小学校から予備校まで
1980年代から90年代の話
難聴の発覚
私の難聴の発覚は、小学校入学後、と遅い。最初の保護者面談で、担任教師から母親に聴覚検査を受けるように勧められた。私に思い当たるのは、小学校1年の国語の授業で「卒園式」という単語が誰にも通じなかったこと。それまで私の難聴に周囲が気づかなかったのは、第一に私が末っ子であり、多少舌足らずの発音でも気に留められなかったこと、第二に私はぼーっとしている子だと思われていたこと、第三に「アイスよ」と呼ぶと飛んでくるものだから、まさか耳が悪いとは思わなかったらしい。
私の難聴の原因は、大学病院でのあらゆる検査の結果、不明とされた。したがって、私はこの頃から、世の中には説明のつかないこともあるのだ、と身をもって体験していた。進行性の感音性難聴と診断された私は、定期的に病院に検査に通うことになり、小学校低学年から補聴器を両耳につけてきた。
障害の原因が不明ということは、複雑なものがある、ようだ。よく幼い頃の高熱が原因で難聴になった、という話を聞く。ただでさえ育児は自責の念にとらわれるものなのに、さぞかし親御さんはそういった話は苦痛だろう、と思った。しかし、高熱が原因で、とあえて言うのは、この障害は遺伝じゃないのよ、という強調しておきたい言外の意味があることに気づいた。そういえば、知り合いの脳性麻痺の方も、出産時の事故だ、と強調していた。ということは、私は能天気に原因不明の難聴なんて言っていいのか、でも不明なものは不明だし。それに不明ってかっこいいじゃんとお気楽に思っている。
現代でもいまだに、障害者の婚姻は難しい面を見せることがある。ただでさえ、難しい婚姻をこじらせたくなく、遺伝の可能性を排除しておくのだろう。私自身、障害があるものの、難聴が結婚の障害となる、という話は、どこかイナカの保守的な地域の他人事の話だと思っていた。しかしながら、障害を受け入れられないという人々はまだいることを友人の体験から聞き、そして自分でも体験した。頭では分かっていても、どうしても受け入れられない、という感情は分からないでもない。
小学校では(1980年代、首都圏と九州)
普通学校から難聴学級に通う
普通学校に通い、週に1時間か2時間、難聴学級のある別の小学校に通った。抜け出す授業は、似たような内容ということで国語の時間をあてた。普通学校の友だちにしてみれば、私は週1回、2時間目から入ってきて、週1回、昼休みに帰ってしまうクラスメートだった。目立っていたに違いないが慣れてしまう。
ことばの教室
私は家族の仕事の関係で引越をしているので3つの普通学校と3つの難聴学級に通った経験がある(合計6つの小学校!)。どこの難聴学級(ことばの教室)でも、マンツーマンで行われる。学ぶことは先生や学校によって異なったが、言葉を多く取り入れることを意識的におこなう。例えば、遊びならカルタや百人一首、俳句や短歌の音読、日記を書いてくること、など。ストローで呼吸の訓練もしたが、意味なかったような気がする。
「ことばの教室」で、私は俳句や百人一首に親しんだ以上の効果を得なかった。つまり、最初から最後まで、ついに「サ行」の発音はできず(「シャ」になっている?)、「ツ」は言えないままに終わった。小学校1年から5年まで通ったが、6年になって通うのをやめた。
集団での学習
「集団学習」といって難聴学級に通ってくる児童全部を集めたグループ学習の時間をもうけている学校もあった。私がここで学んだことは、障害者は自分だけではないということ、自分より軽そうな人もいれば、重い人もいた。多くの普通学校に通う聴覚障害児童が、周囲に自分と同じ障害の友人知人を得ないまま成人していくのであるが、集団学習は同じ障害の友人と知り合う機会となった。
当時は集団学習に通うことは苦痛だったけれども(なにせ相手も何言ってるかわかりにくいし、自分の言葉も通じにくい)、今思えばメリットが多かった。とりわけ、親たちが情報交換できること、また「わが子だけの悲劇」にこもっている親にとっては、世界が広がるという意味ではよい機会だと思う。
