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02.第二章



 数日後『砂の魔導書』の解読を終えたマックスは、レネを自室に呼び寄せた。魔導書は砂という特殊な媒体のため最初こそ具現化するのに苦労したが、取っ掛かりを掴めばすぐに解読が出来た。
 魔力の流れを察知し、それを一定の手順によって順番通りに構築して行く。そうすれば砂は魔力の流れに従って形を作り、解読可能な文字へと姿を変えるのだ。
「もっと時間が掛かるかと思っていたが、流石だね。頼んで良かった」
「褒めても何も出ませんよ」
 来て早々マックスをおどけながら褒めるレネに、彼女は素早く釘を差した。そして机の上に茶の入った器をふたつ並べながら、ここ数日の間に解読内容を記した書類を取り出す。
「魔導書の内容は、ある種の『呪い』に関する解呪の手掛かりでした」
「そうか……紛い物でなかったことは幸運だな」
「先日会った時に気付きましたが、レネ……あなた、『呪い』に掛かっていますね?」
「え?」
「あなたの顔と手に、呪文が見えます。それ自体は呪いではなく、呪いを封じるもののようですが」
 マックスの突然の指摘に、レネは驚いて顔を上げた。
「なんだ、話そうと思ったのにもうバレていたのか」
 見上げるレネの顔には、一見なんの異変もない。しかしそこにはびっしりと呪文が刷り込まれており、魔導を修めるマックスにはそれが見えていた。おびただしい量の呪文である。そして恐らく、それは顔や手のみならず全身に広がっているのだろうと彼女は推測する。
「その通り。どうもエルネタリアに居る間、何か悪さをされたようだ」
「悪さ、と言うには随分と深刻ですよこれは。一度、身体を診た方が良いでしょうか」
 あくまで飄々と接するレネに、マックスは再び釘を差す。この気楽な同僚は、放っておくといつまでもこのままだ。そしていつも、何かに気付かない振りをしている。
 昔、レネが風邪をひいた時もそうであった。仕事熱心だった彼は何度もマックスの診療を断り、最終的には高熱を出して倒れてしまった前科がある。結局、生死の境をさまよう事となってしまったのだ。
「いつぞやの風邪のようにはなりたくないでしょう?」
 そしてそんなレネに有無を言わせず診療を行う際、マックスは必ずこの一件を話題に出すようにしている。風邪は、黒死病ほどではないがそれでも患者の命を簡単に奪ってしまう病気だ。星の巡りが悪いともなると更に病状は重くなり、やはり命の危険がある。
 今回の『呪い』にしてもそうだ。どんな魔術師がこの呪文を書いたかは知らないが、大仰な文言を見るに症状は重いと考えられる。マックスは茶を飲み干すと半ば強引にレネを奥の診療室に連れ込み、ベッドに座らせた。
「ひとまず、今回はあなたの名誉を重んじて……すぐの尿検査はやめておきましょう」
「そ、それは助かるね」
 突然ベッドに放り投げられたレネはひきつった笑いを浮かべながらマックスに言った。本来なら男性は男性の医者に診てもらうべきであり、女医であるマックスの診察を受けるということは即ちレネ本人の名誉に関わる。
 女性の裸体を男性が見るのを恥とするように、逆に男性の身体を女性が見るのも恥であるという風潮から、医者と患者の関係はある種特殊なものになっている。マックスのような女医は他にも居るが、彼女らは大抵、妊婦の出産を手伝う程度で本格的に病気を診る者は少ない。
 マックスは変わり者の医者として街に知られている。その低い声から女性であると判別しづらいためか、そして腕の立つ医者であるからか、それとなく男性の診察を行うこともあるのだ。
 彼女の診察を受けた男性患者は、それに気付かぬまま診療を終えることも多い。後から女性であると気付いた患者が抗議に駆け込むこともあるが、その時決まってマックスは「他の医者に診せて治るのならそうすればいい」とはねつける。事実、彼女の医療の腕は折り紙付きだった。
 レネが先の件で風邪をマックスに診せなかったのも恥が理由のひとつであったが、レネもマックスの診療には一定の信頼を寄せている。ただ、彼は態度を決めかねているだけなのだ。
