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06.第六章



 偶然再会を果たしたヤンのお陰で、エレクとノヴァークはルメルグラッドの中心部に構える岩窟教会へと身を潜めることに成功した。この教会は大規模なもので、エレク達同様に宿を求める旅人が少なくは無い。格好の隠れ場所となりそうだった。
「こちらをお使いください」
 ヤンが案内してくれたのは、決して広いとは言えない巡礼者用の宿房だった。大きな山を削り造られた教会の、三階にある宿房区画の一室。岩の材質は比較的軽めのもので、少しでも明度を保とうと壁が白く塗られている。ベッドの他には巡礼者のための簡素なテーブルと、教会の教えを説くための写本がいくつか備え付けてあるだけだ。明り取りの窓からは細い太陽の光が薄暗い床に差し、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「ありがとう、ヤンさん!」
 これでもかと満面の笑みを浮かべ、エレクはヤンへ礼を言った。エレク自身「自分の笑顔は作り物だ」と言いながら、その効果が絶大であることも彼は自覚している。困ったように笑顔を返して去っていくヤンを見届け終えると、すぐにその笑顔はいつものつまらなそうな表情へと変わった。
「これでひとまず一件落着かな?」
 部屋に備え付けられているベッドに勢いよく腰を下ろし、その軋み具合を確かめながらエレク天井を見上げた。何はともあれ、安全な屋根の下で寝泊まりが出来るようになったのだ。それも、恐らくは無料で。ルキフェニアからエルネタリアへ入るまでの長い間、まともな宿泊場を得ることが出来なかったエレクにとってこれは幸運だった。もっとも、同行するノヴァークは気にならなかったようだが。
「ここで例の先生とやらに会うのか」
「うん、写本を見に来た時を狙ってね」
 同じく天井を仰ぎ見るノヴァークに答え、エレクはベッドの上に座り込むと今後の計画を練り始めた。
 ひとまず、エルネタリア公国へ帰国――もとい、潜入することには成功した。しかも首都のど真ん中に潜伏出来るという好条件で。ルキフェニアに戻ることのなかったレネ・ラカトーシュが居るとすればやはり首都ルメルグラッドであり、更にエレクはレネが公の居城のどこかに囚われているのではないかと考えていた。
「とにもかくにも、そのラカトーシュとやらの存在を確かめねば次は無いぞ」
「わかってる。だから先生の力が必要なんだよ。俺たちが唯一辿れる正解への糸は、そこにしかない」
 子供っぽい態度ながらも既に成人を迎えて数年を経ていたエレクは、その歳と能力に見合った合理的な思考を持ち合わせていた。医術師マックスに拾われ、魔導の手ほどきを受けたエレクは十年で見違えるほどに成長した。その美貌は元より、魔導師としての姿が彼をより強く、美しく見せている。
「あとは移動手段だけど……ヴァルプリスを借りると顔が割れそうだな……何かいい手は無いかな」
 ヴァルプリスというのは、エルネタリア公国に生息する巨鳥の名だ。大きな身体と温厚な性格から人々に愛され、古来より騎乗や運搬用、果ては愛玩用に飼育されている。馬車には劣るがその積載量と「空を飛ぶ」という移動速度の高さは魅力的であり、エルネタリアの黒竜騎士団や街の商人たちに人気の移動手段である。
「お前が先生を待つ間、オレは城の周囲を探ることにするか。どうせこんな部屋だ、お前一人が泊まるので精いっぱいだろう」
「えっ、ノヴァーク。行ったら帰って来ないの? 夜寂しいよ。一緒に寝ようよ」
「お前は雇い主だからな、ちゃんと様子は見張っている。ただオレは、そのベッドにお前と入る趣味は無いと言いたいんだ」
「ちぇっ、お堅いんだからぁ」
「……まだ諦めていないのかお前は。いい加減にしろ」
