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04.第四章



「解ってくれたか、助かるよ」
 大きく肩を上下させ一息ついたレネが言う。そして彼はユランを見上げると提案した。
「どうやら一緒に居ると、君に迷惑が掛かりそうだ。ユラン、友人を紹介してくれてありがとう。これからは一人でゴーシュ翁の所へ向かうよ」
「大丈夫?」
「ああ、ここへは何度か来ているからね。道案内は不要だよ。それじゃあ、また後で」
 レネは荷物をまとめると、颯爽とその場を去っていく。それを見送りながら、ユランは不安げにスヴァローグを見上げ声を掛けた。
「レネがヤノーシュって、本当なの? スヴァローグ」
「何を今更」
 ユランの問いに、スヴァローグはフンと鼻を鳴らし答えた。
「若いお前達は知らんだろうがな。あれはニンゲンではない。ニンゲンモドキだ。フェルニゲーシュに力を与えられ、転源に似た生命の輪の中を回っている」
「……」
「愚かな者よ。未だ姫への未練と、フェルニゲーシュとの約束に囚われ生きているとは。そいつがかの裏切者を『呪い』としてその身に宿したというのは、何とも滑稽な話だ」
「スヴァローグには、分かるんだ」
「分かるとも。歳はとっても魔竜の端くれ。憎む相手の気配や魔力くらい、感じることは造作も無い」
 レネが去った後のスヴァローグは、落ち着いた様子でユランに話した。彼が人間を、フェルニゲーシュを嫌い、かつて自分を斬り伏せたヤノーシュという男を憎んでいるというのは以前から聞いていた。しかしその怒りは当時を話す彼の言葉尻に滲むだけで、本当の怒りを、ユランは今まで感じることが出来なかった。
 当人を目の当たりにして激昂したスヴァローグを鎮めることが出来たのは、幸運かもしれない。レネが抜いた「竜殺し」のナイフ。あんな小さなナイフ一本を前にスヴァローグが退いたことも意外であったが、それほどまでに彼が昔負った傷は深く、そして強い恐怖をもたらしたらしい。
「お前は今回の件、どう思う? ユラン」
 落ち着きを取り戻したスヴァローグが問うた。それを受けて、ユランは少ない情報を手繰り寄せながら考える。
「良いことじゃあない、のは分かるよ。トリグラフもずっと『悪いものが来る』って言ってたから。でも、わからないのはレネじゃなくてエルネタリアだよ。あの国の王様が一体何を考えて居るのか、僕にはわからない」
「……小竜公か」
「レネの話によると、『呪い』をレネに掛けたのはエルネタリアの王様らしいんだ。でも、どうしてそんな事をレネにしたんだろう。レネが可哀想だよ」
「ははは、あのニンゲンモドキが『可哀想』? ヘルハイムに居ない間、随分とニンゲン共に感化されたようだな」
 ユランの率直な言葉を、スヴァローグは笑い飛ばす。そこには若干の嘲りが見え、彼が持つ他種族や外界への怨恨が深いことをにおわせた。
「そう言わないで。僕にとって、この国で過ごした時間よりも外で生きた時間の方が長いって、スヴァローグも知ってるでしょ」
「だからこそお前に教えようとしている。外界は、我々にとって危険で、まやかしが多いとな」
「うん……」
 スヴァローグの言うことは最もだ。彼はヘルハイムの中でも他種族に厳しい態度を持つことで有名だが、その言葉は専ら正論である。ユランはスヴァローグと対話する度、最終的には何とも言えない気分になりただただ頷くことしか出来なくなる。しかしそれは己の経験や知識、そして生きる時間の短さから来るものであることも、ユランは知っていた。
「さて、不本意な結果だが用事は済んだ。そろそろ北へ戻らねばならん。上空の警備が心配だ」
「鬼に気を付けてね」
 飛び立つ準備を進めるスヴァローグへ、ユランは言う。そしてそれに頷いたスヴァローグは、それきり何も言うことなく飛び去って行った。


 それから幾度か太陽が沈み、欠けていた月が満月を迎えた頃。ユランの元にゴーシュの声が届いた。「ニヴルハイムへ来い」と伝えられたユランは、再びゴーシュの元へ赴くべく準備をしていた。
 恐らく、レネがゴーシュに謁見し何か進展があったのだろう。ユランはそう考えて居た。支度を整え、彼は飛び立つ。少しの緊張感を携えながら。
