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02.第二章



 行商人から聞いていたハイエルフの住処は意外と早く見つかった。商人たちが言っていた目印である大きな泉と、そこに揺れるいくつもの岩塩ランプの淡い輝き。青白い光が、辺り一面をほのかに照らし出している。
「ラカトーシュ、着いたぞ。ハイエルフの住処だ」
 肩の上の雇い主に問うも、やはり返答は無し。飲ませた薬が充分に効いているのだろう。彼はうんともすんとも言わぬまま、ただただノヴァークの背中に乗せられている。まさかこのまま目覚めないままであろうか、と一瞬不安にも駆られたが、調合した薬が死をもたらすものではないこともノヴァークは確信していた。恐らくあと数時間は眠り続けるだろうが、彼はきちんとまだ、『生きている』。
 泉のほとりにレネを降ろし、その周囲をそれとなく探る。湖の波は小さくさざめく程度で人気は無く、静謐そのものと言ってもよい。不気味なほどの静寂が、辺り一帯を支配していた。エルネタリアとの国境警備にあたるアーストライアのハイエルフは常に旅行者を見張る目に長けている。その『目』に、自分達が侵略者でないと映るのを、今は祈る他ない。
「見掛けない顔ね」
 ふと、木々の間から女の声が聴こえた。そしてすぐに、声の主は陣取っていたと思われる木から飛び降り、目の前へと現れる。豪奢な長い金髪と純白の肌――そしてそこに輝く青い瞳は、紛うことなきハイエルフの姿であった。
「あたしはユトゥルナ。国境警備をしているエルフの一員よ。あなたはだあれ?」
「リヴデューザが戦士、ノヴァークだ。雇い主はレネ・ラカトーシュ。アーストライアへの入国を希望すべく、ここへ参った。あなたの助力を請いたい」
 傍らで倒れている雇い主を指しながら、ノヴァークは言った。
「そして、これは個人的な『お願い』だが……彼の傷を、癒やしてやってはくれまいか」
「傷……?」
 ノヴァークの言葉を聞き、ユトュルナと名乗ったハイエルフは即座に倒れたレネへと走り寄った。
「これは……魔術による『呪い』の一種ね。彼、何をしたの……?」
「知らん。ただ彼は今、衰弱状態にある。呪いを、少しでも軽くすることは出来るか」
 ノヴァークの問いに、ユトュルナは頷いた。
「多少なら、ね……分かったわ。エルネタリアからの旅行者を助けるのも、あたしたちの大事な役目。引き受ける」
 ユトゥルナはすぐさまこちらへ振り返った。
「あたしたちの家に案内するわ。彼をそこまで、運んでちょうだい」
「随分と手慣れているな。それに、驚きもしない。俺はハイエルフなど初めて見たが……俺の他にもトビトカゲはここへ来たのか?」
「まさか。こんなことはあたしも初めてよ。関心がないだけ。旅人だって色んな人が居るでしょ。それだけ」
 ぶっきらぼうに答え、ユトゥルナは巨大な樹木を加工した住居の扉を開ける。中へ入ると、そこにはお伽噺と見紛うばかりの不可思議な空間が広がっていた。とても人の手で作ったとは思えぬほどに美しく整った調度品の類いや、宙に浮くベッド、そして妙な位置に留まったままの家具。照明ランプに至ってはくるりくるりと回りながら、ゆっくりと部屋の中を動いている。
「まるで生き物だな……」
「はいはい、感動するのはあとあと。早くその人寝かせなきゃ。メルセデス、お客さんよ」
 思わず家の入り口で驚きに立ち止まってしまったノヴァークの背を押しながら、ユトゥルナが部屋の奥へと声を掛けた。すると、奥からはやはりユトゥルナと同様に美しく整った風貌のハイエルフが現れた。
「いらっしゃい。あら、ずいぶん変わったお客さんですこと。お名前は?」
「ノヴァークだ。ここにアーストライアへ入国するための手助けがあると聞いて伺った」
 上品な笑みを浮かべたメルセデスが、薄手のローブを揺らしやって来る。その手に持った杖は、彼女が魔法を行使する職業にあることを伺わせた。ノヴァークは言われるままにレネを運ぶと居間の片隅にあるベッドへ寝かせ、ようやく二人分の荷物を肩から下ろすのだった。
「先に報酬の話をした方がいいか?」
「ちょっと、あたしたちを下界の奴等みたいに言わないでくれる? 大体ね、レディーの部屋でお世話になるっていうのに、あなたちょっと無粋すぎ」
 上目遣いでじとりと睨みつけ、ユトゥルナが口も鋭く反論した。
「それが我らの『殺し』に役立つのなら、今後は礼儀も覚えるとしよう」
 そしてそれを上から見下ろすノヴァークもまた、冷たく言い返す。確かに、こんなに美しいハイエルフの女性が二人、しかも決して肌の露出が少なくない薄着の姿とあっては大抵の男など即座に見蕩れてしまうだろう。後で目を覚ますであろうレネも戸惑うに違いない。しかし、ノヴァークをはじめリヴデューザの暗殺者たちは総じてそんなものに興味はない。彼らの判断基準は主に敵か味方か、標的か雇い主かといった極めて殺伐としたものだ。
「まあいいわ。とにかく、道案内の報酬はこの人を助けてからでも遅くはないから安心して。物騒な格好したあなたがこんな状態の彼を担いで街にでも行こうものなら、きっとすぐに憲兵たちに疑われる。元気になってから動いた方が懸命よ」
「街へ入るのは危険なのか?」
「内乱が治まったとはいえ、みんなピリピリしてるのよ。おまけにムスチェルルイ――今はエルネタリアって名前になったそうだけど――『おとなり』もあんな有様だし……」
