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02.第二章



 隣で小さな金属のぶつかる音が聞こえた時、それは私の目覚めを意味する。修道院から特別に許され、そして私の傍に在ってずっと私を守護するモノ。その奏でる鈴のような音は涼やかで、決して不快なものではない。
 村のシャーマンやこの修道院を切り盛りしているヤルガばば様によれば、この金属製のモノは魔法によって生きているのだという。お前の守護者だと言い聞かされて、私は育った。
「おはよう」
 声を掛けるとそれは僅かに首を傾げた。またしても小さく金属音が鳴り、私の声に反応したかのような仕草を見せる。
「ばば様、またイヴが寝室に」
 修道院の食堂へ、狂うことのない時刻と共に向かう。もちろん、あの金属製の生き物はしっかりとその後をついてくる。食事がてら悪態をつくと、ばば様は笑った。
「なに、いつものことであろ。お前が心配なのだよ」
 そう言って、具も控えめのスープをすする。根菜と豆と、僅かに肉の入ったそれは質素なものだったが修道院の食事は得てしてこんなものだ。そしてそれに私たちは満足している。南の都会に行けば、もっと美味で洗練された料理を口にすることも出来るだろう。しかしそれは、元々隠匿生活を是とする私たちにとって必要のないものであった。世俗的な何かを自分勝手に望むことは、即ち正しくない欲であると教会は常に教えている。
 それが良いことか悪いことかは、また別として。
「心配って。一度もそんなこと、イヴ本人から聞いた事が無い。ばば様たちがそう言うから私は信じるけれど、本当なの?」
「お前はそんなに自分を危険にさらしたいのかい、レナ」
 その声は決して厳しいものではなかったが、私の心に突き刺さった。新品の鋭い釘とは違う……先も鈍り、錆びた釘の刺さるそれだ。
「危険? この修道院にいる限り――フェルニゲーシュ様の教えを尊び守るだけの人生に何の危険があるというの?」
「滅多な事をお言いでないよ!」
 ついに、ばば様が声を荒げてテーブルを叩いた。
「お前はここで身を潜めて、書き物をしているのがいいんだ。それがお前の役目だ。そうして歳を取って、天寿を全うすればいい。あたしのようにね」
「私はばば様じゃない。ばば様に育てられはしたけれど……私はばば様じゃないのよ、それをどうしていつも、分かってくれないの」
 老人の戯言に苛立ってしまった自分を責める間も無く、私はスープの入った器を抱えて衝動に任せるまま食堂を走り去った。
 いつもそうだ。ばば様は私に何かと運命を押し付ける。そんなものがあるのなら、なおさら一介の修道女などでは居られない程の突飛な昔話を。
 私が生まれたのは、エルネタリアという国が興国の直後にありながら更なる苦難を招き、それを退けた年であるという。20年ほど前の話だ。
 その時の記録は今も首都ルメルグラッドにある国立図書館、セーチェー二書庫に多く残されており、私の住むこの修道院にも記録の写しは数多く所蔵されている。なんでも同じく修道院に属するヤンとフーベルトという兄弟が、血と汗を注いでその様子を記したのだと。
 彼ら兄弟が残したのは、何も書物だけではない。彼らは画家でもあった。私も一度その絵をルメルグラッドで見たが、それはそれはおぞましいものだった。のたうち回る狂気、千切れ飛ぶ正義。そして――どうしようもない喪失と悲しみ。
 見つめている内に自然と涙がこぼれていた。しかし、それは感動とは程遠い感覚からだった。彼ら画家は十年という長い時間をかけてまで描いたと言う。その真意は絵画を鑑賞するだけでは窺い知ることも出来なかったが、一体、画家は何を示さんとしていたのだろうか。
 ゼルカリンゲンの夏は短い。湿地であるこの一帯にあるものは、鏡の破片とも呼ばれる大小様々な泉だ。雨季を迎えるたびに浮かび沈み、一日として同じ景色は存在し得ないエルネタリア公国の秘境。私が住む修道院は、それを一望出来る山の中にある。文字通り、山をくり抜いて作られた「巣」だ。
 山はその昔、鉱山であった。エルネタリアという国は、土地が痩せていると言われながらも何故かそんな土の中から不思議な資源が多く現れる。そしてそれらを掘り尽くした後に作られるのが修道院なのだ。物質的には第一の役目を終えた鉱山に、住居としての第二の役目を。精神的にはフェルニゲーシュの賜物である鉱山資源への感謝を捧げる為に。山に分け入るのが鉱夫から隠遁者•修道者へ変わり、山より掘り出されたモノの代わりに今度はエネタルの民がそこへと還って行く。
 大切なものは山から生まれ。また大切なものは山へと還る。フェルニゲーシュのもたらした竜の知識とその生き方、それを人の世界で還元して行くにはどうしたら良いか。確か、エルネタリア国教の始まりはそんな単純で素朴な理由と挑戦だったと、修道院の本は筆を揃えてそう記していた。
 眼下に広がる緑と青の輝きを見つめていると、ふとまた隣で微かな金属の擦れる音が鳴った。イヴだ。
「スープ、冷めない内に食べなくちゃね」
 そう言うとイヴは小さく頷いて、私に食べるよう促す。言葉を交わす事は無いが、その柔らかな感情のやり取りは私にとっては当たり前の意思疎通であった。イヴは私が生まれた頃にやって来て、それからずっと私の面倒を不器用ながらも続けてくれている。
 そしてそれは、私がおばあさんになるまで変わることは無いだろう……そう思っていた矢先だった。
 鋭い疾風が、音と共にこちらへ吹いて来たのだ。



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