021 パラグラフと段落

センテンスがレンガだとすれば、パラグラフとはそのレンガでできた壁である。レンガをうまく積み上げないと壁は崩れしまう。この積み上げ方、つまりセンテンスとセンテンスとのつなぎ方がパラグラフをつくるうえでの最大のポイントである[1]

日本語でパラグラフにあたるものは「段落」だとされている。しかしこれは正しくない。日本語における段落という概念は、明治初期に西欧の文章を見本としてつくられたものであるが[2]、文明開化のスピードがあまりに速すぎたため、パラグラフという概念の真髄を正確に導入することができなかった。そして「文章を適当に分けること」という上っ面だけの導入をしてしまった。そのために現在でも日本語の段落にはしっかりとした理論的基盤がない。たんにフィーリングで区切っているにすぎないのだ。文章システムとしてはじつにお粗末なものである。

いっぽう英語のパラグラフにはしっかりとした理論的基盤がある[3]。その一つが「ワンパラグラフ、ワントピック」の原則だ。基本的にこの原則を守らなければパラグラフとはいえない。したがって日本語の段落の多くはパラグラフではない。

パラグラフにはそのほかにもいくつかの原則がある。以下ではそうした原則を踏まえつつ、パラグラフの構造について解説していく。



[1] ところで伝統的な日本語つまり「やまとことば」の「文」はレンガではなく「糸」である。だから「やまとことば」での文章は「積み上げる」ものではなく「織り成す」ものである。その代表のひとつが『源氏物語』だ。あのようにあでやかに織り成された文章を読みながら、日本人はそこに美しさを感じる。だが、糸では美しい織物を織り成すことはできても、建物を建てることはできない。『源氏』に用いられているような言葉だけでは、実務的な文章は書けないということだ。そこで昔から日本人は実務的な文章を書くために、漢文つまり中国語を利用してきた。そしてその伝統はいまでも引き継がれており、実務的な文章になればなるほど、私たちの文章には漢字表現が多くなる。

[2]江戸期まで、日本語には段落という概念はなかった。ちなみに、句読点もなかった。

[3] だが欧米世界でパラグラフという概念ができたのも、じつはそれほど古いことではない。18世紀ごろに、僧侶たちが聖書を読みやすくするために区切りを入れたのが、パラグラフ形式のはじまりだとされている。その後、徐々に論理的構成としてのパラグラフという考え方が発展し、現在のようなパラグラフの原型がきっちりと出来上がったのは、大学教育が普及してアカデミックな文章が大衆化してからのことである。まだ200年もたっていない。本当にまだまだ最近のことなのだ。そのように考えれば、日本語の書き言葉の新しい原型を今からつくりだすことは十分に可能だということだ。また、そうやって日本語を進化発展させていくことこそが、現代の日本人に課せられた大きな使命だといえる。

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