HOME シナリオ塾 ご紹介

(2017年11月近況報告も含め、塾案内をリニューアルします。長文です)

僕の旧い教え子であり、数少ない友人のひとりでもあるO君が、このホームページを開設してくれて、もう何年が経ったでしょう。

 ものを書くことには努力を惜しまない分、他のことには、ずぼらな僕は、今まで一度もこのホームページを更新してきませんでしたが、O君の勧めもあり、また、やっと少し時間が出来た御蔭もあって、身辺雑記とでも言うか、最近の心境を書いてみることにしました。単純な私塾の紹介ではなく、シナリオに興味がある人にとっては読み物としても面白いものになれば、と念じつつ書いていきます。O君の報告では、毎月数100件のアクセスがあるそうですが、現実に連絡をくれる人はそう多くはなく、いずれは更新した方がいいとは思っていたものの、正直に言えばそれどころではありませんでした。
  それと言うのも、僕はこの二年半、四百字詰めの原稿用紙にして1800枚の小説を1200枚に縮める作業に没頭していたのです。1800枚と言えば、映画や二時間ドラマなら、ざっと15本分です。それだけの時間を費やしたのも無理はないかも知れません。一年近く掛けて読み漁った資料から引用も含め、情け容赦なく捨てていかなければ到底、三分の一をカットすることはできませんし、また、単に短くするだけではなく、新たな視点を加味したり、同じ内容の事柄でも、心情や背景をより深く描き込む必要もありました。僕は昔から構成には自信があるので、一旦構成が再構築出来れば全体の流れには悩みませんが、やはりその場面場面を的確に描いていくことは大変です。自分の狙い以上のものにする為には、たった一行の台詞、たった数行の文章にも、多くの労力を費やしました。しかし、それにしても二年半とは・・・。別に時間をお掛ければいいというものではありませんが、とにかく膨大な時間が掛かりました。勿論、僕にもいろいろと仕事があり、それのみに専念出来た日は週に三日ほどしかなく、この二年半、一日も休みがない状態でした。一進一退を繰り返す作業に、時には己の非才を嘆いたことさえありましたが、それでも最後まで直したところでまた頭から何度も手を入れ、漸く完成に漕ぎ着けました。発案してから十年、ものを書くとことは孤独な戦いですが、その分、充実感も得られたのです。その作品がどんな結果を生み出すか、それはまだ未知数ですが、今は差し詰め「楽観はせず、希望は捨てず」といった心境ですね。

 さて、本題に戻りますが、僕は三年ほど独学でシナリオを勉強し、城戸賞を獲得、二十三歳でプロになりましたが、正式に学びたいと考えている人たちには『日本脚本家連盟』が主催する脚本家教室の門を叩いて欲しいと思います。僕も三十年以上前から講義を持っていますが、現在は若手脚本家を中心にした講師陣で、半年の本科の後は研修科、といった具合に、充実したプログラムを誇っています。
 それはそれとして、僕の塾はそちらの脚本家教室とは関係なく、月に一回しか時間が取れない人たちの要望を受けて八年ほど前から始めたのですが、諸事情によって一年半ほど前に取り止め、それを契機に、それまで長年やっていた月に二回のゼミに統合しました。この間、幾つかの問い合わせによって変則的な指導もしました。塾に参加した後、「先生の御宅の近くまで伺いますから、月に一回、一対一の個人指導をお願いします」と懇願された女性もいましたし、通信教育を受けた生徒さんの中には、暫く通信教育を受けた上で、上京を決意し、現在は直接指導を受けている青年もいたりします。

