『老子』の日本語訳

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「老子」は前編(道経)と後編(徳経)の二部で構成されている。本サイトは後編(徳経)のみを解説する。後編は「足るを知る」、「和光同塵」、「大器晩成」、「天網恢恢疎にして漏らさず」、「無知の知」の出典である。これらの故事成語がいかなる文脈のもとで成立しているのかを理解しておくことは、今後の人生において、発想の質を豊かにして、生活の質を高め、決断と覚悟の質をより確かなものにする上で重要である。

前編(道経)と後編(徳経)では知性に対する姿勢が根本から違っている。後編(徳経)では冒頭から「上徳不徳(すぐれた徳は不徳である)」という言葉でもって知性そのものを否定している。これはソクラテスがデルフォイの神託を受けて「I know that I know nothing」という考えを展開したのと全く同じセンスである:自分の知性の底の浅さに絶えずに打ちのめされていない限り、誰しもが安逸に傲慢と化す。

老子やソクラテスのように、自分の知性を絶えずに否定する姿勢を堅持できる人物は賢明である。その姿勢のもとにいれば、あらゆる先入観を淘汰できる。いかなる知識も偏見なく受け入れられる。接した知識のうち有利なもののみを選択的に吸収できる。この習慣のもとにいれば、年を経るごとに知識のさまはより確からしいものとなり、発想や思想はより謙虚で柔軟なものへと転換していく。おのずと「大器晩成」の人生となる。

目下、社会環境はめまぐるしく変動している。昨日の常識が今日の非常識となることは珍しいことではない。にも関わらず、人の平均寿命は案外と長い。10代から20代までの頃に各教育機関で懸命に学習した知識はすぐに役立たずとなる。刻々と変わり続ける社会環境の変動に対して同期を怠れば、まもなく現代社会に適応できなくなる。したがって長命の現代人にとって「大器晩成」の生き方のほかに妥当かつ安全な選択肢はない。

後編(徳経)が知性そのものを否定するのに対して、前編(道経)は「絶聖棄智」という強い言葉でもって知識階級を否定する。知識階級の否定は、20世紀において中国の文化大革命(1966-1976)やカンボジアでのポル・ポトの大虐殺(1975-1979)という形で現実化した。知識階級が虐殺された末の国土には、相互不信の無能の国民しか残らない。前編(道経)は、世論を右傾化させる要因を理解する上で一つのヒントを与えるかもしれないが、実質的には読むに値しない。

有能な権力者が国家を支配することは国益にかなう。世論はその権力者に期待して支持を惜しまない。ともすると愛国心の名のもとに勝手に、しかも政権の意図とは別に、右傾化する。日本の安倍政権、ロシアのプーチン政権や、トルコのエルドアン政権がその好例である。そして、ひそかに確実に権威主義が現実化する。有能で絶大な権力者ほど、日頃の謙虚な物腰と、権勢からの引き際が肝心となる。

ソクラテスや老子などの知識階級は権威主義に対して必ず反発する。ところが世論がすでに右傾化していると、その反発をいたづらに抑制する:ソクラテスが人民裁判で処刑されたこと、戦時中の日本の軍国主義のもとで吉田茂が投獄されたこと、1930年代のスターリンによる大粛清、文化大革命時の人民裁判による公開処刑など、そのいずれも理不尽かつ劇的であった。知識階級の発言や活動が大幅に制限されることによって、その国家や組織は硬直して脆弱となる。そして破綻を早める。

権威主義は神秘主義と結びつきやすい。文字通りの言語道断の発想のもと、論理的な思考を停止させて権力者を神格化させることは歴史上では珍しい現象ではない。飛鳥時代の天武天皇および持統天皇の時代以降、「天皇」の称号が造語されて通用した。日本史において、この造語が長らく神がかった存在として認識されてきた。この種の神格化は人類史において繰り返し生じている。科学文明の発達した現代においてさえも、北朝鮮で金正恩の男系系統が神格化される手続きの中にある。

後編(徳経)のように知性そのものを否定する世の中であれば、権威主義と神秘主義のももろとも根絶される。既存の知性に対して否定的な態度を示す知識階級の活動は活性化される。ところが前編(道経)のように知識階級を否定する世の中であれば、既存の常識に固執する衆愚が増長して、権威主義と神秘主義は跳梁跋扈する。前編(道経)と後編(徳経)はそれぞれ相反する世界観に読者を誘導しようとしている。

