地域の縮め方閉じ方を研究したい2007

伊達 美徳

                          2007.2.13中山間地再生研究会において提案

 はじめに

 あらかじめお断りしておくが、ここに書くことは最近になって考え始めたことなので、まだまだ研究しなければならないことが多いままに、未完成というよりも考える過程を公表することで、多くの方々の意見を聞きながら、考えを推し進める予定の論である。
 ここに特定の地名が出るが、それはたまたま私が知っているところであって、ここに論ずる方向があてはまるものであるかないかは分からない段階であることも、お断りしておく。
 なお、この論は、(NPO) 日本都市計画家協会の「第1回中山間地研究会」(2006年11月)において研究テーマとして提起したものをアレンジ、加筆している。

1.山間地の再生はあるのだろうか

 日本で人口の都市への移動が1960年代後半からの高度成長に始まり、中山間地の人口減少が著しく進み、過疎・過密といわれる問題が登場した。
 そのことは、私が2005年秋からたびたび訪れてい て、この論を考えるもとになっている山間の小集落の長岡市小国町法末(以下「法末」(ほうすえ、ほっせ)という)において 、1987年に法末小学校の廃校となったことで象徴される。

 日本の農業人口は、高度成長化のなかで工業化生産性の高い都市に吸収されていって激減し、兼業農家(農作を兼業するサラリーマン)が農業人口の大多数を占める状況にある。
 その結果かどうかわからないが、国際化の波もあるにしても、食料の自給率は今や、熱量供給ベースで40パーセント(1965年は73パーセント)、穀物では28パーセント(同62パーセント)だそうである。
 そして21世紀となった今では、日本全体の人口の減少が始まった。それは日本全国で一様に相似形に人口減少が起きるのではなく、人口の移動、再配置が急激に起きると予想される。すでに大都市への移動が始まりつつあり、中小都市や農村部ほど減少傾向は著しい。
 そのようなときに中山間地つまり農業地帯はどうなるのだろうか。そのようなところでよく言われている地域の再生という命題があるとしたら、それは何を意味するのだろうか。平地の中間地はある程度は分かる(ような気がする)のだが、山間地は一体どう考えればよいか。

 まず考えることは、農業による食糧生産を輸入に頼って減少させてよいのだろうか。これから日本の人口は減少するが、アジアやアフリカ諸地域では人口爆発はまだ継続し、同時に肉食等の食生活の変化が進むと、農業生産の食料輸出国(アメリカ、オーストラリアなど)は、日本に輸出するよりも人口増加国にまわすようになるに違いない。現に中国は輸出国から輸入国に転じた。
 1992年に気候のせいで日本で米の不作が生じて緊急輸入したことがあるが、そのように日本の食糧安全保障は頼りない状況にある。

 これから国内での食糧確保は必要であることは当然であるが、一方で農業を支える人口が減少することに対しては、生産方式の革新によって生産量を上昇させる方法がとられている。
 これまで機械化、農薬、化学肥料がそれを進めて、いわゆる3ちゃん農業とか片手間農業も可能となった。そして今、その最たるものが大規模農業化政策であることはいうまでもないだろう。
 皮肉にも、大規模農業化は農業人口を減少させることになるであろうし、大規模化に向かない山村農業の衰退を意味する。長岡の小国町でも、中間地である渋海川沿いの平野部は農業生産で生き残ることができるだろうが、山間地の法末のような集落では農業で生き残ることは可能なのだろうか。

 山里の棚田について、それが地域の文化であるとして保全策を講じているところもある。佐渡の山中にある千枚田と呼ばれるものすごい傾斜地に幾重にも重なる棚田を見たが、それはもう耕作をする人がいなくなっていた。もうすぐ林 から森になるのだろう。現にその近くにはそのようなところがたくさん見られる。
 もちろん住民がいれば山間地でも「農作」はあるだろうが、「農業」ではなくなるだろう。つまり中間地の生産効率による生産物の価格に、山間地の労働による生産価格はついて行けなくなるだろう。そのようなところは、どこまで地域を維持できるのだろうか。

 もうひとつは山間地の林業である。戦後の拡大増林でスギ・ヒノキを植林したが、伐期になった今頃は外材のせいで価格下落で伐りだすと赤字になる始末である。その経過のうちに今は林業従事者が激減して、森林施業技術が衰えている有様である。高知県の山村集落の調査報告(「山村環境社会学序説」大野晃 2004)によれば、スギ・ヒノキ植林の多い集落よりも、広葉樹林の多い方が森から収益を上げられて持続性があるとしている。