 まあ、当然いろんな生徒さんがいるわけですが、折角ですから、ここでは或る主婦の生徒さんの具体的な例を紹介しましょう。彼女は塾に参加して二本ほど自分の好きな題材の長編シナリオを書き上げた後、「今度はサスペンスものを書いてみたいのですが、何を書いていいのか判りません」と言うので、僕が以前から温めていた或るアイディアを、ひとつのヒントして提供しました。所謂二時間ドラマ的なサスペンスは新人賞には相応しくないので、松本清張先生の短編にあるような文芸的なものを提案したのですが、彼女は月に一回の塾で毎回原稿を提出し、一年掛けてストーリーを直し、漸く僕が許可を出した時点からシナリオに取り掛かりました。それもまた一年以上掛けて直しに直し、何とか完成に至りました。ストリーにしてもシナリオにしても駄目出しの連続で、最初は原稿が真っ赤になるほど朱を入れたのですが、徐々にそれも少なくなっていき、最後は殆ど朱を入れなくても済む状態になりました。当初は平均的な文章力しかなかった人でしたが、稀に見る頑張り屋さんでした。僕がどんなに厳しい注文を出しても一歩も退かず、呆れるくらい熱心に取り組んだ結果、最初こそ僕のアイディアから始まったそれも、最後は立派に彼女自身の作品に仕上がりました。そして、その作品は何と城戸賞の最終審査に残りました。晴れて正賞を獲得出来なかったのは残念ですが、それでも初めての成果に本人は大満足でしたし、僕も自分の指導に強い確信を持ちました。

 僕が城戸賞を取ったのは第三回でしたが、その前年、佳作入賞の女性が二人おられ、その時、僕は最終審査の八本に残った選外佳作でした。つまり、僕は二年掛かりで城戸賞の正賞を取ったのです。審査委員長の故、新藤兼人先生が「この若い作者はきっと沢山の映画を観ているのだろう。ガッチリした構成は、だから自然と身に付いているのだ」というような主旨の賛辞を贈ってくれましたが、古今東西の映画を観ることが勉強になったのは間違いありません。また、授賞式の時のことですが、審査員の或る先生からは、「私は今年の受賞作より去年の選外佳作になった作品の方が好きだよ」と、温かい声を掛けてもらいました。今では懐かしい思い出です。
  そう言えば、その式典には脚本功労賞を受賞された橋本忍先生もいらっしゃいました。構成を勉強するなら、橋本先生の作品を観ることです。僕などが言うまでもなく、橋本先生は構成の神様です。それはともかく、件の生徒さんは最終選考に残ったことで自信を持ったのか、売れっ子脚本家の事務所に誘われ、危うさも知らずに塾を去りましたが、いい素材を得て(実はこれが一番大事です)一心不乱の努力を尽くせば、誰でも一応の成果は得られるのです。とにかく、いろんな人がいます。今もずっと続けている人もいれば、自分の限界を感じて途中で辞めていく人もいます。その中には僕が非常に買っていた人までいたのは残念ですが、その昔、僕が才能を見込み、プロの仕事を手伝わせてみた人は、その後見事に新人賞を獲得し、現在はプロとなってテレビで活躍しています。嘆かわしいことに、彼は自分が困った時にしか電話をして来ませんが(笑)。
  それから、この際ですから言っておきますと、すでに書いてある脚本を新人賞に応募したいから添削してほしいという問い合わせも時々ありましたが、そういうのは断固としてお断りしています。僕は新人賞獲得の請負人ではありません。あくまでストーリー作りの段階から積み上げてシナリオを勉強してほしいのです。その結果として新人賞に応募し、一緒に吉報を待ちたいというのが僕の希望ですから、その辺はくれぐれも誤解のないようお願いします。

