シカゴ・レークサイド教会の歴史
History of Lakeside Church of Chicago

第2次世界大戦の最も激しかった1943年5月、葛原定市牧
師は、主の導きでグラナダ強制収容所を去り、シカゴに来ました。葛原牧師のビジョンは、強制収容により立ち退きを余儀なくされた日本人たちに福音伝道を始めることでした。

それからまもなくして、一世と二世による集会がシカゴ市フラートン通りにあった吉田医師夫妻の家で開かれました。当初集まったのは16人でした。

1943年9月、当時ムーディー・メモリアル教会の牧師であったアイアンサイド氏の力添えで、ムーディーのトーレイ・チャペルが葛原定市牧師とその 信徒のために礼拝堂として開かれました。それは、「ムーディーの日本人キリスト教会」として知られるようになりました。このことは、当時の日本人のおかれ た状況を鑑みると、大変重大な事件として評価されるべきものでした。なぜなら、アメリカは太平洋地域で日本との戦争に従事しており、日本人と日系アメリカ 人は、西部地域に設置された強制収容所に捕虜として収容されていたからです。そのために、日本人の信徒がムーディーの施設を利用することに反対する者もい ました。

1949年、ムーディーの日本人キリスト教会は、シェフィールド通りとウエリングトン通りの北東の角に移転し、その名をレークサイド日本人キリスト教会(「レークサイド」)と変更しました(写真参照)。

1997年、レークサイドは、レークビューの隣接地にあった教会の建物を売却し、その後4年間パーク・リッジのサウス・パーク・チャーチを借用していましたが、2001年に、現在の建物を購入し、その名をシカゴ・レークサイド教会と変更ました。

レークサイドは、日本人や日系アメリカ人だけでなく、さまざまな文化を背景に持つ信者が集う教会へと発展しました。私たちは、マタイ福音書28章19–20節にあるみ言葉「大宣教命令」に従い、「キリストを知りキリストを伝えること」を使命としています。

私たちは、主なる神への愛(「心を尽くし思いを尽くし知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」:マルコ福音書12章30節)、キリストの体における 兄弟・姉妹の愛(「私があなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」:ヨハネ福音書13章34–35節)、そして隣人愛(「あなたの隣人 をあなた自身のように愛せよ:マルコ福音書12章31節)を育み、神ご自身と真理の証として、また私たちの信仰と実践の規範として、聖書のみ言葉を伝えま す(テモテへの手紙第二3章16−17節)。