横浜寿町宿泊体験記

横浜ご近所探検隊が行く
横浜寿町宿泊体験記 
伊達美徳

 横浜の寿町に、1泊観光ツアーに行ってきた。この「寿町」を知っている人ならば、なんでまた物好きな、と思うだろう。そう、まったくもって物好きな7人の仲間で「B級横浜お泊りまちあるきツアー」である。
 ドヤの3畳間に泊り、ドヤ街の食堂で300円定食を食い、横浜下町の元遊郭街、元青線街、現風俗街、元ヤミ市街等を歩いたのである。歩いたのは夜ではなくて真昼間のことで、今年の夏はことのほか暑すぎて熱中症直前になり、早々に切り上げて居酒屋に避難、ビールで生き返った。
 泊まったドヤは、いわゆる困窮者向けではなくて、古い簡易宿泊所の最上階だけを改装して、一般を対象に安ホテルとして営業している、ホステルビレッジの事業である。正統派ドヤではないから、正統派の1200~2200円よりも高くて1泊3000円である。
 1室5㎡だからシングルルームとしても超狭い。TVとエアコンはあるが、共同便所、共同コインシャワーである。
宿泊したドヤから見る寿町ドヤ街のメインストリート

宿泊した3畳間のドヤの一室

●寿町とは
 横浜には寿町、東京には山谷、大阪には釜が崎(愛隣地区)、これらは江戸幕府が江戸石川島にもうけた浮浪人の収容所「人足寄せ場」をもじって、現代の3大寄せ場と呼ばれる。分かりやすく言えば、日雇い労働者相手の安宿の街である。9割は単身の男性であり、中には野外に寝起きするものもいる。いわば吹き溜まりの街である。
 横浜の寿町は、横浜市中区の寿町を中心に松影町など約6ヘクタールの地区である。そこから半径500メートルほどの範囲に、元町や伊勢佐木町のショッピング街、山下町の港横浜観光街あるいは山手高級住宅地のような、横浜の有名な街があるところだ。
 約6400人の簡易宿泊所(ドヤ)住人たちが寝起きしているが、人口密度を計算するとヘクタールあたり1000人を超える超過密である。それに高齢化も押し寄せて、今や労働者の街から介護の街になりつつある。
 ここが日本3大寄せ場のドヤ街と言われるようになったのには、それなりの歴史がある。横浜は、1945年に太平洋戦争に負けた日本が、占領軍を最初に受け入れさせられた都市である。連合軍として進駐してきた米軍基地として、横浜港とともにそれに続く関内・関外の都心部が接収され、日本占領政策の中枢となった。加えて1950年から始まった朝鮮戦争では兵站基地となった。
 このことは横浜が戦災と接収という二重苦によって、日本の他の戦災都市と比べて戦後復興が10年は遅れるという大きなハンディを背負った。その一方では、戦争直後の食うや食わずの時代に、占領軍による人員雇用や物資調達の需要で、地域経済を潤したことも事実であった。
 特に横浜港では戦後の占領下の諸物資輸入や朝鮮戦争時代の兵站のために、数多くの荷役労務者を必要とした。主にその労働力需要への対応のために、ここに24時間を通じて日雇い労務者を確保できる簡易宿泊所を設けたのが、今に続くドヤ街である。ヤドをひっくり返した隠語は、宿というにはあまりに劣悪な環境への皮肉であろう。
 1956年にここに職業安定所ができて、どのような経緯があるかは知らないが、計画的に寄せ場としたようである。ここは1955年に接収解除されたが、一般に接収地は元の地主に返還されるのを、当時のドサクサで土地権利が複雑に動いたらしく、いまもその事情を引きずっているようだ。

●寿町には誰がいるのか
 その土地権利者がドヤ建物投資者でもあり、現地には不在地主・家主である。いまはその2代目から3代目になりつつあるのだが、初代の頃とは大きく社会環境が変化しており、新たな対応を模索しているものもいるようである。
 大きな社会環境の変化とは、1970年代から港湾荷役そのものがコンテナー化というドラスティックな技術革新をしたために、かつてのような荷役労務者を必要としなくなったことだ。港湾労働者は激減しても景気の良い時は建設労働者の需要はあっただろうが、今は寿町の職業安定所では求人は全くないという。
 では誰が寿町のドヤに暮らしているのかといえば、かつて若くて体力のあった荷役労務者たちが、仕事がなくなったままにずるずると暮らし続けて、そのまま老いてるのだ。50歳以下は極端に少なく、65歳以上の高齢化率は31.5%(2005年)、そして9割は男単身世帯である。高齢者が多いから病人も多いという。日雇いだったから健康保険も年金もない。8割の世帯が生活保護費を受給している有様である。
 簡易宿泊所の宿賃は、1室ネット約5㎡(3畳)で2200円/日である。実質的には住んでいるのだから月66000円、つまり13000円/㎡・月の家賃である。このあたりのワンルームマンションの家賃相場は3~4000円/㎡・月だから、これは超高価格で有利な不動産投資である。だからだろうか、このところ古いドヤ建築の建て替えが盛んだし、寿町隣接地にも建設がある。建て替えも新築も3畳間が主流で、高層化すれば土地利用効率が良くなる。
 だが実は、その投資側にも問題がある。なにしろ需要が減るばかりであるのだ。いまや高齢化して介護の街となりつつある港湾労務者の成れの果て住人たちは、今後は決して増えることはない。格差社会が進行しているとしても、ここで新にドヤ暮らしにやってくるものが増えるとも考えにくい。
 現に簡易宿泊所数は118 軒、8461 室あるが、住人は約6400人(2005年11月)であるから、2000室程度は空いていると見られる。空室率2割はホテル事業としてはぎりぎり採算点だろうが、この有利な投資が今後そう長くは続かないことは目に見えている。
 つまり寿町は、住人は減少する一方であり、街には建物はあるが空洞化しつつあるのだ。その立地と現象は、まるで地方都市の中心市街地と同じだが、違うのはあまりに街のイメージが下流(げりゅう)に過ぎて、中心市街地のようなある種の歴史的な求心力を持たないことである。
ドヤに払う金もない人たちは外に住む、ここは公共の屋根つき野宿場

