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『ミノタウロス』が吉川英治文学新人賞を受賞

佐藤亜紀氏の『ミノタウロス』(2007年刊行)が第二十九回吉川英治文学新人賞を受賞し、2008年4月11日、贈呈式が帝国ホテルで行われました。

 
 
 ミノタウロス(講談社刊)














佐藤亜紀

正賞   賞  牌
副賞   金百万円
受賞のことば
佐藤亜紀

 子供の頃から新しい遊びを考えるのが好きだった。昔からある遊びに新しいルールを加えても、遊び仲間に呑み込ませることさえできれば確実に受けたし、自分でも頭の中が真っ白になってしまうくらい熱中できた。ところがふと気が付くと、一緒にいた筈の仲間は一人減り二人減りして、最後には一人になっている。観察していた妹に言わせると、どんどん大仰なことになるので誰も付き合えなくなって引く、ということらしい。
 苦節うん年、という種類の偉さは生れ落ちてこの方私の好むところでは絶対になかったし、堪忍して欲しいというのは今でも変わらない。ただ、私は未だに空気の読めない人間であり、砂地に水を撒くような十七年の後も未だに続けているのは、小説を書くという遊びが圧倒的に面白かったからに他ならない。状況の馬鹿ばかしさにうんざりすることもあったし、実を言うなら時々我に返って、今からでも遅くない、別な人生を生きようと思うこともないではないのだが、とはいえ、少なくとも自分一人の遊びとしてなら、これ以上に面白いことは見付けられそうにない。
 そうした孤独な一人遊びを認められるというのは、今となっては、ちょっと意外なことだ。私の遊びは例によって少々大仰になりすぎていて、偶然手に取った読者が十人いたら七人は付き合いきれないとおもうようなものではある。吉川英治文学新人賞という賞と、選考委員の方々の度量の広さに驚くばかりだ。

選考委員挨拶
伊集院静

どうも伊集院です。佐藤亜紀さん、どうもおめでとうございます。ご家族の方も本当におめでとうございました。
この新人賞の選考委員を十年近くさせて頂いているんですけれど、おそらく、佐藤さんの作品ほど驚いたものは今までなかったと思います。
それは、選考が始まってすぐに、各委員の方の評価がもうだんとつに良かったんですね。
皆さんもお読みになったと思うんですけれど、最初に感じられるのは、この『ミノタウロス』という作品は、帝政ロシアが崩壊する時のウクライナ地方が舞台なんですね。日本人の小説家の発想として、まあ帝政ロシアというのはあるかも知れないけれど、ウクライナに目が行くというのは、最初何故なんだろうと、私は思ったんですね。
それで、作品を読んでいて非常に思ったのは、あの広いロシア帝国の中で、一番四季が美しい場所というのがあのウクライナ地方であると。そして、非常に人種が混在していると。
この作品の第一章の、少しめくった辺りに、主人公の父の広大な土地というのがあって、そこに春が来て、作男たちが、季節労働者たちが、色々な人たちが、徐々にこう集まってきて、今まで氷で閉ざされていたような寒いところに、男たちが集まってきて耕作を始めるんですが、この描写を読んだときに、あ、本当に凄い作家が登場したなと思いました。
浅田さんは「仰天小説」だと書きましたが、本当に私もそう思いました。
ご家族の方がいらしたら、もうお嬢さんは、きちっと食べていけると僕は思いますね。
まあ、体格もよろしいから(他の?)可能性もあるかも知れませんけれど、小説が多分一番よろしいと思いますね。
少し他の作品も読ませていただいたんですけれど、非常に**が広い。そして文章が上手い。
何よりもやはり、度胸があるというか、読んでいてあざとさとかが全然ない。それでいきなりこの新人の方がやるということは、今まで才能のある方がよほど本を読まれたか分かりませんけれど、とにかく全員が驚きましたし、私はやばい新人が出てきたなぁと思いました。
当日、夜、佐藤さんにお会いして、今まで新人の女性作家に会うと、大体私をそんなに正面から見ないんですけれど、どーんと構えて、「どうも佐藤です」とおっしゃるので、ああ、この人はやっぱり、私よりちょっと上なんだなと思って、本当に次の作品が楽しみな作家です。
今から日本を代表する作家になられるのではないかという期待をしまして、今日は本当におめでとうございました。

