ハレルヤ立ち

2011-12-30

 「ハレルヤ・コーラスは起立して聴く」という習慣をご存知のクラシック音楽ファンのかたは多いと思います。この由来ついては,いろいろなWEBサイト,書物などに説明があります。そこでここでは,単に同じ説明を繰り返すのは避けて,そうしたいろいろな情報の真偽のほど ―― 「世界的な習慣なのか,一部特定の国だけの習慣なのか?」「ジョージ2世はほんとうに思わず立ち上がってしまったのか?」に重点をおいて書きたいと思います。

 当初,「海外から入ってきた習慣」と思っていたところ,ある日,次の新聞記事に出会いました。
 メサイアはヘンデル作曲で1742年に初演された。「ハレルヤ」はヘブライ語で「神をたたえよ」の意。欧州には、カトリックのミサは別として、演奏会で聴衆が立つ習慣はない。
 ではなぜ日本に「ハレルヤ立ち」が根付いたのか。
 英国王ジョージ2世がハレルヤで感極まって立ち上がり、他の聴衆も慌てて起立した。あるいは同じジョージ2世がたまたまこの曲の時に臨席したため、皆立ち上がった――。こうした説が日本に伝わり、王室および名作への敬意を表する「儀式」として定着していったようだ。
 このハレルヤ立ちを定着させたのが、戦後の1951年に始まった芸大〔東京藝術大学〕メサイアだ。同時に「年末メサイア」という習慣も日本に定着させた。
―― 朝日新聞2010年12月7日 朝刊 「芸大メサイア60年 日本流の「儀式」定着」
この記事によれば,「日本だけの習慣で,海外ではだれも立たない」ということです。しかしその後得たいろいろな情報から検討しなおすと,この新聞記事は,正確ではないと判断できます。
たとえばあるフランス語からの訳本の中には,次のような記述があります。
誰もが知るとおり、それより五十年ほど前「メサイア」のロンドン初演のおり、ジョージ二世は「ハレルヤ」を聞いている最中に深く感動し、思わず立ち上がったという。当時の観客がそれを真似たことから、爾来イギリスでは有名なハレルヤのコーラスの時には皆が立ち上がる習慣となっている。
―― パトリック・バルビエ著,野村正人訳,カストラートの歴史,筑摩書房,1995
 この本を読む限りでは,この本の著者の国であるフランスではともかくとして,少なくともイギリスでは立ち上がる習慣がある,と受け取れます。
 こうなると,本国イギリスではどうなのか? ということで英語の情報を調べなくてはなりません。で,まずは英語版 Wikipedia を検索。そこでの記述を以下に翻訳します。
「ハレルヤ」コーラスで立つという習慣は,ロンドン初演において国王ジョージ2世がそのようにしたと信じられていることに起因するが,国王がその場にいた,あるいはその後のメサイア公演に臨席したという納得のいく証拠はない。立ち上がるのが実行されたことに最初に触れているのは,1756年付けの手紙の中である。
―― http://en.wikipedia.org/wiki/Messiah_%28Handel%29
(Wikipediaのこの記事の元となっている2冊の書籍の情報も,このWEBページにあります。)
 また,"hallelujah stand george" でインターネットを検索すれば,「ハレルヤ・コーラスではなぜ立つのか?」に関する WEB ページがいっぱいヒットします."In many parts of the world it is traditional for the audience to stand during the Hallelujah Chorus. " という記述もありますので,やはり立つ割合はともかくとして,複数の国で立つ習慣があることは間違いないと判断できます。 で,いくつかの英文の WEB ページを読んでいえることは,ジョージ2世が思わず立ち上がってしまった,というのは少々疑わしいですが,イギリスをはじめかなりの国で「ハレルヤ立ち」の習慣はありそうです。ただし,すべてのハレルヤ・コーラスにおいてすべての観客が立ち上がるほと徹底されているわけではないのも確かといえます。
 日本においていえば,クラシック音楽マニアは,「立つ習慣はある」と言うでしょう。また,そういうかたかだの行く「メジャー」なメサイア公演では,立つかたも多いはずです。一方,クラシック音楽にはぜんぜん興味はないし「ハレルヤ立ち」などまったく知らないけれど,知り合いが枚方市民メサイア合唱団/枚方メサイア管弦楽団にいるので,つきあいでこのコンサートを聴きに来た人は,「へえ~,立つ習慣なんてあったの? でも,立っている人なんていた?(だれも立っていなかったじゃない)」と言うでしょうね。これが「ハレルヤ立ち」の実情ではないでしょうか?