文字で確認する必要
言葉の獲得は、耳からであることが多い。とりわけ幼少時は完全に耳から入る。多くの人が、幼い頃の地名や友達の名前を平仮名で記憶しているのは耳から覚えているためであると思う。健聴者でも、聞き間違いをそのまま記憶して言い間違えている人は多い。よくある間違いが、「雰囲気」で、これを「ふいんき」と聞き間違えて記憶し、いざ漢字変換しようとしてもできない人が多い。聴覚障害者の場合はその頻度が増す。
私の例でいえば、教室で頻繁に使われている号令「きをつけ」は長らく「きょーすけ」であると思っていたし、「献立」を「こんにゃく」と勘違していたが、漢字を知った小学校3年生あたりで間違いに気づいた。「気をつけ」の例でいえば、本人が「きょーすけ」だと思って、「きょーすけ」と発音しているつもりでも、健聴者たちには「気をつけ」に聞こえる(きょーすけなど連想できないからであろう)ために、誰も発音訂正をしないことが、こういった間違いをそのままにしてしまう。したがって、聴覚障害者には常に音だけではなく文字で単語を確認させる必要がある。
普通学校での配慮
医師のアドバイスで、常に座席を前から二番目にしてもらった。一番前でない理由は、あまり前だと後ろの席の子の発言が聞き取れないから、と医者は言った。実際には一番前に座ることが多かった。というのは、小学校では一番前の席は嫌いな子が多く、一番前はいつも余っているから。
クラスメート
私は、幸いに補聴器をからかわれたり、難聴のせいでいじめられるといった記憶はない。補聴器が隠れるような髪型にしたこともなかった。知らぬが仏だったこともある。私を難聴と知らない転校生が、私に無視されたと思って悲しかった、とか、私が難聴であるために先生が目をかけている、えこひいきだ、という陰口があったことは、後できいた。クラスメートには担任から、難聴であることをあらかじめ伝えておくことが必要だろう。
学力
難聴が判明したとき、「小学校3年くらいの能力があれば、社会で生きているから(だから小学校3年まではなんとかついていきなさい)」と言われたことを母が記憶している。 この小学校3年限界説は、日本のみならずアメリカでも言われている。私の母は、これをまともに受け取った。つまり、私は、とりあえず小学校3年まで無事に終えればよいとしか期待されていなかった。
科目
普通学校に通う難聴児の天敵科目はひたすら耐える「音楽」であることが多い。そして、見よう見真似でワンテンポ遅れの「体育」もあげられる。朗読させられる「国語」も苦手かもしれない。よく聞こえないままの「理科」の実験や「調理実習」は危険をともなう。今後、小学校から英語が始まったら、小学生の英語の授業など机に座らない歌や会話の英語であろうし、苦痛科目になると思われる。これらの科目については、担任とよく相談するべき。
中学受験
中学受験にあたっては、普通の受験生と同じように受験した。受験先の学校にとりたてて、問い合わせていない。面接のある学校も受けたが、面接は静かな場所で、面と向かって行うものなので、普通に受けた。
ただし、塾に通うにあたっては、塾によく相談した。なぜならば、先生がおっしゃるには、塾というものは競争の場所であるので、他人を蹴落としこそすれ、他人を待ってくれることはあまりない、からである。例えば、私が通った塾の座席は成績順に上位から前に座ると決められているので、私が一番前に座るには、皆に断りを入れねばならない。それを皆が納得してのんでくれるかどうかは、わからない、といわれた。実際には、私が通ったクラスはあたたかかった。蹴落とすことなどなく、皆で待ち合うようなクラスだった。そのクラスに一番遅く入った私に、手取り足取り教えてくれ、あの先生は厳しい、あの先生は気持ち悪い、といった先生情報まで教えてくれた。厳しい受験戦争にあって、稀なる経験だったと思っている。
中学・高校では(東京、1990年代)
難聴者にとって私立学校のメリット
