このページではモチベーション低下によって研究活動が3か月単位でスタックしている学生のうち,経済学およびその周辺領域を専門とし,かつ国内中堅程度の大学院に在学している大学院生を対象としたメッセージおよびアドバイスを掲載しています.思いつくままに書き散らしたものなので読みにくいと思います.
このページにはあなたが読むべき内容は何も書かれていません.AER やら JPE やらを読んで引き続き研究を頑張ってください.応援しています.
最も重要なことはあなたの心身の健康です.
あなたの心身の健康が損なわれない限り,修士課程に入学した以上は修士号は取りましょう.
あなたの現在の指導教員の要求水準がそれほど高くなく,かつあなたの面倒を見てくれる様子があれば,そのまま学位を取れるように切り替えましょう.指導教員に頭を下げて研究活動を再始動できるように助けてもらってください.あなたの指導教員が修士号に対して低くない水準を要求するタイプの人物であれば,要求水準がそれほど高くない指導教員のゼミに異動してください.
プライドを捨ててください.あなたの修士論文のクオリティはあなたのその後の人生とほとんど関係ありません.幸か不幸かあなたの修士論文を時間をかけて真剣に読む人はほとんどいません(稀に熱心な副査が付くことがありますが,それが数少ない例外です).あなたの周囲のゼミ生と自分を比較するのはやめましょう.「心身が健康であれば100点.心身が健康かつ修士号が取得できれば120点」という心持ちでいきましょう.
音信不通になることだけは避けましょう.指導教員に合わせる顔がないと思うかもしれませんが,連絡を無視すると状況は悪化する一方です.連絡を無視した方がよいか,無視せず連絡を取った方がよいか,指導教員の視点から考えてみましょう.もしあなたが指導学生を持つ大学教員だったとして,音信不通になっているあなたの指導学生が「合わせる顔がないので連絡を取っていない」と言っていることを別の指導学生あたりから聞いたらどう感じると思いますか? 「そんなことを言っている場合ではないから今すぐメールに返信しなさい」と思いませんか? 久しぶりに指導教員に連絡する決心がついたら,素直に自分の現状を説明して修了のために努力する意思があることを伝えましょう.一人で指導教員と面談するのが怖いなら,あなたの親やお節介焼きの第三者(教員など)に頼み込んで同席してもらいましょう.
可能であれば標準修業年限(2年)で修了することを目標にしましょう.それが難しいとしても,可能な限り早めに修了することを目指しましょう.分野によっては修士課程に3年間かける学生もそれほど珍しくありませんので,もし3年以上かかったとしてもあまり気にしないようにしましょう.
最も重要なことはあなたの心身の健康です.
あなたはあなたの人生の幸福度を最大化する選択肢を選んでください.その際の制約条件は,よき市民として社会と関わりながら生きることだけです.あなたの人生の幸福度を最大化するために学位取得が必要であるかどうかを考えましょう.そのために,学位を取得した場合としなかった場合のシナリオを具体的に考えましょう.以下の問いを参考にしてください.
(モチベーションについて) あなたが博士課程に進学した理由は何ですか? あなたは何を目的にして研究を始めましたか? あなたは研究活動を楽しんでいますか? あなたは現在の研究内容に満足していますか?
(研究能力について) あなたの得意なことと不得意なことはそれぞれ何ですか?
(指導教員について) あなたの指導教員に研究能力と指導能力はありますか? 特に,あなたの指導教員はあなたの努力を公平に評価して適切なタイミングで褒める能力はありますか? あなたとあなたの指導教員の相性はどうですか?
(仲間について) あなたと一緒に論文を輪読したり研究について雑談できるような学年の近い学生は周囲にいますか? そのような人物と実際に輪読したり情報交換を定期的に行っていますか?
(今後のキャリアについて) あなたが学位を取得した場合・しなかった場合それぞれで,いつどのような就職活動をしてどのようにキャリアを構築する予定ですか? 想定可能な複数のキャリア間で生涯年収はどれほど異なりますか? 一旦退学して(数年後に,あるいはすぐに別の大学の)大学院に再入学して学位を取得するという選択肢を考慮していますか? あなたには養わなければならない家族はいますか? 学位取得を目指す場合,いつまでに修了したいですか? また,あなたが学位を取得するまでの期間の収支の目途は立っていますか?
