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「神話」抜きのキリスト伝

実在の「人間」イエスはどんな人?

2014-12-28


初めに

ことしのメサイア公演も12/21(日)に無事終えたところで,キリストの生涯をちょっと違った観点から見つめてみたいと思います.

まずは「メサイア」を復習

枚方市民メサイア合唱団が毎年歌っているヘンデルの「メサイア」は,いわゆる「オラトリオ」と呼ばれる作品形態になっています. 「オラトリオ」とは,広辞苑第六版では,次のように説明されています。
オラトリオ【oratorio イタリア】
(祈祷所の意)宗教的音楽劇。通常聖書に取材し、独唱・重唱・管弦楽などで演奏される。 原則として演奏会形式で上演される。 17世紀にオペラとともに発展し、ヘンデルが大成。聖譚曲。
上の「演奏会形式で上演される」とは,要するに「オペラのような演技や舞台装置を伴わない」ということです. 「演技や舞台装置を伴わないオペラ」の形式で,降誕・受難・復活の3部構成でキリストの生涯を表現したが,ヘンデルの「メサイア」というわけです.要するにキリストの「伝記」ともいえます.

創作された「伝記」

さあ,ここからが今回の本題です. 「へそ曲がり」の私としては,この「伝記」は「史実」とは違う,ということを取り上げていきたいと思います.

キリスト自身の活動はたった数年

キリスト自身が説法して回った,すなわち彼自身が「宗教活動」をしたのはたった数年(紀元後28~30年頃から30~33年頃まで〔下記文献より〕)しかなかったことは,みなさんご存じでしょうか? のちに,「世界最大の宗教」となる「キリスト教」ですが,キリスト自身が宗教活動した期間は,たった2~3年ほどです(なにしろ,すぐに磔(はりつけ)にされてしまうわけですから…). この短い数年間に,世界宗教の基礎的な組織形態ができあがったとは到底思えません. キリスト以後の人たちの努力がきわめて大きかったと判断できます.

ということで,実在のキリストはどんな人物で数年間の活動期間にどんなことをしたのか? そして彼以後,一地方の小規模なユダヤ教一派に過ぎなかった組織が,いかにして世界宗教にまで発展していったのかにスポットを当てたいと思います.

私が以前から,「人間」キリストはどういう人物で,実際にどういうことをしたのかを,「神話抜き」で知りたいとつねづね思っていました. キリスト教関連の本を読めば,キリストの「生涯」を知ることはできます. しかしそういう「宗教書」には,「宗教」というフィルターがかかっています. 奇跡だの超自然的な現象の記述があったり,あとあとのひとが「創作/脚色」した宗教伝があって,「史実」がぼやけています. 宗教書に価値がないとはいいませんが,私としては「神話抜き」でイエス・キリストという人物を説明してくれている資料があってもいいのではないのか? と思っていたわけです.

神話抜きの資料

インターネットで検索すると,私が期待するような「神話抜き」の話も少しはヒットしますが,もうひとつ物足りなさを感じていました. でも最近すごい本が出版されているのを知りました. それが,次の本です.
Christ.jpg
レザー・アスラン,イエスキリストは実在したのか?,文藝春秋,2014年
「イエスキリストは実在したのか?」というタイトルは,日本人の関心を引きやすいように日本版独自のタイトルをつけたみたいで,私はこのタイトルは好きではありません. 原題は「Zealot: Life and Times of Jesus of Nazareth」,すなわち「熱血漢: ナザレのイエスの生涯と時代」です. “zealot”には,「熱中者, 熱狂者」あるいは悪い意味で「狂信者」という意味がありますが,ここはこの本の中のいくつかの訳語の中から「熱血漢」としておきます. この本は,日本語のタイトルから想像できるような「キリストの実在の真偽」について書かれているわけではないです. 神話抜きでイエスという人物を解説しているだけです. イエス・キリストは,ユダヤの特権階級やローマ帝国に反発した多くのユダヤ人活動家(民衆指導者,革命家)のうちのひとりだった,というのがこの本の立場です.