 地域で食って行ける産業が、林業は減退し農業だけでは無理、現代工業生産は山里立地はありえないとなれば、居住人口が減るのは当然のことで、そこに地域再生とはどのような意味があるのか、一体それは必要なことなのか。
 地域おこし、村おこしは生活圏を維持するために当然に意義のあることだが、ここではあえて問題提起したい。

2.山間地に新規あるいは継続居住ができるか

 ここでは大規模農業によって農業生産を継続できる中間地については、とりあえずさておいて(ここにも大きな課題はあるのだが別の研究としておく)、小規模の山間地集落の将来を考えてみたい。
 山間地集落において農業でなくて生きていくにはどうするのか。それはたとえば、農作物に高付加価値が付けられるならば、特殊な流通ルートによる販売で生きる道を行っているところもあれば、農を生産の業とするのではなく、レジャーとして都市住民に耕作させる方法も行われつつある。

 農山間地域再生の策を見ると、地域の中で生きがい策とか、新たな住民誘致策とか、新産業起こしあるいは産業誘致策とかである。
 また、地方の市町村が都会から住民を誘致する策もいろいろあって、戦後ベビーブーマーの団塊となっている世代がリタイアする近い時期をねらって、その高年層を呼び込もうとしている地域競争もあるようだが、考えようによっては次の超高齢問題を 場所を変えて先送りしているだけかもしれない。
 これらに並んでいるメニューは、いずれもこれまでの地方都市振興策あるいは中心市街地活性化策とほぼ同じで、それらはいずれも苦戦の最中である。
 しかし根本的には、地域を支える人口の減少が止まらないところにある。既に山間地を出て中間地あるいは都市に移り住んで、山間地に通い農業をしている例は、2006年に合併で長岡市になった震災の地・山古志でも、震災以前から多くあるそうだ。

 それもひとつの方法だが、農業は支えられても工場に通勤しているようなものであり、集落コミュニティは崩壊することになる。それもひとつの方向ではある。このとき、移り住んだ先の地域に元の集落コミュニティもそのまま移っている例もあるかもしれないが、これ もコミュニティ維持のひとつの方法であると言える。
 都市住民を誘致して移住させる策では、やってくる移住者には住宅確保の優遇措置をとるそうである。田舎で暮らそうという一種の流行もあるようだし、団塊世代をねらって移住させようと言う考えも聞くが、現実にその集落コミュニティを維持するほどの移住者がある例は、日本全国でどれほどあるだろうか。
 都会暮らししか知らない団塊世代が、田舎暮らしを簡単にできるはずもない。それまでに長期にわたって何らかの準備をしていたもののほかはそう簡単なことではないし、長続きするとは思えない。山間地集落の数とそこへの移住者の数を把握はできていないが、全体から見ればごくわずかであるだろうし、これからも例外的な数字だろう。

 この逆もいえるのだが、歳をとってから急に山村から街に移住することも、同じような問題を抱える。先の高知県の山里の報告に次のようにある。
 「高知県のある自治体では、数年前に集落移転を実施し、山間僻地の高齢化した限界集落の住民を中心市街地の公営住宅へ移転させたところがある。しかしここでは公営住宅に移転した老人たちが、次々と病気になり、次々と死亡していったので、移転の是非が問われた。これは高齢者が新しい生活環境になじめめず環境不適応によるストレスが原因とされ、集落移転が高齢者の死期を早めた事例である

 人間は動物だから必ず高齢化して弱るものである。不便な山間地、とくに豪雪、寒冷のような気候的に居住条件にハンディのある地では、高齢化する住民たちがいつまでも住めるものではないだろう。
 中山間地の活性化を言うときには、活性化できるのは数ある日本の山間地集落の中の、ほんの一部にすぎないに違いない。大多数は閉じざるを得ないはずである。 
 逆に集落コミュニティを閉じる方策、それも幸せに閉じる方策(里じまい)も合わせて考えるべき時代が来ていると思うのである。

3.里じまい政策が必要な時代が来ている

 地域の振興・活性化・再生・自立を言う声は大きく、地域を閉じ畳み仕舞うことを言うのは、政治や行政ではある種のタブーである感がある。
 仕舞うことは失敗とする風潮があるが(ちかごろの夕張市の騒動に見る如く)、それは明らかに人口増加の経済発展時代の考え方の遺物である。今や、振興とともに撤退政策を正面きって考えなければならない時代が来ているのである。
 確実なことは、だれもがいずれ後期高齢者となれば、農作労働、保健医療介護、日常移動など、山間地には非常に住みづらくなるということだ。それは現実に起きていることであり、もはやタブーとすることはできないはずである。

