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04.第四章



 月が巡り季節が脳裏をかすめ飛んでいくのも、もう何度目になっただろうか。指折り数えて、そろそろ両手では足りないことに気づきエレクは長い息をつく。数年前に主へと送った一通きりの手紙の返事は、とうとう無かった。
 ようやく窓の隙間から差し込んで来た朝日に目を細め、背中に生えた翼で身体を覆う。春は暖かい。ようやく薄着で外を出回っても良いような、そんな穏やかな気候の中に彼は居た。その昔、師が言っていた。主が十年前に旅立った日も、静かな陽気が清々しい朝であった、と。
「夜の間、特に異常は無かったぞ」
 すぐ隣から、低い声が聞こえた。見上げれば、そこにはいつの間に居たのだろうか――一人のトビトカゲが腰を下ろしている。
「おはよう、ノヴァーク」
「今日はどうするんだ」
 エレクの挨拶を無視し、ノヴァークと呼ばれたトビトカゲは素っ気なく尋ねた。彼はエレクがルキフェニア王国を出てエルネタリア公国へと向かう際に雇った『リヴデューザ』の一員である。
 その昔、ルキフェニアの北部に位置する奴隷市場で彼らの噂を聞いたことがあったエレクは「物は試し」とリヴデューザへの接触を試みた。およそ人の手では届かない国一番の高い塔へ文――ギルドへの依頼内容をしたため、エレクの血の拇印を押したものだ――を結び付けた矢を放つと、驚くべきことにその日の内にギルドの暗殺者はエレクの前に現れた。それがノヴァークと名乗る、氷の欠片を全身に散りばめたような、まさに「冷たい」雰囲気のトビトカゲであった。
 彼らは頼もしい戦士であり、また時には要人の暗殺なども行う恐ろしい集団だ。雇い主から報酬を受け取り、要望通りに目標を殺害する。任務の達成率は高く、逆に失敗という概念が無いとも聞く。それならばとエレクは確信したのだ。
 今回エレクがいくばくかの金貨でノヴァークを雇い彼に下した要請は「旅の間、エレク自身に降り掛かるあらゆる障害を殺すこと」だった。即ち、護衛である。
 本来、能動的な攻撃が専門であり『モノを守る』という受動的行為に慣れないノヴァークはエレクの提案した要件と金貨を前にしばし腕を組んで低く唸っていたが、結果として応じた。仕事をするに足ると判断したのだろう。その判断基準がどこにあったのかエレクには推し量ることも不可能であったが、こうして力強い『旅の仲間』を迎え入れられたのは喜ばしい事実である。エレクの師であり彼を一人送り出そうとしていたマックスも、この一件で多少の不安は解消出来たようだった。
 かくして、ルキフェニア王国――マックスの元を離れてエレクはノヴァークと共に東のエルネタリア公国を目指して旅立ったのである。かつてその道の途中でエレクを奴隷として買い付けた、あの不思議な瞳の主のように。
「今日は……ルメルグラッドに入る手段を見つけて、それから城に入る方法を考える」
「本当に生きているんだろうな? 10年以上行方知れずなのだろう? まあ、金貨の分はしっかりと働かせてもらうが……あまり無理難題は吹っ掛けるんじゃないぞ。俺は何でも屋じゃないんだ」
「わかってるよ、君らのやり方は尊重してる。出来る限りのことは自分でやる」
 エレクは傍らに置いていた樫の木の杖をひゅん、と鳴らしノヴァークへ向けた。
「ノヴァークは、それを手伝ってくれればいい。契約書に書いたよね? 『あらゆる障害を殺すこと』って」
「上手いこと言いやがって」
 嘲りとも苦笑ともつかない独特の笑みを浮かべ、ノヴァークは鼻を鳴らした。そして彼は暗器を提げた腰ベルトを巻きながら、床に放り出されていたエレクの衣服を持ち主に投げつける。
「さっさと服を着ろ。お前と居ると、どうにも娼婦を連れ回しているようで気分が悪い」
「なんなら契約の料金を身体で払ってもいいんだけど、どう? 今の契約金でオルビトールの三下女を買うよりはよっぽど有意義だと思うよ。『琥珀ちゃん』は可愛いし笑顔もステキ! リヴデューザのお客さんはまだ取ったことが無いから、ノヴァークが第一号になってよ」