   それにしても、新人賞を獲得することはプロへの第一歩ですね。僕もいろいろな新人賞の一次選考や最終審査をやっていますが、面白い作品は十本のうち二本か三本あればマシな方で、その殆どが読むに耐えない代物ばかりです。基本的に書き方を習得していない作品とか誤字脱字だらけの作品などは論外ですが、こんな素材では絶対に一次審査も通らないというものだったり、発想はそれなりに面白いのに、悲しいかな、料理の仕方が間違っていたり、等々・・・。ストーリー作りの段階できちんとしたアドバイスを受けていたら、もっと良くなっていたのではないか。そう思うこともしばしばです。ついでに言えば、最終審査に出席して憂鬱なのは、自分が推した上位三本が三本とも残ることは稀であり、そのうちの二本は自分が推した作品でも、残りの一本は自分が嫌いな作品だったり、断じて認めたくない作品だったりすることです。複数の審査員で選ぶ以上、それは仕方のないことですが、これは僕だけに限らず他の審査員の先生方も同じように感慨を抱くようですね。まあ、全員一致なんてそれこそ没個性で、却って気持ち悪いかも知れませんが・・・。こんな事例もありました。或るテレビ局のプロデューサーが最終審査の席上、「俺はこんな暗い作品は嫌いだけど、ここまで丁寧に描かれていたら受賞作として推すしかないよ」と仰有ったのです。確かに暗く、重い作品でしたが、僕はそれを読んで感動のあまり涙を流し、その作品を文句なく一位に推していたので、彼の言葉はとても嬉しく思いました。賞も所詮、最後は好き嫌いで選ぶのかも知れませんが、どんなに自分の趣味に合わない作品であっても、認めざるを得ないだけの圧倒的な筆力がその作品にはあったのです。シナリオ作家を志す皆さんは、そんな作品を書いてほしいと思います。心の籠った作品。綺麗事でなく、人間の真の姿に迫った作品を書けば、何処かにきっとそれを認めてくれる人たちがいるはずです。



 さて、いよいよ最後になりますが、僕の塾は月に隔週二回、月曜日の夜、都心の六本木でやっていますが、半年で五万円(税込)という授業料が安いか高いか、それを決めるのはあなた・・・、生徒さん自身です。嘗て何年か教えた或る女性は「自分は才能がなかったので満足なものは書けなかったけれど、シナリオを通じて『人間』を教わった御蔭で、職場での人間関係がうまくいくようになりました」と感謝してくれました。シナリオを勉強してもプロになれる人は限られています。それでも、シナリオを学ぶことで、生きていく上で役立つ何かを掴めたら、それはそれで価値があるんではないかと思います。いずれにしても、シナリオを志す人は小説やノンフィクションを読むのは勿論ですが、とにかく浴びるほど映画を観ることです。僕が若くして城戸賞を獲得出来たのは、新藤先生が仰有った通り、映画が大好きで、それまで数多くの映画を観ていたからでしょう。ここ十年の僕の好きな作品は、『グラン・トリノ』や『トゥルー・グリット』、韓国映画の『サニー』や『マイウェイ』や『トガニ』などですが、『おみおくりの作法』という地味な欧州の作品でラストで嗚咽してしまいました。思わぬ拾い物というやつですね。

 最近の日本映画なら、『予告犯』とか『日本で一番悪い奴ら』とか『さよなら歌舞伎町』といった硬派な作品が印象に残っています。コミックが原作の青春映画も観るように努めていますが、その時は涙が零れても、三日もすれば題名も忘れてしまいます。それに引き替え、台湾映画の『あの頃、君を追いかけた』は忘れられません。しかし、『くちびるに歌を』とか『うた魂♪』といった、洋画の『ボーイ・ソプラノ』よりも可愛らしい、合唱部をテーマにした青春映画もあることですし、日本映画も捨てたものではありませんね。

