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09.第九章



 二日後、エレクはヤンに連れられて教会の書房に来ていた。教会の朝は静かで、エレクが以前ライデンフロストの情報を求めてやって来た時と同様、そこはがらんとしており人の気配などほとんど無かった。
 そう、ほとんど――先客である、ライデンフロストを除いては。
「先生……?」
 ヤンからそっと後押しされ、エレクはライデンフロストの居る書房の中へ足を一歩踏み入れた。その視線の先には、朝の陽光に彩られた細身の影がある。間違いない。ライデンフロストだ。エレクははやる気持ちを抱え、光の中に飛び込んだ。
 ぱたぱたと乾いた足音が鳴る。そしてそれは徐々に早まり、やがて止まった。エレクがライデンフロストに抱き着いたからだ。
「先生!」
「琥珀……!? 琥珀なのか? 一体、なぜ……」
 突如現れたエレクに抱き締められながら、ライデンフロストは驚いた様子で声を上げた。そして彼はしばらく目を見開いて、エレクを見下ろす。十年の時を経て成長したものの、エレクの姿、その美しい琥珀色は変わらない。その色彩を確かめるようにライデンフロストはエレクを見定め、そしてヤンを振り返った。
「ヤン殿、これはどういう……」
「先日、十年ぶりにエルネタリアへ戻って来られたそうですよ。こちらで宿を提供していましたもので、折角ですからということで……」
「先生、久し振り。本当に……久し振り」
 抱き締める腕に力を込めながら、エレクは再会を噛み締めた。やがてその柔らかな髪の上にライデンフロストの手が乗り、静かに混ぜられる。
「よく生きていたな……そして、よく戻って来てくれた」
 エレクを抱き締め返し、ライデンフロストもまた十年ぶりの再会を噛み締めた。
「今までどこに居たんだ? お前が姿を消して、ゼーベック様やゾルターンも心配していたのだぞ」
「俺、ルキフェニアに居た。魔導の勉強してたんだ。その、十年前に奴隷商人に捕まっちゃって……それを助けてもらって……でも、国には帰れそうもなくて」
「やはりそうだったのか」
 ライデンフロストの腕の中でしどろもどろに状況を説明するエレクに、ライデンフロストは確認するように言った。
「お前を『買った』男のことは知っている。あの禿頭だな」
「えっ……?」
 ライデンフロストの言葉に、思わずエレクはその身を離した。ゆっくりと手を伸ばし、ライデンフロストを優しく押しのけ距離を取る。見上げると、そこにはライデンフロストの険しい表情があった。
「あの男め、私の琥珀を奴隷として買い付けておきながら……」
 そして何やらブツブツと彼は怒りに満ちた声を漏らし、大きく息をつく。その姿は十年前に見たままの彼であり、エレクは苦笑しながらも安心した。
「変わんないね、先生」
 ライデンフロストの細い肩に手を伸ばし、エレクは微笑んだ。そしてその手と肩に僅かな電流が走った瞬間、二人ははっと互いを見合わせる。
「俺も、変わんないみたい」
 エレクの身体には、生まれつき稲妻が棲んでいる。そしてその稲妻は時折こうしてエレクの感情に反応し、近しい者へ触れる時に力の一端を発揮する。それは優しい痺れであり、エレクはその感触を懐かしんだ。エレクが思いを寄せれば寄せるほど、痺れは強くなる。彼はそれを改めて実感したのだ。
「それで、先生。久し振りに会った所で悪いんだけど、相談があるんだ」
「大体の予想はつく。レネ・ラカトーシュのことだろう」
「……さっすが」
 どうやらライデンフロストは、エレクがエルネタリアへ戻って来た理由もそれとなく分かっているようだった。それもその筈だ。ライデンフロストは「優秀な子供たち」――エルネタリア公国が抱える最も小竜公に近い存在、機密兵団の一員だ。国家の内情は元より、その裏事情まで知り尽くしている。そんな彼を果たして味方として引き込むことは出来るのか。一抹の不安を覚えたエレクだったが、それはすぐに解消された。
「ここでは何だな。場所を変えよう……安心しろ、琥珀。私はいつでもお前の味方だ」
 力強く頷き、ライデンフロストは言う。すると後ろに控えて居たヤンが小さく声を上げた。
「でしたら、琥珀さんの部屋へ……あそこは離れですから、安全です」
「そうだね、ヤンさん。それに先生、俺の連れを紹介しなくちゃ」
「連れ……まさか、琥珀……私の居ないところで、そんな」
「やだな、そんなんじゃないよ。安心して」
 エレクの「連れ」という言葉に狼狽したのか、ふらつきながら頭を抱えるライデンフロストにエレクは気前よく背中を叩くことで応えた。彼は元々思い込みが激しい性格だ。それが今もこうして発揮されていることに、エレクはやはり安心し苦笑するのであった。