「……契約の途中変更は基本的に受け付ける事が出来ない。あまり俺を怒らせるなよ、雇い主さん」
 渋々と衣服をまとうエレクに溜息交じりのノヴァークが釘を刺す。調子良く冗談交じりに振る舞うエレクと、何事も冷めた目線でモノを見るノヴァーク。傍から見れば水と油のような二人だが、不思議とその応酬はどこか釣り合いが取れている。例えるならば、悪友とも言えるだろうか。
 ようやく身支度を終えたエレクが旅の宿を後にし、ノヴァークを伴って繰り出したのはエルネタリア公国南方の都市アリメンテだ。この一帯を抱えるボクァート平野は農業が盛んな地域で、潤沢な水源であるイニマ湖によって国内でも珍しく麦がよく育つ。岩山に囲まれ良質な土も少なく作物の育ちにくいエルネタリアにとって、この地域はまさに国の食料庫だ。ここで収穫された野菜や穀物はみな丈夫で味も良く、また鉱山で採掘作業に従事する鉱夫たちにとって貴重な栄養源となっている。
 ひとたび外へ出ればいくつもの商店が軒を連ね、旅人でなくとも見るに飽きることはない。まるで宝石のように輝く色とりどりの果物や、どこからともなく漂って来る焼きたてのパンの香りは朝早くに起きて動き出す者たちへの特別な褒美でもある。
「ノヴァーク、何食べる?」
 早くも店先にあったリンゴを手に取りながら、エレクはノヴァークを振り返った。
「のんびりしていていいのか? 首都に行くのだろう。今から向かっても何日掛かるか……」
「んにゃ、ルメルグラッドまでは馬車で行くつもりだし……何しろ俺たちは『旅行者』だからね、旅行者らしく振舞わないといけないよ。という訳で、ノヴァークも適当にのんびりしてていいよ」
「……それじゃ仕事にならんだろうが」
「分からず屋だなあ」
 早くも果物屋の店主に小銭を支払いいくつかの『朝食』を手に入れたエレクは、それを革の荷物袋に詰め込んだ。
「お腹減ったでしょ? はい、リンゴ。あとね、俺サルマーレ食べたいんだ! あっち行ってみようよ、いいにおいがする」
 ルキフェニア王国を出る頃はまさに「悲愴の青年」とでも言うべき影を落としていたエレクだったが、エルネタリア国内に入るなり彼は突然明るく振舞いだした。それもそのはずだ。エレクは自分の意志と関係なく強制的にエルネタリア公国を離れる羽目になり、その後10年もの間、故郷の土を踏むことも許されなかったのだから。まさに夢にまで見た、ごくありふれた『日常』である。
 竜と人の国、エルネタリア――現在は竜人の指導者であるライオネスという男が治めるこの国は、ほんの10数年前に出来たばかりの若く、そして貧しい国だ。悪政極まるといっても過言ではなかった前王権ムスチェルルイ朝によって使い果たされた国益、すっかり低迷した国政、腐敗しきった政治は文字通りこの国を枯れ土と化した。
 国内の民衆はおろか国外での評価も下がる一方で輸出する食糧すらも惜しい状況の中、エルネタリア公国を打ち立てた小竜公ライオネスは疲弊したこの国を一旦、繭の中へと閉じ込めた。鎖国である。そして数年の間閉じ籠った後に、ライオネスは全く新しい形で東の小国を開国させた。
 エネタルの民による、エネタルの民の為の国。国竜フェルニゲーシュとその妃エリューシャがもたらした竜と人の子。その民族性を表すエネタルという言葉を元にして、エルネタリアという国が生まれたのだった。
 エルネタリア公国の主な輸出品に、不思議な魔力を帯びた鉱石というものがある。前王朝の時代までは、決して表に出ないまさに門外不出の物資であった。それを小竜公ライオネスは国の宝としてではなく国を富ます商品として扱い、国民にもそれを促した。魔石は瞬く間に、まずは南方のアーストライアへと流れていった。古くより行商人が多く訪れていたアーストライア連合王国は、現在もエルネタリア公国における大事な商売相手だ。この国の経済が飛躍的な回復を見せたのはひとえにこのあたたかな隣国の商人たちが、こぞって珍しい魔法の石を買い付けてくれたことにも起因する。
