革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)

1.基本情報

【名称】革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)
【結成】1969年9月
【機関紙】『解放』<社青同全国学生班協議会解放派機関紙『革命』改題>
規約】外部Link革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)結成宣言・暫定規約・テーゼ<一点突破・全面展開(『解放の通信』の重要論文集としての位置づけらしい) 内>


 革労協の説明というのは個人的には非常に難しいものだと感じている。そもそも正式名称は革労協の規約によれば上記の通りであって、現在の現代社派機関紙にも同じように記載されている。しかしながら革労協と社会党と社青同との関わりがいまいち解らない。というかわかる人は当然居るけど、そういった人達がわかりやすくネット上とかに書いてくれないというのが正しい。現にこういった話題が幾度革労協スレで話題になったことか。
 本HPでは極めて単純な構造、即ち政治組織-労働者組織-学生組織(‐高校生組織)という構図に便宜上当てはめて記載している。しかしそういうことで説明しつくせるものではない。

 さて不勉強ながら資料を見ながら革労協とは何か書いてみる。
 そもそも革労協とは、〝社民の内部から革命的潮流の徹底的純化を目ざす然たる(原文ママ)組織内分派〟
(機関紙『解放』40号(改題1)号1969.10.01付所収 「革命的労働者人民は革労協に結集せよ!」革労協(社会党・社青同解放派)議長吉田信弘より)である。

更に換言すれば、〝社会党の中の革命的労働者の分派組織〟(
機関紙『解放』号外(討論資料 社会党都本部・全国大会緊急特集号)1970.04.10付所収 「日本社会党の歴史的転換にあたり全党員労働者諸君に訴える」より)である。
 社会党“内”の分派故に〝四月社会党大会に決起せよ!〟と言うのである。
 そして同時点での社青同東京地本(
「九・三事件」により事実上独立)も好んで独立しているわけではないという立場をとっており、〝社青同東京地本は六六年九月に分裂攻撃を受け、同盟全国との公式の関係を一方的に遮断されて以後も、「統一」の努力を重ねてきた。この努力をおしつぶす本部の提案を満身の怒りをもって弾ガイする。〟(社青同東京地本 地本・反戦・革労協パージに抗し、全国同盟に「社青同各県連絡協」(仮称)結成を呼びかけ」より)としている。

 つまり、革労協は社会党員によって構成される社会党内の分派闘争組織であり、
反帝学評はその分派闘争組織の学生組織である。そして分派闘争組織の労働者組織は社青同(内)解放派である。(但し、時代が下ると「反帝労評」なる単語が極一時期機関紙に登場するので、社青同は厳密な意味では労働者組織とは言えない。社青同に学生班協議会があることも合わせて考えると、革労協‐社青同‐反帝労評‐反戦青年委などの関係は図解するならばベン図になろう。但し革労協が最上級組織であることは想像に難くない。)この場合革労協の構成員であり、同時に社青同同盟員である者が存在するだろう(但し、社青同同盟員ではない革労協構成員は居ないように思う)
 つまり革労協とは、社会党内の解放派と、社青同内の解放派が構成する組織であって、
そして後に社会党から解放派が独立してからは、それらの上部組織として革労協が位置付けられたと考えられる。これが、現在もなお現代社派が名乗り続ける正式名称「革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)」の意味であろうと考えられる。


 さて社青同から革労協がパージされた第十回大会の後、解放派は独自に社青同を再建する。解放派にとって協会向坂派が開いた第十回大会はデッチ上げであり、到底承服できないものとして、社青同第十回再建全国大会を開催し、「解放派の」社青同を創り上げる。
(私見だが、今一社会党との関係や社青同向坂派等との関係を理解しにくいのは、解放派の再建した社青同までも、パージ前の解放派と同じく「社青同解放派」と通称するからであろう。パージ前の、向坂派などとの共存時代の社青同を構成する解放派を「社青同解放派」、パージされ、社青同を独自に再建した後の解放派のみによって構成される社青同を、「解放派社青同」と通称すればわかりやすいのではないかと思う。≪追記≫我ながら名案だと思って念の為に調べたら、同意義での使用例はそれなりに存在した。参考:Google検索「"解放派社青同"」完全一致)


 機関紙『解放』80号1971.09.01・15合併号掲載の、革命的労働者協会社青同委員会名義の記事「社青同第十回再建全国大会に全国から結集せよ!」がわかりやすいのでそのまま以下に転載する。
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〝全国社青同は、綱領的基調をめぐって混迷におち入り、組織的分解状況に直面して来た。そして七一年二月十二日社民中央派の官僚的権力を背景に向坂派が「全国社青同」をデッチ上げ帝国主義者民の同伴者となり、社青同十年の歴史を汚すに及び、四地本呼びかけの下に全国社青同再建連絡会議が結成され、各地本・支部・同盟員相互の間の戦闘的・革命的交流と運動の統一が公然と開始されて来た。半年経た現在全国社青同再建連絡会議に結集した全ての部分は、六〇年代社青同の歴史的総括を引継ぎつつ、七〇年代社青同の建設に向けて綱領的討論を積重ね、九月十八・十九日の二日間、社青同第十回再建全国大会を開催し、七〇年代社青同の建設を自からの力によってなしとげる決意を表明するに至った。〟