紀元前2世紀の馬王堆漢墓で発掘された2種の写本のいずれも、現実主義の徳経の後に、神秘主義の道経が続いている。前述の通りに神秘主義は蛇足である。徳経の知性に対する考え方を曲解した神秘主義者が道経を書き添えて、その神秘主義者のコミュニティーを通じて道経と徳経がセットにして流通したものと考えられる。老荘思想として分類される莊子は、その手のコミュニティーの一員であった。

紀元後2世紀から3世紀にかけて、中国の漢王朝が荒廃して、三国志の国家群が興亡する。この頃の凄惨な戦乱ゆえに、中国の人口が短期間で極端に激減する。差し迫る死から逃避したい多くの人民が安楽の超日常の世界観をたのんで、五斗米道や太平道などの新興宗教を興す。その頃に流通した写本(王弼本)では、徳経と道経の順番が逆転して、神秘主義の道経の後に、現実主義の徳経が続いている。すなわち主客が転倒した。

6世紀末から隋王朝は中国を再統一した。仏教を国教と定めた。インド由来の仏教に対抗するべく、中国発祥の道教が整備される。7世紀の唐王朝は隋王朝の崇仏政策を踏襲せず、道教を興隆させた。とくに第18代皇帝武宗(在位840-846)は中国全土で廃仏毀釈運動を展開した。道経と徳経を一体不可分とした道徳経は、法華経や華厳経などの仏教経典と遜色ない体裁であり、道教の聖典として格好であった。

老子はソクラテスと同様に冷静かつ合理的に知性に向き合った。しかしながら老子は現実逃避(遁世)を容認する集団にその論理が曲解されて、ソクラテスは知性を崇拝する集団にその論理が曲解された。かれこれ洋の東西を問わず、王、皇帝、天皇、将軍などの強力な支配者のもと権威主義に迎合する時代が続いたことから、老子とソクラテスの知性の取り扱い方が意図的に無視されてきた。

本サイトは、諸悪の根源である前編(道経)をうち捨てた。底本として前述の紀元前2世紀の2種の写本(馬王堆漢墓帛書道徳経甲乙本)を利用した。当然ながら、老子のきわめて明快な趣旨を終始一貫として簡明に示すことに初めて成功した。その一方で、神秘主義的な味わいは根絶された。老子に現実逃避の強弁を期待する読者は、さぞや幻滅を味わうことだろう。


1

すぐれた知性の人は、自分の知性に価値を認めない。だから知性がある。ひどい知性の人は、自分の知性の価値を失うまいと固執する。だから知性がない。すぐれた知性の人は、これといった目的を持たず、これといった成果を求めない。すぐれた人情の人は、定まった目的をもっているが、確固とした成果を求めない。すぐれた義理の人は、定まった目的をもっており、確固とした成果を得る。すぐれた礼節の人は、定まった目的をもっており、それに応じない者がいれば、腕をまくりあげて引っ捕まえる。現実が失われてから、知性が注目される。知性が失われてから、人情が注目される。人情が失われてから、義理が注目される。義理が失われてから、礼節が注目される。そもそも礼節は、軽薄な精神の産物であり、騒乱を巻き起こす。予想は、現実のうわつらであり、愚かな人々にもてはやされる。大人物は、根拠の確からしさを求めて、軽薄な思い込みを避ける。核心を探求して、うわつらを看過する。すなわち、あちらを去り、こちらを取る。

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2

かつて一を得た者がいる。天は清澄であるから一を得た。地は安寧であるから一を得た。神は霊妙であるから一を得た。谷は豊満であるから一を得た。侯王は公明正大な政治を行うので一を得た。そのようなわけで、このように至った。もしも天が清澄でなかったならば、分裂していたことだろう。地が安寧でなかったならば、爆発していたことだろう。神が霊妙でなかったならば、雲散したことだろう。谷が豊満でなかったならば、消滅していたことだろう。諸侯と王は、その高い地位が貴ばれていなければ、失脚していたことだろう。すなわち、必ず高貴な人は、卑賤な人を基本としており、必ず高所のものは、足下のものを基礎としている。そもそも、そういうわけで、諸侯と王は、自分を孤児、やもめ、乞食と自称している。彼らの立場は、卑賤な人々を基本としている。違うのか? だから、名誉を数え上げることで、名誉が帳消しになる。すなわち、大事にすべき卑賤な人々を軽視して、軽視すべき名誉を大事にすることを望まない。

