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ヨナ抜き

「ヨナ抜き」は日本の伝統?

2012-05-26

 「ヨナ抜き」といっても,なにも浅田真央のファンが彼女のライバルをまま子扱いにする話ではないです。演歌などでよく使われている,4番目と7番目の音,すなわちファとシの音を抜いた「ド・レ・ミ・ソ・ラ・ド」の音階,ペンタスケールについてのお話です。
 音階には,一番おなじみの「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」以外にもいろいろあるのですが,ここでは各種音階の話をするのではなく(私もそんなに詳しくはない),「ヨナ抜き」に関して,多くのかたが勘違いしている(私もそうだった)ことについて触れてみたいと思います。

 みなさん,「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」が西洋音楽の代表的な音階のひとつで,それに対して「ヨナ抜き」は日本音楽の代表的な音階である,ととらえられておられないでしょうか? でも,「ヨナ抜き」は,多くのかたが思っているほど「古い昔から日本に存在し続けている日本固有の音階」ではないのです。そもそもこの音階は,大陸朝鮮から渡ってきた音階で,明治以降,西洋の音楽がたくさん日本に入ってくる中で日本国内に広まっていった音階です。まずは,次の引用をお読みください。

 音楽の民族性,国民性ということに関連して,演歌について触れておこう.よく,日本人の心の音楽は演歌である,演歌こそは日本人の民族の音楽である,ということを耳にする.しかし,これは,非常に一方的な論法であって,僕ははっきりそれは間違いだといえる.

 これは,日本における西欧音楽の発達の歴史を見てみるとよくわかる.まず,滝廉太郎の時代から始まるわけだが,いまから考えると,明治時代によくこれだけ優れた作曲家が出たものだと思う.そして,大正時代になり,オペレッタはなやかなりし頃を経て,山田耕筰の登場というぐあいに,日本の音楽文化というのは,非常にすくすくと前向きに育ってきたのである.そこに演歌というものが現れたわけだが,この演歌の使っている音階,いわゆるヨナ抜きのペンタスケールというものは,日本古来の音楽の音階ではなくて,「アリラン」とか,「トラジ」に代表される朝鮮メロディーの音階である.古賀政男さんが,朝鮮メロディーを聴いて非常に感銘を受け,それを取り入れた作品を作ろうと思いたってできたのが演歌だといわれているくらいで,演歌に使われているヨナ抜きの音階というのは,これぞ日本の民衆の精神どころか,当時の日本ではまったく見かけなかった外来の音階なのである.江戸時代にあった小唄や新内,俗謡などの音階を調べてみても,今様音階であったり,いわゆる小唄音階であったりして,演歌のヨナ抜き音階というのはほとんど見られない.

すぎやまこういち,すぎやまこういちの体験作曲法,ブッキング,2006
なおこの本は,1981年の初版で一時絶版になっていたのが,復刊ドットコム (http://www.fukkan.com/) へ寄せられた読者のリクエストにより復刊た本です。

 つまり,「ヨナ抜きは朝鮮から入ってきた音階」ということです。この本を読んで,10年ほど前(2002年と2003年)に仕事で行った韓国のソウルでタクシーや韓国のかたの車に乗っていたときに,カーラジオから日本の演歌とまったく同じ感じの旋律をした「韓国演歌」が頻繁に聞こえてきたことを思い出しました。「演歌がラジオで流れる頻度は日本より多いのでは?」と感じたくらいですから,韓国のかたがたにとって,この「演歌」の旋律はかなりポピュラーなメロディーだと判断できます。

 それはともかく,この本を読んで,記述内容に関しては「ちゃんと裏を取らないと」と思い,インターネットや書籍で,さらにいろいろ調べてみました。その結果私が得た結論は,「ヨナ抜きは日本固有の音階では決してないし,これが日本歌謡のなかで一般化したのは明治以降」ということです.
 なぜかといえば,「ヨナ抜きは日本の伝統音階」と記述する文章はありましたが,そこでは「歴史的」な根拠の説明が不足していました。いつの時代からどのような曲でヨナ抜き音階が使われているか? の説明が十分でなく,なにを根拠に「伝統」と言っているのか? がはっきりしません。単に自分自身や自分の周り人が演歌に慣れ親しんでいるから「日本の伝統」と判断している(それはそれで,ひとつの「根拠」ではあるのですが…)ように見受けられます。
 いっぽう,「ヨナ抜きは日本の伝統音階ではない」と説明する文章では,さきのすぎやまこういち氏の文章のように「いつ頃から日本でヨナ抜きが使われ始めたか」とか「明治以前の音階」の説明があったりして,説得力があります。

 さらにいくつか,書籍から引用しておきます。

ヨナ抜き音階
明治時代に洋楽の影響で作られた五音音階。長音階と短音階の二種がある。名称は七音音階(ヒフミヨイムナと呼ばれた)の第四・七音を欠く意味。従来五音音階になじんできた日本人には比較的受け入れやすく、唱歌の類でよく用いられた。
スーパー大辞林,三省堂

