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クローズアップ現代

#3 松枯れ問題に関するNHKテレビ「クローズアップ現代」と群馬県での事例(2009年8月16日)

2009年7月30日にNHKの「クローズアップ現代」で放送された「松が危ない~ゆれる松枯れ対策~」は、伝えたいメッセージがはっきりしない番組になっていた。結局最後は、国の指導や基準にあいまいなところがある、ということで国の責任を追及するまとめになっていたが。松枯れは難しい問題を含んでいるので、多分編集会議で苦労をしていろいろ妥協をした結果こういう番組になったのだろう。それでも、この番組には評価できる点がいくつかあった。
  • 1つ目は、松は日本の文化や生存環境の保全に重要な役割を果たしていると言ってくれたこと。
  • 2つ目は、明治38年(約100年前)にアメリカから長崎に持ち込まれた外来のマツノザイセンチュウを在来の森林害虫マツノマダラカミキリが伝搬して松枯れが蔓延し、北海道と青森を除く全国各地で毎年莫大な量(765万立方メートル=甲子園球場987個相当)の松が失われている深刻な状況だと伝えてくれたこと。
  • 3つ目は、その防除にはいろいろな方法が研究され実施されているが、現状ではヘリコプターを用いた薬剤の空中散布がもっとも効率の高い方法であると認めたこと。
  • 4つ目は、空中散布による健康影響が一部の人々によって指摘されているが、島根県出雲市で昨年5月に起こった「眼のかゆみ」その他の症状と薬剤散布の因果関係は3ケ月にも亘った原因調査委員会でも明らかにならなかったと明言したこと。
  • 5つ目は、出雲市では空中散布を止めて殺線虫剤の樹幹注入に切り替えることにしたが、そのコストは松1本当たり空中散布の160倍であり、予算的に従来の100分の1の松林しか防除できないとマイナス面をきちんと説明したこと。
  • 6つ目は、松枯れ防止には国の支援が必要だと訴えてくれたこと。
反対に、この番組が伝えたいメッセージは何だったのかを分かり難くしたのは、空中散布と健康影響の関係について、健康被害の事例の紹介に多くの時間を割いたことである。島根県出雲市で昨年スミパインMCが散布された日に起こった「眼のかゆみ」その他の症状に関する原因調査委員会の様子と論点整理は、すでに松くい虫防除の薬剤散布の健康影響(2009年7月29日)で書いたので繰り返さない。

松くい虫防除の空中散布による健康被害の事例として、番組では昨年散布が実施された長野県上田市で散布直後に10名程度の喉の痛みを訴えた子供達がいたことを紹介し、診察をしたA医師(群馬県前橋市で医院を開業)が心電図のチャートを手に聴診所見で心臓に不整脈があるように思われる子供もいたというコメントを放送した。長野県上田市で体調が悪くなった保育園児が、わざわざ散布直後に群馬県前橋市の医院まで診てもらいに行くのだろうか。もし本当に行ったのだとしたら、上田市での薬剤散布/体調悪化と受診時期との時間的関係はどうなっているのだろう。それともあれは、別の時期に診察した保育園児を上田市での薬剤散布の後の診察として紹介したのだろうか。あるいは、まさかとは思うが、群馬県の患者を診察した結果を、あたかも長野県の患者を診察した結果と思わせる編集が番組制作側で行われたのだろうか。

ところで、群馬県では2002年までは有機リン剤のヘリコプター散布で松くい虫防除をしていたのを、健康被害の訴えから中止し、1年かけて林道整備をして2004年からスパウターと呼ばれる車載大型動力噴霧機を用いたネオニコチノイド剤(マツグリーン液剤2、有効成分アセタミプリド2%)散布に切り替えた。それにもかかわらず、やはり一部の県民から健康被害の訴えが出され、2004年5月~6月には地方新聞や全国誌の群馬県版に関連記事が何回も掲載された(例えば、朝日新聞2004年6月9日)。

例示した記事の見出しは、「農薬散布/体調不良2人が治療/富士見・林から5キロの住民」となっていた。記事の概要は、松くい虫防除のために赤城山麓に位置する富士見村の村有林でマツグリーン液剤2を6月8日早朝に散布したところ、5キロ離れた場所に住んでいる主婦とその小学5年生の子供(後日、県庁職員と筆者が調査の途中で詳しい情報を聴取するために立ち寄ったところ、お二人ともいわゆる化学物質過敏症に苦しんでいるとご家族からの証言があった)が吐き気、頭痛、心臓がドキドキして、番組にでていたA医師の内科小児科医院で治療を受けたというもの。また、薬剤がそこまで飛散したことを暗示する現象として、庭のクロマツに巣くっていた松毛虫(=マツカレハの幼虫)が当日ポロポロ落ちて死んだという記述もあった。