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3

すぐれた士人が、現実を聞けば、真面目に取り組む。中途半端な士人が、現実を聞けば、うやむやにする。くだらない士人が、現実を聞けば、大笑いする。彼らに嘲笑されなければ、現実とするのに不十分である。現実を格言でもって記す。散財を惜しんでは、現実を明らかにできない。無理解を受け入れることで、現実の理解が進む。現実を取り扱うことは、多様な要素を取り扱うことである。すぐれた知性の人は、谷のように多様なものを受け入れる。自分にいささかの非もないと信じる人は、恥知らずである。広い知性の人ほど、その知性が浅薄で偏狭であることを自覚している。他人の知性を盗み取って、自分の知性として確立せよ。ぬらりくらりとして、真贋を確かめよ。理解しているようで、し尽くせていない。その人の生き様は、その人の最晩年に完成する。偉大な音はかすかな響きの中にある。偉大なイメージはあって無いようなものである。現実的にみれば、無名が有利である。そもそも現実に立つことで、よく始まり、よく完成する。反動が現実の動きであり、柔弱が現実の働きである。

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4

万物は有限である。その有限なものは、無限の可能性において発生する。この無限の可能性において、ある事象が起こる。その事象は有限であるために、最大値と最小値の両極の範囲内におさまる。最大値と最小値の間には、中間値が与えられる。万物は、最大値と最小値の範囲内で、中間値に近い性質をもつ。このように万物は、最小値である陰を背負い、最大値である陽を抱く。これらの両極を取り持つことで、調和を得る。世の中の誰もが、孤児、やもめ、乞食の立場を嫌悪する。しかし諸侯や王は、その立場を自称する。すなわち、損をして得をすることもあれば、得をして損をすることもある。人の教訓とすることを、あらためて紹介する。強い立場にのみ固執する人はその死を得ない。私は、この格言を学父とみなしている。

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5

天下で最も柔軟なものは、天下で最も堅固なものを打ち崩す。形のないところから出てきて、隙間のないところに入り込む。このことから私は、目的を見失うことが有益であることを知る。現実を踏まえて先入観を否定し、目的意識を見失って実利を得る。これに匹敵するようなものは、天下で稀である。

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6

名誉と身体のどちらが大切か? 心身と財貨のどちらが重要か? 得ることと失うことのどちらにストレスを感じるか? 愛着が甚だしければ、必ず大きく散財する。多くをしまい込めば、必ず重大な損失をこうむる。だから、足るを知れば、恥をかかないし、止まるを知れば、危険に遭わない。そうすることで、生き長らえて、将来を見通せる。

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7

よく仕上がったものは、欠けているように見えるが、使っても壊れない。とうとうと満たされたものは、中身が空虚に見えるが、使っても涸れない。するどい指摘は、まわりくどく見える。的確な答弁は、物足りなく見える。超絶な技巧は、つたなく見える。富裕な人は、卑屈に見える。動き回れば寒さを抑え、冷静であれば熱を抑える。清廉で平静な人であれば、天下の政治を行える。

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8

世の中が現実を受け入れていれば、足の速い馬は重用されず、糞の運搬に用いられる。現実がなければ、軍馬が町外れで飼育される。欲にのめり込むほど、大きな罪過はない。足るを知らないほど、大きな災禍はない。利得を欲しがるほど、痛ましい罪科はない。だから足るを知ることが十分であれば、常に足りる。

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9

部屋から出ないで、天下を知る。窓から外を見ずに、天の道を知る。いよいよ遠くに出てしまえば、ますます知ることが少なくなる。だから聖人は行かずして知る。見ずして名付ける。為さずして成す。

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10

学をなすことは、益。現実を聞くことは、損。損をして、さらに損をする。そうすれば、目的を見失う。目的を見失えば、為せないものがない。天下を取りたいのなら、つねに無理をするな。もし無理をすれば、もはや天下を取るのに不十分である。