 話は変わるが、中心市街地活性化に関しても、どの街もどの商店街も活性化はありえないのであり、どこかは閉じざるを得ないのである。閉じ方をかんがえずに閉じざるを得ないことは、不幸である。
 現実の例として夕張市の現今の話題も、実は閉じるべきときに閉じ方を失敗したのであるともいえる。本当は閉じたかったのだろうが、それを誰も言い出せなかったのであろう。活性化策ばかりでなく、幸福な閉じ方も重要な政策とするべき時代が来ていることを夕張は教えている。

 山間地も閉じざるを得ない道をえらぶことは現実に多くあるはずであり、それならば幸福に山里から撤退する政策を進めるべきである。それを住民、市民、行政、政治などの人々が互いに明確に確認しあって、そのときのための施策を確実にたてておくことが必要であると思う。誰しもがそれまで暮らしてきた地を去ることは嫌であるし、去っていった人たちへの残った住民のある種の目も気になる。
 ある行政担当者から聞いたことだが、中越地震被災地の山間地から避難生活を続ける人々にアンケートをしたところ、やはり山に戻って死にたいとするものがほとんどであったと言う。それはもっともなことである。誰しもそれまで長く暮らしていれば、そこを死に場所としたいのは当たり前だ。

 だがしかし、それは人口減少時代に誰も彼もできることではなくなるだろう。過疎化した山村に高齢化しても暮らすには、それを支える社会コストを誰が負担できるかという問題が必ず起きる。だから街で死ねとは、誰も言えないし、ましてや今の行政や政治がいえるものではない。いえなくとも、これからは山を去り街で死ぬ政策を採らざるを得ない現実が、すぐそこに待ち構えているのである。
 人口減少と高齢化でコミュニティーを維持できなくなった山村の孤立した山の中の家で、病気を抱えてタクシーで病院に通いつつ暮らしている超高齢者夫婦あるいは独り者が実に多くいる現実は、先の報告の耕地の山村に数多く見ることができる。 わたしも現にその実例を知っている。
 そうなるまでほうっておいて良いはずがないが、現実はそうなのである。それは村をきちんと閉じるチャンスを与える政策がないからだ、としか思えない。

 店じまいがあるように、里じまいがあり、村じまいがあり、街じまいがあるはずだ。そう、「まちづくり」には「まちじまい」も必要な時代なのだ。
 店じまいと違うのはそれが社会的な事件であることで、だからこそ政策とするべきである。そのとき重要なことは、それを幸せな政策とすることである。環境激変の集落移転による弊害がおきないような移転、つまり、これからの政策には、その地に生きる策の一方で、その地を幸せに去って次の地に幸せに移る方法はどうすれば良いのだろうか、それが策の要になるはずだ。

4.ゆるやかな里じまい

 現実に起きていることを見ると、山間地から他の山間地に移動する例は、皆無ではないだろうが例外であろう。ほとんどは近くの街あるいは大都市の縁者の近くに移るものである。
 ここではその地域から住民が撤退して他に移る作戦と政策を、積極的に考えたいのである。山里を降りて街に移るプロジェクトである。
 実はこれまでにこのようなことが行われていなかったわけではない。高度成長期このかた、人々は世代移行や職場の選択によって生活圏を移動してきたのである。

 しかし、それは個人もしくはその属する組織のリスク負担によってなされてきたのである。それは成長社会であり、若者社会であったかららこそできたのである。
 成熟、低迷、高齢、人口減少社会では、個々人の資力に頼っていてはあまりに多い落ちこぼれ格差が生じてくるにちがいない。今後は政策的な支えが必要である。
 これがナチスのゲットー政策のような強制移住策であってはならないのはもちろんである。移りたくないものへのシビルミニマムは、当然必要である。
 なお、ダムによる水没や震災による集団移転のような、短期のやむをえない移り方は、ここでは参考事例としない。

