コラボレーション能「謡かたり隅田川」


野村四郎コラボレーション能
「謡かたり隅田川」を見る

伊達 美徳
 
 シテ方能楽師の野村四郎は、能を他の日本古典芸能と積極的にアレンジして演じている。
 2003年には邦楽の全部を舞台に上げて能「熊野」(ゆや)を演じたし、2004年には「隅田川」を宝生流の地謡で演じ、2005年には「謡かたり隅田川」と称して豊竹咲大夫の義太夫演奏で隅田川を演じる試みをしたのを、いずれもある種の違和感と新発見で、興味深く観たのだった。


 『謡かたり隅田川』について、公演前の記者会見でその演出家と2人の演者はこうかたっている。

《 「謡かたり隅田川」記者会見のもよう 》
 去る5月12日永田町・北野アームスにて「謡かたり隅田川」の記者会見が行われました。
 「
能×浄瑠璃=∞」と冠したこの公演、能と文楽浄瑠璃の史上初の試みは、その世界を無限大にひろげるー。

  この公演のきっかけはどういう事でしょうか?

野村四郎 咲大夫さんの浄瑠璃を聞いて、その終演後にお酒をかたむける機会がありまして、そこで意気投合、まあ、シェイク・ハンドしたわけです。で、是非一緒に舞台をしてみたい。と、ただ、二人だけではなく、外から見てくれる第三者が必要だなと…。村さんは?と聞きましたら、咲大夫さんも「良く知ってますよ」ということで、村さんにお願いして“謡かたり三人の会”となりました。

豊竹咲大夫 私の父が長男を能・次男を文楽・三男を歌舞伎、その中で次男三男の共演ということで歌舞伎とは公演をしておりまして、「知らんよりは知っている方が良い。やらんよりは、やる方がよい」ともよく申しており、チャレンジ精神の好きな人でした。今回は世界遺産のドッキングですね。毎月の文楽にもまして、緊張する、インパクトのある仕事ですね。

村 尚也 お二人の間で「隅田川」がすでにあがっていたわけですが、既成の語りとは違う形を取り入れたいとじっくり考えまして、奥浄瑠璃の「白川合戦」を持って来ました。咲大夫さんのチャレンジ精神で語りの地平を拡げていただこうと思いまして、今回はあえてカタカナで「謡カタリ」としました。野村四郎さんには、居方を変えてもらう、三味線で舞う、素の朗読で舞うということにチャレンジしていただきますが、京から江戸までの長い道のりを移動することなども、いつもとは違う形になると思います。絶対、今までなかったラストです!ラスト15分は誰にも言わないで下さい!(笑)装束なども今までとは違います。

 この公演について、もう少しお聞かせ下さい。

野村四郎 芸大で三年続けて舞台を創った時に、はじめて三味線・琴・尺八と出会いました。我田引水にならないよう、そして、シャモの喧嘩にもならぬよう、かといって仲良しのお手てつないでにもならぬよう、厳しく、でも調和もし、スレスレの所に身をおいて、やっていきたいと思っています。今回は装束と言わず、あえて衣裳と申しますが、衣裳も新しく工夫し、囃子方の居方も変え、能舞台の決まりを崩して、新しい動線を再考してゆきたい。

豊竹咲大夫 文楽の隅田川には中の巻しかありません。清元の方は聞けば聞くほど名曲ですが、匂わせる程度はしても、引きずられないようにー、と思っています。あと、他流の後輩の演奏家と一緒にさせていただく事も、とても楽しみです。今は曲をどのようにするか悩んでいるのですけれども。

村 尚也 咲大夫さんは清元へ逃がさないように、四郎さんもとにかく逃げないように、という事ですね。今まで見たことのないものを見たい。第一の目撃者になれるようにと思っています。
(伊達注:インタネットでこれを拾ったのだが出典が分からないまま引用をお許しを)

 この記者会見で、言わないでくれというラスト15分は、たしかにストーリーとして新しい試みだった。
 能の「隅田川」は、子方の幽霊が消えた後、母はただただ嘆きのまま、救いのないまま終わりとなるのだが、この公演では後場が加わり、子の菩提を弔うために尼となった母親が登場したのだ。
 その尼姿があまりに美しかったので、あの嘆きが消えた救いの場なのかと一瞬思ったのだが、実はその深い悲しみの末に入水して果てるのだった。救いと見せてまた嘆きを極めるドンデンカエシか。

 たしかにこれは意表をついた。シテは一言も発せず、ほとんど橋掛かりで演じたのは、この後場自体がこの世でない状態を表現していたのだろうか。
 三味線(鶴沢燕二郎)による義太夫かたり(咲大夫)に加えて、母の悲しみの表現として、胡弓の囃子が登場したのだった。胡弓は笛に替わる悲しみの音だが、笛よりも音色が柔らかすぎる。三味線もそうだ。

 あらためて能の硬さというか抑えた演奏と演技の持つ意味を思ったのだった。つまり文楽では舞台から見所に語りかけるところが、能と比べてかなり多いらしいのだ。そういえば、歌舞伎舞踊の「隅田川」も、母の狂乱があまりに過剰表現である。
 文楽好きは文楽の視点から見、能好きは能の視点から見る。それだけではこの公演を見たことにならないのだろう。新たな視点を誰か教えていただきたいものだ。
 公演の後のTV番組で演者たちは、まだまだ次の段階があるとかたっていたので、楽しみである。(2005/12/03)
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まちもり散人,
2016/11/27 19:39
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