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05.第五章



「なんで? なんで!?」
「毒見というやつだ。もっとも、庶民相手の屋台で出される料理にそんな心配をする必要もないだろうが」
「へぇ、すごいや」
 ノヴァークは基本的に仕事の話しかしない無愛想な男だが、その内容は深い知識と経験に富んでおり若いエレクを楽しませた。狩猟生活の掟の厳しさや仕留めた獲物の大きさを自慢することもあれば、実際に暗殺任務で使用するという暗器を見せてくれたりもする。どうして色々教えてくれるのかと問えば、「他に話す内容が無いし、雇い主なら用心棒がどのような感性を持っていてどのように対象を殺すのか分かって居て貰いたいから」だと言う。共に一つの目標に向かい、互いに背中を預け合う以上はこういった相互理解の場が必要なのだと。
 そして今後ノヴァークが行うだろう障害の除去について思いを巡らせていると、ふと小さな衝撃がエレクの思考に走る。エレクは急に慎重な手つきでスプーンを皿に戻した。
「ああ……こりゃまずいな……」
「どうした、生肉でも皿に入っていたか」
「違う違う、思い出したんだよ……『先生』のこと」
 苦虫を噛み潰したような顔で、エレクはしばらく俯いていた。その昔、こうしてノヴァークのようにエレクと連れ立っては屋台の味に舌鼓を打っていた人物のことを、彼は思い出したのだ。
「ルメルグラッドに入ったら、頼りたい人が居るんだ。先生なら、きっとあの人の事も知ってるはず」
「味方が増えるのは良いことではないのか? 何故そんな顔をする」
「……『セクリタテア』だよ……すっかり忘れてた。先生、セクリタテアだ」
 しばしの沈黙を経てエレクの口からこぼれた言葉に、それまで疑問を呈していたノヴァークも表情を変えた。エルネタリア公国の機密兵団セクリタテアは国が抱える国防の為の騎士団とは全く異なる組織であり、小竜公ライオネス直々の命を受け重度犯罪や反乱分子、果てはライオネスの個人的な政敵までもを厳しく『取り締まって』いるという。その活動は常に社会の裏にあり、彼らは商人や技師、学術者、医者などという身分を与えられ普段から国民を監視しているとも噂される。
「まさかお前の口からその名を聞くことになろうとはな」
 エレクの一言に、ノヴァークが腕を組んで唸った。セクリタテアはエルネタリア公国建国直後に設立され、前王朝ムスチェルルイを打倒せんとするライオネスに当時協力していたリヴデューザの地位を危うくした経緯がある。前王朝を排除する為に反乱を起こした騎士たちの長であるライオネスは戦力の底上げとして外部勢力に協力を要請した。それがリヴデューザと、セクリタテアの前身となる技師たちであった。
 そして引き起こされた『絨毯革命』の後ライオネスは協力を要請したふたつの外部勢力を天秤に掛け、結果として技師たちを選んだ。定住の地を欲していたリヴデューザにとって、これは安定した依頼主を失う大きな痛手となった。ライオネスは革命参加への功労と報酬としてリヴデューザに国内最北端の土地を提供することにより解決を試みた――そしてそれは一応、成功した――が、反乱軍に協力し戦った経験のあるトビトカゲの中には未だライオネスとセクリタテアに良くない感情を抱く者も多い。ノヴァークもまた、その中の一人であった。
「セクリタテアは俺たちの仕事を奪った厄介者だ。そんな奴らとお前は繋がりがあるのか? それに俺たちがやろうとしていることは、まさにセクリタテアが喜んで飛びつきそうな『犯罪』だぞ。その先生とやらに接触を試みるのは、火中の栗を拾うようなものだ」
「詳しいことは俺もよく知らないよ。ただ、先生の勤め先がそこだってことくらいで」
 言葉の端々に氷柱の鋭さを忍ばせるノヴァークへ、エレクは慌てて弁明する。