 少し脱線しますが,さきの書籍「カストラートの歴史」からの引用を,その前後も含めて読みますと,さらに見えてくることがあります。

 しかし、イギリス人のカストラート熱はこのような言葉で微動だにするものでなかった。この熱狂はヘンデルの時代をはるかに超えて続き、テンドゥッチやラウツィーニはイギリスで歌手としてすばらしい成功を収めることになる。十八世紀末のパッキアロッティはセネジーノとファリネッリの輝かしい時代を彷彿とさせた。彼は、師匠であるヴェネツィア人ペルトーニに連れ添い、何シーズンかにわたってロンドン全市民の涙を誘った。当時、首都ロンドンに住んでいたフィリップ平等王はカストラートの舞台を欠かさず観ており、その度ごとに深い感銘を受けていた。彼のとった態度がきっかけとなって、イギリス人ならではの「集団的行動」が起こったのである。誰もが知るとおり、それより五十年ほど前「メサイア」のロンドン初演のおり、ジョージ二世は「ハレルヤ」を聞いている最中に深く感動し、思わず立ち上がったという。当時の観客がそれを真似たことから、爾来イギリスでは有名なハレルヤのコーラスの時には皆が立ち上がる習慣となっている。これと同じように、フィリップ平等王はある夜の公演でパッキアロッティを聴きながら、白いハンカチを手に、流した涙を拭いていた。その翌日から、数ヶ月にわたって聴衆は汚(しみ)一つないハンカチを忘れずに携帯し、ルイ十六世の従兄弟フィリップ平等王が目にハンカチをやると、皆いっせいに涙を拭った。これぞ伝統である。
 カストラートとヘンデルひいては当時のバロック音楽とのかかわりはさておき,この文章では,(フランス人の視点から見た)イギリス人の「集団的行動」としての「ハレルヤ立ち」(と「涙ぬぐい」)が紹介されています。しかし,「集団的行動」といえばイギリス人よりもなんといっても日本人でしょう。イギリス以上に「集団的行動」として「ハレルヤ立ち」が広まって,さきの新聞記事が「欧州には、カトリックのミサは別として、演奏会で聴衆が立つ習慣はない。」と言い切るぼど,「これぞ(日本の)伝統である」というほどにまでなったのかな? と想像できます。
 ジョージ2世が立ったというのは疑わしいですが,「ある(史実とは違う)伝説のもとにいまの習慣ができあがってきたと思われてしまっている」のなら,(真実を知っておく必要はあるにしても)それはそれでいいかな,と思っています。そういえば,わが枚方の「くらわんか舟」の由来に関しても,徳川方の武士を助けたということで武士に対しても乱暴なことばを使うことを「天下御免」にしてもらい,爾来「めし喰らわんか!」「酒喰らわんか!」と乱暴なことばを使っての商売を続けるようになったという話(伝説)になんども触れる機会がありました。しかし,この「無作法御免の特権」はのちの人の作り話,という新しい説を最近聞いています。 (もうひとつついでに書いておけば,「くらわんか舟」のルーツは淀川対岸の高槻市柱本です。しかし,対岸の京街道沿いの宿場町枚方に移って来て枚方で「ビジネス」を拡大させたため,「くらわんか舟」といえば「枚方」になってしまいました。)
 いささか脱線気味で話を締めくくることになりますが,「いまある習慣が過去の出来事――実は真偽の疑わしい「伝説」すぎない――が元になっている,と語り継がれている」ことは多いですね。われわれ「枚方市民メサイア」も,長年にわたって活動を続いていけば,そのうちいろいろな「伝説」も生まれてくでしょうか? そこまで続いていってほしいものです。
Signature of Grotle