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03.第三章



「お待たせ」
「うん? 大丈夫かい?」
 行儀よく入口で待っていたレネは、ユランが戻るなりピンと背筋を伸ばして姿勢を正した。そんなレネをユランは祠の中へ案内し、トリグラフと引き合わせる。トリグラフの反応が気になるユランであったが、先ほどドクトルが沈静薬を与えた為か、すぐに取り乱すには至らなかった。
「やあ、君が『三つ首のトリグラフ』かい。初めまして」
「こ、こんにちは」
「いら、いらっしゃ、い……よう、こそ」
「ど、どうしてここに来たの……?」
「驚かせて済まないね。どうやら君たちにとって良くないものを持ち込んだようだ」
 レネはトリグラフの傍に身を落ち着けると、水筒を取り出す。
「一口どうだい? 竜にはちょっと物足りないかもしれないが、気が楽になるよ」
「レネ、それ……」
 思わずユランがレネの取り出した水筒に鼻を近づける。この香りは、葡萄酒だ。レネは水筒の中身を大きめの皿に注ぐと、それをトリグラフに差し出す。トリグラフは最初こそ怪訝に注がれた赤い液体に顔を近づけていたが、やがて探るようにそれを舐めとった。
「な、なあに、それ」
「どう? お、おいしい?」
「お、おいしい、おいしいよ……!」
 葡萄酒をひと舐めしたトリグラフの首がくにゃりと曲がり、もうふたつの首がそれに絡みつく。
「もっと欲しければ、オーウェンに頼むことだね。彼なら満足する量の『これ』を君に分けてくれるだろう」
「それ、出来れば先に僕に教えてほしかった」
 トリグラフが舐めとった皿に残る数滴の葡萄酒を羨まし気に眺め、ユランは思わず溜息をついた。二足の、それもニンゲンが作る葡萄酒なる飲み物はドラゴンにとっても美味である。聞けば、果実を潰して水に浸し、長い時間置いておくと自然と出来上がる飲み物らしい。その味わいはドラゴンにとっては斬新そのもので、ユランもレネに葡萄酒を分けてもらった時は随分と驚いたものだ。そして、その味の虜となってしまった訳だが。
「さて、じゃあ聞こう。トリグラフ、小生は一体、何を連れて来たのかな?」
「わ、悪い、ものだよ」
「どう、どうして……連れて、来ちゃったの」
「こ、この国に、居ちゃ、居ちゃいけない……!」
 この世の罪を鋭く見抜くトリグラフの『目』は、早くもレネの中にある何かを見抜いていた。しかし、レネが先ほど与えた葡萄酒に気を良くしていたのか、トリグラフは逃げようともせず続ける。
「黒い、黒い竜が見え、見えるよ」
「悪い、もの……悪いものだよ」
「う、裏切者……!」
「……なるほど」
 トリグラフの言葉に、レネは神妙な面持ちで頷いた。やはり、レネはあの黒竜を何らかの形でこのヘルハイムに持ち込んだのか。ユランは不安と共に問うた。
「それって、やっぱり……フェルニゲーシュ、なの」
「話を総合するに、どうやら『そういうこと』らしい」
 ユランの問いに、レネは答える。
「フェルニゲーシュがエルネタリア公国の国体であることは、知っているね? しかし彼は創世のその後、転源の中へ還ろうとしても還れず、かの地で魂は長い間淀んでいた」
「……」
「いつしかそれは『呪い』となり、とある一族の忌み子の中に宿った。そう、現在のエルネタリア公国の長、小竜公だ。小生はどうやら、その小竜公から『呪い』を引き受けてしまったようなんだ」
「それ、本気で言ってるの?」
 レネの語る言葉はあまりに突飛であり、すぐに理解することは難しかった。順を追って、整理する必要がある。ユランはヘルハイムに伝わる逸話と、エルネタリアに残る伝説とを照らし合わせ必死に思考を巡らせた。幸運にも、ユランにはエルネタリアの教会に身を潜めていた時に修道僧からフェルニゲーシュに関しての様々な逸話を耳にした経験がある。それがまさか、今になって活きて来るとは。彼は驚きながらも、レネの話の理解に努めた。
「フェルニゲーシュ……『呪い』をここに連れて来て、どうするつもりなの」
「可能ならば、転源のその中へ還そうと思っているよ。もちろん、それをゴーシュ翁が許すとは思えないがね。これ以上転源を濁らせても、何も良い事はない」
 レネの話によると、彼は何とかしてその『呪い』を自分の身体から引きはがしたいようだった。しかし、その方法は確立されていない。それ故に彼は魔導書の更なる解読と、転源による実験を望んでいた。その為にここヘルハイム共和国に来たのだ、と。
 その語り口は決して浮ついたものではなく、確固たる信念によって紡がれていた。レネは本気だ。人の身でありながら内にドラゴンの『呪い』を宿し、そして転源の中へ還ろうとしている。そしてその許可を、彼はゴーシュに求めようとしていた。
 しかし、そこには問題もあった。転源に、『フェーデ』に、実際人の身であるレネが訪れることは出来るのか。そしてその結果、一体何が起こるのか。まったくの未知であるそれらの事象に、答えられる者が果たしてこのヘルハイムに居るのか。ユランは不安も露わに地に伏せ、息を吐いた。
「でもそれ、難しいと思うよ」
 ユランの言葉に、レネは頷く。
「しかし、やらねばならんだろう。ヘルハイム共和国にとしても、不安の種は摘んでおきたいはずだ」
「うん……」