「ついでに、あなたが先日話すと言っていたことをここで話してもらえますか?」
 マックスは診療杖を取り出しながらベッドに近寄る。そしてレネの身体のあちこちに杖を軽く当てながら言った。
「あなたに訊きたい事は山ほどあるが、それは瘴気(ミアズマ)を診た後にしましょう」
「……分かったよ」
 否応なしにマックスの診察が始まってしまったことで諦めたのか、レネは姿勢を正すと大人しく杖に身を預けた。
「首を診てもらえば分かると思うが、エルネタリアに居る間、どうやらここから『呪い』をかけられたらしい」
 そして自分の首に杖を持って来るように示し、レネは続ける。
「最初に気付いたのはリヴデューザの用心棒だった。吸血痕だと言っていたな」
「血を吸われたのですか?」
「わからない。覚えていないんだ」
 レネに促されるままマックスは杖を動かし、トンと首に当てた。そこからは僅かな魔力が感じられた。それも、ひどく淀んだ黒い何かだ。良くないモノだ、とマックスの直感は告げる。
「そういえば、あなたとは十年もの間会っていませんでしたが外見はあの時のままですね。手紙には、軟禁された場所には特殊な結界が張られているようだと書かれていた……」
 杖での診察を終え、マックスは腕を組むと低く唸る。そう、レネの外見は十年前にルキフェニアから旅立った時のものとほとんど変わりがなかった。元々年齢不詳なところもある彼だが、それにしては変化が無さ過ぎる。
「ああ。魔導や魔術には疎いが、エルネタリアで使用されるそれには必ず『魔石』が必要だ……その形跡があったと記憶している。例えばこんな感じだ」
 レネが宙に部屋の間取りを描いて見せるのを用心深く観察しながら、マックスは頷く。
「なるほど。確かにそれは一種の結界のようです。後で詳細を」
「わかった」
「呪いについてはまだ謎が多い。まずは、旅の疲れを癒やす薬を煎じましょう。細かな診察はまた後日」
 ひとまず診察が終了したことに安堵したのか、レネは衣服を正すと大きく息をついた。
「そういえば……エルネタリアはどうでしたか? その様子ですと、物見遊山とは行かなかったかもしれませんが」
「うん? そうだな、閉鎖的で貧しくはあるが民衆の顔は晴れ晴れとした国だったよ」
「そうですか」
「小生はこんな身の上、あまり良い印象を抱いてはいないが……小竜公の政治手腕はなかなかのものなのだろう」
 遠い昔、まだエルネタリアがムスチェルルイと呼ばれていた頃に国を出てルキフェニアへとやって来たマックスにとって、現在のエルネタリアの様子は気になるところだ。
 レネはマックスに己の見聞きした情報を事細かに語った。それは国政から日々の食事まで広範囲に渡り、マックスが薬を煎じ終えるまで続いた。
「さて……では、こちらを」
「ああ、薬が出来たのか。すまんな。久し振りなものだから、やはり口が止まらんよ」
 にこやかに笑うレネの表情が眩しい。安心しきっているのか、それとも信頼の証か、レネはゆっくりとした動作で煎じ薬の器を受け取った。
「香り付けしましたが、あまり味の良いものではありません。すぐに飲み干して」
「マックス」
「……なんでしょう」
「ありがとう。助かったよ」
「……」
 レネの言葉に、マックスは思わず目を逸らした。彼は気付いていない。己が、今どれほど危険な状況にあるのかを。
「あなたのその緩慢さが、私は少し羨ましい」
 それは皮肉であった。この上なく愛着に満ちた罵りだった。
 マックスは未だ葛藤する自分の感情をどうにか鎮めようと努力していた。目を逸らしたまま俯き、レネが薬を飲み干すのを待つ。
 どうして彼を選んでしまったのか。またしても後悔が彼女の全身を駆け巡った。このどうしようもなく緩慢で、呑気な、しかしそれ以上に愛着を持たせる生粋の人ったらし。
 レネは決してだらしがない人間ではない。しかし、彼はどこかでそれを演じている。素顔を知っている。院の同僚として共に過ごした月日は、今となっては計り知れない価値を持つ。