公立と両方通ったわけではないから比較できないが、とりたてて挙げるメリットはない、と思う。私立でも公立でもどちらでも、よい友人に恵まれる可能性はあるし、いじめられる可能性だってある。私立の先生でも、嫌な先生はいるのだし。
電車通学
電車通学は、事故のさいの情報不足という注意点がある。人の真似をして流れに沿っていく癖がついているので、大事にはいたらないが、振り替え輸送情報などを聞き逃して、時間がかかることがある。
小学校ではずっと補聴器からの音と口を見ることで、授業をうけてきたが、中学からはFM補聴器を使用した。FM補聴器は、当初、福祉の給付対象ではなかった。発信機と受信機で、30万円くらいする。2回目の購入のときは、自治体の職員さんが奔走してくださって、対象となり補助がおりた。
FM補聴器は、残存聴力を有効につかっている難聴者には大変役立つ。音がクリアに入ってくるので、時には他の生徒よりもよく聞いていることになる。とりわけ、私の場合は、先生にマイクを渡してつけてもらっている、という思いがあり、結果的にほとんどの授業をよく聞くことになったので、概して成績がよかった。もちろん、FM補聴器をつかってても寝てた~、という難聴の友人もいるから、人それぞれかもしれない。
FM補聴器が使えない授業は、楽器を鳴らす「音楽」、動き回る「体育」、アンテナが燃えかねない「家庭科(調理実習)」など。FM補聴器が要らなかった授業は、先生が何もしゃべらない(!)「美術」。他に、講堂を使う講演会などもFMの電波が届かない、もしくはマイク混線のために使わなかった。したがって、講演会は聞こえないので、ほとんど睡眠時間になっていた。
よく勘違いされたこと
先生が生徒全員に何らかの説明をしているさいに、聞こえないために退屈して隣の人に話しかけてしまったとき、後ろにいた先生にこつんと頭をたたかれる。もしくは、説明を聞き逃すまいと、隣の人に「何て言ってるの」と聞いたときに、おしゃべりと勘違いされて先生にこつんと頭をたたかれる。前者はともかく、後者のケースは聞こうと焦っていただけにかなり傷つく。この点は、先生に理解をもとめていくしかない。
クラスメート
首都圏の中高一貫私立学校であるためか、偶然なのか、難聴だからどうの、という扱いは受けなかった。
英語の授業
アメリカ人の先生が教える英会話の授業は苦痛だった。とりわけ、クラスメートが、数学の授業とはうって変わって英会話だけは目をキラキラ輝かせ、熱心に受けていることがなおさら苦痛に感じた。数学なんてやってらんないよ、と言えても、英会話なんてやってらんないよ、と言っていい雰囲気はなぜかない。何よりも、私の通っていた学校はキリスト教系で、しかも英語教育に関しては評判のよい、学校だったので、余計に窮屈な感じがした。とりたてて発音レッスンしてくれたわけでもなく、私にとっては、よい英語教育だとは全く思えなかった。
難聴者が大学受験で注意するべきこと
念のため: 入試課の対応と大学の対応は、実はイコールではない。大学入試にあたって、その大学の入試課のお姉さんがやさしかったからといって、その大学が支援を準備しているわけではない。逆にその大学の入試課が「あなた何様状態」でも、入ってしまえば手厚い支援があることもある。
試験実施者に要請すること
90年代は、センター試験に英語のリスニングテストはなく、ほとんどの大学の試験でもリスニングはなかった。ので、注意するべきことは、試験のさいに、試験監督の説明が聞こえるかどうか、である。万が一、試験内容で訂正事項があれば、それを板書してもらうように予め頼む必要があり、また座席を念のため一番前にしてもらうために、受験のさいには大学事務に、難聴であるためのそれらの要請を伝えておいた。センター試験でも、座席一番前指定と、「補聴器使用許可」なるものを申請した。
面接がある大学
面接があるところは、あらかじめFM補聴器を使用する旨を伝えておく。面接直前に連絡しても、こころよく対応してくれたのはKO大学。
英語リスニングテストがある大学
