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10.第十章



「罪……? 罪ってなに」
「そこまでは私もわからん……『カルクリウス』との接触は公のみが持ち得る特権だ」
「国そのものが抱える『罪』とは、内容は分からずとも大事に違いなさそうだな。思い当たる節は無いのか?」
 エレクに応えたライデンフロストへ、代わってノヴァークが尋ねる。しかしライデンフロストは首を横に振るだけだった。
「私が分かることは、その『罪』はやがてエルネタリアを滅ぼすモノであるということのみ。真相は公だけが知っている」
 どうやら小竜公ライオネスとその配下の知る事象には大きな隔たりがあるようだった。ライデンフロストをはじめ配下の者たちが知り得るのは先ほど彼が言った通り、エルネタリアに危機が訪れるという『神託』の断片的な内容だけだ。そしてそれと、レネはどう関係しているのか。エレクは尋ねた。
「それで、レネはその……『罪』だか『厄災』だかの身代わりになる為に小竜公にずっと捕まってたっていうの?」
「ああ。この十年、公は足しげく彼の元へ通っている。一晩を通して共に過ごすことも幾度かあった。私が考えるに……その間に公は何かしら『厄災』に対する準備を行っているのだと思う」
「じゃあ、何とかしてレネに会えれば真相が分かるんじゃない? 彼が何かされてるんだったらさ」
「それが出来れば穏健派も苦労はしないよ、琥珀」
 エレクの提案はもっともたるものだったが、それを優しくライデンフロストは否定した。そして彼は続ける。
「あの禿頭が居るのは黒星塔の一角なのだが、そこには魔石で結界が張られている。公自らが象られた強力な結界だ。私の見立てによると、あれは恐らく時の流れに干渉をもたらす特殊なものだ。お陰でこの十年、私はずっと彼の世話をしてきたが……彼は何もかもがおぼろげだ。会う度に記憶が混濁している。恐らく、公との関わりについても詳しくは覚えてはいないだろう」
「げっ、マジ……あ、でも。黒星塔に居るのは本当なんだね」
「ああ。上手く彼をあそこから連れ出すことが出来れば……今後の流れは大きく変わるだろうな」
 情報が揃って来た。エレクは確かな手応えと共に現状持ち合わせる『手札』を数えた。魔導師としてのエレクやライデンフロストに何が出来るか。そしてノヴァークやユランたちの協力体制、塔への侵入方法。彼はしばらく眉間に皴を寄せて考えていた。
「よし、夜の嵐に乗じて黒星塔へ入ろう」
 しばしの沈黙のあと、エレクは呟いた。彼はいくつか思い付いた作戦の中でもっとも確実な方法を取ることにしたのだ。それは様々な人物の協力を必要とするものだったが、幸運なことに、エレクには頼れる仲間が居る。彼らの力を、今こそ借りる時だ。
「先生、この教会の地下に居る竜……あれ、先生が結界で封じてるんでしょ? それを解いて。ユランに、黒星塔まで連れて行って貰おう。ヤンさん、ユランに結界を解くことを伝えに行ってくれる?」
「琥珀の願いなら何でも聞き届けるよ」
「わかりました」
 エレクの提案に、ヤンとライデンフロストが揃って頷く。そしてエレクはノヴァークを振り返った。琥珀色の瞳がきらめき、それが真摯に彼を見つめる。
「ノヴァークは俺と一緒に来て。もし何かあった時に、俺を守って」
「了解した」
「俺はこれから夜にかけてルメルグラッド一体に嵐を呼ぶ。魔術的には少し大変だけど、出来ないことじゃない。多少の目くらましにはなると思う」
「……成長したな、琥珀」
 てきぱきと指示を出すエレクに、ライデンフロストが感心して声を漏らした。そしてそれに笑顔で応えながら、エレクは言う。
