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11.第十一章



 エレクがライデンフロストを連れてレネの眠るベッドへ戻ると、そこではノヴァークが難しい顔をして腕を組んでいた。
「どうしたの? ノヴァーク」
「いや、微かだが血の匂いがする。少し気になってな」
「血? どこか怪我でもしてるのかな」
「わからん。と言っても血痕は無い、匂いの強さからしてちょっとした切り傷程度だと推測できる。今は問題ないだろう」
 尋ねたエレクへノヴァークが答える。彼は微かな異変を察知したものの、現状それが問題ないものであると判断した。確かに、気を失うようにして眠るレネの姿は異様だが見た目には負傷があるとも思えない。エレクはライデンフロストを振り向くと、結界を解くべく決意を固めた。
「やろう、先生。レネが目覚めるのを、俺は待っていられない。聞きたいことが沢山ある」
「よし、始めようか琥珀」
 ライデンフロストも頷き、腰に提げていた小振りの杖を手に取る。それは両端に赤と青の美しい宝石があしらわれた、ライデンフロスト愛用の『双頭竜杖』だった。彼がこれを持ち出すということの意味は、エレクもよく知っている。彼が本気だという証拠だ。
「琥珀、部屋の隅々にある魔石の魔力に干渉し力を中和しよう。私はあちらから、お前は向こうから始めてくれ」
「うん、わかった」
 ノヴァークがレネを見守る間、エレクとライデンフロストは結界の解除を始めた。レネの居る部屋の壁際へ一定の間隔を持って置かれた小さな魔石、そのひとつひとつを確かめ、魔力で干渉し無力化していく。
 やがてすべての石の力を中和し終えた二人は、部屋の中央に集まると手を取り合った。ライデンフロストはエルネタリアでも珍しい、そして優秀な魔導師だが、魔石に依存した魔術体系であるがゆえに魔力の量はラルギネアなどに存在する本場の魔導師に遠く及ばない。彼はそれを、エレクの魔力を借りることで克服しようとしていた。
「これは一般的な、解呪の力を持つ魔石だ。これに働きかけ、何とか上位の魔法を引き出してみよう」
 ポケットからいくつかの魔石を取り出し、ライデンフロストが言う。そして彼はもう一種類の魔石を手に取ると、それらをまとめて宙へ放り投げた。
「ユェティ・ヌ(集え)」
 それと同時に、ライデンフロストが魔石へと魔力をもって働きかける。すると宙に放り投げられた魔石たちはそのまま床に落ちることなく浮かび、可視化された魔力の糸と共に広がり魔法陣を形成した。
「さて、ここからが大事だ。琥珀、お前の力を借りるぞ。準備はいいか?」
「大丈夫、始めて」
「よかろう。……エク・ネ・レフレット・ニ(対象に干渉せよ)」
 握り締めた手に力を込める。エレクの手から漏れた僅かな雷の気配を感じて、ライデンフロストの表情が変わった。彼はにやりと笑うと、一気に魔石へ魔力を注ぎ込む。すると糸のような姿を取っていた魔力の流れに、突如変化が起こった。水、炎、そして雷――三つの魔術による魔法属性が走り始めたのだ。
 やがてそれは宙に浮かぶ魔石を伝って、部屋の中を縦横無尽に走り抜ける。それを見上げ、ライデンフロストが術式を結び、小さく叫んだ。
「グニル・イープ・エデルブ(剥離の刃)……!」
 それぞれ別々の動きを取っていた現象が、ライデンフロストの言葉によって結束したものとなる。それらは激しく明滅し、大きなうねりとなって結界を構成する魔石に浸食していった。
 パキン、と軽い音を立ててひとつの魔石が割れる。そしてそれを皮切りに、結界が崩れ始めた。魔石の割れる音はなおも続き、やがてすべての魔石が割れてようやく辺りは静寂を取り戻した。
「……今の光で、恐らく憲兵たちも気付くはずだ。さっさとその禿頭を起こしたら、脱出するのが良いだろう」
 術を完成させ結界の解除をやり遂げたライデンフロストは、汗の滲む顔もそのままに言った。エレクもまた、大量に消費し枯渇した魔力が及ぼす影響に翻弄されながら周囲を見渡す。
 結界の解除に伴い出現した魔法現象はライデンフロストが言う通り、人目についてしまっただろう。ある程度は雷が落ちたのだと誤魔化すことも出来るが、それにも限界はある。何より、結界を行使していた小竜公がこれに気付かないはずがない。
 エレクはそろそろユランがやって来るだろうと考え、窓辺に走り寄った。その背後では、ゆらりとレネが起き上がるのが見える。十年ぶりに見る、動くレネの姿にエレクは安堵した。これで少なからず、奴隷商人から助けてもらった恩を返せるだろう、と。
「なんだ……何が起きた」
 起き上がったレネは未だ夢の残滓を引きずっているのか、ぼんやりと呟いた。
「エレク、ラカトーシュが目覚めたぞ」
「わかってる」
「『エレク』……?」
「レネ、助けに来たよ」
 やがて雨の中、ユランが塔の壁に爪を突き立て舞い降りる気配がする。それを確認しユランへ合図を送ると、エレクは慌てて部屋の奥にあるベッドまで引き返した。
「行こう、ここに居ちゃいけない」
「ライデンフロスト、彼は……」
「琥珀だ」
「そうだよ、俺、エレクだよ。あなたを助けに来たんだ」
「これは、一体……」
 状況が一切把握できていないレネは、しどろもどろに問うた。まだ記憶が混濁しているらしい。出来るだけ早くこの場から離れ、彼の意識を回復させなくては。エレクは焦っていた。そしてノヴァークもそれをわかっているのか、半ば強引にレネの腕を掴むとベッドから出るよう促す。
「時間がないぞ。さっさとずらかろう」
 訳も分からず連れ出されるレネに多少の同情はするが、今はノヴァークのいう通り時間が惜しい。エレクはベッドから出たレネを抱えるとユランの元へ導いた。
「乗って」
 雨よけに自分のマントをかぶぜ、その背中を押してレネをユランの背に乗せる。そしてノヴァークもまたユランに飛び乗り、周囲を警戒した。ライデンフロストは一人部屋の中に残る。これからここへ訪れるだろう小竜公ライオネスと、『一戦』交える気なのだ。
「じゃあ、先生。イニマ湖で」
「ああ、事が済んだら向かおう。気をつけてな、琥珀」
「先生も」
 互いに無事を祈りながら、彼らは別れる。そして激しい雨の中、ユランはひと吠えすると力を溜め、乱雲ひしめく空へと飛び立っていくのだった。