しかし、体調が悪くなったという電話を受けて現場にかけつけ、当該記事を書いた朝日新聞のM記者自身が自分の書いた記事の信憑性に不安を感じて、その後私のところに取材に来られ、「殺虫剤というのは散布地から5Kmも離れたところまで飛散して、庭の松に棲息している害虫を殺したり、人間に健康被害を起こすようなことが本当にあるのですか」という正直な疑問を吐露した。それがきっかけになり、私達は2004年には太田市の金山自然公園で、2005年には上記記事の舞台となった富士見村で、散布された薬剤の詳細な飛散調査を行った。

富士見村の松林は、昔から赤城おろしの強風害に苦しめられてきた村人を救うために、同村出身で明治時代の著名な農学者船津伝次平が植林したものであり、それを感謝して役場の庭には銅像が立っている。富士見村役場の職員は健康被害の訴えを受けてただちに現場視察に走り回ったが、散布された松林と被害者宅の間に位置する小学校の松の樹に寄生していたマツカレハの幼虫も、畑周辺の植物上のその他の昆虫類もいつも通り生息しており、何の異常も見られなかった(筆者は証拠の写真を見せられた)。その後の私達の分析でも、この薬剤は5kmはおろか、散布区域の林縁部からわずか離れただけの地点でも検出限界以下であり、この薬剤に最も感受性が高い生物の一種であるモモアカアブラムシを指標生物に用いたバイオモニタリングでも、周辺への飛散は起こっていないことが確認された(文献1)。

実際に現場に行ってみればわかるが、樹高10~15m(海岸の砂防林)、あるいは20~25m(山林)の松の樹冠部(マツノマダラカミキリは当年枝と1年枝だけを食害するので)に薬液を到達させるために、スパウターは薬剤を多量の水と一緒にまるで消防の消火ホースのように散布する。従って松の枝葉に付着しなかった薬液のほとんどは比重が重いので林床部に落下し、散布角度を水平にでもしない限り細かい霧状になって遠距離に飛散する可能性は元々小さい。

さらに決定的なことは、マツグリーン液剤2の有効成分のアセタミプリドは蒸気圧が低く(<1×10-6Pa/25℃)、通常の状態ではガス化しないので気体として飛散することは考え難い。私達が行ったモデル散布実験では、散布された松の枝葉の真上でも検出できないし、室内実験では45℃でも全く揮発しない。それでは何故飛散していない薬剤による健康被害の訴えが出されたのか。当時、群馬県庁での会議で、周辺地域での気中濃度は検出限界以下だったという私の報告に反論して、出席していた化学物質過敏症患者の会のあるメンバーは、「自分はこの薬剤独特の臭いを10Km先からでも嗅ぎ分けられる」と発言した。

アメリカでも、飛行機で農薬散布をする前に水を散布して飛行練習をすると、体調が悪くなったから中止せよという電話が殺到するとEPA(環境保護庁)の担当官から聞いたことがある。飛散していない、あるいは散布していなくても体調が悪くなるという不思議な現象は何故起こるのか。その答えの一つは、化学物質に対する極端な恐怖症が関わっていると思われる。この点については、新農林技術新聞に掲載された筆者の2006年新春随想(2006年1月15日)(添付ファイル)に実例を紹介してある。

調査結果の詳細を報告した上記学術論文(文献1)では言及しなかったが、実は2004年の調査時に、最も曝露量の多い筈のスパウターのオペレーターとナビゲーターは健康管理の目的で作業の前と後で地元の総合病院で健康診断を受診しており、心電図をはじめ各種血液検査でも何の異常もないという診断結果を得ていた。

番組では、健康被害があるかもしれないという不安のために散布中止に追い込まれている自治体が増えていると伝えていた。松くい虫防除の薬剤散布と健康影響の因果関係を科学的に証明した事例は、出雲市の場合も含めて、存在しないにもかかわらず。

松くい虫は防徐しなければ、必ず被害が拡大し、やがてその地域から松が消滅することが知られている。出雲市の場合のように、現在最も有効な防除手段である空中散布を止めて新しく採用した方法では従来の1%しか松林を守れないのだとしたら、残りの99%の松林は枯れてもいいのかということになる。松枯れ問題に関しては、「科学的に裏打ちされない不安感」に基づいて予防原則(リスクが大きいと信じて散布を中止)を適用するには、失うものが大き過ぎる。

資料

Ċ
Naoki Motoyama2,
2009/08/15 6:28