 それを、私は自ら断ち切ることになるのか――ローブのポケットに手を入れ、マックスは溜息をひとつついた。そして彼女は実に慣れた手つきでナイフを取り出すと、それをレネの腹部に突き刺したのだった。
「……ッ!?」
 レネの顔が苦痛に歪む。持っていた薬の器が手を離れ、軽い音を立てて床に落ちた。マックスがナイフを引き抜くと、前へ屈み込みながら彼はとっさに傷口を押さえた。
「マックス……!」
「油断をし過ぎですよ、あなたは」
 その痛みを噛み締めるように、マックスが言った。
「そしてあなたでさえ、神託の前には無力だったということか……」
「なに、を……」
「あなたならご存知でしょう。かの国に神託を行う魔法生物が存在していることは」
 そしてマックスは、再びレネにナイフを突き立てた。血が噴き出し、辺りに鉄の匂いが充満する。
 返り血は気にならなかった。元より患者の施術を行う為に着込んだ漆黒のローブは、赤い血の色を誤魔化す。そしてそれは、彼女の心を少しばかり安心させた。
 いつも通りだ。これは手術の一環だ。そう言い聞かせ、再び突き立てたナイフを引き抜く。やがて失血から意識を失ったレネを見下ろし、マックスはその場に立ち尽くした。
 しかしそれも束の間。彼女は素早く自分が刺した傷口をその手で縫合すると、未だ出血の絶えないレネの体を更に奥の部屋へと運び込んだ。
 そこには、レネのような傷を負って死んでいった者達の遺体が多く横たえられていた。検死、及び研究用に院から譲り受けた人間の死体置き場である。
 その死体置き場の中へ無造作にレネの身体を下ろし、布をかぶせる。マックスは焦っていた。レネの身体に傷を付けたことにではない。これから起こるであろう、厄介事についてだ。
 しばらくすると、施療所の入り口から音も無く入って来た人物が居る。マックスはなるべく落ち着き払った様子で死体置き場を後にし来客を迎えた。
「いらっしゃいませ、リヴデューザ。あなた方に私の医療は必要ないかと思うのですが、どのようなご用件で?」
「分かりきったことを聞くんじゃないわよ」
 マックスの元を訪れたリヴデューザの女――もちろん、それはトビトカゲだ――は、腕を組むとその長身でマックスを脅した。
「ここにレネ・ラカトーシュが来ているって噂を聞いてね。居ないの?」
 無造作にナイフを取り出しそれを手のひらで回しながら女は続ける。
「アレはアンタのモノじゃないから、返してもらいたいのよ。小竜公はお怒りよ、マキシーンさん?」
「……彼なら治療を受けて、またどこかへ行きましたよ。それに、名を名乗らず患者でもないあなたに私が出来る事はありません」
「私はビェルカと言うわ。用ならあるわよ、さっき言った通りにね」
 ビェルカと名乗った女は周囲を見渡すと、舌を何度か出し入れした。
「確かに、ここは血生臭いだけで生きている人間の気配はしないわね」
 トビトカゲ族は嗅覚、とりわけその舌で感じ取れる匂いに鋭い。特に獲物に関する匂いには。マックスの施療所は常に様々な植物や薬品の強い匂いに満たされているが、その中からビェルカは血の匂いをいち早く察知していた。
「ええ。薬もありますが、それ以上にここは瘴気の溜まり場ですよ。今日は院から引き取った死体も多い」
 部屋全体を指示しながら、マックスは言った。
「あなたは見た所、瘴気への防護が充分ではありませんね。悪い気が伝染らない内に、早々にここを離れることをお勧めしますが?」
 マックスの持つ最大の脅し文句である。医術と魔導の心得があるマックスには、病気の元となる瘴気の気配を感じることが出来る。しかしそれは簡単なことではなく、一般市民や魔導の心得が無い者にとっては全く未知の感受性だ。
「……そうね。こんな気味悪い場所にずっと居る気が知れないわ」
 マックスの言葉に、どうやらビェルカは引き下がる決心をしたようだった。
「また来ることもあると思うわ。それまで、どうぞラカトーシュとは仲良くね?」
 そして声が消えると共に、ビェルカの姿もいつの間にか無くなっているのだった。



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