 生活基盤を移すのであるから二つ以上の地域にわたり、円滑にかつ幸せに進めるには、短期では経済的にも社会的にも難しく、10年以上のゆるやかな長期作戦となるはずである。
 二世代にもわたるくらいの長期スパンの政策でなければならない。日本の人口減少の速度に合わせつつ、それに遅れないように一歩ずつ前に手を打つのである。
 近くの街に移って通いで農業をする、近くの街に移って家屋や田畑を他に貸す、財産を処分して他に移るなど、移り方もいろいろあるだろう。プロトタイプを想定して、それを円滑に支援する策を考えなければならない。

 実は現に通勤農作はかなり多くで行われているそうである。中越地震被災地の山古志でも、住民票は山古志においているが、震災前から長岡の街に住んで山古志に通勤農業する人はけっこう居たそうである。その人たちには他の自治体に移ったという後ろめたさがあったが、長岡と山古志村の合併で同じ市内となったことでそれがなくなったという。意外な合併効果である。
 法末でも、長岡等の近くの街に住む息子たちが農繁期には応援に来ているから農作を続けている人もいる。と言うことは、今後はますます通勤農家が出現するかもしれない。自動車 と道路の普及は、農業構造にこのような影響をもたらしてもいるのだ。 思えば、山古志では震災復興で実に便利な道路が整備されたが、これは通勤農業を助長するに違いない。

 では、どのような政策か。簡単に言えば、地方に都会から人を呼び込む策の反対をやれば良い。まずは山里の人々が街の中に暮らす拠点をもうひとつ持つことを政策として支援するのである。
 それもできれば40~50歳代からはじめる。農閑期には街に暮らし、農繁期には山に暮らす、あるいは街から山里に通勤農作をするのである。
 山里と都会交流策がいろいろとあるが、いずれも町から山に呼ぶのが主流であるが、そうではなくて反対に街の人たちが山里の人たちを迎え入れるのである。

 超高齢化した後ではなくて、高齢化が始まろうとする人生期から、医療福祉や教育環境の整った街の暮らしと、農作や自然環境の整った山の暮らしを、同じように行 うのである。そうすれば死に場所を山でも街でも選択できる。
 誤解を招きそうな冷徹な言い方だが、人間のふるさと意識はそのようなものであることは、古希を迎えた自分を例にとってみてよく分かる(私が普遍的、代表的な考えの人間とはとても言えないが)。
 このような「里じまい」地区においては、たとえば、他の地域、できれば歴史的にも地理的にもその母都市的な位置にある街に、里の「飛び地」的なゾーンを作ることにしてはどうか。そのゾーンに、村住民の共同住宅や戸建住宅を設けて「飛び地 里」を構成し、ここを街暮らしの拠点とする。ここと山の暮らしの2地域居住から、時間をかけて年齢とともに次第に街暮らしへと移行するのである。

5.里じまい・緑おこし

 長期戦略で展開する街暮らし移行プロジェクトと表裏一体なのが、自然環境復原プロジェクトである。仕舞う方の地域についても、時間をかけてその地域にふさわしい自然環境に戻していくのである。
 棚田と里山に代表される今の山村景観は、決して生態的な自然本来の姿ではない。長い長い人間と自然とのせめぎあいのなかで、少しずつ人間が自然を飼いならして、人工空間に仕立ててきた環境の表現としての人文景観である。

 環境保全策として棚田を守れ、棚田が放棄されると下流域は洪水にさらされるという論がある。本当だろうか。
 日本の自然の回復力は非常に強く、放棄した棚田はたちまちにして雑草に覆われ幼樹が芽を出し、十数年もすると立派な林になってくる。奥能登の山村と漁村を歩き回ったことがあるが、そのような所をいくつも見た。法末においても2004年の地震災害の跡は、今はどこかわからないような緑の覆いぶりだ。放棄された棚田もしかりである。自然植生の森は田畑よりも保水能力があるから、できるだけ早くその地域本来の自然に戻すプロジェクトを進めるべきである。

 人口減少と超高齢化そして農地の集約化政策において、いずれ放棄を免れない棚田はかなりの面積を占めるに違いない。その棚田を保全して稲作を継続する仕組みづくりもあるだろうが、一方ではできるだけ早急に本来の自然に戻してやる仕掛けも必要だ。国土保全策としての「みどりおこし」である。
 自然環境復原プロジェクトは、尾根筋から斜面は自然林に、林道のあるところでは生産林に、集落や街に近いところは里山にと、いくつかのゾーニングによって回復手法の対応を考えるべきである。