「ノヴァークは解らないかもしれないけど、ライデンフロスト先生は悪い人じゃないよ。きっと協力してくれるって」
「先生、先生、……随分と肩入れするな。そのライデンフロストとかいう奴はそんなに『出来た』人物なのか?」
「だって良い人だもん。ノヴァークも会えばわかる」
 子供っぽく口を尖らせ反論するエレクの表情は、年齢以上に幼く見えた。恐らくこの国に居た頃のことを思い出しているのだろう。エレクの『先生』における信頼は、絶大だ。
 しかし、ノヴァークの不安ももっともであった。エレクの持つエルネタリア国内での唯一の糸口は、彼が『先生』と呼ぶ幼馴染・ライデンフロストの存在だ。エレクは彼が自分に協力してくれるだろうことを確信しているが、この10年でセクリタテアがどう変わったのかまでは分からない。セクリタテア所属のライデンフロスト個人を味方につけることが出来たとしても、セクリタテアという組織そのものまでを味方に出来る可能性は極めて低い。
 今、セクリタテアに接触してしまうのは危険だ――長年社会の裏とも言える世界で生きて来たエレクの勘は、平和にも感じられる市場の中にあって鋭いものだった。ライデンフロストの力を、可能であればセクリタテアを直接介さずに借りることが出来ればとエレクは考えていたが、その為の良い方法を思いつくまでにはまだ時間が必要なようだった。
 その時だ。ふと隣のテーブルから、男の声がした。
「琥珀……さん? 『琥珀』さんですよね?」
「え?」
 10年もの不在を経て再び訪れたこの国で、まさか己の二つ名を呼ばれることなど予想もしていなかったエレクは驚いて声のしたテーブルを振り返る。するとそこには、茶色のローブを慎ましく着込んだ一人の僧が座っていた。僧は目をしばたかせて振り向いたエレクを見つめると、やがて穏やかに顔をほころばせた。
「ああ、やっぱり! 琥珀さんじゃありませんか。綺麗な羽根と髪が見えたのでもしかしたら、と思ったんです。随分とご無沙汰ですね」
「……何者だ?」
 テーブルに手を寄せ、低く腰を浮かしたノヴァークが低く告げた。もう一方の手は既に背中の刀へと伸びており、エレクを守るためにいつでも牙を剥ける状態である。
「ちょっと、ちょっと待ってノヴァーク……もしかしたら、知ってる人かも」
 そしてそれを制しながら、エレクは必死に10年前の記憶を辿った。
「俺をそう呼ぶってことは……えっと……お客さん? ごめんね、今は仕事やってないんだよ」
「いえ、とんでもない。私は昔、あなたの肖像画を描かせていただいた者です。ヤンと申します。ヤン・ファン・ルメルです」
 ヤンと名乗った僧の言葉に、エレクの瞳が大きく見開かれた。そうだ思い出した、と彼は気付くなり何度も頷く。
「ああ……あの時の……」
「知り合いか?」
「やっぱりそうだったみたい」
 ようやく臨戦態勢を解いたノヴァークに応え、エレクもまた肩を緩めて深呼吸をした。ヤン・ファン・ルメル――『ルメルのヤン』と呼ばれる、エルネタリア公国屈指の油彩画家だ。彼はエルネタリアの首都ルメルグラッドに建立された岩窟教会に身を寄せる腕利きの画家であり、また敬虔な修行僧でもある。
 エルネタリア公国の国教ともいえる、『黒き一つ頭の竜』フェルニゲーシュの教えを守り伝えるのを使命とする教会の存在と活動はエルネタリアの特筆すべき文化だ。教会に所属する修行僧たちは世俗から離れ日々ひっそりと暮らしているが、その中で紡がれる『教え』を体現した作品群――時祷書やフェルニゲーシュの生き様を刻んだ壁画や絵画などの芸術品――はエルネタリア国内のみならず、国外でも価値ある美術品として扱われている。
 そしてその中でも近年エルネタリアで一、二を争う美しさを持った絵を描くのが、今エレクたちの前で微笑む『ルメル兄弟』の兄・ヤンなのである。