学位取得があなたのキャリアに必要だと思う場合も必要でないと思う場合も,その考えについてあなたの信頼できる人(指導教員は必ずしも含まれない)と話し合ってください.相談相手は経験豊富で人格者として知られる人物が望ましいです.逆に,極論を言ったり詭弁を弄したりして丸め込もうとしてくる人物は望ましくありません.
学位を取得したいと思っている場合,現在の指導教員のもとで現在行っている研究を継続したいかどうかを明確にしましょう.指導教員を変更する選択肢は常に存在します.指導教員を変更しない場合も研究テーマを変える選択肢は常に存在します.適切な相手を見定めてその人物に相談してください.
あなたが相談するべき相手(指導教員かもしれないし,指導教員以外の教員かもしれないし,あなたの親御さんかもしれない.)を明確にしましょう.もしその相手に相談できない状況に陥っている場合は,その原因を明らかにしましょう.紙でもデジタルでもよいので思いついたことをすべて書き出してみましょう.
研究のことについて考えるだけで気分が悪くなったり,研究以外の日常生活に影響が出たりしている場合は,心療内科の受診を勧めます.まずは大学の保健管理センターにコンタクトを取ってください.ただし,精神科医やカウンセラーは銀の弾丸を処方してくれません.そこに行けば万事解決するという幻想を持つのはやめましょう.自分を変えることができるのは自分自身であり,彼らはそのための手伝いをしたり進むべき方向を照らしてくれるような存在です.彼らの助けを借りて,時には薬の力も借りながら,自分で自分のマインドセットと習慣を変えることを目指して思考し行動しましょう.
心療内科への受診歴があったり精神疾患と診断されていたりする場合,生命保険に新規加入したり住宅ローンを組んだりすることができなくなる場合があるようです.しかし,完治から数年経過していれば告知義務はなくなるようです(注:年数は申請対象次第).早く治療を始めて早期の完治を目指しましょう.
可能な限り標準修業年限(3年)で修了できるように計画しましょう.国内中堅大学かつ経済分野の場合,許容範囲は4年程度だと思います.
もしあなたが5年を超えて大学院に在籍したうえで学位を取得しようと考えている場合,在学・休学のタイミングは計画的に行いましょう.大学・教育組織によって制度が異なると思いますが,たとえば,連続して休学可能な年数には上限が設定されていたり,あるいは博士論文に係る中間発表・予備審査・最終審査などのイベントがある時点で大学院に復学していなければならない可能性があります.一般的に指導教員はそのような制度に詳しくないため,事務室に行って教務・学務系の窓口に相談し正確な情報を入手しましょう.
最後に雑多なアドバイスを書き留めておきます.
出色の研究をしなければならないと考えていませんか? 博士課程在学中に書く論文はすべて習作(練習のための作品)だと思ってください.いきなり field top journal を目指すことが現在のあなたの実力に見合っているかを考えてみましょう.Field top journal は,海外に留学するような優秀な学生が,実績あるファカルティが担当するコアカリキュラムを履修して基礎を身に着けたうえで,実績あるファカルティからの質の高い指導を受けながら,優秀な院生仲間と切磋琢磨しながら苦労して掲載する outlet です.あるいは,もしかするとあなたは自分の研究の政策的意義に疑問を持つことがあるかもしれません.しかし,経験豊富なシニアの研究者が論文を書いてそこそこ評判の良いジャーナルに掲載したとしても,それが政策を直接動かすことはほとんどないという事実を認識しましょう(あなたのごく身近にいる経済学者が書いた論文に基づいて政府や自治体が政策を立案・修正したという話を一度でも聞いたことはありますか? もしあなたが現実世界に短期的・直接的な影響を与えたいなら,経済学以外の分野に移った方がよいかもしれません).ましてやあなたが書く論文が政策に与えるインパクトはほぼゼロです.いずれにせよ,今は,将来自分の興味に基づいて真に価値のある研究をするために必要となる知識と技術を身に着けるための時期です.長い研究者人生において今が何を行う時期であるのかを理解し,そのために「割り切る」力を養いましょう.「割り切る」とは,長期的な視点に立って効用(あなたの人生の幸福度)最大化問題を解きながら,使命感と諦念という2つを都合よく使い分けるバランスのことです.論文を書く上では,「自分がこのテーマで研究しなければ誰も研究しない」という認識に基づいた高尚な使命感にかられながらも,それと同時に,論文は畢竟自己満足と就職(・学位・昇進)のために書くものであるという事実も認識しなければならないでしょう.
