10-2: なぜ大日本帝国は拡張/侵略を始めたのか、続けたのか?


私の50年あまりの人生の前半は日本で、後半はオランダで暮らしています。1942年から1945年までの日本軍による旧蘭領東インドの占領を体験した後で、オランダに移住した人々と出会い付き合いが始まって今年で14年になりました。彼らの中には今でも、どうして彼らがあの辛酸をなめることになったのか、どうして日本軍が彼らの故郷にまでわざわざに来たのか納得できずにいる人もいます。

私なりに暗い歴史の真実を直視しようと努めた その答を紹介します。




一言で言えば、日本の帝国主義の拡張/侵略の歴史の結果です。

1549年にポルトガルの帆船が種子島に漂着したことがきっかけで、日本と欧州との交易や交流がはじまりました。しかし半世紀たった後17世紀初めから日本は鎖国を始め、世界との交易や連絡を絶ちました。日本の内政に他の国が干渉することを恐れたからでした。例外はオランダと中国で、それも長崎の出島でのみ許可されました。江戸から見れば長崎は裏口のようなものです。仮にオランダ人が武器を持って上陸しても、江戸にたどり着くまでには相当の距離があります。
でもこの鎖国政策は、15世紀半ばから始まっていた欧州各国の大航海時代(祖国から外へ航海して交易範囲を広め、各地を植民地にして彼らの勢力圏を拡大してゆく)の政策と正反対でした。今振り返るとその結果日本は欧州各国から遅れを取り 2世紀後に苦境に落ちた自らに気がつくことになりました。

この苦境に最初気がついたのは、オランダ発出島経由の書籍を読んでいた日本の知識人達でした。広いアジアが西から東へと次々に欧州諸国の植民地となり独立/自治権を失い、この波は日本のすぐ間近まで迫ってきていて、このままでは日本も同じ運命を辿ることになるリスクに気がついたのです。1853年に米艦隊が日本に来航し武力を示威して幕府に開国を迫った黒船来航事件は、このリスクが一部の知識人の考え過ぎではなく 目の前の現実の危険であることを多くの日本人に知らしめ、日本全体が大きな政策転向をする契機になりました。15年後の1868年に江戸幕府から政権を引き継いだ明治政府の主眼は、富国強兵 国を豊かにして軍備を備え強くし自力で独立を守ることでした。具体的な方法はすべて西洋社会から学び輸入しコピーし、まずは国内を刷新し整備しました。

次に、日本の安全保障の為に近隣諸国への干渉を始め、まず1879年に沖縄を併合しました。当時の日本が次に恐れていたのは最も近い陸地である朝鮮半島でした。西から東へと植民地を広げてきた欧州 または不凍港を求めて南下の機会をうかがっていたロシア帝国がここを乗っ取ったら、日本の安全保障の危機になるからでした。だから彼らが来る前に朝鮮半島への干渉を始めました。初めは武力は使わずに 彼らも日本のように富国強兵政策をとるよう勧めましたが、それがうまくいかないと武力による干渉を始めました。朝鮮半島の覇権を巡って中国を相手に日清戦争を1986年に始め、日本は勝って朝鮮半島に武力を駐在させることと台湾を植民地とすることを勝ち取りました。1905年には朝鮮半島を日本の保護国に、1910年には併合し、植民地支配を始めました。

れが、1945年に終わるまで続いた大日本帝国の拡張の始まりでした。この時期の特徴を一つあげます。
  • 大日本帝国の拡張は、日本が欧州の国の植民地として乗っ取られて 自治権を失うのではという今考えても理解できる危機感から始まったのに、ある国の利益の為に他の国を植民地化/侵略してはならないという現代のモラルに照らすと越えてはならない一線をじきに越えました。その結果、自己防衛は侵略し領土を拡張する野望に、自らの独立を失う怯えは他の国の独立/自立を奪う行為に変わりました。

