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04.終章



 その日の夜。一人寝床で丸くなりながらレフは考えていた。掛けられた厚手の毛布はあたたかく、眠りにつくのには快適だったが、眠気は考え事をしているうちにすっかりどこかへ行ってしまった。
「おともだち、ってなんだろう……」
 日中の間、レネに聞いておけば良かった。そんな後悔がふとよぎる。朝に出会ったリブシェは、レフと「父親同士が友達」「私達も友達になりたい」ということを話していた。
 リブシェがあまりに勢い良く話すものだから、レフは自分が上手に話すことが出来ないのをどこかで悔しく思っていた。心境の変化が訪れつつある。
 リブシェやレネのように話せるようになりたい。自分の気持ちを、言葉にして他者へ伝えられるようになりたい。そんな欲求がレフの中には生まれていた。
 言葉を知り、知識を得て、自分の感情を示す。それがどんなに自分にとって難しく、また他人にとって造作も無いことか。レフは今までなすがままにされて来た。そしてそれに異を唱えることも無かった。
 しかし今は違う。名前を呼んでくれる人がいる。友達になりたいと言ってくれる人がいる。それを胸の内で再確認する度、レフの心は僅かに躍っていた。
 それは不慣れな感覚だった。気分が高揚しつつも、どこかそわそわとして落ち着かない。何かをしなくてはと感じるものの、何をどうすれば良いかが分からない。
 そうしていると、やがて高揚は焦りに変わりますます眠れなくなるのだ。レフは毛布にくるまりながら、それをぎゅっと握り締めた。
 そしてその状態は、結局夜がふける頃まで続いてしまうのだった。


 明朝、レフはレネの姿を探して慌ただしく屋敷内を駆け回っていた。客間、玄関、召使いたちに与えられた部屋の空室――思いつくままにレフがドアを開けるので、屋敷の者たちはその奇妙な様子を遠巻きに見ていた。
 関わるなとストリグスキーに言われては居るものの、レフの行動は普段から奇妙なもので、完全に無視するのは難しいところがある。そして見かねた一人の召使いが、ある種の覚悟をもってレフに話しかけたのは彼が空室の扉をすべて開け切った直後のことであった。
「ぼっちゃま、学者様でしたら先ほど厨房で見かけましたよ」
「!」
 まさか話し掛けられることはないだろうと思っていたレフは、その声に一瞬肩を跳ね上げた。恐る恐る振り返ると、そこには不安げな表情を浮かべた召使いがいる。
 そして次に何をすべきか、レフは必死に考えていた。こういう時に、何を言って、どうすれば良いのか。その場で固まってしまったレフを召使いは心配そうに見下ろしている。
「あ、ありが、とう……」
 しばらくして、蚊の鳴くような声でレフは言った。こんな時、リブシェやレネはどんな風にするだろうか――そう考えた末の行動だった。
 声を発した忌み子に今度は召使いの方が驚き、慌てて一礼し去っていく。ぎこちないながらもある程度形になった会話を経て、レフはようやく厨房でレネを発見するに至るのだった。
「やあ、おはよう」
 レネは厨房の片隅で粥をすすっていた。キビの実を砕いて他の雑穀や野菜と一緒に煮込んだ、ムスチェルルイの伝統的な朝食だ。色も悪くドロリとしたそれは見た目こそ食欲をそそることは無い。だが腹持ちが良く栄養価も高いため、旅人には人気の食事である。
「おは、よう」
 鸚鵡返しにレフが挨拶すると、レネは「良く出来ました」と笑った。
「さて、今日は何をしようか」
 粥を平らげたレネは満足そうに一息つくと独りごちた。
「一応、君の家庭教師として呼ばれてはいるからね。家庭教師らしいことをしなくちゃいけない。『呪い』についても、おいおい調べていくことにしよう」
「のろい……」
「うん。君の身体の中に潜んでいる、悪いもののことだよ。病気とはまた違うんだが、それは知らず知らず、少しずつ君の身体を蝕んでいく。それを何とかしよう」
「う、うん……」
 何やらレネはまた子供には難しそうな話をしている――レフはレネの話を理解が出来ないながらも、その真摯な姿が見せる優しさに頷いた。
 レネによれば、その呪いは「黒い」のだそうだ。黒と言えば、国竜フェルニゲーシュの色だ。本来なら、呪いとは無縁の色とも言える。しかし、霊的な恵みと害を及ぼす呪いとは表裏一体のものでもある。レネは、その二面性に注目していた。
 元々恵みをもたらす筈の霊的な存在が何らかの理由によって淀み、結果として呪いとして作用してしまっている。ならば、その淀みを取り除けば呪いは本来の姿――恵みへと変わるはず。レネの予想はこんなところだ。
 レネはレフの呪いの正体を探る傍ら、レフへ勉学を勧めた。
「末弟とはいえ、君も大人になればどこかの土地を譲り受けて、そこを治めることになるだろう。その為にも、しっかり覚えてもらうよ」
 初歩的な会話から始まり、様々な地理、歴史、戦いの知識を未来の領主へと叩き込んだのである。
 そうしてレネがストリグスキーの領地へやって来てひと月、レフの知能は飛躍的に上がった。言葉を覚えた彼は徐々に自分の思いを相手へつたえるようになり、思考もより複雑に、より深くなっていく。
 呪いについてはあまり進展が無かったが、レネはレフの元を去ってからも時折手紙を送り、呪いについての研究は続けているようだった。