 雨の降りしきる中を、ユランの背に乗せられながら彼らは行く。そしてやがて雨の夜が終わり朝を迎える頃、エレク達はエルネタリア南東部に位置するイニマ湖のほとりへとたどり着いた。
 昨晩雷雨に見舞われたルメルグラッドと違い、この地は穏やかな気候に恵まれていた。眼下には緑が広がり、ここボクァート平野がエルネタリアでも珍しい、自然豊かな地域であることを物語っている。遠くにはアリメンテの街の影が霞んで見え、ようやく安全地帯まで来たのだという安心と共にエレクは風景を眺めた。そして彼はしばらくして、ライデンフロストに言われていた一軒の小屋を発見する。
「あの小屋だ。ユラン、あそこまでお願い」
「承知した」
 三人を乗せたユランはエレクの言う湖畔の小屋を目指し降下していく。やがて彼は風を伴って地上へ降り立った。エレクが最初に下り、そしてレネを抱えたノヴァークが後に続く。レネは移動中、結界が突如破られたことによる後遺症か、すぐにまた意識を失ってしまっていた。まずは彼を休ませなくては。エレクはライデンフロストの用意した小屋の中へ入るとありったけの道具で寝床を作る。
「こんなもんでどうかな」
「悪くない。下ろすぞ」
 後からやって来たノヴァークがエレクに答え、彼はレネをそこに横たえる。満足な寝床とは言えないが、何もないよりはましだろう。ノヴァークはレネの顔に右手を掲げると、その呼吸が通常のものであるかどうか確認していた。その様子を見るに、どうやら問題は無いらしい。肩を大きく上下させ息をついたノヴァークの姿は、これで一仕事が終わったということを物語っていた。
「さて、とりあえずこれで契約は満了だね」
「そうだな」
「この後はどうするの?」
「俺か? 俺は一度ジャンルーヴァに戻る予定だ。仕事が終わったなら、報告に行かねばならんからな」
 ようやく一息をつける状況に落ち着き、エレクは何とはなしにノヴァークへ尋ねる。するとノヴァークは当然とばかりに答えた。
 長い旅という訳ではなかったが、これで彼とも別れることになるのだ。エレクは突然去来した一抹の寂しさに、苦笑する。決まっていたことだ。何を今更と彼は己の感情を払拭した。この寂しさは、いずれ消える。そう自分に言い聞かせながら。
 それから数日、彼らは緑豊かなイニマ湖でレネの容態を見ながら過ごした。最初こそエレクには食料調達の心配もあったのだが、それはノヴァークが解決してくれた。彼は生粋の狩人だった。獲物をしとめ、それを捌き、火を起こし調理する。その姿は暗殺者としては穏やかなもので、普段『仕事』が無い時はこうして暮らしているのだと彼は教えてくれた。ユランに関しては若干食事の量が足り無さそうに見えたが、エレクが森から採取してきた果物を与えると、彼は喜んでそれを口にした。
 そして更に数日後、夜になってライデンフロストがイニマ湖へ現れた。その頃にはレネの体調もある程度良くなっており、彼らは五人揃って焚き火を囲みながら食事をし、今後について話し合う。
「私がここへ来たのは、公子レインドの代理としてだ。レネ・ラカトーシュ、お前に伝えることがあると」
「小生に?」
 薬草で作った茶をすすりながら言うライデンフロストへ、レネは聞き返した。
「公子はお前がエルネタリアの罪を国外へ持ち出し、断罪してくれるのを望んでいる」
「……それは何とも思い切った話だな。罪、とは?」
「このエルネタリアの現状だ。この国では近い将来に訪れるだろう『厄災』について、様々な思惑が交錯している。詳しくは言えんが、お前がされたこと、感じたこと、それはお前が糾弾するに相応しい内容だ」
「ふむ……小生の身に起こったことは記録に残しても良いということだな? だが……正直なところ、あまりよく覚えてはいないんだ。まぁ、その内思い出したら記録を取ってみるよ」
 同じく薬草で作った即席の煙草をふかしながら、レネは言う。その口からは言葉と同時に香草を燻した煙が吐き出され、彼はぼんやりと虚空を見つめた。
「それから、琥珀の身柄だが……」
 途中で言葉を切り、ライデンフロストはエレクを見やる。深緑と琥珀色の瞳、その視線がぶつかり、彼らは瞬いた。
「お前が彼を十年前に奴隷として買い取った事は知っている。彼を、私に身請けさせてはくれないだろうか」



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