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11

聖人はつねに無心である。庶民の心を自分の心としている。善い心を、そのまま善い心として受け取る。善くない心も、そのまま善い心として受け取る。これで善い心を得る。信頼に足りる心を、そのまま信頼に足りる心として受け取る。信頼に足りない心も、そのまま信頼に足りる心として受け取る。これで信頼に足りる心を得る。聖人の天下のありようとは、大量の空気を一気に吸い込むようなもの。天下を渾然一体にして自分の心に取り込む。庶民の皆が、聖人の耳や目に注意をはらうと、聖人の皆は、優しく笑いかける。

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12

安全地帯から出て、危険地帯に入る。生きる者が3割。死ぬ者が3割。自分の命だけでも助かろうと動揺して、危険地帯に深入りする者が3割。なぜ深入りするのか? 自分だけ助かろうとするからだ。このようなことを聞く。自分の命を大切にする者は、密林を歩いても、サイやトラを避けない。軍隊に入っても、武器や甲冑を身に付けない。サイがその角を突き込む隙はない。トラがその爪をひっかける隙もない。武器がその刃先で切り込む隙もない。それは、なぜか? その人には危険地帯が無いからだ。

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13

現実に生み出されたものを、知性がたくわえる。形作られた物を、器の上で盛り付ける。だからこそ、万物は現実を尊び、知性を貴ぶ。現実は尊く、知性は貴い。しかしながら、これらは爵位を持たない。ただ当たり前にある。だから現実に、あらゆるものが、生まれ、養われ、成長し、休眠し、繁茂し、命を繰り返す。生育しても、所有しない。やり遂げても、おごらない。君臨しても、支配しない。これを奥深い知性とよぶ。

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14

天下に始まりがある。それを天下の母とする。その母を心得ていれば、その心得でもって、その子を知る。その子を知り、元に戻ってその母を守れば、一生涯にわたり、危険に遭わない。鬱憤をふさぎ門戸を閉じれば、終身にわたり、疲れない。鬱憤のままにやりたい放題を尽くせば、終身にわたり、止まるべきところを失う。些細な変化を見ることが、明察である。柔弱な働きを守ることが、強靭である。自分のありようを省みて、現実に立ち戻り、身に危険が及ばないようにせよ。そうすれば、いつも通りの生活を続けられる。

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15

しっかりとした予備知識をそなえて大通りを歩けば、ただ迷子になることばかりが心配になる。大通りはとても広々としているのに、人々は行き止まりの横道を好む。

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16

朝廷はとても小綺麗にされている。田畑は非常に荒廃している。倉はまったくの空虚である。きらびやかな服を着て、するどい剣を差し、食べることに飽きて、ありあまる財貨をたくわえている人がいる。彼らは、驕り高ぶっている。非道である。

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17

よく建てられものは抜けない。よく抱かれたものは脱げない。子孫は祭祀を絶やさない。このように修めれば、個人において、その知性は確かなものといえる。一家において、その知性は余裕をもたらす。一郷において、その知性は長続きする。一国において、その知性は豊かさをもたらす。天下において、その知性は大いに展開される。個人の視点で個人を観る。家の視点で家を観る。郷の視点で郷を観る。国の視点で国を観る。天下の視点で天下を観る。わたしは、何をもって、天下がこのようであるかを知るのか。こちらをもって。

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18

知性を厚く備えている人は、赤子のようだ。蜂、サソリ、虺、蛇の刺す隙がない。猛禽や猛獣の襲いかかる隙がない。骨が弱くて筋も柔らかいのに、固く握りしめられる。牝牛と牡牛の交尾をしらないのに勃起する。精気の至りである。一日じゅう叫んでも、声がかすれない。調和の至りである。調和を知ることで、ありふれた生活を送れる。ありふれた生活を知ることで、些細な変化に注視できる。

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19

カラ元気は不吉である。気を使うことは無理強いである。見た目に盛んであれば、すぐに老いるこれらは不道である。不道であれば、早急に滅ぶ。

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20

知る人は言わない。言う人は知らない。鬱憤をふさぎ、門戸を閉じる。自分の才能を輝かせず、塵と同じにする。自分の才覚の根拠を疑い、その片鱗すら認めない。これを玄同という。だから、要領を得ないままに、親密になったり、疎遠になったりする。要領を得ないままに、利益を得たり、損害を被ったりする。要領を得ないままに、貴ばれたり、卑しまれたりする。このことを踏まえれば、天下にとって価値のあるものを為せる。