 本心とからかいを混ぜたエレクの言葉は少なからずノヴァークを困惑させたようだ。そして彼は「行ってくる」と一言だけ告げると窓から外へ出て行ってしまった。そして足音が徐々に岩窟教会の上の方へ消えていく。恐らく、教会の天辺から「滑空」を行うつもりなのだろう。
「さて、じゃあこっちも動くか。情報収集、情報収集っと」
 そしてエレクもまた誰にともなく呟くと、羽根と髪を隠すために用意した巡礼者用のローブに着替えた。彼は自分の容姿が目立つことを知っている。更に、それをどうやって隠せば良いのかも。エレクは宿房を出ると、いかにも巡礼者だと言わんばかりにそろそろと歩き出した。
 山をくり抜かれて造られた狭い廊下には、教会に隠遁する僧は元より様々な「来客」が行き来していた。病気平癒を祈るために訪れた者、物見遊山で訪れた者。あるいは、この岩窟教会に代表される芸術性の高い絵画を見に来た芸術家――しかし、エレクのように人探しのために来た者は他に居まい。彼はそろりと人々の流れを抜け、まずは教会全体の地理を把握することにした。
 エルネタリア公国の岩窟教会は、元々石材の採掘場だった場所を再利用したものだ。大切な資源を国土の象徴である山からもらい、その礼を尽くすという意味で、ある時期より隠遁生活を好む教会の信者たちが山を採掘師より譲り受け住み始めたのが始まりと言われている。それがどれほど昔のことかは文献にも記されていないが、エルネタリア公国の石材や魔石の採掘地が国土中心部から辺境・国境へ移動していることを考えれば予想はしやすいだろう。特にエレクの出身地である南東のオルビトールは、アーストライアとの国境近くに構える比較的新しい――といっても二百年以上の歴史はある――工業都市だ。
 いずれオルビトールもその役目を終えたなら、こんな風景に教会へと姿が移り変わっていくのだろうか。そんなことを考えながらエレクは狭い廊下を行く。徐々に旅人の姿が少なくなり、隠遁僧たちが行き交う区画にたどり着くと彼は書房を探し訪ねた。
 この国で、本は貴重な宝物だ。そのいずれもが棚や机に鎖で繋がれ、持ち出し禁止となっている。書庫などでは日々修行僧や学術者たちが手作業で写本を作っているが、それでも国の一握りの人物にしか目にすることが出来ないほどその数は少ない。民衆には無縁の世界だ。エレクはそんな「世界」にそっと足を踏み出す。幸運にも、受付の年老いた僧が一人居るだけで書房の中はがらんとしていた。まず初めに、彼は来客名簿を探した。
「すみません。薬術に関しての本を見に来たんですけど……」
 もっともらしい理由をつけて、まずは受付僧の注意を逸らす。
「あと、いつだったかな……前に来た時もあなたが受付してくれた気がするんですが……覚えてます?」
 フードの隙間からふっと笑いかけ、エレクは当然と言わんばかりに机の上に置いてあった来客名簿のページを遡った。そして彼は目当てのものを発見する。ほんの一、二ページめくった所にライデンフロストの名前を見つけたのだ。日付は新しい。しかも、最近は定期的にここを訪れているのが名簿の記載から判明した。
「僕、ペレント・ゾイファーと言います。あれ、随分前だったから残ってないかな。でも、また会えて嬉しい。今回久し振りに巡礼に来たんです」
 あくまで自然を装い、ルキフェニアで使用していた偽名を受付に伝える。人間の性か、受付の僧は覚えが無いながらも何となく話を合わせるような雰囲気で対応してくれた。
「ああ、そうかい……君のような可愛い孫が居たら、きっと覚えていただろうに……ペレン……何と言ったかな?」
「ペレント・ゾイファー」
「はいはい……ペレント・ゾイファーさんね。どうぞ。薬術に関しての本はあっちだよ」
「ありがとう、おじいさん! 僕もおじいさんみたいな家族が欲しかったな。今度はお菓子も持って来るね」
 親切な老人で助かった。心にもない感謝の言葉を述べ、エレクは颯爽と書房の奥へと向かった。もちろん、薬術に関しての本を見るためではない。ライデンフロストの足跡を確かめる為だ。ヤンは言っていた。ライデンフロストは最近、国竜フェルニゲーシュについての研究を行っていると。ならばその資料となるだろう本の中、彼の手が触れた場所に少なからず魔力の痕跡があるはずだ。