 そうだ。ここまで書いてきて、ふと思い出したことがあります。若い頃一度だけ、今は亡き笠原和夫先生と酒席をご一緒する幸運に恵まれました。前述した前年の城戸賞佳作入選の女性のひとりが笠原先生と親交があり、その御縁を得て三人でお酒を飲んだのです。笠原先生と言えば『総長賭博』、『仁義なき戦い』、『二百三高地』、『やくざの墓場』等、数々の名作で知られる脚本界の大御所です。そんな笠原先生が意外なことに、「私の残り時間には限りがある。私がこれまで集めた資料を君に提供するから、私が書こうと思っていた作品を代わりにかいてみないか」と仰有って下さったのです。僕がまだ新人の頃のことで、畏れ多い笠原先生のご希望に添える自信は到底あるはずもなく、そのお話は丁寧に辞退したのですが、僕自身がその頃の笠原先生の年齢を越えると、誰かに自分の思いを託したいという先生のお気持ちは、痛いほど判る気がするのです。僕は二十代で最初の妻と離婚し、四十歳を前に再婚した二人目の妻には半年ほど前に先立たれました。幸か不幸か、子供もいません。だからでしょうか、誰かに僕の才能とか技術を受け継いでほしいと願う気持ちがあり、それは年々歳々強くなっていくようです。

 これはつい最近の例ですが、何をかいていいか迷っていた僕の弟分のような生徒に、ひとつヒントをあげました。彼は高校野球をやっていたり、ボクシングの経験もあったので、僕自身が書こうと思っていた、親友を死なせてしまったボクサーの話をしたのです。自分の残り時間を考えた時、是が非でも僕自身の手で書き上げたい作品と、それを書くに相応しい誰かに託したい作品とがあり・・・。彼は早速ストーリーをまとめてきましたが、出来は散々でした。何よりも死の痛みが全く描かれていないのが致命的な欠陥でした。そこで、スト―リーを創る上での構成をアドバイスすると共に、半年ほど前、妻が亡くなった時、僕がどんな行動を取ったか話して聞かせました。僕には今以てつらい話なのですが、理屈ではなく、大事な人を失った時の悲痛な心情を理解してほしかったのです。彼は僕の思いを受け止め、新たなストーリーを書いてきました。そして、僕はそれを読んで少なからず感動しました。僕が提案した構成がうまくいったのは当然としても、僕のつらい体験も活かしてくれ、親友を失った男の哀しみが切実に表現されていたからです。勿論、細部にはまだ問題があるので、それはこれから更に直していかなければなりませんが、きっと良い作品に仕上がると期待しています。そして、それが彼の夢に繋がればいい、と思っています。

 まあ、あれやこれや取り留めのないことを書き連ねてきましたが、O君、どうです? これくらいでいいですか? なんてね(笑)。

 時代はどんどん変化し、新しい才能が次々と登場していきますが、敬愛する山田太一先生の台詞にもあるように「お前ら、骨の髄までありきたりだ!」などと言われないようにしなければいけません。聡明な人なら、僕の教え方は理解出来たことと思います。興味を持った人はノックしてみて下さい。僕は何よりも映画好きな人、本気でものを書いてみたい人。或いは、書きたい気持ちはあっても何を書くべきか迷っている人を待っています。人数は少ないですが、いい仲間たちにも出会えると思います。それではまたいずれ・・・。


脚本家    中岡 京平                    

丁寧で判りやすい指導
 
2017.11 六本木塾生を若干名募集。多くのシナリオコンクール受賞者を輩出中!ぜひ、ご参加ください

2017. 8    六本木ライターズスクール夏期講習。恒例、扇澤延男先生とレッスン会

2016.11    塾生のひとりが、城戸賞の最終選考を通過しました!※受賞はできませんでしたが、次ページ「生徒の声」参照。
        
2014.11   塾生のひとりが、城戸賞の2次選考を通過しました!