周囲の学生と自分を比較していませんか? メンタル面の理由でスタックしている状態で自分を他者と比較することは御法度です.特に,あなたの所属するゼミ(または友人知人)に活発に研究活動をしている学生がいる場合には自分と彼らを比較するのはほとんど自傷行為です.もちろん「隣の芝生は青く見える」だけという場合もあるのですが,実際に隣の芝生が青いと分かったときに劣等感を抱くことは避けられないかもしれません.ちなみに,「自分以上に行き詰っている学生」と比較することも勧めません.あなたは「あなたがやったこと」と「あなたがやるべきこと」の比較のみを行い,その比較結果は「これから短期的・中期的に行うべきことを決める」目的にのみ用いるべきです.なお,自分と他者の比較が闘志を燃やし切磋琢磨するきっかけになる場合もありますし,就職活動を念頭に置けばベンチマークと自分を比較して自分のキャリア形成を計画・準備することは必要不可欠ではありますので,あなたがスタックから抜け出した後では比較することもあるでしょう.ただし,その際に他者への尊敬を持ったうえでそれを行うことを忘れないでください.他者に不用意に向けた棘のある言葉はいずれブーメランのように自分に戻ってくる可能性があります.
「スタック期間が続いてしまったから,リカバリーするには大きなことを成し遂げなければ」と思っていませんか? 気持ちは分かりますが,その考えは自分で自分を不当に追い込みます.「負けた分を取り返すまでやめられない」と言いながらパチンコを打ち続けている人を想像してみましょう.当たり前のことを当たり前にやるだけでも大変なのですから,まずはそれを目指しましょう.認知と行動に齟齬がある場合,いわゆる認知的不協和の状態にある可能性があります.その場合,何らかの物理的な行動を起こしてみることが有効である可能性があります.(もし大学院生が研究できる物理的なスペースが大学に用意されているなら)毎日大学に行って,平日は必ず一日8時間を研究・勉強に費やしてみてはいかがでしょうか.毎日の研究時間の終わりにその日に行った勉強の内容や研究活動を紙でもデジタルでもよいのでできるだけ具体的に書き留めましょう.その記録を誰かに定期的に共有することもできます.
「研究を再開したら自分の研究能力と向き合わなければならない」と思っていませんか? 確かにこれは辛いでしょう.特に,あなたが大学学部まで成績優秀だったとしたら,この現実を直視するのはなおのこと辛いものになるでしょう.その場合,まずは国内中堅大学程度で成績優秀であることは研究者の世界ではなんて事のない属性にすぎないという現実を直視しましょう(一部の例外を除いて,国内中堅大学の学部で成績優秀であったという指標は,研究者の世界における研究能力のポテンシャルのスケール上ではよくても中の上,悪ければ下の上に相当します).その程度の頭の良さだけで勝負できるほど甘い世界ではありません.国内中堅大学で成績優秀だった学生であれば研究に必要な基礎(数学,経済学,計算機の使用)はそれほど苦労せずに身に着けられるはずで,そこから先あなたが研究を進められるかどうかはあなたの意欲にかかっています.言い換えれば,ある程度の研究基礎力があることを条件付けたもとで重要なことはあなたがモチベーションを維持できるかどうかです.悪いのは,「手を動かさなかったから何も進捗が生まれなかっただけで,やりさえすれば高い質のアウトプットをすぐに出せる」という可能性の正しさを誰も(自分自身と第三者の両方が)検証できないようにするために,「あえてさぼる」という選択肢を選ぶことです.これは,プライドが高いが勉強に身が入らない受験生が陥る可能性のある思考パターンと似ており,いわゆるセルフ・ハンディキャッピングの一種であると思われます.この選択は弥縫策でしかなく,長期的には自己肯定感を著しく損なうでしょう.
「作業をしたアウトプットをすべて指導教員にやり直される.文章もすべて書き直される.自分の研究・作品だと思えない」と思っていませんか? 実際のところ,これはかなり難しい問題です.なぜなら,あなたの指導教員の介入が適切なものか不適切なものかによって対処方法が異なるにも関わらず,肝心の指導の適切さをあなたが一人で客観的に判断することは困難だからです.その上,仮に指導内容が適切であったとしても,指導教員のスタイルがあなたのスタイルと異なることがあなたにストレスを与える可能性もあります.そのため,ざっくり次のように考えてみてはいかがでしょうか.
