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08.第八章




 手早くレネからの依頼を完遂したと思っていたが、ふとそよいだ涼しい風を追って空を見上げると、既に昼は終わりを告げるところであった。あと少しもすれば、上天を止まることなく巡る太陽がその光で赤く空を染め、夕を作り、またどこへともなく沈む。
「太陽の昇ってくる根本には何があるんでしょうね」――傾き始めた日の光に目を細め、ノヴァークはこの街へ至る途中で耳にした、ハイエルフの独白にも似た呟きを思い出していた。太陽は誰の指図を受けるでもなく――ともすれば、運命にさえも――東の未開地区からのぼり、そして西へと沈んでいく。西にあるものは、海だ。太陽は、海に還って行くのだろうか。とりとめのない、ぼんやりとした感情がノヴァークの脳裏をよぎる。
 宿をとっているイレクス中心街の方角へ目を向ければ、独立祭の催しと見える色とりどりの花火がいくつも上がっていた。どうやら、滞在中は昼も夜も関係なく賑やかな人の営みの中に潜むこととなりそうだ。
 ノヴァークはその花火の音と光を目印に、元来た道を駆けた。往路で雇った馬車は既にその姿を消している。客が多いのだろう。アーストライアへの旅行者は何も自分たちだけではない。穏やかな環境、そして美味と噂の食に加え、湯治を求めてやってくる旅行者は多いと聞く。おまけに今は独立祭の真っ直中だ。ともすれば、夜通し酒盛りが続くようなこともじゅうぶんに予測が出来る。かき入れ時と言ったところだろう。
 道の往来する街人の数は決して少なくはなく、そしてその多くは空に舞い始めた花火を見上げて歓声を上げていた。商人さえもがその手を止めて、空に咲く花を見つめて居る。その中をノヴァークは邪魔にならぬよう素早く縫うようにして歩を進めていたが、ふと聞こえた声にピタリと足を止めた。
「なあに、あれ?」
「変わった花火だな」
「あんなところに、花火師が居るという話は聞いていないが……」
「きれいな赤色ね」
 弾かれるようにして顔を上げたノヴァークの耳に、甲高い鳥の鳴き声のような音が聞こえたのはその時だった。
「!」
 人間やエルフ達には聞こえない層を持つ、鋭い『声』だ。その証拠に、道を行く人々は「変わった色と形の花火だ」という以上の変化を感じることなく、祭の空気に酔いしれている。しかしそれはノヴァークにとって聞き慣れた、しかし出来れば出会いたくはない音色であった。
 あれは、トビトカゲの救援を求める狼煙だ――!
 そう判断した瞬間、ノヴァークの脚は素早く地を蹴っていた。幸いにも周囲の人間たちは花火の光と音に夢中で、暮れなずむ空に突如として舞った青い影に注意を向ける者など居なかった。彼はそのまま家屋の上を走り抜け、屋根から屋根へと飛び移る。大した運動をしている訳でもないのに、呼吸は異様に浅かった。焦燥が募る。
 恐らく、あの赤い光の出所はリヴデューザの『巣』だ。アーストライアにも同胞の拠点があるとは知っていたが、まさかこんな街の外れに存在しているとは。急に湧き出した不安をその身に抱えたまま、ノヴァークは『巣』を目指し走り続けた。
 いったい、どれほどの距離を疾走したのか。ようやく足を止め振り返ると、眼下には先ほどまで自分が歩いていた道、そしてそのさらに向こうにはイレクスの中心街が見える。街を離れ、小高い丘を擁した森の入り口に、それはあった。
「ここか……」
 質素ではあるが大小様々な天幕が一体に張られており、その様式から、確かにここが同胞の生活空間であったことをノヴァークは確信する。
「誰か! 誰かいないのか!!」
 しかし、その空間は異様なほどに静まり返っていた。そして同時に、そこには肺を焼くような甘く重い香りが充満している。トビトカゲの使う毒薬の類ではない。これは、花の香りだ。人影はなく、辺りは風に揺れる木々の音と、遠くから響いてくる花火の光だけが満ちている。
 中心に構える、この『巣』で一番大きな天幕のすぐそばには一頭の馬が残っていた。まさかこの馬が狼煙を上げた訳ではないだろうが、もしまだ同胞が居るのならすぐにも助け出してここを連れ出さなくてはいけない。ノヴァークは、その天幕へと一歩足を踏み入れた。
「……ッ!!」
 その瞬間、先ほどまで漂っていた重い香りが突如として濃度を増してノヴァークへと押し迫った。吐き気を伴う、血と、甘さの混じり合ったすえたにおい。ノヴァークは思わずマントで顔を覆った。そして暗闇の中をくまなく見渡す彼の黒い瞳に飛び込んできたものは――。
「随分と遅かったな。待ちくたびれたぞ、リヴデューザの『青き影』よ」
 天幕の最奥、闇の向こうで金属の揺れる音がした。
「あまりに退屈だったのでな。花を愛でていた……アーストライアの花はどれも美しい、この中のひとつでも、我が故郷へ贈ることが出来れば良いものなのだが」
 徐々に暗闇へ順応し始めたノヴァークの目が、その足元にあるおびただしい量の血と花を映し始める。声の主は持っていた花の束を倒れたトビトカゲの死体に投げ捨てると、ようやく薄灯りの下に姿を現した。
「こうして相見えるのは二度目か……我が名はノスフェラトゥ。お前がここへ来るのを待ちわびていた」
「その声……貴様、あの時の精霊か」
「精霊? そんな高尚なモノになった覚えはない。私はただ、お前のような暗殺者を求めて、今ここに在るだけだ……。リヴデューザの『青き影』……その腕前は、噂に聞いている」
「ここの同胞を殺めたのは貴様か、騎士よ。いや、騎士と呼ぶのもおこがましい。誰に雇われた?」
 ノヴァークの問いに、ノスフェラトゥと名乗った不気味な騎士は答えなかった。代わりに鞘から抜き出た長剣が、ぞろぞろと呻き声のような音を発しその切っ先を剥く。その刃は禍々しく、赤い霊気が炎の如く立ち上っている。およそ現世に在らざる、魔剣の姿だ。
「なるほど……俺も噂には聞いたことがあるぞ。辺境でギルドの同胞たちを狙っては殺し歩く強盗騎士が居るとな。貴様がそうか」
 マントの中で獲物の位置を確かめながら、ノヴァークはゆっくりと身を屈めた。一体どんな手を使ったのか、たった一人で二十に近いこの巣のトビトカゲを殲滅した騎士を前に勝機があるかどうかは定かではない。だが遭遇してしまった以上は、この危機を脱する他手立てはあるまい。
 そして何より、状況を冷静に分析していたノヴァークの胸に去来したものは。
 紛れもない、目の前の敵に対する怒りであった。
「ならばこれ以上の理由は要らん。仲間の仇、取らせてもらうぞ!」
 瞬間、ノヴァークの手から三本の鎖が矢のごとく発射された。それらは大きく弧を描いて標的を狙い、勢いを増して飛んでいく。鎖の先に取り付けられた刃・分銅・鉤がそれぞれうなりを上げてノスフェラトゥに襲いかかった。



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