 霊峰ニヴルハイム、その頂上にある族長の庵へ到着したユランはゴーシュの前へと降り立つ。するとそこに小さな人影があることに彼は気付いた。レネである。
「やあ、来たね」
 ユランの姿を見たレネが声を掛けてくる。それに応えながら、ユランはゆっくりとその場に近づいて行った。奥にはいつもと変わることなくゴーシュが鎮座しており、厳かな雰囲気が漂っている。
「ゴーシュ翁に例の魔導書を解読してもらったよ。大昔の竜言語だったから、内容がようやく分かってすっきりした」
「なんて書いてあったの」
「やはり、フェルニゲーシュの魂を何らかの方法で浄化する必要がある。その為に、『フェーデ』へ潜ろうと思うんだ。構わないね?」
 最後の問い掛けは、ゴーシュに向けてのものだった。
「今回一度限り、その試みを許そう」
 ゴーシュはゆっくりとその大きな翼を羽ばたかせると答えた。そして続ける。
「ユラン、お前には彼を助ける役目を任そう。彼に付き添い、見届けるのだ」
「はい、じじ様」
 ゴーシュの言葉に頷き、ユランはレネの方へ身体を向けた。
「じゃあレネ、行こうか」
 背を差し出し、レネを乗せる。目的地は『フェーデ』だ。ユランはゴーシュに一度頭を垂れると、元来た道を静かに戻っていった。
 ニブルハイムの頂上から眼下に広がる川を見下ろし、ユランが大きく息をつく。ゴーシュに命じられたことではあるが、今だ生にしがみつくユランにとって『フェーデ』へ近づくことには勇気が必要だった。あそこは、本来生者が訪れるべき場所では無い。それが、彼にはひしひしと伝わっているからだ。
 しかし、そこには僅かな興味もある。一体、『フェーデ』の中には、その底には。何があるのだろうかと。それを、レネの試みによって知ることが出来るかもしれない。ユランは不安と期待の入り混じった感情を抱き、ゆっくりとニヴルハイムの麓へ降りて行った。
 豊かな森に包まれる『フェーデ』周辺は、その役目を知らなければ美しい湖畔そのものだ。木々は茂り、小鳥たちが歌い、風がそよぐ。ユランはそのほとりへ静かに降り立ち、緊張した面持ちで湖を見やる。レネもまた、ユランの背から降りるとしばしその風光明媚な『フェーデ』の姿をじっと見つめていた。
「美しい場所だな、ここは」
「……」
「それはここが生と死の狭間だからか。そう思えるのは」
 感慨深くそう言いながら、レネは手帳を取り出すと周囲の様子を記し始めた。時折ページを遡り、過去の情報を確かめながら彼は用心深く『フェーデ』のほとりを歩く。
 すると、突然『フェーデ』に水柱が上がった。それは湖の中から噴き出したようで、水しぶきの中にドラゴンの影が映る。何事かとそれを見上げるユランとレネの瞳は、驚きに見開かれた。
「……なんだ?」
「あの影……まさか、」
 ユランには、その影が象る姿に見覚えがあった。やがて影は陽光の中で色を取り戻し、大きく広がる。深緑の鱗、そして紫電の瞳を持つドラゴンが水に濡れて煌めていた。
「エレアス!?」
 太陽を背に輝くその姿へ、ユランが声を掛ける。すると突如湖の中から現れたドラゴンはこちらに気付いたようで、翼を羽ばたかせながら近づいて来た。
「この声、ユラン? どうしたの、こんな所に来るなんて……」
「じじ様に言われて来たんだ。それに、ちょうど良かった。彼に『フェーデ』について色々教えてあげて」
「ユラン、この竜は……?」
「レネ、僕の友達のエレアスだよ。エレアス、彼はレネ。じじ様の許可を貰って、『フェーデ』にこれから潜るんだ」
 前脚でそれぞれ指しながら、ユランは互いを紹介した。レネはしばらく不思議そうにエレアスを見上げていたが、やがてひとつの疑問を漏らした。
「そういえばさっき、湖の中から出て来たが……君は転源をして来た……という訳ではなさそうだね?」
「……そうだね。見られちゃったのは、ちょっとまずかったかも」
「エレアス、レネになら話してもいいと思うよ」
 レネの問いに答えを渋るエレアスへ、ユランは促す。そして彼はレネにも補足した。