 エルネタリア公国内では未だに魔石を国外へ輸出することに反対する一派も存在するが、魔石の輸出によって訪れた富を前に大半の国民は素直に喜んだ。何しろ金や銀といった貴金属を使用した貨幣が手に入るのである。
 鉱山資源が豊富なエルネタリアとて、貴金属の産出は無尽蔵という訳ではない。そして手に入れた外貨や貴金属を利用して、今度は国内で不足しがちな食糧や布製品を隣国から買い付けるようにしたのだ。閉鎖的だった元来の流通経路は見直され、新たに拡張され続けている。エルネタリア国民は、この十数年で徐々に豊かになった。こうした市場や商店の数々が健全な活気に満ちているのは、その確かな証拠だ。
「おばちゃん、サルマーレ皿ふたつちょうだい!」
「あいよ」
 市場に開かれている屋台を覗き、それが目的のサルマーレを売る店であることを突き止めたエレクは店の主人に早速声を掛けた。屋台を切り盛りする女主人はエレクの注文を受けると赤狼桃*のスープもかぐわしい大きな鍋の中から挽肉のキャベツ巻きを三つずつ掬い、それぞれ用意した皿の上に盛り付ける。皿の端にはキビの粉を粥にしたママリガを、そして新鮮な野菜を乗せたらサルマーレの完成だ。
「塩漬け肉はオマケしとくよ。たんと食べな」
「ありがとう! ノヴァーク、お代よろしく! あの、俺の財布取って」
 湯気を立てて差し出される豪勢な朝食を両手で受け取り、エレクはノヴァークを呼んだ。
「お前なあ……そのまま盗られるとか考えないのかよ」
 渋々エレクの衣服のポケットから彼の財布を探し出し、ノヴァークはその小さな巾着の口を開いた。
「女将、いくらだ」
「二人揃って銅三枚。おや? アンタ、竜人かと思ったけど違うね、どこの生まれだい?」
「南だ」
「へぇ南……てえとエルフの国かい? そうは見えないけどねぇ」
 威勢良く笑う屋台の女主人へ、ノヴァークは無表情のまま銅貨を渡す。そしてつまらなさそうに財布を再び主であるエレクの腰に挟めると、彼はサルマーレの乗った皿をひとつ取り上げた。
「ノヴァークは優しいねえ。雇った甲斐があったよ」
 率先して屋台に併設されている休憩所に陣取り、エレクは早くもサルマーレをつつき始める。10年振りの故郷の味は、何物にも代え難い感動をエレクに与えた。ルキフェニアに居た頃はその食事のほとんどが魚料理であり、時折、師であるマックスがエルネタリア風の料理を作ってくれたこともあったがそれも本場の味には程遠い薬膳料理としてであった。エルネタリアの作物がもたらす素朴な味わいはエレク腹だけではなく心まで満たす。
「師匠のメシなんかよりよっぽど美味いわこれ」
「そうなのか。俺には人間の料理の味はよくわからんが、これは美味い部類に入るものなのか」
「ていうかノヴァークたちはいつも何食ってんの? 元々エルネタリアに住んでるんでしょ?」
「基本的には野生種の果物や狩りで手に入れた肉だ。それに、ほとんど毎日任務で飛び回っているからな。保存食がどうしても主な食事になってしまう」
「じゃあ料理とかあんましないんだ」
「お前たちほどにはしないかもしれんな。逆に言えば、野営時にお前たちより美味く食事を作れる自信はある」
 ノヴァークは簡単にそう説明しながら、なんだかよくわからないといった風情で目の前のサルマーレを口に運ぶ。そして彼は一口食べたそれを飲み込むと、うんと唸ったきり黙り込んだ。
「……どしたの?」
「赤狼桃の煮込みか」
「うん、そうだけど」
「……塩、バジル、豚肉の下味にセージ、煮込みに月桂樹の葉、胡椒はどうやら手に入らなかったようだな……それで、代わりにこれでもかと香草を用いた味付けにした」
「えっ、うそ、そんなことまで分かるの!?」
 突然、目の前の料理に用いられたと思しき調味料を言い当てたノヴァークに、エレクは驚いてスプーンも口に入れたまま詰め寄った。



*赤狼桃……トマトのこと

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