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21

公明正大に国をおさめる。奇抜な戦術で兵を用いる。無理をせずに天下を取る。わたしは、何をもって、このようなことを知ったのだろうか。そもそも、天下にタブーが多くなれば、人々はさらに貧しくなる。人々が鋭利な武具を量産すれば、国家はさらに昏迷する。人が智慧を増やせば、奇怪な物がさらに巻き起こる。法がさらに複雑になれば、盗賊が巨財を有する。だから聖人はこのように言う。わたしが無為(確固とした目的のない境地)であれば、民はおのずと教化する。わたしが冷静を好めば、民はおのずと正す。わたしが無理をしなければ、民はおのずと富む。わたしが不欲を欲せば、人々はおのずと素朴のままである。

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22

その政治が憐憫に基づいていれば、その人民は素朴なままでいる。その政治が統制に基づいていれば、その人民はみすぼらしい。

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23

不運は、好運のすり寄るところ。好運は、不運の伏せているところ。誰が、その運気の極まりを知るのだろうか。正義は存在しない。正義は奇異に戻り、善意は妖異に戻る。人が迷いに囚われてから、時が過ぎて久しい。だから聖人は、方針を示すが、割拠しない。清廉であるが、押し付けない。実直であるが、引導しない。才知はあるが、それを輝かせない。

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24

人を治めて天につかえるのに、ケチに及ぶものはない。何であれ、ケチに限る。ケチであるから、要領を得られる。要領を得るから、知性の厚みを増せる。知性に厚みがあれば、克服できないものは無い。克服できないものが無ければ、運気の極まりを知る必要がない。運気の極まりを知る必要がなければ、国を領有すべし。国を領有することの根拠は、長く持ちこたえて、久しく見通すこととすべし。これが、根を深く伸ばして、基礎を固め、長く持ちこたえさせて、久しく将来を見通す心得である。

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25

大国を治めることは、小魚を煮るのと似ている。もしも現実的な考えでもって天下が成立していれば、ある人物が神として崇拝されない。その人物が神として崇拝されなければ、その神は人を傷つけない。その神が人を傷つけなければ、聖人も同様に傷つかない。人も聖人もともに傷つかなければ、お互いに恩恵を共有できる。

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26

大国は下流である。天下のメス牛である。天下の交わる場である。メス牛は冷静沈着なので、オス牛を制御できる。冷静沈着ならば、喜んで卑下する。すなわち、大国は小国に卑下することで、小国を取る。小国は大国に卑下することで、大国の実権を取る。一方は、略取する意図のもとで卑下し、他方は、卑下することで略取する。大国は、小国の分もあわせて、人民を養いたいだけであり、小国は、大国に入貢して、国民を安心させたいだけである。両者の希望をかなえるには、大国が喜んで卑下するほうがよい。

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27

現実は、万物に注ぎ込んでいる。善人が宝とするものであり、不善人を守るものである。美しい言葉は売れる。優れた行いは人に利益をもたらす。人が不善であるのを、どうして見捨ててよいものか。天子が即位して三卿を任命する際に、四頭に馬の前で壁を抱える儀式があるのだが、それよりもむしろ、座してこちらを進呈するほうがよい。昔の人々が、この現実を貴んだのは何故か? 求めれば得られ、罪があっても放免されるから。そうではないか? それゆえに、天下に価値のあることを為せる。

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28

目的を持たずに達成する。無理なく大事をなす。価値の付いていないものに価値を見出す。些細な変化を重視する。少数意見を多数意見と同等に扱う。知性でもって怨みに報いる。難事業を計画するには、その簡単な部分から手をつける。大事業を実行するには、その瑣末な部分から取りかかる。天下の難事は、簡単なパーツで構成される。天下の大事は、瑣末なパーツで構成される。だから聖人は、ついに大事業を手掛けなかった。だから、大事業を成し遂げた。安請け合いする人は、必ず信頼に足りない。簡単なことであっても多く積み重なると、必ず多難になる。だから聖人は、どんなことも難事業とみなす。だから無難に終える。