 そして更に長い年月が経ち、レフは青年へと成長していた。持ち前の記憶力とレネに叩き込まれた知識を駆使し、彼は忌み子という枠組みから脱却しつつあった。呪い自体は無くなった訳ではないが、レネによれば年月を経て淀みは出生当初よりも薄くなっており、現在は悪さをするたぐいのモノではなくなっているという。
 レネがその証明を行ったからか、レフの両親も以前ほど彼を邪険にすることは少なくなった。レフ自身の行動がレネの教育によって規律だったものへと変わったのもその理由の一つだ。彼は賢く、そして強く成長し、両親の望む理想の領主像に近い形となっていた。
「手紙が届いたの?」
「ああ、レネが呪いについて最後の報告書を送ってくれたようだ」
 いつものようにストリグスキー領の草原で話し込むレフとリブシェの元に使用人がやって来たのは、涼しい秋の夕方であった。原は黄金色に輝き、夕日が赤く滲む。やって来た使用人の影は長く伸び、これから訪れるだろう冬の気配がした。
 使用人は手紙をレフに渡すと一礼して来た道を帰っていった。レフは早速その手紙の封を切り、畳まれた羊皮紙をゆっくり開く。
 しかしそこには、驚くべき事実が記されていた。
 まずはじめに、この手紙はレネが出したものではないこと。内容はレネがしたためたものに間違いないが、手紙を出す直前に彼女は死んでしまったのだという。代理として、レネの署名の下に小さくヤルガ・バルバという名前が記されていた。
「なんということだ……」
 レフは突然の別れに顔をしかめた。そしてそれを覗いていたリブシェもまた、内容を察して口を覆う。
 レネが最後に記録した『呪い』の内容は、今までと変わらず細かなものだった。呪いがフェルニゲーシュの力によるもので、それは現在眠っている状態に近く直接的な害は無いこと。
 しかし、年月が過ぎる内に、フェルニゲーシュの力が目覚めれば、それは呪いとしての力を取り戻し災いをもたらすだろう、とも。
 そしてもし力が目覚めてしまった時の対処法についても彼女は記していたが、レネ自身はその方法に消極的であるということも手紙には記されていた。
 その方法とは、呪いを何らかの依代に移し替え東の未開地へと送り込むか、もしくは依代ごと消滅させるというものだ。
 依代が何を指すかまでは詳細に書かれていなかったが、何かしらの媒体に呪いを預け、その存在を事実上抹消することで呪いを消すことが出来るかもしれない。そう手紙には書かれていた。
「なるほど……」
 読み終えた手紙をたたみ、レフは独りごちた。その思考には既に様々な情報と知識とが絡み合い、レフが今後どのように生きていくか、何をすべきかを模索させる。
 レフには、呪いを解くことの他にもうひとつの目的があった。それはこのムスチェルルイ王国を変えるという、端から見れば夢物語のような野望だった。
 この国は病んでいる。自分の中に巣食う呪いと似たような何かが、この国を蝕んでいる。そして自分の身に潜む呪いを将来どうにかする為には、権力が必要だとレフは考えていた。
 二つの事象が重なり合う。
「これからどうするの? レフ」
 手紙を畳んだレフを不安げに見上げたリブシェがぽつりと問う。すると彼はすぐに答えた。「国を作る」と。
「リブシェ。私はいつか、国を作る……こんな病んだ国ではない、生への希望に満ちた国をだ。その為に、君の力が必要だ」
「私の?」
「かつてエリューシャ妃がこの地と国を生んだ時のように。国主には妻が、そして国には母親が必要だ」
 その力強い言葉に、リブシェの瞳が驚きに見開かれた。
「レフ……」
 そして彼女はふわりと笑い、言うのだった。
「喜んで、あなたの傍に参りましょう」


(了)
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