受賞者挨拶
佐藤亜紀

まず、この賞の候補にあげて頂いたと編集の方から聞いたときに、正直な話、その段階では、「ああ良かった」と思って、もう候補にして頂いただけで満足であると。これで、とりあえず二年ぐらいは、静かにおとなしくやっていればいいのかなという気がしたんですよね。
それで、賞の発表を待っておりまして「佐藤さんが獲りました」と携帯電話で知らされた時に、物凄くびっくりしたんです。つまり、まさか獲れるとは思わなかった。これは本当に正直な話です。というのは、実のところを言いますと、私はこれまで十六年やって来ておりまして、それまでの間、長編を七作書きました。今までの六作は、同時期に出たいかなる本と比べても、遜色があると、全く私は思っておりません。にも関わらず、基本的に、私は、ある極めて一部の、好んで下さる方々だけの作家でした。という事は、このままきっとずっと行くのだろうというのが、普通は考えられるところです。
そういうものを、こういう、作品の評価も高ければ、同時にポピュラリティもある作家の先生方に審査して頂いた時に「いやこれは駄目だよ」と言われるのが当然だろうと私は思っていました。
そうしたら、それが獲ってしまったので、これはひどく驚きまして、同時に、いや、この世界――つまり文学の世界ですが――の上の方におられる方々というのは、実に懐の深い方々だなと、そう驚き恐れたわけです。
その後、気持ちが少し浮かれまして、この賞金の金額だったら、ちょっと前借りするような気持ちで、旅行にでも行くかという気になって、その日のうちに「あ、私これから二週間ヨーロッパ行ってくるから」と言ってベルリンとパリをまわってきましたけれども。
その間も考えていたのは、その時のびっくりの気持ちが少しおさまって、いやぁ、来たぞ、と思って、楽な気持ちになったなと思った途端に、いや、これで決まったというわけじゃないぞという、その気持ちが湧き上がってまいりました。
というのは、賞をもらったということは――公衆に阿るとかいうことを考えているわけではありませんが――気楽な気持ちで好きなものをぽんぽん書いて、「いや、いいんじゃない、おいしいと思ったら食べればいいんじゃない、おいしくなかったら食べなければいいんじゃない」という書き方で果たしていけるのか。そう考えざるを得なくなった時に、いやちょっとそこの所は少し――いや、吉川の新人賞というのももちろんですけれども――選んでくださった先生方に対する責任という物が、多分これから少しは生じるだろうと。先生方に、あの時点ですでにお会いして、あれだけお褒め頂いた以上は、本が出ているアマチュアみたいな書き方はできない――これは質という意味ではなくて、書き方の姿勢という意味ですが――と思って、かなり困り果てた状態で今日に至っている次第です。
ただ、それは、今まで励ましてくださる方がいたからこそなんとかやってこれたという側面がありまして、その点、もし、そこで誰も、例えば他の出版社から本が出ないような状態の時に、うちで出したら、と言ってくださる編集者の方々、そしてもう駄目かも知れないという時に支えてくださった編集者の方々、そして何よりも凄く沢山の読者の方々、そういう人たちがもしいなかったとしたら、これは神経が堪らないわけですよ。本を出していくという事自体が。まるで砂地に水を撒くようなことになってしまう。
その状態できて、去年くらい、『ミノタウロス』が出た直後、真面目に考えたんですよ。
あと、何作くらい、書くことに神経が耐えられるか。
本を出すたびにこれだけ精神が参るのだとしたら、ああまた駄目だった、というのをあと何回我慢できるか考えた時に、五作、上手くして七作が限界だと考えた。
ただ、そこで、さらに手を差し伸べてくださる方がいた。それも文学の世界にいたということは、私にとって非常な驚きですし、そしてやっぱり世の中舐めちゃいけないなという事になるわけです。
そういう意味で、これから吉川新人賞を頂いたと言うことを胸にして――ただ、それでなんとなく、こう、うん、世の中そういう方、よくおられますよね。つまり、ある年齢を境に、急に言うことがおじさんぽくなっちゃって、なんかやることもなすことも全部おじさんくさくなっちゃって、あなたどうしちゃったの、と言いたくなるような方がいらっしゃるわけですけれど、そういうふうにはならない形で、なんとか頂いたことに対するお礼を、作品を通して出来るよう、努力していきたいと思います。よろしくお願い致します。



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