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29

安定していれば、持ちやすい。まだ兆しが出ていなければ、対策をとりやすい。脆弱なものならば、分断させやすい。軽微なものならば、散乱させやすい。問題が表面化する前に実行する。騒乱が発生する前に治める。一抱えもある大木は毛先ほどの小さな芽生えから成長する。九層の築山は一塊の土くれから作られる。高層ビルは足下の基礎の上に立っている。定まった目的を持てば、失敗する。固執すれば、散失する。しかしながら聖人は、定まった目的を持たないので、失敗することが無い。固執しないので、散失することも無い。人々が仕事に従事する時、完成間近で失敗する。始まりの時と同じように、終わりの時も緊張感を絶やさなければ、失敗しないで済んだことだろう。だから聖人は、欲せざるを欲するために、得難い貨幣に価値を見出さない。学ばざるを学ぶために、衆人が過ぎ去ったところに立ち戻る。万物が自然のままにあることを助けるために、あえて何もしない。

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30

かつての現実を実践した人は、人々を啓蒙することはなかった。人々を暗愚なままにさせた。そもそも、人々を治めがたいのは、彼らの智慧による。智慧でもって国を治めれば、国が盗賊に乗っ取られる。智慧の根拠を認めずに国を治めれば、国が恩恵を受ける。この両者をつねに知ることが、法の精神である。つねに法の精神を知ることが、奥深い知性である。奥深い知性は深くて遠い。物を与えれば返ってくる。これで多くを従える。

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31

長江と大海が無数の谷川の王となれるのは、自ら低い立場にいることを善とするからである。だから無数の谷川の王になれる。そういうわけで、聖人は人々を持ち上げて、彼らに対して必ず謙遜した言葉遣いを用いる。人々に先を譲り、必ず人々の後につく。このため、聖人が上にいても人々の重しにはならない。聖人が前にいても人々の害にならない。天下の皆が聖人を推し頂くことを喜び、嫌がらない。それは、聖人が争いを起こさないからではないか? だから天下で聖人をめぐって争いが起きない。

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32

小さな国、少ない住人。十人隊長や百人隊長になれる器量の人物がいても、用いられない。人々は死を重んじて、遠くへは徒歩で行く。舟と車はあるのだが、これらに乗って向かうべき所はない。甲冑や武具もあるのだが、これらを陳列する所がない。人々は結縄を復活させて利用する。その国の食を味わい、その国の服をめでて、その国の俗を楽しみ、その国の住居に安らぐ。隣国へは、双方から眺められる距離しかない。鶏や犬の鳴き声すら、お互いに聞こえる。人々は老いて死ぬまで、お互いを行き来しない。

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33

信じられる言葉は美しくない。美しい言葉は信じられない。知っている人は博学ではない。博学な人は知らない。善い人は多くを貯めこまない。多くを貯めこむ人は善くない。

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34

聖人はため込まない。すでに人のために使っている。このために当人は、ますます大きな富を所有している。すでに人に与えてしまっている。このために当人は、ますます多様に富を分散させている。天のありよう、利して害さない、人のありよう、役立てて争わない

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35

天下の皆は、私を偉大ではあるが、変人であると言う。単純に、偉大であるからこそ、変人なのである。もしも、まともならば、先細って久しいことだろう。私はつねに三つの宝を有している。一に慈。二に倹。三にあえて天下の先をなさない。慈があるから勇猛になる。倹約するから手広く対応できる。あえて天下の先をなさないから、地道に成功をなして、トップをつとめられる。今、慈なく勇猛となり、倹約なく手広く対応し、後塵を拝さずに先を争えば、死ぬ。慈を以って戦えば勝ち、守れば固い。慈の人は、同じ志の人々に支えられて、世に身を立てる。

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36

善い戦士となる者は、猛々しくない。善く戦う者は、怒らない。善く敵に勝つ者は、敵を相手にしない。善く人を用いる者は、自分を卑下する。これを不争の徳という。用人ともいう。天にかなう古の極みともいう。

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37

用兵について言うことがある。私ならば、あえて能動的とならず、むしろ受動的になる。あえて数cmを前進せず、むしろ数十cmを後退する。こうすれば敵は、進むべき所もないのに進み、腕がないのに腕まくりし、武器がないのに手に取ろうとし、敵がいないのに引っ捕らえようとする。敵を軽んじることほど大きな災禍はない。敵を軽んずることで、私の宝のほとんどが亡失する。よって、同程度の兵力が拮抗した場合、事態を悲観する者の方が勝つ。