はっきりと、「私は聴力障害があるために、リスニングテストは字幕表示か筆記で代替するか免除を要求」と具体的な方法を伝えることが肝心。そのためには、医師や言語聴覚士が具体的方法に踏み込んでいる診断書や、公的機関(大学の障害サービスセンターなど)の所見、が効果ある。
私は、当時あまりにも知らなかったため、具体的な要求もせず、また試験前に確認もしなかったために(その大学を信頼していたというのもあるが)、とんでもない試験を経験した。普通の受験生と同じ部屋で、同じ放送を聞かされながら、手渡されたのは「nothingcouldbemoreabsurdhowsilly」といった具合に句読点・空白・大文字小文字の区別が一切ないぎっしりつまったもので、よーく見ると、放送で流れている英語の文章のテキストだということが分かる。手渡された紙の1ページ目には日本語の分かりにくい説明が書いてあり、その説明自体が放送されている日本語と異なるので、放送を無視しろ、ということになる。が、2ページ目からのその英文ぎっしりテキストは、放送を聴け、ということになるので混乱した。
大げさかもしれないが、私は、人間扱いされていないような気がした。なぜなら、こんな文章を読む経験が今後あるか、これを読みこなせる能力はどこに生かされるというのか、と思うからである。おそらく、大学側も、実はどのような試験を行えばいいのか困惑していたのだと思う。
もう間違ってもこのような試験はないと思っていた。当時、書面で抗議した私に対して、その大学の入試課長は「うちの先生が考えた試験方法にケチつけるなら受けるな」と言い放った。私の抗議はその入試課でとまっていたらしく、20年たった2010年代でも聴覚障害を持つ受験生に同じ方法で試験が行われ、その受験生に大変申し訳なく、きちんと抗議しなかったことを後悔している。
障害サービスセンター
日本の大学でも、障害者のサービスを担当する学内の独立機関があるところが増えてきた。大学を受けるさいには、そういったセンターに相談するとよい。私的なアドバイスをもらいたかったら、聴覚障害者の高等教育支援を行うPEPNet-Japanがある。
障害サービスセンターの有無や、障害者に強い大学、という基準で大学を選ぶことは、アリだと思う。そういったサービスのない大学で、サービスを要求していくことは、かなりの苦労がいる。もちろん誰かがパイオニアにならなくてはいけないし、そういった大学が増えていくことは望ましいが、あえてその苦労をかって出る必要はないと言いたい。なぜなら、私の経験から、パイオニアであれ、と要求するのは、あまりにも酷なことだから。先輩たちが築いた既にあるサービスのもとで、学校生活を送るのもまたよし、と思う。
しかしながら、大学レベルではなく、大学院レベルである場合には、障害サービスを基準に学校選びはしない。大学院レベルで、専門の研究をしたい場合には、純粋にその専門研究を基準に大学院を選ぶべきとの意見が多い。大学院の研究室によっては、本人を中心に本人限定の支援体制が整うこともある(他の同レベルの障害者に応用できない支援体制なので異論もある)。
予備校では
大手予備校のスケジュール
私は1年間、朝から夕方まで高校生のように予備校に通った。予備校に入る前に、担当の事務方に相談し、FM補聴器を使うことなと打ち合わせをした。この予備校のクラスでは、朝から夕方までベルトコンベアー式に先生が同じ教室にきて教えるスケジュールなので、朝、事務にFM補聴器をお願いすると、朝から夕方まで登場する先生は皆、FM補聴器のマイクを持参してくれた。ので、さぼれなかった。また、座席は成績順に座るシステムだったが、常に一番前を確保してもらった。FM補聴器は、多少離れていても受信できるが、前のほうが、先生が間違えてスイッチを切ってしまったなどのハプニングに対応できる。
予備校生
この予備校でも、和気藹々とした互いに助け合う雰囲気だった。そもそも浪人するくらいだから、ちょっと生き方に余裕がある人が多いのかもしれない。殺伐とした競争的な雰囲気でもなく、座席でもめることもなく、嫌がらせも一切なく、予備校の浪人生活なのに楽しかった。