2012. 9    29/長野県飯田市での映画「帰らざる日々」のスペシャルイベントに参加<詳細は《飯田ウェーブ》サイトへ>

2011.3    月刊『シナリオ 4月号』菊島隆三賞の選考委員として登場、選評掲載
                             
2009.12 月刊『ドラマ 2010年1月号』最新エッセイ『書きたいものを書く』掲載

2009.11    月刊『ドラマ 2009年12月号』創作テレビドラマ大賞審査座談会掲載

2008/01  シナリオ塾開校!生徒募集開始



☆以下、追記(2011年5月)↓

皆さん、お元気ですか?中岡京平です。
夕方に始まる授業から深夜に至る飲み会まで、真剣で、楽しく、そして充実した時間を過ごしています。

地方から新幹線に乗って、泊り掛けで通ってくれている元気な主婦もいます。過去に受賞歴がありながら、もっと勉強しなくてはいけないという思いから参加してくれた青年もいれば、劇画原作の経験があるものの、基本からシナリオを、そしてドラマを学びたいと言って参加してくれた、なかなかチャーミングな女性もいます。
その他にも、直接塾には通えなくなった為、暫くは通信教育に切り替えて勉強を続けたいという、頑張り屋の中年男性もいます。皆さん、それぞれ個性豊かな人たちですが、お互いライバルでありながらもー、いや、だからこそ認め合い、塾の雰囲気は和気藹々としています。そして、僕が何より嬉しく思うのは、生徒の誰もが、自分の筆力が上がったことを実感してくれていることです。

僕は、生徒の原稿に細かく「アカ」を入れ(誤字脱字のチェックまでするのは正直言って、かなりつらいデスが・・・)、更に具体的なアイディアをどんどん出します。それを生徒の皆さんが真摯に受け止め熱心に応えてくれるからです。-そうです。
生徒たち全員が「直し」の重要性を強く認識してくれた成果だと思います。

飲み会では映画やドラマの話題に花が咲き、生徒同士も自由闊達、意見を言い合い、時にはアイディアを提供し合ったり・・・・・・。
そんな時は僕も思わず笑みが漏れ、更に一層、お酒が美味しくなります。

生徒のひとりには、映画やテレビ等で主役を演じる若手俳優の所属する事務所の人もいます。彼は仕事柄多忙で、なかなかシナリオを書くまでには至らないのですが、それでも「台本」を読み込む精度が確実に上がり、仕事に大いに役立っていると感謝してくれます。

どんな形であれ、塾に通って本当に良かったと言ってもらえると、僕も教え甲斐があるというものです。愛すべき生徒の中から、たしかなプロが誕生する・・・。それが今の、僕の夢のひとつでしょうか。

そう、実は僕も新たな夢に向かって頑張っている処です。だから、内心では生徒たちとも切磋琢磨し、競争している気分なのですね。
いま、この国は大きな転換期を迎えていると思いますが、こんか時代にどんな作品を書けばいいのか、いや、書かなくてはいけないのか、答えは簡単にはでないでしょう。
しかし、『書きたいものを書く』というのが物書きを目指す人間の原点だーと、僕は思います。

こんな中岡塾ですが、あと数名、受け入れ可能ですので、明るく元気で、映画やドラマが大好きな人、お待ちしています。

↓【必見!実際の生徒への添削原稿】※拡大できます。
かなり細かいですよ!

                    

《中岡京平 プロフィール》

1954年福岡県生まれ。三歳の時、長野県飯田市へ。
高校卒業後上京。アルバイトの傍ら、独学でシナリオを習得。
1977年、第3回城戸賞を『夏の栄光』で受賞。
翌年『帰らざる日々』と改題、藤田敏八監督で映画化。前年に始まった、第2回日本アカデミー賞では最優秀脚本賞ノミネート(なんと23歳という、最年少!)
京都映画祭では脚本賞受賞。

以後30年以上、映画、テレビを中心に第一線で活躍。

現在、日本脚本家連盟ライターズスクール/脚本家教室本科、研修科講師(通信教育担当部長・連盟理事)、
日本映画学校/映像科脚本演出コース(ゲスト講師)


【主な映画作品】(敬称略)