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38

私の言っている内容は理解しやすいし、実行もしやすい。しかし天下において、理解できている人もいないし、実行できる人もいない。そもそも、文章には主旨があり、物事には要点がある。単に、このことを理解できていないから、私の言っている内容を理解できていない。理解できる人が稀であるから、私の言っている内容は貴重である。このため聖人は、粗末な身なりではあるが、宝玉を懐にしている。

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39

自分の無知を自覚していることは素晴らしい。無知を自覚していないことは病気である。この意味において、聖人は病気と見なされない。なぜなら自分の病気を病気と認めているからだ。こうすれば病気とはならない。

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40

人々が権力者の権威に対して畏敬を抱かなくなれば、たちまち、さらに強大な権威を持つ者がやって来る。人々の住む場所をあなどるな。人々の生きる場所を厭うな。そもそも、厭いさえしなければ、厭われることはない。そこで聖人は、自分を知っているが、自分を見せない。自分を愛しているが、自分を貴ばない。すなわち、あちらを去り、こちらを取る。

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41

勇敢であることに勇敢であれば、殺される。勇敢でないことに勇敢であれば、生きる。この両者、一方に利があり、一方に害がある。天の憎悪する所、誰がその理由を知ろうか。天の道、戦わずして善く勝つ。言わずして善く応じる。招かずして自ら訪ねに来る。坦々として、ぬかりない。天の網は、大きい上に大きい。隙間だらけだが、取り逃がすことはない。

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42

人々が日頃から死を恐れていなければ、どうして殺意を脅しに使えるのだろうか。人々が日頃から死を恐れているとして、私が犯罪者を殺す機会を得たとする。誰が敢えて殺そうとするだろう。もしも人々が日頃から、必ず死を恐れていれば、必ず死刑執行人が存在する。死刑執行人の代わりに人を斬り殺すことは、きこりの代わりに木を切り倒すようなもの。きこりの代わりをして、手を怪我しない人は稀である。

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43

人々が飢えるのは、税の取りすぎで食が奪われているためである。だから飢える。民衆を治められないのは、上の者たちが無理を強いるからだ。だから治められない。人々が死を軽んじるのは、上の者たちが保身を求めるからだ。だから死を軽んじる。そもそも、自分の命を虚しいとみなす者は、命を尊ぶ者よりも賢明である。

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44

人の生身は柔く弱々しいが、死体は堅くこわばっている。万物においても、生の草木は柔軟であるが、死ぬと枯れてしぼむ。だから、堅くてこわばっているものは死の類であり、柔らかく弱々しいのは生の類である。だから、武器も強ければ、勝てない。木も強ければ、切り倒されるのを恐れる。ゆえに、強大なものは下にいて、柔弱なものが上にいる。

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45

自然のありようとは、弓張りのようなものだ。高ければ抑えて、低ければ上げる。余りあるところを減らし、足りないところを補う。すなわち自然のありようは、余りあるところを減らして、足りないところを増やす。人の世界は、足りないところをさらに減らして、余りあるところに差し出す。そもそも誰が、自分の余りあるものを取り出して、社会に奉じるのだろうか。現実を心得た人だけである。だから聖人は、成果を上げても、その成果を自分のものとしない。成功しても、その栄誉を受けない。このように、自分の賢さを見せたがらない。

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46

天下で水ほど柔弱なものは無い。しかし、堅強なものを攻めると、水ほど優れたものは無い。なぜなら、水ほど柔軟に形を変えられるものが無いからだ。柔が剛に勝ち、弱が強に勝つ。天下でこのことを知らない者はいないが、実行できる者もいない。そこで聖人が言うことには、国のそしりを引き受ける者が、国の主。国の不祥を引き受ける者が、天下の王。正言は、現実とあべこべのようだ。

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47

根深い怨みが和解しても、割り切れない思いは必ず残る。どうして、それで善いことをしたと言えるのか。そこで聖人は、借用書をとっておくが、それでもって支払いを要求しない。すなわち、知性のある人は契約書を管理して、知性のない人は借金の取り立てに回る。自然界に例外はない。常に善人に加担する。

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