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 社青同第十回再建全国大会は1971.09.18-19の二日間行われ、28県からの結集を勝ち取り、解放派社青同が誕生した。委員長・樋口圭之介(東京)、副委員長・宮口三郎(鳥取)。

1971.09.18-19 執行部の力強い決意表明(
1971.10.01付「解放」第81号より)

なお、解放派社青同機関紙『団結の砦』創刊は1972.02.10なので、この社青同再建を伝えてはいない。参考:社青同第十回再建全国大会「大会宣言」


2.ヘルメット

 革労協、社青同、反帝学評の関係がいまいち判然としないので、位置づけは明らかにしないまま確認できたヘルメットを紹介する。

【名称】日本社会主義青年同盟

【再建】1971年9月18日

【ヘルメット】青地に「社青同」、後部に「プロ統」。

 社青同のヘルメットは転載可能なものがないが、毎日のシリーズ20世紀の記憶『連合赤軍・"狼"たちの時代―1969-1975』154頁右下、’71.04.28大阪梅田の沖縄デーの写真に社青同の隊列が写っている。

【名称】全国反帝学生評議会連合

【結成】1967年12月15日

【ヘルメット】青地に「反帝学評」、後部に「プロ統」。

1970.06.21 6.21中央集会 午前11時 反帝演壇占拠(明治公園)


1970.06.22 木製の楯を構えて機動隊突破を狙う反帝学評


【名称】全国反帝高校生評議会連合

【結成】1970年3月(全国組織結成)

【ヘルメット】青地に「反帝高評」、後部に「プロ統」。

管理人所蔵の生写真。70年前後の三里塚闘争にて。

https://sites.google.com/site/nagato0326/lsy_home/lsy/1971%E5%B9%B4%E3%80%80%E7%AC%AC89%E5%9B%9E%E9%A7%BF%E5%8F%B0%E7%A5%AD%E3%80%8024%E9%A0%81%E3%80%80%E7%84%A1%E9%A1%8C.jpg
1971年 第89回駿台祭パンフレット 24頁 無題

反帝高評のヘルメットは三里塚関係の写真集で良く見かける。

2枚目の写真は明大全共闘OBの方のHP、明大全共闘・学館闘争・文連内の、エピソード 1971年によれば、「1971.6.17デモ隊に降り注ぐ催涙ガス」とのことらしい。




3.実物資料

・社青同解放派機関誌 『解放』№7 1966.09付

・社青同学生班協解放派機関紙 『革命』12号 1968.04.01-15付 (右)
・革労協(社会党・社青同解放派)機関紙『解放』154号1974.12.15付 (左)
『革命』が革労協結成に合わせて通巻第40号で『解放』に改題した。



全国反帝高評連合機関誌『レーテ戦士』創刊号
https://sites.google.com/site/nagato0326/lsy_home/lsy/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%8F%8D%E5%B8%9D%E9%AB%98%E8%A9%95%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%8C%E3%80%8C%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%86%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%80%8D%E5%89%B5%E5%88%8A%E5%8F%B7.jpg


革労協(社会党・社青同解放派)政治機関誌『解放』№5 1974.04付


革労協学生委員会理論機関誌『積載』№2 1976.09付
https://sites.google.com/site/nagato0326/lsy_home/lsy/1976.09%20%E9%9D%A9%E5%8A%B4%E5%8D%94%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E7%90%86%E8%AB%96%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%8C%E3%80%8C%E8%B5%A4%E7%A0%A6%E3%80%8D2%E5%8F%B7.jpg



・社青同中央本部機関紙『団結の砦』 47号
1974.04.25付(1972.02.10創刊)


・社青同中央委員会機関誌『建設者』 №2 1978.03付
https://sites.google.com/site/nagato0326/lsy_home/lsy/1978.03%20%E7%A4%BE%E9%9D%92%E5%90%8C%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%8C%E3%80%8C%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E8%80%85%E3%80%8D2%E5%8F%B7.jpg


・社青同東京地本腕章(遅くとも’70年代前期)


・社青同デモ時“偽装角材”用旗(’70年代前期 キュプラ製)
https://picasaweb.google.com/Arisaka.Front/IglCUD?authkey=Gv1sRgCOuF4IfYkoeTKw#5684368342420034130


・プロレタリア統一戦線ゼッケン(’74年頃) 表・裏
https://picasaweb.google.com/Arisaka.Front/IglCUD?authkey=Gv1sRgCOuF4IfYkoeTKw#5684368289491554674
https://picasaweb.google.com/Arisaka.Front/IglCUD?authkey=Gv1sRgCOuF4IfYkoeTKw#5684368290225345650
一枚の布に頭を通す穴をあけてゼッケンとしている。スローガンは謄写版による印刷。

・解放派防衛隊用プロテクター(’70年代頃)
https://picasaweb.google.com/Arisaka.Front/IglCUD?authkey=Gv1sRgCOuF4IfYkoeTKw#5684368312487039938
https://picasaweb.google.com/Arisaka.Front/IglCUD?authkey=Gv1sRgCOuF4IfYkoeTKw#5684368311425139026

・再現服装(国労中央支部ヤッケベース)
https://picasaweb.google.com/Arisaka.Front/IglCUD?authkey=Gv1sRgCOuF4IfYkoeTKw#5684368366143031506

解放派防衛隊用ヘルメット