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歌詞? 瑕疵?

あら探しは楽し…!?

2013-02-02

はじめに

 この世の中,たくさんのすばらしい歌がありますが,その歌詞の内容を「小うるさく」吟味すると,ちょっと気になるところが出てくる場合があります。「詩」なのですから,内容の「学術的」正確さを「杓子定規」に要求する必要はないのかもしれませんが,正確であるに越したことはありません。ということで,「無粋」なことは十分承知の上で,あえて「おかしな歌詞」を取り上げたいと思います。ただし,半分「お遊び」の「あら探し」であり,別に「こんな歌詞の歌はだめだ」と主張するつもりではありませんので,誤解のありませんように…。

知床旅情」の場合

 森繁久彌さんの有名な曲です。私の好きな歌のひとつでもあります。森繁さんが,1960年公開の映画「地の涯に生きるもの」の撮影で知床羅臼(らうす)に長期滞在した最後の日に,羅臼の人々の前で「さらば羅臼よ」という曲名で初めて披露されたとのことです。
 森繁さんは,1913年枚方市生まれで枚方市名誉市民でもありました。そういう縁もあって,2009年11月に亡くなられた翌年の2月に,枚方市主催の「森繁久彌さんを偲ぶ会」という追悼式典が枚方市市民会館大ホールで行なわれています。この追悼イベントで「知床旅情」をステージで合唱されたかたがたの多くは,前年暮れに枚方市民メサイア公演でメサイアを歌われた方々でした(私もそのひとり)。

 この「知床旅情」の1番の歌詞の最後は,「遙か国後に白夜は明ける」となっています。この箇所について,「これはおかしい」と書かれているのを,新聞か何かで読んだ記憶があります。曰く「白夜は明けない。明けっ放しなのが白夜なのだ」とのことです。
 そこで,「白夜」というのはどういう現象を指すのか,あらためて調べなおしてみました。いくつかの辞書を当たって確認したところ,「白夜」とは,
北極や南極に近い高緯度の地方で,夏になって日が長くなったときに,真夜中になっても,太陽がまったく沈まない,あるいは薄明るいままになっている現象。
のことです。

 この白夜の定義はみなさんご了解いただけますよね? というわけで,まず知床旅情の歌詞の〔誤り1〕です。「白夜は明るいまま」なのですから,明けようがないわけで,私が読んだ記事の通り,「白夜は明けない」のです。「『明るいままの夜が終わった』という意味で『白夜は明ける』と歌っているのだ」と「説明」できなくもないですが,なにか「あとで無理矢理つけた理屈」のように感じられます。

 それにもまして,もっと大きな間違いがあります。〔誤り2〕は,「知床に白夜はない」ということです。そもそも,北緯(南緯)66度33分以上になって初めて,夏至(冬至)の時に,深夜になっても太陽が沈まなくなるのです。
 ところが知床は北緯44度。ヨーロッパでいえば,羅臼町は南欧イタリアの都市ジェノバ(半島西側の付け根の地中海に面した都市)よりもまだ数十キロ南です。夏至のときでも深夜0時の空は真っ暗です(もちろん,星明かりや月明かり,街の明かりの反射は別)。真っ暗な時間帯があれば「白夜」はいえません。まあ明け方の3時を過ぎれば空が白み始めるかも知れません(知床の夏至の夜空が白み始める時刻は正確には調べ切れていません)が,これを「白夜は明ける」と表現するのは,なんともおかしな話です。

 多くの日本人にとって,「知床」は「遙か北のはての大地」のイメージかもしれません。しかし,「白夜現象」が起こるかどうかは,そんな「感情的な南北感」,「相対的な南北感」ではなく,緯度による「絶対的な南北度合い」によって感情抜きに天文学的に決まってしまいます。この歌の影響で,「知床と白夜とを結びつけてとらえている」日本人のかたがいらっしゃるかもしれません。しかし,「知床に白夜を連想する」ことは,「イタリア北部の地中海沿岸の都市に白夜を連想する」くらい「乱暴なこと」になるのです。ヨーロッパで考えてみたとき,知床より,はるか北に位置するフランスのパリ(北緯48度)やさらに北に位置するロンドン(北緯51度)ですら,「白夜」のイメージと結びつけて考えることはないはずです。ちなみにドストエフスキーの小説「白夜」の舞台は,ロシアのサンクト・ペテルブルグです。この都市は北緯59度に位置します(60度にかかっている地区もある?)。このくらいの高緯度になると,夏至のときに「太陽が出っぱなし」ではないにせよ,真夜中になっても薄明かりが残ります。60度あたりがひとつの目安みたいです。
 ちなみに,日本近くの緯度で比較していきますと,日本最北端の宗谷岬で北緯45度。サハリン島の北端でも,まだ北緯54度しかありません。そのまままっすぐ北にオホーツク海を北上してロシア本土に着いたあたりで,やっと北緯59~60度です。この地にまで来たのなら,「白夜は明ける」と文句なく歌えそうです。でもともかく,「知床に白夜は存在しません」。