「レネ、エレアスはヘルハイムで唯一『フェーデ』に潜る事が出来るんだよ。これはすごいことなんだ。この湖の底に、何があるのか知っているんだ。他の『僕ら』は彼を嘘つきだなんて言うけど……僕はエレアスを信じてる」
 自慢の友を前に、ユランは鼻を鳴らす。そう、エレアスはユランと同じ世代「オラグ」の中でも、ひときわ特異なドラゴンだ。冥湖『フェーデ』で生まれ、過ごし、そして現世・ヘルハイムへと出現した。当初はその背に、もう一対の翼があったとも聞く。
 そして何より彼の特異さを物語るのは、彼が持つ魔導の才である。エレアスの才能は早くよりゴーシュによって認められ、彼は魔竜族族長であり元首であるゴーシュの元で教えを受けているのだ。
 レネもエレアスの素性を知り、興味を持ったようだ。彼はエレアスの姿を注意深く見回すと、最後に笑った。友好の証である。
「ならば聞こう、エレアス。この湖の中には、何があるんだい?」
「湖の中……というのは正解じゃないね。底に何があるのかは知ってるよ」
 身体に残る水を落としながら、エレアスは言った。
「エブラスカが居る」
「……エブラスカ? それはやっぱり、竜なのかい?」
「エブラスカはエブラスカだよ。それ以外の何者でもない」
 きょとんとした顔で、エレアスはレネの言葉に答える。その意味をレネはじっくり考えているようだが、どうやら最適な解は得られないようだった。
「『フェーデ』はとても深いんだ。底が見えない、なんて思いもする。暗いからね。でも、ちゃんと底はあるんだよ。綺麗な砂漠が」
「なるほど……」
 レネはそれを聞きながら、再び手帳に記す。何を書いて居るのかは相変わらず分からなかったが、彼にとって重要なことなのだろう。そしてレネは手帳を閉じると、それを静かに地面へ置いた。
「ありがとう、エレアス。大体のことは理解したよ。ユラン、この手帳を持っていてくれるかい? 小生がもし戻って来なければ、これをルキフェニアに居るマックス・ゾイファーという医術師に届けて欲しい」
「急にどうしたの」
 突然声色を変えたレネに、ユランは問うた。するとレネはユランを見上げ、真剣な表情で言う。山瑠璃色の瞳が、珍しくも不安に陰った。
「『フェーデ』の中へ転源という目的以外で潜るというのは、それだけ危険だということだよ。エレアスの異質さを考えれば想像はつく。小生にその『力』が無いのなら、なおさらね。小生は竜ではないし、ましてや死を迎えに行く訳でもない。それが『エブラスカ』なるモノに許されるかどうかは未知だ」
 人の身でありながら、ドラゴンの理に入り込む。それは、本来あってはならないことだ。ゴーシュは許可を下したが、それはレネの身がどうなるかという保証には足り得ない。しかし、レネは決心していた。不要な荷物をまとめて置くと、彼は一歩ずつ、『フェーデ』へと足を進める。
「レネさん」
 そしてそんなレネの小さな背中へ、エレアスが声を掛けたのはその時だった。エレアスは振り返ったレネの瞳を見つめると、静かに語る。
「僕はあなたの底にある何かがぼんやりと分かる気がする。たくさんのものを捨てた方だ。自分の愛するもののため、信ずるもののために行った方だ。こんな形で、戻ってこられたんだね」
 エレアスに細かな事情を話していないユランとレネだったが、エレアスは既にレネの身に潜む『何か』を感じ取っているようだった。そしてレネもまた、エレアスの中にある彼自身の迷いと決意がない交ぜになったような感情を感じ取ると、その言葉に小さく微笑んだ。
「そうだね……長い時の流れは、状況を刻々と変化させる。君がもし悩んでいるのなら、今こそ決意する時機だろう。小生が『彼』から受け取った『三つの鍵』の加護が君にもあるように、願っているよ」
「ありがとう、レネさん。あなたは僕に勇気を与えてくれた。僕にできることがあるなら言って、力になるよ」
「ああ、その時はよろしく。それじゃあ、縁があればまた後で会おう」
 そしてその言葉を最後に、レネは再び湖を目指して歩き出す。風がどこからともなく吹き抜け、彼の古びたマントをなびかせた。



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