●ドヤの街からヤドの街へ
 そのような寿町には、今、多様な運動体による活動が起きている。当然のことながら、生活支援や医療、介護等の福祉関係の活動団体は多い。ここではそれらと連携しながらも、ちょっと異なる活動を紹介しよう。
 それは、簡易宿泊所の空き部屋を活用することによって、街に活気をつくり出そうとする活動である。この街を「ホステルヴィレッジ」と名づけて広く紹介し、あちこちの簡易宿泊所の空き部屋をリニューアルしてホテルとして、横浜観光客をここに泊らせようというのである。
 どこの観光客が「ドヤ街」なんかに泊るものか、と思うが、やってみると結構いるのであった。都心であるから何かと便利であるから、なんの予備知識もない外国人、懐のさびしいバックパッカーやスポーツ遠征隊など、さまざまな客が1泊3000円の宿賃につられてやってくる。
 その「ドヤの街からヤドの街へ」の事業をやっているのが「ファニービー株式会社」である。このたびのツアーでは、この会社の幹部のかたに寿町ツアーガイドをしていただき、インタビューをした。
 この会社は、地域で福祉活動を行っている非営利団体の「NPOさなぎ達」を運営している人たちが立ち上げた。この街の簡易宿泊所に空き室を持っているオーナーたちと契約し、その空き室をホテル(ホステル)として運営し、売り上げをオーナーと折半しているビジネスである。ツアーガイド・インタビューもビジネスとしている。
 ハードウェアとしてドヤの建物が再生し、ソフトウェアとしても新たな人たちの流入で街に活力を再生するのである。このビジネスは、まさに「まちづくり」活動である。まちづくりをビジネスとしていることは、実にすごいことだ。採算がとれているかどうか聞かなかったが、新たなビジネスモデルである。NPOと会社の両輪であるところも、先進的である。

●普通のまちへ
 この街の姿も、ここで活動する人々のおかげで、この数年で随分きれいになったのだが、それでもまだ歩くには、非合法らしいと店もあってちょっと引いてしまう。それがここにどんどん見知らぬ宿泊客たちが入りこんでくれば、「普通の街」に変っていくだろう。
 「普通の街」とは、特定階層の人がいる特定機能の街ではなく、多様な人々が暮らし、働き、行き交う街のことである。「多様な人が今の寿の町の良さを残しながら、何かを排除してのまちづくりではなく、懐の深い街として、現生態系を残しつつ、街の元気さを取り戻してゆきたい」と、ファニービーのリーダーたちは語る。これこそまちづくりの本質である。ニューヨークにおけるようなゼントリフィケーション(下層階級追い出し策)ではないのだ。
 現に外国人やら若者がウロウロしていて、その気配が見えてきている。駅に行くにも遠回りして避けていた近所の人たちも、ちかごろは通り抜けるようになったそうだ。そしてさらに普通の人々が住み働く普通の街になれば、まさにそれは特殊な街だった寿町の再生である。
 地域内部は行き詰まったなかで起きてきた内部不経済を克服するのに、外部経済を利用するのだ。それは実は、ここが横浜都心に立地するというポテンシャルの高い内部経済の顕在化である。
 もっとも、ここが普通の都心の街になっていくには、それなりに課題はいくつもある。まずは、空き部屋に非合法な営業がはいってこない対策がいるだろう。黄金町の非合法飲食店街排除のような強力なクサビが、原状対策としても予防対策としてもいるだろう。
 クサビの反対のカスガイとしては、高齢化する人たちへの福祉的対応がますます必要となる。別の意味でその盾の両面となる強力なカスガイが、ホステルビレッジ事業である。
 現在の小部屋ばかりの建物が過密に立ち並ぶ環境は、決して普通のビジネス街や住宅街には適さないので、再投資が必要になる。つまりガタが来たところをカスガイでとめる段階の次には、新規普請も必要になる。
 それが個別投資のままでは街としての再生は難しいから、総合的な計画や特定のインセンティブ政策あるいはコントロール策も必要である。普通の街を見越した公共投資の先行が望まれるところである。
 潜在するポテンシャルが高いだけに、空洞化して実質的な住民がいなくなる街に登場する投資家のビヘビアが気になるところだ。(070903、0906補筆)

・Yokohama Hostel Village 
・寿地区が「ドヤの街」から「ヤドの街」へ 
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