 教会に宛がわれている個室に戻ると、そこには一人佇むノヴァークの姿があった。彼は扉が開きエレク達が入って来ると振り返り、ふんと鼻を鳴らす。
「それが例の先生か?」
「そうだよ。先生、多分言わなくても分かると思うけど、紹介しとくね。リヴデューザのノヴァーク。俺がエルネタリアに居る間、守ってくれる契約なんだ」
「連れ……そうか、リヴデューザか」
「そういうお前はセクリタテアだな」
 ノヴァークとライデンフロストがそれぞれ腕を組みながら、互いを品定めしている。それをエレクは若干の緊張と共に見上げた。そう、ライデンフロストの所属するエルネタリアの機密兵団とトビトカゲが中心となって組織されるリヴデューザは、その成り立ち上相性が悪い。エレクは以前よりこの邂逅を危惧していたが、その不安はやはり当たったようだ。
「そう言えばひと月前、北の外れで有力者の暗殺があったな。ご苦労だった」
「オレ達リヴデューザの雇い主はお前ではない。勘違いをするなよ」
 目を細めるライデンフロストに、ノヴァークが答える。共に小竜公に忠誠を誓う――もっとも、リブデューザにとってはそれは条件付きの希薄なものだが――組織に属する二人を、果たして上手くまとめ上げることは出来るのか。エレクはレネ救出の前に、もうひとつ持ち上がったこの課題をこなさなくてはならなかった。
「まあまあ、二人とも」
 そして緊張の走るライデンフロストとノヴァークの間に入り、エレクは二人を制した。今はレネを救出するという目的の為に、協力体制が必要だ。
「それで、先生。レネ・ラカトーシュのことを知っているの?」
「勿論だとも。私が彼の世話をしている」
「は!?」
 思いもよらないライデンフロストの言葉に、エレクは驚いて声を上げた。
「それ、どういうこと!? っていうか、そんなさらっと俺なんかに言っちゃっていいの……」
「構わん。元々、公のやり方は気に食わないと思ってた所だ。ちょうどいい、『頃合い』だな」
 何が、とは問えずにエレクはライデンフロストを見つめる。ライデンフロストの深碧の瞳は、どうやらエレクの知らないモノを見ているようだ。そしてそんなライデンフロストの物言いに、ノヴァークが「ほう」と声を漏らした。
「てっきりお前達セクリタテアは小竜公に対して絶対の忠誠心を持っていると思っていたんだが、違うのか」
「ルメルグラッド城は最近揺れているんだよ、トビトカゲ」
 決して名前を呼ぶことなくあくまでノヴァークをトビトカゲと呼ぶ高慢な態度に、彼が怒りを募らせなければ良いが。エレクはノヴァークにそっと目くばせし、「ごめんね」と片目をつぶって見せた。ライデンフロストは優秀な魔導師であるが、エレク以外の者に対しては一貫して敵意にも似た感情をぶつける性格である。十年前からそれが変わっていなかったことを知り安心するエレクであったが、やはり少し心配ではある。
「先生、揺れてるってどういうこと?」
「ああ、可愛い琥珀……お前は知る由もなかっただろうね。教えてあげよう」
 エレクが尋ねると、ライデンフロストは身を傾けエレクに優しく寄り添った。そして彼は柔らかなエレクの髪に触れるとそれを撫でる。子供のように頭を撫でられるのは恥ずかしかったが、仕方がない。子供の時分を境に、自分は彼から分かたれてしまったのだから――エレクはライデンフロストに任せるがまま、次の言葉を待った。
「小竜公に義理の子供が居るのは知っているね」
「うん、公子レインド様だよね。人間の子供」
「そう。公子は最近政治的な力を強めて来ている。反体制派に飲み込まれつつある……と言うべきか」
「政治の話は難しいよ、わかんない」
「そう言わないでおくれ。大事なことなのだよ琥珀」
 ライデンフロストの話はエレクにとって難解だったが、彼は要点を噛み砕いて教えてくれた。小竜公ライオネスとその養子であるレインドは現在エルネタリアの将来についての意見が分かれ、水面下で静かに対立しているのだと言う。エルネタリアでは近い将来、首都ルメルグラッドへ『厄災』が訪れるだろうと『神託』によって予測されており、それを防ぎ退ける為の準備を進めている。
 その対応の仕方について政界では強硬派と穏健派に分かれ互いに意見を出し合っているそうだが、実際は小竜公ライオネスの独断で準備が進められていると言っても過言ではない。穏健・レインド派に属するライデンフロストが先程「気に入らない」と言っていたのは、まさにこのことなのである。
「……で? その『厄災』ってやつとレネ・ラカトーシュと、何の関係があるの?」
「それなんだがな」
 そこまで話して、ライデンフロストは急に声を落とした。その姿は歯に衣を着せぬ彼にしては珍しく、何を言うべきか悩んでいるようにも見えた。
 やがて、彼は静かに口を開く。その言葉は重く、遠雷の響きを思わせた。
「レネ・ラカトーシュは、依代に選ばれたのだ。『カルクリウス』の神託だ。彼は、エルネタリアの『罪』をその身に招き入れた」



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