「もう10年以上もお会いしていませんでしたものね。琥珀さんは私の顔を忘れてしまわれたでしょうが、私は今朝も『あの絵』の写しを見て来たばかり。相変わらずお美しい……立派に成長されましたね」
 敬虔な宗教者特有の、何の曇りもない優しさがエレクには眩しくもあったが、ふとヤンにまつわる記憶を探っている中で彼はひとつの光明を見出した。ヤンが描いたというエレクの肖像画――その依頼を当時ヤンへ送ったのが、ライデンフロストであったことを思い出したのだ。
「あの、ヤンさん……先生、最近来てる?」
 言葉少なに問うエレクに最初こそ疑問に目をしばたかせていたヤンだったが、やがてエレクの真意を察して彼は神妙に頷いた。
「ライデンフロスト先生でしたら、先日教会へいらっしゃったばかりですよ。何でもフェルニゲーシュ様の物語について調べたいことがあるのだとか……とても大変な研究のようです。教会の本は持ち出しが禁止されておりますので、数日後にまたいらっしゃると思いますよ」
「これだ……」
 思わず、エレクは呟いていた。セクリタテア所属であるライデンフロストに、身を隠しながら接触を試みることが可能な空間、そして手段。教会に信徒として潜り込めば、街に蔓延るセクリタテアからも逃れられる。次々と繋がるルメルグラッド潜入の糸口に、徐々にエレクの口角は上がった。
「目的地が決まったようだな」
 隣でゆっくりと椅子の背もたれに身を預けていたノヴァークも、ニヤリと笑った。
「ヤンさん、この後は教会に帰るんでしょ? あのね、俺たち今日、宿無しなんだ。迷惑じゃなければ宿房を一部屋貸してもらえないかな……」
「えっ……?」
 突然の申し出にヤンが困惑することは予想済みだ。エレクはなるべく背中の翼をたたみ込んで身を小さくすると、両手を祈りの形に組んだ。そしてここ数年で恐らく一番の出来であっただろう、相手の保護欲を存分に刺激させるどこか不安げな微笑みを浮かべて見せるのであった。
「ダメ……かな……?」
「え、あ、いや、その……」
 すると途端にヤンは単純な困惑から『複雑で制御し難い感情』に囚われた顔を、必死に両手で隠しながら言葉を詰まらせた。その目線はあちこちに泳ぎ、あからさまに動揺しているのが分かる。そしてしばらく考え込んでいたヤンはやがて「うん」と一人頷くとやはり曇り無き瞳でエレクを見やるのだった。
「そんな風にお願いされては、断る理由を探す方が難しい……琥珀さんの気が済むまで、どうぞ教会にいらしてください」
「本当!? ありがとう!」
 ヤンもヤンで、エレクの佇まいからうっすらとではあるが事情を察したらしい。神妙な面持ちで言葉を返した彼は「じゃあ、馬車を呼んで参りますのでお待ちください」と言うなりそそくさとその場を後にした。
「いやーちょろいねー。ウブなおっさんほどやりやすい人種もないわ」
「お前……教会の人間を誘惑するなよ……よりによって……」
 ヤンの姿が街の人混みに消えるなり大きく欠伸をしながら悪態をつくエレクに、ノヴァークが呆れて口を挟んだ。暗殺やその他の任務を遂行するために手段を選ばぬと言われているリヴデューザだが、さすがに色を使った騙し事は理解の範囲外だったらしい。
「だから言ったっしょ? 琥珀ちゃんは可愛いし笑顔もステキって」
 しかし、ノヴァークの苦言に返って来たエレクの声はどこか沈んでいた。
「皆そう。俺が笑ってれば喜んでくれるし、大抵俺の欲しいものをくれる。お金だって、いっぱいこぼして貰ったさ。で、その後は何があっても俺はずっと笑ってる。紛い物じゃないけど、それが『作り物』だって分かんない連中が馬鹿なのさ」
 そして彼は朝日の中に、やはりどこか作り物めいた笑顔を浮かべるのだった。



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