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映像の検証

#5 薬剤散布による健康影響の根拠として放送された映像の検証 (2009年8月27日)


7月30日にNHKの「クローズアップ現代」で放送された「松が危ない~ゆれる松枯れ対策~」という番組に関する私の見解については、すでに本サイトの記事#3(2009年8月16日)で書いた。結局、島根県出雲市で松くい虫防除で薬剤散布が行われたことと、その日に「目のかゆみ」その他の症状の訴えが出されたことの因果関係については、多くの医師が参加して行われた原因調査委員会でも明らかにならなかったということから、番組では薬剤散布による健康影響の可能性を示唆する別の事例として長野県上田市での事例を紹介した。録画したDVDを繰り返し再生してみると、その部分は次のようになっていた。


ナレーション:上田市では去年散布の直後に体調不良を訴える市民があらわれました。ある保育園では、園児10人あまりがのどの痛みなどを訴えました。診察に当たった医師です。
A医師:これがその時の心電図ですが・・。
ナレーション:さまざまな体の不調が見られたといいます。
A医師:聴診所見でもちょっと心臓に不整脈があるように思われたし、手もふるえているし・・。


この映像は視聴者に、「散布直後に散布の影響で体調不良を訴えた市民がいて、その中には10人あまりの保育園児も含まれ、のどが痛くなった保育園児は診察・治療を受けるためにすぐA医師を訪ね、A医師は保育園児たちにさまざまな体の不調に加えて不整脈も見られた、と取材記者に伝えた」という印象を与えた。

長野県上田市で散布当日にのどが痛くなった保育園児が、のどの痛い時に市内の近くの病院ではなく、何故わざわざ遠くのA医師が開業している群馬県前橋市の医院まで診察・治療を受けに行くのだろうか、という疑問が私には残った。

そこで、A医師の診察・治療を受けた上記の保育園児についてより詳しい状況を知るために、上田市で起こった本件に関する資料をいくつか集めてみた。それを見ると、平成20年10月27日に上田市役所で、「こどもの未来と健康を考える会」等と佐久総合病院関係者等と上田市役所側との間で「松くい虫防除空中薬剤散布事業に関する確認」の会が開催されている。同年11月21日には、「こどもの未来と健康を考える会」と一緒に健康影響についてアンケート調査を行った佐久総合病院において病院関係者、上田市の担当者、長野県の担当者の間で打ち合わせ会が行われている。さらに平成21年1月27日には上田市役所で、佐久総合病院関係者、長野県担当者、上田市担当者との間で、「松くい虫防除空中薬剤散布における佐久総合病院が行った健康被害調査結果の報告と意見交換会」が開催されている。

これらの資料を見ると、かなり強引な、全く科学的とは言えないやりとりも行われており、広く公開する価値があると思うが、議論の焦点を絞るために今はそれには触れない。

健康被害を訴えたのは、長年にわたって松くい虫防除の農薬散布反対活動をしてきた「長野県の空中薬剤散布を考える会」や無認可保育所「こどもの園」に事務局を置く「こどもの未来と健康を考える会」(信濃毎日新聞2009年1月28日)と自分たちは化学物質過敏症と主張している方々とそのお子さんたちがほとんどのようだ。

1月27日に開催された意見交換会で「こどもの未来と健康を考える会」等から配布された資料によると、A医師の診察・治療を受けた保育園児というのは、当時3歳8ケ月だったAちゃんと、当時6歳1ケ月だったCちゃんのことかと思われる。

Aちゃんの住む地域では、後述するように6月24日に無人ヘリコプターでマツグリーン液剤2が散布されたが、7月上旬に「心の乱れが読み取れる絵を描き・・」、B医院(A医師?)を受診して回復のきざしが見られ、9月には正常に戻ったとある。

Cちゃんの住居は、後述するように6月中旬に有人ヘリコプターでスミパインMCが散布された地域に囲まれていて、散布が行われた週(6月11~13日?)に「高熱、胸が苦しい、息がしにくい、鼻血・・」などの状態になり、7月中旬にB医院(A医師?)を受診したところ不整脈がみられ、サラチン、グロンサンを3週間服用したところ回復した、とある。

この通りだとすると、NHKの「クローズアップ現代」の映像が与えようとしたイメージ、すなわち保育園児は散布直後にのどが痛くなってすぐA医師を訪ねて診察・治療を受けたのではなく、上述したような別の症状が続いたために散布から約2週間後(Aちゃん)または1ケ月後(Cちゃん)に診察・治療を受けたということになる。

