6.全共闘 自治会 ノンセクト

1.全共闘 等全学闘争組織


・日本大学全学共闘会議

【名称】理工学部闘争委員会

【ヘルメット】白地に赤の縦線「理工」、「全共闘」、「日大」など。

1968.09.12 日大全共闘 投石準備


【名称】芸術学部闘争委員会

【ヘルメット】白または黒地に「芸」。

1968.09.12日大全共闘 激しい投石で苦戦


・東大闘争全学共闘会議

【名称】法学部闘争委員会

【ヘルメット】白地に「法斗委」。



・東京大学全学闘争連合

 【ヘルメット】色不明地に「全闘連」。

 東京大学大学院生の組織。



・法政大学全学共闘会議

 【ヘルメット】黒無地。

1977.08.23 狭山闘争警備  戦旗、法大全共闘等が部隊に旗竿で激しく突きかかり、戦旗2名、法大全共闘2名、計4名を公妨で検挙

法大全共闘は翌’78年7月10日の中核派全学連部隊との衝突で敗北し消滅。 


・同志社大学全学闘争委員会

 【ヘルメット】赤地に「全学闘」。

https://sites.google.com/site/nagato0326/zenkyoto_home/IMG0002_0034.jpg
年代不明。おそらく'70年代初頭。管理人所蔵の生写真より。

 ’60年代後半の同志社大学に於いてはブントの影響が大きく、その影響下で自治会・サークル・寮などの諸戦線が学費闘争などの闘争を闘っていた。同志社大学全学闘争委員会は'69年に各学部共闘・闘争委員会の連合体として、コンミューン型の組織として結成された。この結成により、同志社学内の闘争組織は全学自治会としての学友会―六学部自治会―全学闘という組織構成を持つに至った。結成当初の全学闘は、ブントの影響下にあったこともあり、学内の闘争委員会としての側面の他に、学生戦線に党を組織するという面も暗黙の了解として有していたという。
 全学闘は結成されるや否やバリケード闘争に突入し、全学バリストにまで至ったが敗北し、同時期のブント党内闘争の激化と赤軍派の登場で解体し、同志社学生運動も低迷した。
 しかし、'70年8月には赤軍派の影響下で「全学闘」は同志社に於ける全共闘型大衆闘争委員会として再建され、'71年春に赤軍派が全面的に召還する中で自立(=ノンセクト化という意味でとって間違いないだろう。)した。
 全学闘が壊滅状態にあったその間も、寮やサークルといった諸戦線の活動は続いており、特に寮では'62年以来7年続いた闘争が結実し「寮自治・自主管理・舎費・水光熱費不払」の成果を克ち取るなど成果を上げていた。
 ノンセクト化した全学闘は、主に学費闘争のために全共闘型の大衆闘争委員会として再建された(但し'72年に敗北。)ものの、一方でやはり「党派的組織」としての側面を有し、「BUND系ノンセクト」の政治組織として沖縄や三里塚の課題についての政治闘争を展開した。
 '72年の学費闘争敗北以降は現中研との対立の中で物理的勝利を収めるも、'74年対当局闘争を実質的に放棄しながら'75年に至って対当局闘争の敗北に関する総括を行って全学的な反発を受け、'77年5月19日の全学学生大会の流会に伴って全学闘と全学闘と一体であった学友会執行部が放逐された。
 以上のような歴史に対する考え方は、後の学友会の主張に基づくもので、一方的なものであることに注意されたい。


2.大学自治会 寮自治会

全日本学生自治会総連合

[民青系、中核派系、革マル派系、解放派系(後更に現代社派系と赤砦社派系)]


・京都大学熊野寮自治会

 【ヘルメット】白または黒地に「熊野」。

 白は中核派、黒はノンセクト系を表す。

2002.05.26 5・26全国総決起闘争(中核派『コミューン』通巻319号)

