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市橋達也君の件で

#10 市橋達也君の件で (2009年12月8日)

もう自殺して生きてはいないだろうと思っていた市橋君が生きていることがわかったので、元教師としては、元学生を逃げ回る悲惨な状況から何とか救いだしたいという思いから、彼の目に留まる可能性は例え1億分の1以下しかないにしても、自主的に出頭するように呼びかける記事(#9)を本サイトに書いた(11月8日)。

NHKテレビが11月9日に研究室に取材に来て、夕方6時10分からの首都圏ネットというニュース番組で私の書いた記事を紹介してくれた影響で、その後私のところには連日テレビ各社や新聞各社の取材が殺到することになった。また、翌11月10日には本サイトに2万件を超えるアクセスがあったらしく、一時的にサーバーダウン状態になった。

私のメッセージが届く前に市橋君は身柄を拘束され、残念ながら自主的に出頭する機会は失われてしまった。しかし、これでもう元学生が逃げ場を失って自殺に追い込まれる心配はないという意味では、逆に安堵感を覚えた。恐らく彼のご家族も同じ思いだったのではないだろうか。

私の記事を読まれた多くの方々からメールをいただいたので、現在の所感を書いておきたい。メールの大半は子供を持つ母親からであった。恐らく、自分の子供が市橋君の立場だったらと仮想して、その苦しさを追体験され、いたたまれなくなったうえでのことだったのかもしれない。身柄を拘束された時に、頭から上着を被せられ、取材陣に取り囲まれてもみくちゃにされて連行される映像がテレビで放送されたことは、多くの視聴者に彼に対する同情心を芽生えさせたようだ。また、苦しい逃亡生活中も悪の世界に入らずに建設現場でしっかり働いていたという事実が明らかにされたことによって、彼はメディアが作りつつあった異常性格者・社会的な不適応者というイメージとは違って、本当は芯の強い真面目な性格の人間だったのかもしれない、という印象を与えた。私も内心ホッとして、市橋君よくこれまでがんばって生きてきたなという気持になったし、お母さんが「これが私達の知っている達也です」と述べていた心境も理解できた。

12月2日に死体遺棄容疑の勾留期限切れを迎えて、今度は強姦致死・殺人容疑に切り替えられ、さらに20日間の勾留が認められ取り調べが行われている。彼女の遺体から採取された体液のDNAが市橋君のものと一致したとの報道があったが、私にはそれだけでいきなり強姦致死となるのだろうか、という疑問が湧いた。当時22歳だった彼女と27歳だった彼との間にお互いへの好意が芽生えたとしても不思議はないし、彼女が自らの意思で彼のマンションの個室に入ったということは、合意の上での男女の行為が行われたとしても不思議はない。遺体の解剖所見では死因は首を絞められたことによる窒息死とのことなので、彼がその実行犯とみなされるのは自然である。その点は、最近話題になっている男性俳優のO氏と合成麻薬MDMAを一緒に使っていて過敏反応で突然死した女性の場合とは異なる。問題は、何が普段は冷静な市橋君をそういう行動に駆り立てたのかということだろう。

彼女はすでに亡くなっているので、真相を知るのは市橋君だけである。彼に非があるのだとしたら、元学生だったからといって私は彼をかばおうとは思っていないし、彼への罰を軽くするために奔走しようとも思っていない。亡くなった方の悔しさ、そのご家族の無念さを思えば、犯した罪に相当の償いをするべきである。もし彼女にも非があったのだとしたら、市橋君は真相をちゃんと語るべきである。それでも、彼女が亡くなったという事実は消せないし、その責任は負わなければならないが・・・。

元教師として元学生に望むことは、黙秘を続けることではなく、事実を明らかにして罪をきちんと償うこと。その上で、残された人生をしっかりやり直してほしいということ。市橋君にとっては、これから長い年月をかけて贖罪する日々が続くのだろう。千葉大学を定年退職して年齢的にすでに高齢期の私にどこまで見届けられるかはわからないが、生きている限りは元学生の更生を見守り、精神的な支援をしていきたいと思っている。