共産主義者同盟旧統一派

1.基本情報

【名称】共産主義者同盟[旧統一派]
【結成】1966年9月[’68年3月に旧マル戦派脱退により旧統一派形成]


 二次共産同自体が一次共産同分裂後の諸派が大なり小なり集まってできた組織であり、指導部の人事もそれぞれの諸派の力関係が働いていた。共産同各派の中で最も一般の知名度は高いであろう赤軍派も、元々はそうした諸派の中から生まれたフラクションであった。赤軍派の離脱後はこういったフラクション間の対立が鮮明化し、叛旗派、情況派の分裂に始まり、鉄の戦線派、神奈川左派、烽火派など、各フラクションが独自に機関誌を結集軸にして党内論争を始め、組織はガタガタになっていった。
 赤軍派の公然登場の舞台となった’69年9月5日の全国全共闘結成大会で赤軍派は数において三倍の共産同中央派を打ち破ったというが、赤軍派機関紙『赤軍』創刊号において赤軍派は、共産同中央派を連合派とも呼んでいる。赤軍派離脱前後の段階で当時の関係者からしても旧統一派は一枚岩ではなかったということであろう。


2.ヘルメット

学生組織

【名称】社会主義学生同盟

【ヘルメット】赤地に「社学同」。

1968.06.21 明大前通りのバリケード構築【ASPAC粉砕神田カルチェ・ラタン闘争】

1968.10.21 警備部隊の検挙活動 【防衛庁突入闘争】

1968.10.21 防衛庁正門を破壊する暴力集団【防衛庁突入闘争】

1968.10.21 午後10時30分ごろ、六本木交叉点で、被疑者護送帰りの護送車を襲う暴力集団【防衛庁突入闘争】

1969.01.18  医学部屋上から投石 機動隊員の頭上へ【東大安田講堂事件】


 社学同のこの頃の闘争で印象的なのは’68年10.21国際反戦デーの際防衛庁突入闘争ではないだろうか。所謂「丸太担いで防衛庁」である。興味深いのは防衛庁突入闘争の写真で「赤地に『C』」のヘルメットが見えることである。後年の中大ノンセクト通称「赤C」のヘルメットに酷似している。中大ノンセクトの赤Cは、二次共産同分裂後の叛旗派の影響下にあった中大新聞会などの潮流のブントがノンセクト化したものであるという。そもそも叛旗派は中大独立社学同の系譜に属するのであるから、この「赤地に『C』」のヘルメットは中大(大学の紋章が「C」)の社学同に独自の物なものだったのかもしれない。
 当時の明大の活動家に聞いたところによれば、この
「赤地に『C』」のヘルメットは中大全中闘(中央大学全学中央闘争委員会=中央大学の全共闘)のヘルメットとのことである。
 なお社学同が反帝全学連を形成していた時期には赤ヘルの「全学連」が存在した。

高校生組織

【名称】高校生安保闘争委員会

【ヘルメット】赤地に「高安闘委」。

社学同には高校生員会が設置されており、その指導下にシンパ層も含めてあったのが高安闘委であろうと思われる。写真は佐々木美智子,『あの時代に恋した私の記録 日大全共闘』114頁を参照。


3.実物資料

・社会主義学生同盟機関紙『理論戦線』9号表紙 1970年