第一に,指導の適切さを客観的に確認する数少ない有効な方法は,信頼できる大学教員に相談することです.あなたの指導教員よりも経験豊富で,かつ,あなたの指導教員と利害関係のない人物を選ぶべきです(あなたの指導教員と面識はあってもなくてもよい).相談の結果,もし過剰な介入が行われているという認識に至った場合には,その相談相手に対応策も相談してください.
第二に,一般論として,研究活動を始めたばかりの学生が行う作業の質はプロの研究者に要求される水準から程遠い傾向があるという事実を認識するべきです.たとえば,論文執筆(writing)は (1) そもそも何を議論するか,(2) 論文をどのように構成しパラグラフをどのように組み立てるか,(3) どのような(英語)表現を用いるか,という少なくとも3つのレイヤーを含みます.仮にあなたが (1) の段階で十分な水準に到達していない場合,あなたが論文執筆にどれほど時間をかけて草稿を作成したとしても,出来上がった原稿が必要最低限の水準となるように改訂するには草稿全体を一字一句書き換える以外に選択肢はありません.しかし,そうなったとしても,そのことはあなたの努力の全てが無駄になったことを意味しない点を理解するべきです.あなたが現在行っているのは「一発で完全無欠の作品を完成させるゲーム」ではなく「n年後に自力で及第点の作品を完成させることができるようになるために必要な知識と技術を身に着ける準備」であることを念頭に置きましょう.あなたと指導教員の共同プロジェクトの場合,対象の作品はあなたの指導教員にとっては自分自身の作品にもなりますので,指導教員自身が単独で作業する場合に近い水準を要求されることはそれほど不自然ではない,という視点も持っておきましょう.
第三に,指導教員のスタイル(ここでは,マニュアル化されない類の些細なこだわりや好みも含んだものと認識してください)とあなたのスタイルの差についてですが,結論から言えば,現時点では残念ながらあなたが歩み寄るしかないと思います.目に見える形で現れるスタイルの背後にどのようなポリシーがあるかを予測したり本人と直接話し合ったりすることであなたの側の心情面での摩擦を減らすこともできるかもしれませんが,根本的な解決はおそらく不可能です.いずれあなたが指導教員から自立した際にどのようなスタイルで研究を進めたいかに思いを致し,一日も早い自立を目指す原動力の足しにしてはいかがでしょうか.
第四に,研究の根幹にコメントをしてもらったり原稿を真っ赤にしてもらったりするのは今のうちだけです.今は「指導」を受けるおそらく最後のチャンスです.
第五に,現実問題としては,指導教員の指導内容や指導方法が(少なくとも部分的には)不適切である可能性は低くないとは思いますが,それでも次の2つの選択肢のどちらがあなたに合っているかを考えてみてはどうでしょうか:「指導を受けずに自力で学位論文を書く.指導の不適切さ(ネグレクトという不適切さは除く)からは解放される.その完成品が厳しい批判を受けたとしても,指導教員は何も助けてくれない.」,「指導を受けながら学位論文を書く.指導の不適切さには我慢しなければならない.仮に厳しい批判を受けたら,指導教員は一緒に対応を考えてくれる.」.余談ですが,論文への批判にどのように対応すればよいかを一緒に考えてくれない指導教員に指導能力はありませんので,そのような人物を誤って選んでしまった場合は,自分が人を見る目がなかったことを一瞬だけ反省して速やかに指導教員を変更しましょう.
「在学年限にはまだ余裕がある」と思っていませんか? 研究という営為は論文執筆はもちろん論文投稿・改訂・再投稿・再改訂・・・といった長い査読プロセスを含みます.この過程は不確実性を含み,投稿した論文が理不尽に reject される経験をすることもあるでしょうし,reject すらされずに放置されることも珍しくありません.修了要件を満たすために査読論文の採択が要求されている場合,在学年限ギリギリで修了しようとしているときに査読が放置されたときのことを考えましょう(余談ですが,特集号に招待されて投稿していたとしても査読・掲載プロセスがオンタイムで進むとは限りません).あるいは,あなたは事故に遭ったり病を患うかもしれませんし,あなたの家族のために想定外の時間を費やすことになるかもしれません.さらに,あなたが学生をしている最中に,あなたの同期や後輩が先に学位を取り,評判の良いジャーナルに論文を掲載し,大学に就職し,テニュアを取り,准教授に昇進したというニュースを聞いたときのことを想像してみましょう.本当に時間に余裕はありますか?