 そしてユランがレネの言葉に「仕方がない」と納得しようとしたその時。祠の外から大きな足音が聞こえた。
「えっ?」
 その威圧的な歩み、接近する気配にユランは思わず振り返る。まさか、と彼は焦りの表情を浮かべた。やがて視線の先で、近付く気配と共に木々が炎に照らされて焼けて行くのが見える。これは間違いない、スヴァローグだ。予想外の来訪者に、ユランは噛み合わせた歯に力を入れた。
「なんだ?」
「……まずいね、スヴァローグだよ」
 未だ状況を把握できていないレネへ、ユランは小声で言う。その言葉を聞いたレネも、ユランの言う意味を理解し緊張に顔を引き締めた。その横ではトリグラフが新たな異変に気づき身を竦めている。トリグラフにとっても、スヴァローグは天敵に近い。ユランは不安を抱えながら、音のする方を睨み付けた。
 徐々に気配が近付き、炎の勢いが増し、やがてそれは二人の前に現れる。
「……ニンゲン風情が、この地に何の用だ」
 火竜スヴァローグ。赤い鱗を持ち全身に炎を纏う、年老いたドラゴンだ。その炎の勢いを見るに、どうやら彼は機嫌が良くないらしい。スヴァローグはレネを見つけるなり顔を近づけ吐き捨てた。
「これは貴様を噛み殺しても良いというヘルハイムの啓示か? ユラン、お前が長老に何を吹き込まれたかは知らんが……褒められたものではないぞ」
「スヴァローグ……」
 レネを守るように立ちはだかり、ユランはスヴァローグを真正面から見据える。
「南の関所にやって来たニンゲンをお前が迎えたと聞いて来てみれば……あの裏切り者が戻って来るとはな」
「スヴァローグ、だめだよ。レネはじじ様が『丁重に迎えろ』って言ってたんだ。あなたがニンゲン嫌いなのは僕も良く知ってる。だけど、今は抑えて」
 今にもレネを食い破らんとするスヴァローグを制しながら、ユランは言う。しかし、そんな言葉をスヴァローグはフンと跳ね除ける。
「この下らんちっぽけなニンゲンは、かつてフェルニゲーシュと共に私の右目と腹を斬り裂いたのだぞ? 復讐せずに何とする」
「……え?」
 思いもよらないスヴァローグの言葉に、ユランは慌ててレネを振り返る。するとそこには、苦い表情で立つレネの姿があった。その態度から、どうやらスヴァローグの言っていることが嘘ではなく、両者の間には深い確執があるのが理解出来る。
 だが、レネがドラゴンを相手に戦える人物だとは思っていなかったユランにとって、その事実は意外どころの話ではなかった。それに、スヴァローグが言う右目と腹の負傷は気の遠くなるほど昔の話だと言われている。そんな過去から、レネは存在しているというのか。
「どういうこと、レネ」
「レネ? ……それが今の貴様の名だったか、ヤノーシュよ」
 そしてスヴァローグの言った聞き慣れない名前に、ユランは驚く。ヤノーシュ。それはかつてフェルニゲーシュの友として生きた人間の名ではなかったか。
「まったく、フェルニゲーシュの浅知恵か……転源の真似事なぞをしおって。貴様がここへ来るのが分かっていれば、この爪ももっと研いでおいたものよ!」
「ちょっと待って、スヴァローグ! ヤノーシュって、あのヤノーシュ!?」
 素早く襲い掛かったズヴァローグの前脚を、ユランが慌てて防ぐ。スヴァローグの爪に炎が揺らめき、それが怒りと共に噴出する。身体にまとわりつく火の粉を払いながら、ユランは混乱した思考をどうにか正そうと考えを巡らせた。
「訳がわからないよ、ヤノーシュってエルネタリアの昔話に出て来るニンゲンでしょう? 教えて、スヴァローグ。ねえ、レネも何とか言って」
「……確かに、スヴァローグの言う通りだ」
 しばしの沈黙の後、レネが大きく息をついた。そして彼は脇に下げた護身用のナイフを引き抜くと、それをスヴァローグに向ける。
「スヴァローグ、君が小生を憎んでいるのは知っている。だが『長年の付き合い』だ、今回は一時停戦といこうじゃないか」
 小さなナイフを煌めかせ、レネは言う。しかしそれを見たユランは、レネがこの状況を打開できるとは思えなかった。ドラゴンを相手にして、ナイフ一本で戦いを避けられるとは考えられない。それはドラゴンである自分が一番よくわかっている。あんな小さなナイフで、ドラゴンの鱗を斬り裂ける筈がない。
「ふん、それが出来れば苦労などせん」
 だが、レネの向けたナイフを見るなりスヴァローグは一歩後ずさった。驚いたことに、歴戦の猛者とも言える老魔竜が人間の持つ一本のナイフを前に退いたのだ。
「このナイフが何で出来ているかは君も解っているだろう? 『竜殺しの剣』から削り出されたナイフだ。『あの時』のように、怪我をしたくはなかろう」
「……」
 長い沈黙が訪れる。その間、ユランはトリグラフをかばいながら成り行きを見守っていた。強い緊張感が辺りを支配している。レネはナイフを掲げたまま動かない。そしてスヴァローグも、そんなナイフを前に動きを止めてしまった。
「……いいだろう」
 先に言葉を発したのは、スヴァローグだった。彼は大人しくその場に身を落ち着けると、レネへ「ナイフをしまえ」と合図する。それを受けて、レネもまた緊張にこわばった表情を緩めるとナイフを鞘に納めた。



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