1931年に中国北部の満州に攻め入り、満州国という傀儡政権を立ち上げました。1937年に中国に攻め入り、上海や南京という主要都市は占領しました。しかし広大な中国を降伏させることは無理でじきに行き詰まりました。いくつかの点(都市)や線(鉄道、道路等)を支配しても 中国を降伏させることは無理でした。この打開策として新天地である東アジアに目先を移し、太平洋の制海権を握っていた米軍艦隊の真珠湾に先制攻撃すると同時にアジアに攻め入り、下図のように1942年に大日本帝国の勢力範囲はピークを迎えました。この第2段階の特徴を3点挙げます。
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  1. 大日本帝国の拡張/侵略の動機は、既にあげた日本の安全保障の目的の他に 当時の二つの経済問題を解決のためでもあったようです。まずは、明治になり発展を始め人口を増え始めたものの、食料の農業生産はそれに追いつかなかった食糧難の問題。農産物増産のために満州に合計27万人もの開拓移民を送りました。もう一点は、当時はまだ後進国だった日本が1929年大恐慌で受けた打撃で、まだ発展途上国であった当時の日本にとって これは先進国よりも深刻だったと想像します。資源のない日本にとって この打開に不可欠の資源、満州の石炭や鉄鉱石やインドネシアの石油等々をただで手に入れることが 侵略/拡大の結果可能になりました。満州に攻め入るきっかけとなった柳条湖事件は、関東軍の石原莞爾が首謀者だった陰謀でした。日本の管理する鉄道に自ら工作して爆破しておきながら、爆破したのは中国軍だと偽って攻め入ったからです。彼は東北の貧しい農村の出身で、軍人になるしか家族を食わせていく道がなかったそうです。そんな彼や同じような境遇の出身だった日本兵士達にとっては、国土拡張こそが祖国日本を救う道と考えたのでしょう。この陰謀は東京の政府/メディア/国民に知らされることもなく実行されました。日本を史上初めて奈落の底まで落とした15年戦争は、指導者も国民も無視して一部の軍人達の暴走で幕が落とされのです。
  2. しかし侵略による経済問題対策は、今考えると近視眼的でした。一時的に経済効果を手に入れる一方で大きな経済の急所を背負い込むことになったので、長期的には利益を維持することは無理だったからです。問題は、この勢力圏を維持する為に不可欠のロジスティックが脆弱だったことです。巨大な大洋の制海権を武力で維持することは不可能で、連合軍潜水艦によりずたずたにされました。その結果武器弾薬はもちろんのこと食糧の補給も途絶え、命を落とした日本兵士の6割以上は餓死でした。もちろんこのとばっちりを受けたのは日本人だけではなく、抑留所や捕虜収容所の人々を含めたこの地域の人々もすべてそうです。でもこれを理由に、日本の責任逃れをするつもりではありません。占領者としての権力を悪用し 限られた食糧を皆で公平に分けるはずがなかったことも、囚われていた人々にとってはそれは悪魔の仕業に見えたことも容易に想像ができますが、食料不足という制御不能の深刻な事態もあったのです。1942−3年から、日本では一日1400カロリーの食料しか配給されませんでした。体重70キロの男性は一日2400カロリー必要です。日本の指導者や政策立案者達の無能が問われるべきですが、一方で帝国主義という怪物の宿命かもしれません。いったん拡大を始めると 転がり始めた雪玉のように制御不能になり、自動的に貪欲に拡大をエスカレートしながら自滅してゆくという宿命。侵略したり他国の土地や資源を奪うことなく成し遂げた戦後の日本の経済成長の方が、長期的に機能する経済政策であったことを既に歴史が示しています。
  3. 日本が占領した東南アジアの国々とって皮肉なことは、彼らが植民地化さた犠牲のおかげで日本は自らの危険に気がついたのに、その後で再度日本の犠牲にされたこと。


簡単にまとめると、大日本帝国による上地図の広大なアジアでの戦争/占領を通じて 日本は下にあげる3点のすべてをしてきたのです。その結果、右図のように2000万人の命が失われ、上地図の範囲にいた全ての人に膨大な痛みと悲嘆を引き起こしてきたのです。
  1. 大日本帝国は、他の人々を犠牲にすることで、自らの利益を武力を持って追求しました。
  2. 大日本帝国、他の人々の人権を蹂躙し、いくつもの残虐事件を引き起こしました。
    • 他の人々を対等には取り扱わなかった。
    • 他の人々の意思を無視して強制労働を課し、自分たちの利益とした。
    • 他の人々を武力で虐待し続けた。
    • 他の人々の女性たちを性的に虐待し続けた。
    • 他の人々の文化には充分な敬意を払わず、彼らの自分たちの文化を強要した。
  3. 戦後の日本は、自分たちの暗い歴史に直面すること失敗することが多い一方で、人権を蹂躙された他の人々は今でも過去の痛み/苦しみと折り合いを付けることが難しい。






この大日本帝国が引き起こした膨大な悲嘆は、世界の歴史の中で隔離された事件であったのでしょうか、それとも世界的な人権差別の歴史の一部であるのでしょうか? というのも、上の3点全てで、
大日本帝国ないし日本を帝国主義/植民地主義/奴隷制に関わった西欧諸国と置き換えることができるからです。    (次の章へと続きます: 10-3: なぜ暗い歴史の「真実を直視し すべての人間の悲嘆を思い浮かべる」ことが難しいのか、例えば日本では?

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