京大熊野寮ヘルメット‎‎‎(京大哲研公式アカウント様提供)‎‎‎



・東北大学日就寮自治会

 【ヘルメット】白または黒地に「日就」。

 熊野寮と同じく黒はノンセクト系を表す。
 中核派HPの過去の写真速報にて散見。



・大阪市立大学志全寮自治会

 【ヘルメット】白地に「大阪市大」。

 中核派HPの過去の写真速報にて散見。


・明治大学一部全学自治会 学生会

 【ヘルメット】青地に「学生会」。

 革労協が明治大学の自治会を掌握後使用。現在も赤砦社派が使用。


1998年 第48回和泉祭 31頁 5.22狭山中央闘争を闘う明大糾弾共闘の学友たち

・明治大学二部全学自治会 学苑会

 【ヘルメット】青地に「学苑会」。

 革労協が明治大学の自治会を掌握後使用。現在も赤砦社派が使用。


3.ノンセクト・ラジカル

・中央大学 共産主義研究会(反安保‐立川闘争中大実行委員会等の名義で大衆闘争参加か)

 【ヘルメット】赤地に「C」。

1982.02.28 二・二八立川基地解体闘争、青ヘル先頭に立つ! 宗派グループの敵対許さず闘いぬく!(『プロレタリア革命』第9号 1982.04.01付 5頁)

1981.07.05 7・5立川闘争に断固決起(『プロレタリア革命』第2号 1981.08.01付 5頁)

共産主義者同盟旧統一派('68.03~'70.06)も参照。


・日本大学全文理連絡会議

 【ヘルメット】銀無地、後部に「文理」。

1983.04.29 日大銀ヘル先頭に明大駿河台校舎から日大本部へ向けてデモ 「日帝の戦争準備と対決せよ!安保・改憲・天皇攻撃粉砕!」をメイン・スローガンに61大学、97団体、750名が結集 (『北西風が党を鍛える』第二部より)



・神奈川大学4・20集会実行委員会

 【ヘルメット】黒地に「4・20実」。

無題 (『プロレタリア革命』第5号 1981.12.01付 13頁)

1981.06.15 宗派グループの弱々しい敵対を粉砕し、宮本公園に登場 ( 『プロレタリア革命』第4号 1981.10.15付 26頁)

1981.12.11 12・11神大解放闘争勝利労学連帯集会(『プロレタリア革命』第6号 1982.01.01付 77頁)


・京都大学哲学研究会

 【ヘルメット】黒地に「哲研」。


4.その他

・赤衛軍

 【ヘルメット】赤地に「赤衛軍」。

 1971年8月22日、埼玉県朝霞駐屯地にて営内パトロール中の自衛隊員1名を刺殺。現場にヘルメットと旗を遺留。組織実態はほとんどなかったものとみられる。
『連合赤軍・"狼"たちの時代―1969-1975』 166頁に写真有り。

・大学立法粉砕全国連絡協議会
 【ヘルメット】色不明地に「全協」。


 池田大作会長が'69年5月3日の総会で発言した内容を発端とする。
 「もしも、このまま学生運動が混乱のなかに、いつまでも悪循環をくりかえしてゆくならば、やがては健全な学生運動発展のため、日本の将来のために〝第三の道〟を考えることも必要ではないか。慎重に学生部の諸君に検討していただきます。」
 創価学会学生部は総数27万人を誇り全国の学生の七分の一を占める巨大組織であったが、この発言までは組織的な学生運動を行っていなかった。〝第三の道〟の方針から、「佐藤内閣打倒」「大学立法粉砕」を掲げて、1969年6月26日結成された。
 「大学立法」の成立に伴い、 「新学生同盟」へと発展する。

・新学生同盟
 【ヘルメット】白地に「新学同」。


 ’69年10月19日全協が発展的解消する形で新設された。拠点校として上智大学等。しかしながらいつごろまでに活動を停止したのかは不明。
 ヘルメットをかぶっているものの、街頭実力闘争のためではなく、当時の学生のファッション的なものであろう。集会の写真を見ても被っていない者も大勢見受けられる。
 '15年8月現在の国土交通大臣で公明党前代表の太田昭宏氏は新学同結成時には京都大学2年生で、新学同副議長であり、地方組織である関西新学同議長であった。