 一冊一冊、一ページずつ細かくフェルニゲーシュに関しての写本を見ていると、やがてエレクの指先がビリ、と何かを感じた。これは間違いなく、彼の持つ愛着と――魔力の干渉だ。
 エレクは注意深くそのページを指でなぞると、深呼吸をして目を閉じた。そこにある魔力の残滓が誰のモノで、どんな魔力であるのか。意識を集中させ、読み取っていく。すると指先から意識の中へ、イメージが伝わって来た。これは、水と炎だ――エレクは確信する。
 この本に、ライデンフロストは触れている。ヤンの話を信じなかった訳ではないが、ようやく自分の手で確かめることが出来たエレクにとってこの収穫は大きかった。ライデンフロストの魔力は水と炎に特化し、それが混じり合う独特のイメージを持っている。懐かしさと共に本を閉じたエレクの顔には、久方ぶりに浮かべた『本物の笑顔』があった。
 その後彼は書房で適当に時間を潰し、次の探索へと向かった。広い教会の中で、ライデンフロストと密会を果たせるような場所を探す為だ。食堂、待合室、浴場――様々な施設を巡った後、最後に辿り着いた礼拝堂でエレクはようやく足を止めた。礼拝堂には中央奥に巨大な竜の絵画が掛けられており、それに向かって信者達が祈りを捧げている。それは美しい光景でもあったが、エレクが立ち止まったのはその美しさに魅了されたからではない。
 凝った内装に入り組んだ間取り。人の姿は多いが、その視線はいずれも中央のイコンに注がれ逸れることはない。それから人の目を誤魔化すのに最適と見える、信者のために隔離された小さな相談室。これだ。エレクは閃いた。
 ゆっくりと礼拝堂の中に入り、他の信者と同様に祈りを捧げながらエレクは周辺の様子を探る。柱の位置や小部屋の数、人の視線が行き届きにくい場所を横目に調べながら彼は形だけとはいえ祈った。「先生に会えますように」と。
 探索を終えて宿房へ戻る頃には、夕飯の合図を知らせる鐘が教会中に鳴り響いていた。ノヴァークはまだ戻らない。少しばかり心細い夜を迎えようとしていたエレクだったが、しばらくするとその元へヤンがやって来た。ヤンはエレク達の状況を察してか、夕食を個室まで運んで来てくれたのだ。
「琥珀さん、よろしいですか?」
「はい、どうぞ」
 エレクは上から羽織っていた巡礼者用のローブを脱ぐと、身支度を整えてドアを開ける。ヤンは湯気の漂う夕食を乗せた盆を大事そうに持ち、笑顔でエレクに接した。
「きっと、食堂ではお食べにならないかと思って……おや? あのトビトカゲのお方は?」
「ちょっと外に出てるんだ。就寝前には戻って来ると思うけど……ごはん、ありがとう」
「いいえ、これも私の仕事の内です」
「良かったら、食べながら少し話をしてもいいかな?」
「喜んで」
 エレクの申し出にヤンは快く答えた。結果として半ば騙してこの教会に身を潜めることになってしまったが、ヤンは善良で慎み深く、そしてエレクやライデンフロストに信頼を寄せている人物だ。そして何より、己にとって正しい行動とはどんなものかを常に模索している。その正義感に、エレクは一目置いていた。彼なら、信用に値するだろうと。
「あのさ、先生に会わせてくれるってことになって……本当にありがとう。でも、先生に会うことだけが俺の目的じゃないんだ」
「と、言いますと?」
「実は先生の他に、もう一人、人を探してる。ヤンさんはレネ・ラカトーシュを知ってる?」
「もちろんですとも。この教会の書房にも、彼の名前が記された写本は沢山あります。彼が、どうかしたのですか?」
「彼、もしかしたらなんだけど……十年前からずっとこの国で幽閉されてるかもしれないんだ」



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