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03.第三章



 次の日の朝、屋敷で目を覚ましたレフは廊下から聞こえて来た騒がしい物音に耳を傾けていた。召使いがパタパタと走り抜ける足音、そして食器が揺れる軽い音が鳴り、徐々にある一定の方角へ遠くなっていく。その様子から察するに、どうやら客人がやって来たようである。
 召使いたちが慌てて食事を用意しているのをすり抜け、彼は小さな歩みで両親が居るであろう客間を目指した。客人への礼儀は知らないレフであったが、好奇心は持ち合わせている。彼は単純な興味から、その入口をくぐった。
 すると、そこには昨日出会った女の姿があった。彼女はレフに気が付くと、笑顔で手を振って見せる。
「あ……」
「やあ」
「どうしてここに、いるの」
「昨日言ったじゃないか。旦那様に呼ばれて来たんだ、って」
「う、ん……」
 さも当然と言ってのける女に、レフは応とも否とも言えない声色で返事をした。そうする内に、客間へは召使いたちが到着し、次々と豪奢な食事を並べて行く。しばらくするとレフの両親――ストリグスキー家当主とその妻もやって来た。
「これはこれは、レネ・ラカトーシュさん。ようこそいらっしゃいました」
 七番目の息子には決して見せることの無い、軽やかな笑顔を浮かべてストリグスキーが挨拶をする。レネと呼ばれた女はそれに困ったような笑顔で返し、深々と礼をした。
「お初にお目に掛かります。ゼルカリンゲンより、レネ・ラカトーシュが参りました」
「顔をお上げになって。あなたはこのストリグスキー家の大切なお客様です」
「そのお言葉、感謝致します」
 ストリグスキーの妻が言うと、女は顔を上げ再びにこりと笑った。
「さて、お話に聞いておりましたご子息の件ですが」
「ああ、『それ』だ。よろしく頼むよ」
 鋭く指を差され、レフは思わず身じろいだ。決して名前を呼ばれることの無い、モノ――両親が相変わらず愛情を注いでいないことが、この時レフは痛いほど解っていた。
「……『それ』、ですか……他の子どもたちと離して生活させているのは、やはり『呪い』の為ですか?」
「驚いたな、私は家庭教師として君に来てもらうつもりでいたが……もうご存知か」
「はい。この子の衣服につけられた刺繍が封呪のものであると……」
 食事を楽しみながら、子供の自分には理解の追いつかない話を大人たちはしている。それをつまらなさそうに聞きながら、レフは話が終わるのを部屋の隅でじっと待っていた。
 両親はレフを名前で呼ぶことがない。名前が無い訳ではない。雌獅子(ライオネス)、それが彼の名前だ。しかし、それでも両親は呼ばない。「それ」だの「これ」だの、彼らはレフを指してそう言う。捨てるに捨てられない、場所を取る荷物――ストリグスキー家にとって、レフとは「そういうモノ」として認知されているのだ。
 やがて雑音だった大人同士の会話は止み、女が自分を呼んでいることに気付く。顔を上げると、そこには既に両親の姿はなかった。
「やあ、レフ。長々と申し訳ないね」
「なまえ……」
「うん、レネって名前。ちょっと君と似てるね?」
「レネ……」
 呟くと、レネはうんともう一度頷いて笑って見せた。
「とりあえず、君の家庭教師として呼ばれて来たんだけど……何かやりたいことはあるかい?」
「やりたいこと?」
「そう。血で遊ぶのは無しとして……そうだな、君の知っていることを知りたいな。散歩でも行くかい?」
「うん」
 どうやらレネはそれとなく、息苦しい屋敷の中からレフを連れ出したいようだった。それに素直に従い、レフはまた小さく歩む。客間を抜け、食堂を通り、使用人たちの個室を抱える廊下をひたすら行く――その先は玄関ではなく、屋敷の裏庭へと続く勝手口であった。
