明正寺の紹介

(わこうざん じゃくじょういん みょうしょうじ)
和光山  寂定院   明正寺
 
〒820-0042
飯塚市本町20-9
℡0948-22-1591
 
納骨堂(有)/境内墓地(無)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
法座・活動など
 
毎週日曜日 AM9:00~ 日曜礼拝
毎月 4日 和光会(会員のみ) AM11:00~
   10日 婦人会例会     PM1:00~
   16日 ご命日法座     PM1:00~
   26日 親鸞クラブ(会員のみ) PM1:00~
   月末 男の集い(会員のみ) PM7:30~
 

[沿革・紹介]

 「太平記」巻三にあるように、先祖は新田義貞と共に足利尊氏と戦い敗れました。その時に、義貞は殺され、義貞の子ども達は城内で自害しました。杣山城の悲劇です。
 その頃は杣山という姓ではなく、瓜生と名乗っていました。

 北陸・福井の杣山の里より、この飯塚に家臣共々落ちのびてきました。その数およそ300人ほどと言われますが、確かなものはありません。明示の大火でことごとく記録が焼失してしまいました。
 その時おそらく、戦で多くの戦死者を出し、その供養として坊舎を建てたのでしょう。最初は天台宗だったそうで、後に蓮如証人の弟子の教化を受け真宗に転派しました。お寺ごと宗旨を変えるのは、大変なことだったろうと推察します。

 当所は東本願寺初代の教如上人から「明正寺」という寺号を戴いたので、東派(大谷派・東本願寺)でありました。ところが、黒田如水の葬儀の時に調経についた時、黒田側より西派(本願寺派・西本願寺)に変わるように要請がありました。色々と理由は伝えられていますが記録には何も書いてありません。それ以来、当寺は本願寺派であります。

 明正寺の過去帖には幕府に献上の象が通ったことが記してあることから、町の人は象の寺と呼んでいます。
 また、明正寺の横が大名の本陣宿だった為に、明正寺の前は勢屯り(せいだまり)でありました。勢屯りとは、大名行列を組むことです。
 
 明正寺は今の住職で20代となります。どの住職も、その時代を見据えて念佛教化に命をかけて取り組んでまいりました。
 今まさに、環境の問題を含めて人間が崩れてきています。でありますが故に、なお念佛を通して眞の救いを導かなければならないと思います。明正寺はそうした道場です。これからも、念佛の教えの歴史を作ってまいりたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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