 国境を警備してる方はたまったもんじゃないわ、と吐き捨てユトゥルナがベッド脇に設えられた椅子に腰掛けた。身に付けてた狩人風の装備をてきぱきと取り外し、ようやく寛ごうと背伸びをする。
「同じような時期にふたつの国が、なんてやっぱり尋常じゃないよ。お陰で商売上がったり。宰相も相変わらず何考えてるかわかんないし」
「どこも変わらんな」
 ふと自分が居を構えるエルネタリアの内情とどこか似たアーストライアの国情に、ノヴァークは苦笑した。ただ、彼女たちと自分が決定的に違ったのは、その内乱によって損害を被ったか、利益を得たかという点であった。
 エルネタリアは前王朝直属の騎士団が反乱を起こした末に打ち立てられた新しい国だ。そしてその反乱に、ノヴァークもまた参戦していた。主な標的は反乱の実質的な指導者であったライオネスの政敵だった。そしてそれは、現在もなお続いている。表向きは国政も軌道に乗り始め、国民もあの悲惨な首都戦争を徐々に、そして時には無理に忘れようとし始めている。だが、リヴデューザの『戦争』は未だ終わらぬ。恐らく今日もどこかで、ギルドの仲間はライオネスの命を受け彼の敵を抹殺していることだろう。
「傷の方はどうだ」
 それまでずっとレネの傍で治療の準備を進めていたメルセデスが、その美しい顔を僅かに歪ませたのをノヴァークは見逃さなかった。彼女は未だ血の滲む傷口に押し当てていた消毒布を静かに離すと、どこか暗い表情で言う。
「一時的な治療は出来るけれど、完治は難しそうね……呪いにはいくつか種類があるけれど、大抵は魔術的なもの――つまり、魔法だけによる攻撃がほとんどなの。でもこれは、相手に傷を付けることで呪いの発露を促した……」
「どういうことだ?」
「つまり、この術を行使した……人か、魔物かはわからないけれど……その存在、それ自体が『呪い』かもしれないということよ」
 元来、魔術の類には興味の欠片もないノヴァークであったが、メルセデスの言う『呪い』とやらには僅かな興味が湧いた。似ているのだ。リヴデューザが扱う毒物のように。確かに毒を用いて殺すだけならば、体への傷は不要だ。その毒さえ摂取させることが出来れば良いのだから。それに、刀傷から毒を盛る方法は確かに即効性も殺傷性も高く確実な手段ではあるのだが、傷口からは足がつきやすい。そのような危険を冒してまで、この牙の持ち主はレネを呪いに掛けたかったということか。
「とにかく、出来るだけやってみましょう。ユトゥルナ、お水をちょうだい。『彼女』を喚びましょう」
「わかったわ」
 メルセデスに言いつけられ、ユトゥルナが表の泉へ水を汲みに立った。その間、メルセデスはようやく立ち上がると杖の柄を床に向け、魔法陣を描き出す。杖の端から光が流れ、瞬く間にそれは一種の規則性を持った動きで床へと張りついていった。
「彼の傷から何が出るかわからないから、結界を張らせてもらうわ。この中に居る間は力の強い呪いでも、容易に手出しは出来ないはず……あなたも、闇雲にこの外へ出たりしないでね」
 先ほどとは打って変わったメルセデスの強い声に驚きながらも、ノヴァークは頷く。
「メルセデス、汲んで来たわ」
「ありがとうユトゥルナ。いつものように置いてちょうだい」
 メルセデスが魔法陣を描く横で、ユトゥルナが汲んで来た水を小さなガラス製の器へと注ぎ魔法陣の要所へと置いて行く。そしてその中央に立ったメルセデスは、最後に杖で強く床を鳴らした。
「これより、召喚の儀を執り行います。助力を請うは水の女神、傷つき倒れし旅人に清き水の祝福を……いらっしゃい、『ルサルカ』」
 瞬間、何も聞こえなかった室内で水面を打つ雫の音が聞こえた。それは小さいものだったが、徐々に近づいて来るかのように大きくなり、やがて数も多くなる。そして雨にも似た柔らかな音が流れ出し、少しずつ空間の中へ滲むようにして一人の女が現れた。
「メルセデスは一流の『精霊使い』よ。あたしたち二人は『彼女』の棲む泉を守る代わりに、こうして力を貸してもらうの」
「水の……精霊」
 ふとその透明な色彩の女神を見つめ、ノヴァークは呟いた。そして同時に、ここへ来る前にであった、あの鬼火のような得体の知れない存在のことを思い出す。今目の前に現れた精霊の清らかさとは全く似ても似つかぬ、あの禍々しい火を。
「ここには……他にも精霊は居るのか?」
「なんですって?」
「ここへ来る途中、これと似たような『モノ』と遭遇した。鬼火のような……不吉な『モノ』だった」
「それはにわかには信じ難い話ね。ここには基本的に、森や山を守る水と風、それに土の精霊しか居ないはずよ。彼らは土地を守るために存在する。その環境に害をなそうとする精霊なんてのも滅多に居ないわ……ましてや、火だなんて……嫌な予感」
 視線だけをノヴァークに向け、ユトゥルナは答えた。自然を好み、自然とともに生きるハイエルフ族はその住処について熟知しており、小さな異変にも気付きやすい。しかしその彼女たちさえも気付かなかった『火』の存在は、確かに不気味と言える存在であった。
「さあ、呪いの元を引っ張り出すわよ。呪いに意志があれば、説得して少しの間大人しくしてもらえるのだけれど……どうかしらね」
 水の精『ルサルカ』を従えたメルセデスが静かに言った。そして彼女は杖で何かを手繰り寄せる動きを見せると、素早くその手を引く――瞬間、周囲は突然暗闇に包まれた。



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