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07.第七章



 エレクの言葉に、ヤンは驚いたようだった。
「なんと……それは思い切った話ですね。確かに十年前、レネ・ラカトーシュはルキフェニアより国交回復の使者としてルメルグラッドへやって来ました。その頃は、随分と話題になったものです。私はその後、てっきり国に帰ったものだと……」
「うん。でも、彼はルキフェニアに戻らなかった。手紙は二通くらい、ルメルグラッドから送って来たけどね。そこにはハッキリ、小竜公の元で身動きが取れなくなってるって書いてあった。俺、色々あって十年くらいルキフェニアで魔導の修行をしてたんだけど……その斡旋をしてくれたのがレネ・ラカトーシュなんだ」
「じゃあ、琥珀さんは今までずっとルキフェニアに?」
「そう。望んで行った訳じゃないけど」
 肩をすくめるエレクに、ヤンは困った様子で辺りを見渡した。そして彼は声を潜めて言う。
「では、もしレネ・ラカトーシュが手紙の通り公の元に居るとすれば、それを……」
「助け出そうと思ってる。彼は俺の恩人だから……それに、何年もずっと一つどころに留まるような人じゃない。あるべき姿に戻してやらないと」
 エレクの決意は固かった。十年前の恩を返すつもりであったし、レネをルキフェニアへ帰還させることは魔導の師であるマックスの願いでもあった。エレクの人生は、もはやオルビトールの花街やルキフェニアの奴隷市場で花を売っていた少年時代とは違う。一人の成人した魔術師として、彼は確かな人生の目的を持っていた。
「でも、どうやって……」
「ヤンさん、俺はもうただの花売りじゃないよ。魔法が使える。やろうと思えば、ルメルグラッド中に雷雨を降らせることだって出来る」
 マックスの元で修業を積んだエレクの魔力は、生来持ちえたモノに更に知識が上乗せされた強大な力となっていた。稲妻を生み出し、雷雨を呼び、嵐を吹かせる。天候制御の術までもを身に着けたエレクの決意は、決して過剰な自信から湧いたものではない。
「ルキフェニアでは、まだ小竜公が何かを企んでるって思われてるんだ。エルネタリアで再び戦争を起こそうとしてるって」
「なんと……滅多なことを言うものではありませんよ、琥珀さん」
「でも、ヤンさんだって感じてるでしょ? 俺は帰って来てすぐにわかったよ。この国、嫌な空気が漂ってる。絨毯革命の時と同じにおいがする」
 絨毯革命――エレクがまだ幼少の頃に勃発した、王政転覆を目的とした謀反。あの時に感じた、小竜公ライオネスが持つ野心の影がエレクには再び見えたのだ。しかもそれは彼が魔術の営みを知ることになった今、なお濃く流れ込んで来ている。
「このまま放っておけば、いずれ公はレネ・ラカトーシュの不在をルキフェニアから糾弾されることになる。国交回復のはずが、戦争になっちゃうかもしれないんだ。師匠は、そう言ってた。俺もそう思う。だからそれを何とかする手助けを、ヤンさんにして欲しいんだ」
「なるほど。これは一大事ですね……」
「……話はまとまりそうか? エレク」
「!」
 すると突然、窓の外から声が聞こえた。驚いて振り向けば、窓辺にはいつから居たのかノヴァークが背中を預けて立っていた。
「ノヴァーク! おどかさないでよ……!」
「お前こそ不用心だ。気をつけろ。どこで間者が聞き耳を立てて居るかわからんぞ」
 厳しく忠告したノヴァークだが、彼自身ここが安全だということは理解しているのだろう。ゆっくりと歩み寄ると彼はいくつかの書簡を床に置き、エレクとヤンにそれぞれ開いて見せた。
「これは?」
「ルメルグラッド城を中心としたの城下町の見取り図だ。もっとも、二十年近く前……絨毯革命当時のものだがな……情報収集ついでに、『本部』へ文を飛ばして取り寄せた」
「すっごい」
 さらりと言ってのけたノヴァークに、エレクは素直な感想を漏らした。そういえば、セクリタテアであるライデンフロストが言っていたような気がする。王政転覆を狙った絨毯革命の折に、小竜公ライオネスは遥か南方よりこの地に移住していたある部族を戦力として雇っていたと。恐らくそれは、リヴデューザだろう。彼らは契約金にさえ納得すれば、どんな汚れた仕事でも引き受ける暗殺ギルドだ。強かな政治手腕を持つライオネスが、利用しないはずがない。
 鉄仮面を体現するノヴァークの横顔からは種族が違うこともあり年齢すら分かりにくいが、ノヴァークもその中に居たのだろうか。
「このどこかに、ラカトーシュが居る可能性が高いんだな? エレク」
「うん。俺は城が怪しいと思うんだけど……先生に会って、まずは協力を取り付けようと考えてる」
「あとはどうやってその場所に乗り込むかだね。ヴァルプリスの線は消えた」
「高所からお前を連れて滑空してもいいが、制御が難しくなる。恐らく侵入が発覚すれば、敵の相手もせねばならん」
「出来れば空路を使いたいんだよなあ……」
 いつの間にか夕食を食べるのも忘れて真剣に話し合うエレクたちに、ヤンがおずおずと提案したのはその時だった。
「あの……ドラゴンを使っては如何でしょう?」
「え?」
「実は、教会で一ヶ月ほど前から保護しているドラゴンが居るんです。なんでも、シュヴァイスラントから逃げて来たのだとか……『彼』は空を飛ぶことが出来ると言っていましたから、頼んでみる価値はあるかもしれません」
「いいねヤンさん! それ、とってもいいよ」
