で言えば、それは『惨殺』というものだ騎士よ。俺たち暗殺者の持つ美学とは、ほど遠い価値観をお持ちのようだな?」
 上がった息を整えながらノヴァークは呪詛にも近い言葉を吐いた。リヴデューザの任務には騎士団との共闘を視野に入れたものも多かったが、そのいずれもが彼ら暗殺者の讃える一撃必殺の妙とはほど遠い、圧倒的な物量と力による暴力的な侵攻であったことは記憶に新しい。そして彼らが行う侵攻の先にあるものは、いつでも慈悲無き闘争と略奪である。
「貴様が何故、我らリヴデューザを狙って長年襲撃を繰り返しているのかは俺もよく知っている。だが、貴様はそれにどれほどの時間を費やして来たのだ? 貴様の復讐は、どこにある?」
 相手が自分の問いを前に動きを見せないで居るのは好機であった。ノヴァークは手早くポーチの中から粘着式の治療布を取り出すと、それを傷ついた首筋に貼り付けた。これで、いくらか出血は防げる筈だ。
「お前は知らぬからそんなことを口に出来るのだ……失われた死を、そして……奪われた眠りを」
 やがてノスフェラトゥは小さな呟きと共に間合いを詰め、再び長剣を振るう。その攻撃を巧みな動きで避け、防戦に徹しながらノヴァークはひたすら相手の隙を見定めていた。そう、暗殺者の持つ一撃必殺の瞬間を、彼は辛抱強く待ったのだ。互いの速度はほぼ互角。相手の見せる隙こそがノヴァークに残された攻撃の糸口だ。
 横に払われた剣を縦に、そして縦に払われた剣を横に弾き、ノスフェラトゥの剣が突きの構えを見せた瞬間――ノヴァークは斜め前にその身を屈めて転がり込むと、およそ人間には不可能と思われる体勢から瞬時に跳躍した。戦闘における剣士が踏む型にはそれぞれ器質的な弱点がある。突きの姿勢はその攻撃範囲こそ長いものの、前方に伸ばされた腕、下半身の防御を欠いた腹、そして踏み込んだ足がそれぞれがら空きとなる、まさに暗殺者にとって絶好の機会であった。
 素早く背後を取ったノヴァークは腰のベルトから刺殺用の暗器『棘』を抜き放った。甲冑をまとう騎士の暗殺に特化したリヴデューザの、それも上位の暗殺者のみが扱える細い螺旋状の武器だ。それをわき腹、肘、脚の付け根、そして首――いずれも金属製の甲冑が覆いきれない小さな急所に突き刺し、ノヴァークは一定の手応えと共に天幕の奥へと転がり込んだ。
 しかしその手応えもすぐに勝負を決するには至らず、彼は舌打ちした。あらゆる急所に打ち込んだ『棘』の殺傷力については熟知しているつもりだ。大抵の標的はこの攻撃をかわすことも出来なければ、その直後に訪れる失血死を免れることも出来ない。だが再び視線を上げたノヴァークの目に写ったのは、『棘』を刺されてもなお静かに佇んだままの不気味な騎士の姿であった。
「ほう……『棘』、か……見事な一撃だ。これまで私が相手をして来たリヴデューザの暗殺者はこれを一度しか使わなかったが。それを……一、二、三……四……」
 ゆっくりと振り返るノスフェラトゥの声と共に、『棘』がひとつ、またひとつと鎧から抜かれて落ちていく。軽い金属音と共に地へと放り出されたそれは、まさにリヴデューザにとって一種の絶望を感じさせる。
「『棘』を刺してもなお死なぬ騎士、か……なるほど……」
 再び頬を額を流れ落ちた血を舌で舐め取り、ノヴァークは口の端を吊り上げた。知らなかった訳ではない。『棘』を突き刺してもなお死なぬ騎士が居るということは。だが、実際にこの目で見るまでは信じられなかった――否、信じたくはなかったのだ。本来であれば、ノヴァークの狙った箇所はいずれも生物が生命活動を維持するのを極限まで妨げることの出来る急所中の急所であった。それが、全くの無傷として払われる……まさに悪夢とも言える現実だ。
「ならば!」
 しかしこの時、ノヴァークが動揺を上回る理性を保持していたことは幸運であった。まだ攻撃態勢に移り切れていない敵の首を狙って、サリューダを打ち放ったのだ。鎖がうなりを上げて飛んで行き、刃先が反撃の隙を与える間もなくノスフェラトゥの頭を胴体から切断する。一瞬にして頭部を失った身体は均衡を失い、飛来したサリューダの衝撃もそのままに、力なく仰向けに倒れた。びしゃり、と血の跳ねる音がした。
 訪れた静寂の中、ノヴァークは引き戻したサリューダを手に取りそれを投げきった姿勢のまま荒い呼吸を繰り返していた。『棘』が効かずとも、この世に存在する生物である以上、いかなる者も首から上を胴体から切り離すことが出来れば絶命する筈だ。『殺し』の基本であり、また基本でありながらそれは最も重要な理論である。
 やがて敵に動きが無いことを確認したノヴァークは、沈黙の中に一歩を踏み出す。とにもかくにも、この異様な事態をエルネタリアの本部に知らせなければ――生き残っている伝書鳩を探そうと、彼は天幕の外から差し込む光へと足早に進む。だが、ちょうど天幕の入り口へと差し掛かる頃、ふと背後から聞こえた小さな金属音にノヴァークは振り返った。不安にも似た引力が、彼の視線を再び天幕の中へと揺り戻した。
「どういうことだ……」
 翻ったマントの向こう側、視界に飛び込んで来たのは同胞の血溜まりに転がった兜の隙間――そこにある首の切断面は、明らかに生物のそれと異なっていた。溢れかえった血の中に、何か白いものが見える……否、そこには、『白いものしか無い』。
 一歩、また一歩と光の中へ後ずさりながらノヴァークは低く声を漏らした。
「いつまで寝ているつもりだ……貴様、アンデッドか……!」
 そしてこの時ようやく。彼は初めて理性を上回る『恐怖』という感情が、自分の中に芽生えつつあるのを感じ取るのだった。



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