「この十年、先生のことばっかり考えてたから。先生に似合うような魔導師になるんだ、って」
 その表情は、かつてこの国を去った少年のそれではない。青年へと成長したエレクが見せるのは、一人の自立した魔導師としての姿だ。
 エレクはそれぞれが行動に移ると自分もまたこの地へ嵐を呼ぶべく、魔術を行使する準備を始めた。


 夜になり、エルネタリア公国の首都ルメルグラッドは急な雨に見舞われた。時間が経つにつれて徐々に強くなる雨と風はやがて大きなうねりを伴う嵐へと変貌し、城下町では突然降り出した大雨に慌てて商人たちが店先の売り物をしまい込み、市民も足早に家の中へと隠れる。通りは人気も無く、ただただ雨と風、そして時折閃光瞬く雷鳴の音だけが響いていた。
 ルメルグラッドの一角、岩窟教会の裏庭にいくつかの人影がある。そして、それに寄り添う大きな影も。この雨に乗じてレネの救出を計画するエレクたちである。彼らはそれぞれに雨を凌ぎながら、ルメルグラッド中央にそびえる高い塔を見上げていた。
「さて、そろそろ頃合いか。作戦を確認しよう」
 最初に口を開いたのはノヴァークだった。
「最初にそのドラゴンに上空まで飛んでもらい、俺たちはそれに乗って黒星塔上部まで行く。その後、俺がエレクを連れて滑空……ラカトーシュの居る部屋まで運ぶ」
「部屋の位置関係はさっき先生が教えてくれた通り。先生は今頃黒星塔で警備を手薄にさせてる筈だよ」
 ノヴァークにエレクが答える。そしてエレクは傍らにそびえる大きな影――ユランに手を添えると不敵に笑った。
「頼んだよ、ユラン」
「任せておけ。我らにとってこんな嵐など苦にもならぬ」
 大きく翼を広げ、ユランが言った。その大きな身体は彼自身が言う通り、嵐の中にあってもびくともしない。心強い仲間を得ることに成功したエレクの運は、確実に向いて来ていた。
「琥珀さん、気を付けて下さいね」
 一人建物の中から、ヤンが心配げに声を掛けて来る。彼の役目はここで終わりだ。エレクはヤンに感謝の意を表すと深く頭を下げた。
「ありがとう、ヤンさん。じゃあ、行って来る」
 降りしきる雨の中、ついにレネ救出作戦が決行される。エレクはユランの背に登るとノヴァークを手招きし、出発の合図を出す。ノヴァークが同様にユランの背へ飛び乗るのを確認すると、エレクは「行こう」と小さく呟いた。ユランがそれを受け、翼を広げる。ドラゴンの羽ばたく音も、この嵐の中では掻き消えるだろう。ユランは身を屈めると後ろ脚で土を蹴り、空へと飛び立った。
 あっという間に眼下の教会が小さくなり、ヤンの姿も見えなくなる。一気に上昇したユランは一定の高さで止まるとゆっくり周囲を見渡した。
「目的地はあそこだな」
「うん、近くまででいいから。よろしく」
「ふむ」
 エレクの言葉に、ユランが短く答える。そしてユランはしばらく空を進むと、ある位置で止まった。
「この辺りで良いか」
「上出来だ、この高さと距離なら滑空出来る」
 確認するユランにノヴァークが答えた。
「エレク」
「うん」
 そして彼はエレクを背負うと、滑空の準備に入る。風向き、風の強さ、落下速度――あらゆる身体への影響を考慮しながら、ノヴァークは素早くユランの背を蹴った。
「ラカトーシュの部屋はあそこか」
「そこまで行けそう?」
「ああ。ただ、問題はどこから塔内に入るかだな」
「最悪、窓を割ってでも入るよ。この嵐なら音も気にならない」
 黒星塔が間近に迫る。ノヴァークは器用にその壁へと鎖鎌を引っ掛けると、それを命綱にして塔へと張り付いた。