「へぇ、こんな出入り口があるんだ」
 レフの後ろをゆっくりとついて来たレネが感嘆の声を上げる。その様子を見て、レフは心なしか誇らしい気分になった。自分の秘密を、この学術者になら教えてもいい。そんな信頼が芽生え始めていた。
 裏庭に出ると、そこにはストリグスキー家自らが育てる小さな農園があった。葡萄や葉菜をはじめとする食生活の為の基本的な植物が、こじんまりとした畑に等間隔で植えられ収穫の時を待っている。そこでは雇いの農民たちが雑草取りに精を出していた。
「おはようございます。ここでは何を作ってらっしゃるんですか?」
「…………」
 彼らは仕事熱心なのか、農園へやって来た二人に見向きもしない。何となく見て見ぬ振りをしては、目の前の仕事へ半ば無理やり思考を傾けているようだ。恐らく、レフには構うなとストリグスキーから言いつけられているのだろう。
「……なるほど?」
 この屋敷で働く者にとって、レフへの接触は下手をすればそのまま解雇へと繋がるという。その実態を見せつけられたレネは、自分が特殊な雇い人であるという事実への小さな驚きと共に、溜息をついたようだった。
 裏庭を抜け、二人はストリグスキー家が治める敷地の一角に出た。この一帯、広大な土地はすべてストリグスキー家の所有地であり、屋敷の建つ小高い丘からはそれらをくまなく見渡すことが出来る。
 レフは言葉少なに、レネへ土地の成り立ちを説明した。
「あそこは、とうさまがいくさにかって、おうさまにもらったところ。あっちは、きのういったとこ」
「なるほど。ここに来た時から思っていたが、美しい土地だね……おや?」
 丘の上から辺りを見渡していたレネが何かを発見した。
「誰か居るね。子供だ」
 少し離れた所に小さな人影が見えた。歳の頃はレフと同じくらいだろうか。
「おはよう!」
 子供へ呼び掛けるようにして、レネが挨拶する。すると、向こうもこちらに気付いたのか手を振った。やがてその影はこちらに近づき、少女の姿をかたどった。
「おはようございます。ストリグスキーの方?」
「ああ、雇われの学者だ。レネという。君は?」
「私、リブシェっていいます」
「ほら、レフも挨拶してごらん」
「あいさつ……?」
「名前を言って、よろしくって」
 レネに促され、レフは戸惑いながらも口を開いた。
「レフ……よろしく」
「あなた、ストリグスキー様の一番下の子ね。何度か村で見かけたことがあるの。名前がわかって良かったわ。ずっと知りたかったの」
 リブシェと名乗った少女は利発的な笑みを浮かべてレフの手を取った。その賢そうな表情とストリグスキーに対して友好的な態度から、彼女はどうやらストリグスキーと親しい仲にあるらしい。
「リブシェ……トカチューク?」
「うん、リブシェ・トカチューク。あなたのお父さんと私のお父さん、お友達なのよね」
「そうか、トカチュークのお嬢さんか」
 ふと呟かれたレフの言葉にリブシェは頷き、それを見たレネが思い出したかのように口を開いた。
「トカチューク家はストリグスキー家の遠縁でこの土地の下部管理を行っている家だ。確か、織物が有名だね?」
「学者さん、よくご存知ね! そうよ」
 レネが言った通り、トカチューク家はストリグスキー家の遠縁に当たる。そして代々ストリグスキー家の補佐を任されてきた由緒ある家柄だ。そしてムスチェルルイ王国の中でも珍しい、機織りを生業としている一族でもある。
 ムスチェルルイでは布は貴重な品だ。岩山が多く土地が痩せているために布の原料となる糸、さらにその糸を作るための養蚕がなかなか根付かないのだ。
 トカチューク家はそれをワイセンベルクやアントネスクといったスカルアの商人たち、また南部に広がる農業地帯と協力し組織的な製布環境を整えた第一人者でもある。