 ドラゴン、と聞いて思わずエレクの心は踊る。エルネタリア人にとってドラゴンは崇拝の対象であると同時に憧れでもある。竜人ならば尚更だ。竜と人の子として産み落とされた竜人族は、その性質ゆえに純血のドラゴンや人間に多大な憧れを持っている。もちろん、己の出自に負い目がある訳ではない。単純な興味から、彼らを慕っているのだ。
「ただ、少々気難しい方で……最近は食料を提供するだけに関わりを留めています。もしお会いするのでしたら、琥珀さん。充分に気をつけて」
「うん、わかった」
 そしてエレクはヤンに頷きながら、すっかり忘れていた夕食の存在を思い出しスープを一口すすった。話し合いをしている内にその熱は冷めてしまっていたが、根菜やキビ、茸を多く使った「狩人風」の素朴な味わいは彼が孤児院に居た頃のものを彷彿とさせる。
 変わらないものと、変わりゆくもの。エレクはそのふたつを噛み締めながら夕食を終えた。ノヴァークは出先で夕食を済ませて来たようで、ヤンの持って来た食事の一部はそのまま下げられることとなった。
 最も、トビトカゲの食事はヒトのそれとは若干異なる。そのことをヤンも分かっていたのか、今後必要なものをノヴァークに尋ねると興味深げに頷いていた。
 翌日、エレクはヤンに教えられた通り教会が保護しているドラゴンの元を訪れることにした。ドラゴンは地下の倉庫に居るらしく、日々そこでじっとしているのだという。
 ヤンに持たされた食料を両手に抱え階段を下って行くと、徐々に周囲が地下の冷気に浸食されていくのが分かった。少し湿り気のある、冷えた空気が辺りに広がっている。エレクは松明に照らされた薄暗い階段を下り、教会の地下倉庫に足を踏み入れた。
「あの……こんにちは! 食べ物を持って来ました」
 思い切って、声を上げる。何事も最初が肝心だ、そう師であるマックスに教えられていたエレクは憧れと少しの畏れを抱き空間を見渡した。ドラゴンを休ませるために移動したのか、荷物の少ない倉庫の中はがらんとしている。どこかでパチリと、照明用の薪の爆ぜる音がした。
「誰だ」
 すると、奥の暗がりから低い声が轟いた。地鳴りのような、重苦しい声だった。決してヒトのそれではない空気の振動が、声の主を物語っている。これは――間違いない。ドラゴンだ。
「俺、竜人のエレクっていいます! あなたと話がしたくて来ました」
 暗がりの中にうっすらと見えた鱗模様に、エレクは目を見張った。そして自分が敵ではないと相手に示すため、ローブの下に隠していた竜の翼を見せる。すると、声の主は唸った。
「竜人……美しい翼の竜の子か……」
 淡い照明に照らされたエレクの琥珀色の翼は、ドラゴンの目にも美しく見えたらしい。その反応を感じ、エレクは内心「よし」と呟いた。
「食事を近くへ。腹が減って動けぬ」
 ドラゴンに言われるまま、エレクは食事を抱えて更に奥へと進んだ。やがて暗闇にも目が慣れ、うっすらと竜の鱗が目前に広がっていることに彼は気付く。大きな碧色の竜――エメラルドの輝きが、そこにはあった。
「ふむ、今日は小僧がやって来たか。して、何用だ」
「あなたの力を借りたいんです」
 率直に、エレクは答えた。嘘や回りくどい問答は不要だ。
「この国で、俺の恩人が小竜公に捕まってるかもしれないんだ。レネ・ラカトーシュ……ドラゴンの国、ヘルハイムにも行ったことがあるって聞きました。知っていますか?」
「レネ・ラカトーシュ……?」
 エレクの告げた名を、ドラゴンは鸚鵡返しに呟いた。とは言え、その吐息はエレクにとってはとても強く、風圧に前髪がなびく。
「翁に話を聞いたことがある……その者、我らと同様に時を翔ける小さき星であるとな」
「『時を翔ける』……?」
 ヒトとドラゴンの語彙には大きな隔たりがある。それは種族の違いや寿命の差異から来るものであるが、ドラゴンの発した謎めいた言葉は、エレクには理解し難いものだった。
「知らぬのか? その者、ヒトの理から外れし苗木……葉は枯れども、それは根を癒し、また葉を育てる」
「彼を、助けたいんだ。力を貸して欲しい」
「ふむ」
 ドラゴンはエレクの置いた食事の中から器用にリンゴを爪でひとつ摘まむと、それを口の中へ放り投げた。
「我もこの国の長については少々気になるところがある。話を聞くに、何かと不穏な存在のようではないか」
「不穏?」
「フェルニゲーシュ……かの黒竜の、淀んだ気配がする。小さき星と、この国の長……」
「フェルニゲーシュ様の?」
「未だかの黒竜を敬うか、琥珀色の子よ。奴は我らヘルハイムにとって裏切者ぞ」
「……」
 エルネタリアの国竜であるフェルニゲーシュの話題が出てしまったことに、エレクは僅かに顔を歪めた。そう、ドラゴンの住まう国ヘルハイムにとってフェルニゲーシュは言われた通りの『裏切り者』だ。
 人間の姫を娶り、ヒトと竜の国を作り、竜人を生み、そして消えて行った。たった一匹とはいえ、ヘルハイム共和国からドラゴンが分かたれたのだ。その行動についてエルネタリアではフェルニゲーシュを英雄と讃えているが、ドラゴンたちの見解はやはり違うようだ。
「だが、今ではそれもスヴァローグのような老いた竜たちの戯言よ」
 ドラゴンは鼻息も荒く笑った。
「お前は面白そうだ、琥珀色の子よ。それに美しい。良かろう、力を貸そうではないか」



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