 激しい雨が身体に当たるが、気になどしてはいられない。ノヴァークから腕を離し、エレクは背中の翼を羽ばたかせるとゆっくり塔の壁に沿って下降していった。その先には、レネの居る部屋がある。要人を軟禁しているのだから、きっと厳重な設備で守られているに違いない。エレクはそう考えて居た。しかし、それは部屋の窓の近くに来るなり間違いだと気付く。
 意外なことに、部屋の窓は鍵がかかって居なかった。こんな高い塔の一室に、外から侵入する者など居ないと考えられたのだろうか。それとも、これは罠か。一瞬の迷いを経て、エレクは決意すると隙間から漏れるかすかな明かりに吸い寄せられるようにして、そっと窓を開けた。びゅう、と雨と風が部屋の中へ吹き込んだ。
 部屋に衛兵の姿が無いことを確認し、エレクはその中へと一歩を踏み出す。するりと窓を抜け、床に足を下ろした。するとライデンフロストが言っていた通り、小竜公の作り上げた結界が放つ妙な感覚がエレクを襲った。
「……これが『時に干渉される感覚』ってやつか……うぇ、吐きそう」
「おい、大丈夫か……なんだ、これは。妙だな」
 後から続いてやって来たノヴァークもまた、部屋に忍び込むなり違和感を覚えて呟いた。エレクと違いノヴァークは魔導の心得が無い分いくらか影響は薄いようだが、それでも感じるほどの強力な魔力がここには渦巻いている。
「レネはどこ」
 小竜公の施した結界に翻弄されながらも、エレクは部屋の中を見渡しレネを探す。豪奢な調度品が乱立する部屋の中は決して人や物を探しやすい場所ではなかったが、しばらくして彼は奥にある天蓋付きのベッドで人が横たわっているのを発見した。
「あそこか……!」
「待て、俺が先に行く」
 慌てて近付こうとするエレクをノヴァークが制した。彼はエレクに静かにするよう身振りで示し、慎重にベッドへと近付いて行く。やがてノヴァークが安全を確認し手招きするのを見て、エレクもまた用心深く歩み寄った。
「……本人か?」
「うん。十年前と全然変わってない。間違いないよ、レネ・ラカトーシュだ」
「とりあえず、生きてはいるようだな」
 ノヴァークが毛布に埋もれる男の首筋にそっと手を当てる。そこには確かに脈の動きがあり、彼の命が無事であることを物語っている。しかし、レネは深い眠りについているようだった。意識がない、と言っても良い。その横たわる身体は微動だにせず、呼吸も微弱なものだった。
「よし、先生に合図を出そう。結界をなんとかしなくちゃ」
「頼んだ。俺はもう少し、ラカトーシュを調べてみる」 
 部屋の入口に駆け寄り、エレクは力を込めると広げた手のひらをゆっくり扉に近づけて行った。やがてその手が扉に張り付き、更に力を込められるとそれは小さな雷に包まれる。バチ、バチ、と何かが弾ける音がした。部屋の外で待機しているだろうライデンフロストに、これで合図を出すことが出来る。エレクは扉にかけた魔法を持続させるように手を掲げたまま、しばらくその場に立っていた。
 しばらくすると、魔法が何らかの力によって中和され扉が開いた。その先には、静かに佇むライデンフロストの姿がある。彼は勝手知ったる様子で部屋の中に入ると、エレクに微笑みかけた。
「上手く行ったようだな、琥珀」
「先生、レネが起きないんだ」
「ああ、今は眠りの時だからな。結界の影響を緩和しない限り、しばらくは目覚めんぞ」
「しばらくって、どれくらい?」
「長ければ数日はこのままだ。彼の時間は、結界のせいで外に居る我々のものとは違う流れ方をしている」
「それを、これからどうにかするんだよね」
「その通り。お前の力も借りることになるだろう、行こう琥珀」
「うん」



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