ここのところは、体調不良が特定の日に実施された薬剤散布によって急性的に生じたものかどうか(つまり因果関係)を判断する上で重要である。

上田市では平成20年(2008年)には有人ヘリコプターによるスミパインMCの散布が、6月11日に東前山地区(10ha)で、6月12日~13日に浦野・岡・室賀地区(40ha)で、6月13日に半過地区(10+国有林76=86ha)で行われた。スミパインMCは、近隣の青木村でも、東郷地区(15+国有林21=36ha)、村松地区(50ha)、殿戸地区(15ha)で散布が行われている。

スミパインMC(有効成分フェニトロチオン23.5%)散布は5倍希釈液が60ℓ/haだから、散布されたスミパインMCは有効成分量に直すと、フェニトロチオン0.0289g/m2に相当する。農業用に害虫防除で使用されるスミチオン乳剤(有効成分フェニトロチオン40%)は、通常1,000倍希釈液が0.1ℓ/m2散布されるので、有効成分量に直すとフェニトロチオン0.040g/m2に相当する。よく、ヘリコプターによる空中散布は濃厚液を散布するから危険だと言われるが、散布面積当りの有効成分量で比較すると、松林に散布されたスミパインMCは農耕地で散布されているよりも少ないということになる。

上田市と青木村は、信濃公害研究所に委託して各々の地区内で散布後のフェニトロチオンの気中濃度を測定したが、検出限界の0.05μg/m3以下であった。私達(孫ら、2009)も長野県駒ケ根市の山林で昨年6月10日にスミパインMCが有人ヘリコプターで同様に散布された時に、散布された松林内の林床部と周辺地域で検出限界0.02μg/m3、回収率108%という分析条件で散布最中の気中濃度を測定したが、いずれも検出限界以下であった。MC(マイクロカプセル)製剤の特徴として、ヘリコプターのいわゆるダウンウオッシュと呼ばれる下降気流によって散布された薬剤が樹冠部に到達する割合が高いだけでなく、長野県の山林のように樹高が高く、うっ閉率が高い(逆に言えば開空度が小さい)松林では、薬剤は枝葉に付着して捕捉される割合が高く、林床部に落下したり周辺地域に飛散する割合は想像する以上に低い。

環境省が設定した生活環境中のフェニトロチオンの気中濃度の評価値は10μg/m3なので、それよりも200分の1以下、又は500分の1以下の濃度で急性的な毒性影響がでることは考えられない。個体レベルの毒性作用発現には閾値があるというのは、毒性学の基礎である。体調不良の原因は別にあると考えるべきである。

一方、無人ヘリコプターによるマツグリーン液剤2の散布は、6月23日~24日と7月17日に上室賀地区(5ha)で、6月24日と7月19日に武石小山地区(5ha)で行われた。マツグリーン液剤2(有効成分アセタミプリド2%)は10倍希釈液が40ℓ/ha散布されたので、有効成分量に直すと、アセタミプリド0.0008g/m2に相当する。農業用に使用されるモスピラン水溶剤(有効成分アセタミプリド20%)は、2,000~4,000倍希釈液を200~700ℓ/10アール散布だから、有効成分量に直すと0.001g~0.007g/m2に相当する。従って、散布面積当り有効成分量で比較すると、松林に散布されたマツグリーン液剤2は、農業用の場合とほぼ同じ程度か、より少ないと言える。

散布された方法は異なるが、私達(市川ら、2008年)が群馬県で2年にわたって実施したマツグリーン液剤2の飛散調査でも、周辺地域へのアセタミプリドの飛散は認められていない。この薬剤は蒸気圧(<1×10-6Pa/25℃)が低いので、通常はガス化して気体として飛散することも考えられない。
 
日本テレビの報道番組「真相報道バンキシャ」は、持ち込まれた嘘の情報(岐阜県の裏金問題)の真偽を確認せずに報道してしまったことについて、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会の勧告に従って、8月23日に番組内で誤報検証結果の要旨を放送し、幹部が謝罪もした。今回のNHKテレビの「クローズアップ現代」が流した視聴者に事実と異なる印象を与えた映像が、BPOへの提訴に値する行為であったかどうかは意見がわかれるところだろうが、影響の大きい番組なだけに、編集責任者の注意を喚起することぐらいは必要かもしれない。

引用資料