星めぐりの歌」の場合

 宮沢賢治作詞作曲の歌です。いくつかの映画の背景に流れたりもしているのですが,みなさんご存じですか? 「知床旅情」同様,これも私の好きな歌のひとつなのですが,この歌にも間違いがあります。とくにこの歌の場合は,「間違い探しクイズ」に使えそうなくらい,おかしな箇所がいくつも出てきます。
 こちらの歌は,1933年に亡くなった宮沢賢治の作品,ということで著作権上の制約がないので,全歌詞を以下に引用します。
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

 さてみなさん,いくつ間違いに気づかれましたか? 天文ファンならすぐに分かるものがいくつかありますが,天文ファンでない私でもすぐ気づいたものがありました。私は宮沢賢治は好きだし,この歌も好きなのですが,ここはあえて心を「鬼」にして,以下に間違いを列挙します。

あかいめだまの さそり
「赤い星」の代表格であるさそり座で一番明るい星(α星)のアンタレスは,さそりの「目玉」ではなく「心臓」。
あをいめだまの 小いぬ
「青い星」の代表格であるシリウスは,こいぬ座ではなく,おおいぬ座のα星。こいぬ座のα星であるプロキオンは黄白色です。しかもシリウスは「目玉」ではなくおおいぬの「鼻先」に位置します。(右図参照)
大ぐまのあしを きたに 五つのばした ところ
北斗七星(おおぐま座の一部)の「ひしゃく」の先端の2つの星の間隔を5つ分延ばすと北極星の位置になることは,みなさんよくご存じと思います。でもこの2つの星は,大熊の「足」ではなく「胴体」です。(右図参照)
小熊のひたいの うへは そらのめぐりの めあて
北極星のことですね。北斗七星同様「ひしゃく」型に星が並んでいるこぐま座のα星であり,ひしゃくの「柄(え)」の先端に位置する星です。しかしこの北極星は,小熊の「ひたい」ではなく「しっぽ」の先端になります。(右図参照)
 う~ん。宮沢賢治先生ももう少し星のことを調べた上で歌をつくって欲しかったですねぇ。ここまでたくさんあると,ついでに「五つ北に延ばしたところ」という表現にしても,もしおおぐま座が北極星より目で見て下の位置に合った場合は,むしろ「南に延ばす」ことになるのじゃないか? ということまで言いたくなってしまいまず。こういうことが気になる私は,やっぱり詩人には向いていないのかもしれません。(^_^)

デザイナーズ・イングリッシュ

 天体現象や天文学の話題から離れることとします。いつのころからか,流行歌にはやたらと英語の歌詞がまざったりするようになりましたね。そしてこの英語表現が,本来の英語からするとおかしい,と話題にされたこともあります。私が記憶しているのは,安室奈美恵の「Can you celebrate?」(作詞・作曲 小室哲哉,1997年)です。「celebrate は確かに動詞だが,こういう英語の使い方はしない」と新聞に載っていたのを覚えています。
 「デザイナーズ・イングリッシュ」という言葉をご存じでしょうか? Tシャツなどに,よく「英語」が書かれていますが,英語ネイティブのかたから見ると「変な英語」になっている,という「英語」です。英語をよく知らないデザイナーが「ファッション」として,あるいは「デザイン」として使った「英語」という意味です。もっともこうした現象は日本に限ったことではないですね。日本人なら日本国内では着ないだろうと思うような漢字をあしらったTシャツなどの製品が,海の向こうで売られていたりもしますから…。
 この「デザイナーズ・イングリッシュ」の「歌詞版」といえるものは,「Can you celebrate?」以外にもいろいろありそうに思えます。

「間違い」を吹っ飛ばすくらいの作品

 ところで,歌詞ではないですが,おかしな英語表現(和製英語)の「商標」をそのまま世界中に定着させてしまった「商品」があります。そう SONY の携帯プレーヤー「WALKMAN」です(初代は1979年)。SONY もこの「和製英語」の商標のままでの海外販売は好ましくないと判断して,当初は,海外向けには国別にいくつかの違った名前をつけたものを販売し始めました。ところが,その海外向け商品が広まる前に,来日したミュージシャンたちが次々と自国に持ち帰った「WALKMAN」が口コミで広がって話題となり,結局 SONY も製品名を「WALKMAN」で統一した,といういきさつがあります。
 さて今回私は,歌詞の細かい間違いをあげつらってきました。しかし,「重箱の隅をつつく」ことが私の「本題」ではないです。もちろん,歌詞の内容が「正確」であることに越したことはありませんし,作詞者の知識レベルが疑われるような内容でも困ります。けれども,厳密さを追求するあまり萎縮してしまい,創作活動の勢いがそがれてしまうようでは本末転倒です。「芸術は爆発」です。入学試験のように,ひとつひとつの細かい間違いを減点していって評価するものではありません。そうではなく,作品全体としてみたときに,「細かい間違い」を吹き飛ばすくらいの力を感じさせてほしいです。その画期的な商品コンセプトによって,おかしな英語製品名をそのまま世界中に定着させて,英語の辞書にも載せてしまった「WALKMAN」のようなパワーを持った芸術作品を,私は期待しています。


Signature of Grotle