 まず基本は、その地にあった潜在自然植生種の自然植生樹林を復元することである。ヤブツバキクラス域の地域ならばシラカシ、アラカシ、シイ、タブなどの照葉樹林を、長岡の山間地のようなブナクラス域の地域ならばブナ、ミズナラ、シラカバ等の落葉樹林を復元するのである。
 植生学者の宮脇昭氏が実践している「どんぐり作戦」方式がある。その復原作業自体を地域の公共事業としてもよいし、地域住民と都市住民参加の自然環境復原イベントとすることもよいだろう。5年もすれば自然林は育ち、もう人手は 必要なくなる。

 もちろん森は自然林ばかりではなく、里山や生産林のように人の手を入れなければならない人工的自然もある。里山はレクリエーションの場として利用するだろうし、用材のための生産林は林業の場として生かすことになろう。
 先にあげた高知の報告によれば、植林の盛んな集落では、その地を去る人はその田畑にスギ・ヒノキ植林をして出て行く習慣があるという。ところが不在地主は、その植林の手入れをしないので 、木も草も生え放題の林は他の田畑の日当たりを悪くし、農業の害虫をはびこらせることになる。そこで集落によっては植林禁止の申し合わせもしているそうだ。自然への戻し方も、緩やかにしていくルールがいるのである。

6.地域の縮小及び閉鎖に関する特別措置法

 ここまで山里を中心に地域の仕舞い方をどう考えるかを書いてきたが、山里に限らず、田園地帯集落でも、地方中小都市市街地でも、どこでも仕舞う方向への動きは、かならず起きるはずである。
 それに対して現段階では、都市政策に仕舞い方はもちろんないし、農業政策はよく知らないが多分、仕舞い方に関する政策はないだろう。
 たとえば建築基準法には、建築を建てたり増築したりすることに関しては詳細に書いてあるが、これを減築(こんな言葉は辞書には無いが建築業界では最近使われる気配がある)や、取壊し撤去については何も無い。最近は建築設計から遠ざかっているからよく知らないが、昔と同じくそうだろうと思う。

 だいぶ前から考えていることだが、建てた建物を取り壊させる法律が要る時代になっている。たとえば地方都市の郊外を走ると、ロードサイドショップの空き家が目立つようになっている。安物建築でもともと小さな市場を相手にしているから市場を食い荒らして飽和すればすぐに撤退して、あとは空き家のまま風景が醜かろうがお化け屋敷になろうが犯罪の巣となろうが知ったことではない、というのではあまりにひどい。このような建物は、その所有者等に撤去義務を負わせるべきである。

 都市計画法には、区域、地域、地区等の指定を縮小したり拡大したりして、都市縮小化への対応は可能であるが、現実にそのような縮小化の方向へのコントロールを行っている例はごくわずかであろう。そこには、まだ縮小が悪と言っては言いすぎならば、負け組の思考が働いているから、政治的にできない状況がある。
 都市計画法では市街化区域から市街化調整区域に逆編入すると、まちじまいになるのだろうか。しかし、その後どうするかは書いてない。市街地開発事業は7つもメニューがあるが、市街地縮小・閉鎖事業はどこにもない。

 たとえば市街地縮小促進地域制度を設けるか。一定の期間内に市街化地域から市街化調整区域に編入する、あるいは都市計画区域から除外する区域を決めるのである。
 このあたりの技術論は制度の専門家に考えていただくとして、いずれにしても拡散している市街地が次第に希薄になっていくときに、建物だけが残ったままでは、そこを田畑や森林に戻す国土保全策としては困るのである。

 現在あちこちで起きている商業活動の末に店舗等を放棄した原因者に、建物の撤去か費用負担の義務付け制度がとりあえずは必要と思うのである。まずは大店立地法に盛り込むべきと思うのだ。
 これから夕張のような地方都市もそうだし、大都市だって拡散した郊外を仕舞う必要があるし、ニュータウンだって仕舞う必要のあるところは多いから、山間地も含めて「地域の縮小及び閉鎖に関する特別措置法」(地域じまい法)なんて法がいるかもしれない。

 誤解を招かないように付け加えておくが、その地域を閉じるから他に強制移住せよ、というような仕組みを提案するものではない。それは中心市街地活性化法が、中心市街地に人々を強制移住させるものでないと同じである。
 ただし、閉じた地域で暮らすにはそれなりのコストがかかるようになるのだ。それを福祉として社会が負担するのか、個人の好みとしてその人が負担するか、それが政策である。
(未完、この問題はもっともっと、そして急いで考えねばなるまい)
 (070213、100319村→里修正)


Comments