 閉鎖的な国交によってすっかり途絶えてしまっていた国外との貿易を、ここでは積極的に行っているという。主な取引相手は南に構えるエルフの国や、西のルキフェニア王国にある港町だ。
「今日はどうしてこちらに?」
「布の染料になる植物を集めに来たんです。ストリグスキーの奥様が、それなら是非ウチにと」
 大木こそ少ない地域であるものの、植物が全く無いという訳ではない。野草の類はこの地域に多く自生しており、それを利用することで人々は生活している。
 南西のボクァート平野・農業地帯へ行けば景色も様変わりするのだろう。しかしムスチェルルイ王国の大半の土地は、このストリグスキー家が治める一帯のような高山地帯であることがほとんどだ。
 そこで暮らす人々の生活は決して楽ではなく、むしろ厳しい。そして民衆には貧しさからか現状を打破しようとするほどの意思も無い。ムスチェルルイとは即ち、閉塞感の強い国なのである。
 レフやリブシェのような貴族階級は戦いと武勲によって国王からある程度の生活を保障されているが、一介の農民などは厳しいその日暮らしをしている。
 そんな農民たちの様子を日々間近に見ているレフにとって、この事実は「なにかがおかしい」と思えるものだった。こんな子供でさえ気付く「異常」なのだ。そんな理由から、レフは昔からこの国が好きではなかった。
「レフ、あなたに会えてよかった。私、同い年の友達が居ないの。是非お友達になって!」
 考え事をしていると、急にリブシェに握った手を振られた。最初は何事かと身を引こうとしたレフだったが、目の前に少女の美しい笑顔があることに気付いて動きが止まってしまう。
「う、うん。ともだち」
 そして元気なリブシェの勢いに気圧されながらも、レフはこれが良いことだと信じて頷いた。
 その後彼らは一緒になって昼頃までリブシェの染料探しを手伝った。そして目的のもの手に入れたリブシェがトカチューク家の屋敷に帰るのを見送り、昼食を摂る。
「はい、黒麦パン。少し固いけど、美味しいよ」
 草原に腰を落ち着け、レネが鞄の中から黒いパンを取り出した。それをナイフで器用に切り分け、レフへと手渡す。
「これが、パン……?」
「そうだよ。お屋敷じゃあまり食べないかもね」
 試しに一口かじってみると、その固さに思わず顎が痺れた。なんだこれは、食べ物なのかーー一瞬そんな疑念が浮かぶ。屋敷で出されていたものとは全く違う食感のパンである。レフの中でパンと言えば、柔らかくふんわりとしたものだった。しかしこれは違う。
「ははは、大変だね。でも頑張るんだよ、君たちストリグスキー家の治める土地の民衆はこうしたものを毎日食べてるんだからね。ミルクもあるからお飲み」
 更に横から差し出された瓶入りのミルクを口に含みながら、レフは何とか黒麦パンを一切れ食べ終えた。ふと隣を見ると、レネはパンの固さを気にするでもなく「これが普通」と言わんばかりに食べている。
「美味しかっただろ?」
 最後の一口を飲み込み、レネが満足げに聞いてきた。確かに、言われてみれば固さはともかく味の良いパンであった。噛めば噛んだ分だけ唾液と混じるパンの香ばしさは口の中に広がり、黒麦特有の酸味はあるもののそれは蜂蜜によって上手く相殺されている。そしてほんのりとした甘さとそれを引き立てる塩気のバランスは素晴らしいものだ。
 しかし、レフは自分が感じたことをなかなか言語化出来ずにいた。パンの固さや香り、噛む前と後での味の変化――気付いたことは沢山あったのだが、未だ言葉を多く知らない彼にとって、その分析を発表するのは難しかった。
 結局、しばらくして彼が発したのは「おいしい」というただ一言だけ。こうして、彼らの「一日目」は過ぎて行くのであった。




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