 明治の初期、ドレミファの音階をヒ・フ・ミ・ヨ・イツ・ム・ナと呼んでいた時代があります。その呼び方では、ファとシがヨとナに当たるので、ファとシが抜けた音階のことを「ヨナ抜き」と呼んでいました。
 ヨナ抜きは、一風奇妙な音階のようですが実は世界中で多く見られるすごくポピュラーなものなのです。古代ギリシャから中国、東南アジア、スコットランドまで、世界各地の民族音楽には欠かせない基礎音階のひとつなのです。
〔…中略…〕
 世界で共通の音階がなぜ日本的な曲で多く見られるのか。これは、その昔、西洋音楽を雅楽や民謡などの日本音楽に取り入れなければならない時代がありました。そのころに伊沢修二という人が、雅楽や民謡という日本古来の音楽を西洋の方法で表現しようとしたのです。そこで彼は,強引に5音階というドを主音にした音階に日本の古来の音階をまとめ上げたのです。本来、日本古来の音階は、中心となる音が違うので音階としての性格上、5音階とは異なるものです。つまり、「西洋化された日本音楽」がヨナ抜きというわけです。

奥平ともあき,誰にでもできる作曲講座,ドレミ音楽出版社
「ヨナ抜き,伊沢修二」でインターネットを検索すると,いろいろ興味深い記述にヒットしますよ。

 「ヨナ抜きは明治以降のもの」とはいっても,ポップスにせよクラシックにせよ,いろいろな「西洋的」な音楽を聴いたあとで,日本のいわゆる「ヨナ抜き演歌」を聴くと,「日本的」なものを感じるのは事実です(私はJ-POPでも「日本」を感じるけど…)。そしてこの「演歌」が使っている「ヨナ抜き音階」は明治時代から続いており,現在も「演歌ファン」のかたがおられのも事実です。そういう観点から見れば「日本の伝統」と言ってもよいと思います。
 ただ,「ヨナ抜きは日本の伝統」「演歌は日本人の魂」と思っている多くのかたがたが,それが明治以降の音楽であることや,韓国でも同じような「演歌」がラジオから頻繁にながれていることをちゃんと理解した上でそう言っているのか? がちょっと気にかかります。江戸以前からあった本来の「日本の伝統音階」のことや,韓国にもともとあった同様の音階のことなどまったく念頭になく,「ヨナ抜きは何百年以上も昔から綿々と続いている日本独自の日本を代表する伝統的音階」と思い込んでしまうのは好ましくないです。

 少し補足しておきますと,私が韓国で頻繁に聞かされた「流行歌」としての「韓国演歌」が,「日本演歌」より古くから広く歌われているのか,日本からの「逆輸入」の形ではやり始めたのかまでは確認できていません。ただし,ヨナ抜き旋律の韓国民謡の「アリラン」は,西洋人により初めて採譜されたのが19世紀終わりのことですし,日本演歌が広まる以前からヨナ抜き旋律が大陸にあったことは間違いないです。

 ところで,ヨナ抜きにしたからといって,即,現代のわれわれが「日本的」と感じる曲になるわけではありません。手っ取り早く適当にヨナ抜き旋律を引くのにはピアノの黒鍵だけを使って引けばよいので,黒鍵ばかりで適当なメロディーを弾くと,なんとなく日本的な雰囲気のメロディーになるときはあります。しかし,黒鍵を多用する「猫踏んじゃった」やショパンの「黒鍵のエチュード」を聞いても,日本的な感じはぜんぜんしません。細かい理屈は知りませんが,音が飛びすぎると「日本的でなくなる」とのことです。

 ちょっと脱線を…。
 その「伝統」が広まったのは明治以降なのに,もっと昔から続いている日本の伝統と勘違いしがちな別の例としては,「神前結婚式」がありますね。 これは明治時代,のちの大正天皇だったかどなたか皇族のかたの結婚式が話題になり,一般市民も同じように「神前結婚式」をあげたいという希望が出てきて,広まっていったものらしいです。 それ以前の庶民の結婚式は,自宅でもっと宗教色の薄い形で行なわれていました。時代劇に登場する町民の結婚式シーン(自宅の座敷に近所の人たちが集まって,ご近所の顔役が媒酌人を務めているシーン)を思い浮かべていただくとよいかと思います。

 さて,ぐだぐたと書いてきましたが,「なにが『伝統』でなにが『伝統』でないのか?」は,時代をどの程度のスパン(広がり)でとらえるかによって変わってしまいます。たとえていえば,新興住宅地なら50年前からそこに住んでいれば「昔から住んでいる」と言えるでしょうが,京都の町中なら50年程度では新参者です。「昔から住んでいる」と言うには,その家系が少なくとも数百年以上前からそこに住んでいないとだめでしょう。「(家に美術品がいろいろいあったんだけれど)戦災で焼けてしまって…」と聞かされて「京都には空襲はなかったのではと?」と思っていたら,「応仁の乱」(15世紀)のときの話だった,なんて話を昔読んだ記憶があります。
 というわけで,「ヨナ抜きは(一部の)日本音楽において見られるひとつの特徴」であることに,間違いありませんけれども,「伝統」としてそれが持つ歴史スパン(明治以降のものであること)や,地理的スパン(もともと韓国そして世界に同様の旋律があったこと)は,正しくとらえておきたいものです。


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