「残照」(1978年、東宝、河崎義祐監督。出演:三浦友和、原田美枝子、司葉子、小林佳樹)
「帰らざる日々」(1978年、日活、藤田敏八監督。
出演:永島敏行、江藤潤、浅野真弓、竹田かほり、中村敦夫)
「九月の空」 (1978年、松竹、山根成之監督。 高橋三千綱原作。出演:坂東正之助、石野真子、古尾谷雅人、長門裕之)
「不良少年」 (1980年、東映、後藤幸一監督。 
出演:金田賢一、熊谷美由紀、梅宮辰夫、長門裕之)
「夜明けのランナー」(1983年、東宝 、中岡京平原作脚本監督。出演:渡辺徹、三池真理子、広岡瞬、加賀まりこ、勝野洋)
「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」 (1985年、ヴァンヒル、恩地日出夫監督。出演:桃井かおり、石橋蓮司)
「チェッカーズ SONG FOR U.S.A.」(1986年、東宝、斎藤光正監督。出演:チェッカーズ、浅野温子)
「螢川」 (1987年、松竹、監督:須川栄三。宮本輝原作。出演:三國連太郎、十朱幸代、川谷拓三、奈良岡朋子)
「この胸のときめきを」(1988年、ケントス、和泉聖治監督。出演:畠田理恵、哀川翔、宇崎竜童、田中邦衛)
「座頭市」 (1989年、松竹、勝プロ、三倶、勝新太郎監督。出演:勝新太郎、緒形拳、陣内孝則、内田裕也、樋口可南子)
「人間の砂漠」 (1990年、キネマ東京他、斎藤耕一監督。出演:加納みゆき、永島暎子、市原悦子、奈良岡朋子、植木等)
「風の歌が聴きたい」 (1998年、PSC他、大林宣彦監督。出演:天宮良、中江有里、勝野洋、石橋蓮司、岸部一徳)
「不良少年の夢」(2005年、アマネスキネマ東京、花堂純次監督、義家弘介原作。出演:松山ケンイチ、真野響子、田中健)
他、多数。

【主なテレビ作品】
「ある誘拐 裁かれた刑事」(1978年、土曜ワイド劇場、須川栄三監督。
出演:藤岡弘、酒井和歌子、伴淳三郎)
「五月の街」(1980年、東芝日曜劇場。主演:山田五十鈴)
「遺書を送った女」(1983年、火曜サスペンス劇場、恩地日出夫監督。主演:桃井かおり)
「帰郷 妻が消えた」(1984年、火曜サスペンス劇場、恩地日出夫監督。主演:山崎努)
「ハーフポテトな俺たち」(1985年10/9~12/25、日本テレビ連続ドラマ。
主演:中山秀征。主題歌、レベッカ)
「ハウスマヌカン故郷に帰る」(1987年 金曜女のドラマスペシャル、和泉聖治監督。出演:桃井かおり、小林聡美)
「六本木ダンディー おみやさん」(1987年10/9~12/25、テレビ朝日連続ドラマ。出演:緒形拳、小林稔侍)
「美しい嘘つけますか」(1990年6/14~7/12、木曜ドラマ。出演:小野寺昭、手塚理美、乙羽信子、植木等)
「刑事追う!(最終回)」 (1996年4/8~8/9、テレビ東京連続ドラマ、
市川崑監督。主演:役所広司)
「鑑定人 神崎竜治」シリーズ(フジテレビ。主演:山崎努)
「女検事 霞夕子」シリーズ(日本テレビ。主演:鷲尾いさ子)
「女検視官 江夏冬子」シリーズ(TBS。主演:萬田久子)
「検事 沢木正夫」シリーズ(TBS。主演:榎本孝明)
「さすらい署長 風間昭平」シリーズ(TX。主演:北大路欣也)
「芸者小春姐さん奮闘記」シリーズ(TX。主演:十朱幸代)
「松本清張特別企画 ガラスの城」 (2001年、女と愛とミステリー、関本郁夫監督。主演:岸本加世子)
「松本清張特別企画 渡された場面」(2005年、水曜ミステリー9、杉村六郎監督。主演:三浦友和)
「となりのクレーマー」 (2008年、CX、新春スペシャルドラマ、小田切正明監督。出演:筧利夫、石橋蓮司)
他、多数