抵抗と挫折

大文字から始まる“Zealot”には,「熱心党員」という意味があります. この「熱心党員」とは,リーダース英和辞典第2版によると次の通りです.
zealot
2 [Z-] 熱心党員《ローマ帝国による異邦人支配を拒み, A.D. 66‐70 年に反乱を起こしたユダヤ民族主義者》.
この本では,「熱心党員」の意味でもZealotを使っています. ただし,イエスの生きた時期にはまだ,「熱心党」はありませんでした. しかし,イエスやその他支配階級に抵抗した人たちの活動の流れが「熱心党」につながっていったことは確かです. 当時のユダヤ教の大祭司は,ユダヤ民族主義を代表する立場ではなく,まったく逆,ローマ帝国と手を結んだ特権支配階級だったことも忘れてはならない点です. 当然ながら,多くの抵抗運動があったわけで,何千人(何万人?)という人たちが,見せしめの磔にされたわけで,そのうちのひとりがイエスだったわけです.

そしてイエスが殺されて30年あまり経った66年,ユダヤ人の蜂起が起こります. しかし,最終的にはローマ帝国に弾圧されます. このとき数十万人が虐殺されたという記録もあります. エルサレムをはじめ,ユダヤの神殿は破壊され人々は虐殺され,生き残った人たちも奴隷として連れ去られ,ユダヤ文化の痕跡を完全に消し去るようなことが行なわれました.この惨劇の経験を経て,キリスト教も「革命家の熱情と距離を置く必要を感じ〔上記文献より〕」,キリストのイメージも「革命志向のユダヤ人ナショナリストから現世には何の関心ももたない平和的な宗教指導者へと変貌していった〔上記文献より〕」のです.
イエスを直接知っている人たちが中心となったイエス直系の「本家」キリスト教団はエルサレム神殿とともに消えてしまいました. そして,離散ユダヤ人たちにより,ローマの地で,ユダヤ色を薄めたキリスト教「新派」が広まっていったわけです. この活動に貢献したのが,ユダヤ教の律法や割礼をさほど重視しなかったために,当初「本家」キリスト教から見れば「亜流」であったパウロの活動です. ユダヤ色やローマへの敵対色を薄めたことにより,結果的に,世界宗教へと発展する道筋が開けたわけです.

「人間」イエスの魅力

今回の記事に関しては,熱心なキリスト教徒のかたの中には「反発」を感じるかたもいらっしゃるかもしれません. しかし,この文献にせよ,私自身にせよ,キリスト教の教えを批判しているわけではないです. 宗教の教えは教えとして,それとは別に実在のイエスの人物像に迫っているだけです. この本を読むと,「宗教色」を抜いても,イエスという人物は十分に魅力的な人物だと感じられるはずです.

ヘンデルの「メサイア」の解説を読んで(神話の)「キリストの生涯」を勉強するのもよいですが,何度も「メサイア」を歌っているのなら,たまには視点を変えて,この本のように「神話抜き」の「イエス・キリスト伝」を読むのもよいのではないでしょうか? 私自身は,ことしのメサイアを歌うとき,「神話の中のイエス」ではなく,この「実在のイエス」のことをちょっと頭に浮かべてみました.

最後にこの本の最後の部分を引用しておきます.
 二〇〇〇年後の今、パウロの創り上げた救世主(キリスト)は、歴史上の人物としてのイエスをすっかり包含してしまった。地上における「神の国」の樹立を目指して、弟子たちの軍団を集めながらガリラヤ全土を歩き回り、社会の大変革を意図していた熱烈な革命家、エルサレムの神殿の祭司階級の権威に楯突く魅力ある伝道者、ローマの占領に反抗して敗北する急進的なユダヤ人ナショナリストとしての面影は、ほとんど完全に歴史の中に埋没してしまった。それは残念なことだ。なぜなら、歴史上の人物としてのイエスの包括的な研究で、できれば明らかにしたいのは、「ナザレのイエス」――「人間」としてのイエスで、それは「救世主(キリスト)イエスに負けず劣らずカリスマ的で、人を動かさずにはいられない魅力に溢れる、賞賛に値する人だからだ。ひとことで言えば、彼は信じるに値する人物だ。

Signature of Grotle