研究は長距離走です.1か月間毎日休みなく研究に没頭しても,そこから11か月間さぼってしまっては意味がありません.自分のペースを知り自分のやり方で続けることが大切です.陳腐な慣用句ですが「継続は力なり」はよい標語だと思います.博士課程で身に着けるべきもっとも重要なことの一つは,どのような研究スタイルが自分にあっているのか,どのようなペースで行えば研究を継続できるかを認識し,それを実践するための環境を整える能力を身に着けることです.これには,食事や運動を含めた健康管理も含まれます.1週間のうち丸2日分は休みましょう.
可能であれば複数の研究者と複数のプロジェクトを走らせることができるとベターです.たとえば,次のように3つの異なるプロジェクトを同時並行で進めることができるとベターでしょう:(1) 指導教員との共同プロジェクト(目的:研究全体にわたって指導教員から細かく指導を受け研究の技法を身に着ける),(2) 指導教員以外の研究者との共同プロジェクト(目的:指導教員から受ける指導内容を相対化する.注:Authorship を得られる程度のコミットメントがあるなら RA の立場でも可),(3) 単著のプロジェクト(目的:自立するために必要な能力・技術を知り,自立した研究者としての態度と能力を第三者に示す).複数のプロジェクトがあればいずれか1つがスタックしても他のプロジェクトを進めることで精神衛生を大きく損なわずにすみます.プロジェクト間のリソース(おもに時間)配分を身に着ける訓練にもなるかも.
全くの私見ですが,国内中堅大学でまともな学位論文を仕上げる必要条件は,次の5つのうち少なくとも3つ(かつ,(1) と (2) の少なくとも一方)が十分な水準にあることです:(1) あなたの研究能力,(2) あなたの意欲,(3) 指導教員(またはその代わりにあなたの研究の面倒を見てくれる人.以下同様)の研究能力,(4) 指導教員の指導能力(指導に十分な時間を割くことができるかどうかやあなたとの相性も含む),(5) あなたと並走してくれる仲間(通常は学年の近い博士課程の学生).どの組み合わせで3つ(以上)を満たせばよいかを考えてみましょう.(5) が足りていない場合はなんとかそれに代替するものを探しましょう.
モチベーションを自律的に維持する方法を探しましょう.1週間に少なくとも一度以上達成感を得られるような小さめの成果を設定しましょう.成果を小さめに設定することで達成感を頻繁に感じられるようにするというのがポイントです.「重要そうな先行研究の主要な方法についてそこそこ理解する」とか「指導教員と議論して今まで見落としていた重要な視点に気づく」といった程度で十分だと思います.さらに,自分で自分を褒める能力を身につけましょう.第三者に褒められることでモチベーションが高まるのは自然なことですが,一方で第三者に褒められないからモチベーションを維持できないというのは望ましくありません.研究活動を始めた当初は(日々の活動がどれだけ論文掲載という最終ゴールに近づいたのか分からないため)外発的動機づけに頼ることも間違っていませんが,できるだけ早いうちに内発的動機づけによって行動できるようにモチベーションを維持する方法を探りましょう.どのような方法が適しているかは人によって異なりますので,あなたにの性格や研究のペースに合ったものを自分で見つけましょう.時として(例えば週に何度か)モチベーションが低下することはごく自然なことですから,そのような場合にはリカバリーする手続きも身につけましょう.メインの作業を続けるやる気が失われたら,いずれやらないといけないタスクのうち脳のメモリをそれほど消費しない作業をやってみてはどうでしょうか.たとえば,データクリーニングをする,過去に仮作成した図を綺麗にする,文献レビューする,top journal の論文を眺めて新しい研究テーマを探す,など.あるいは,気分転換を兼ねて,大学就職後を念頭に統計学やらミクロ経済学やらの授業資料を作成してみてもよいかもしれません(ただし,のめり込まないように注意しよう).場合によっては数日間(~10日間程度)完全に研究や勉強から離れる必要があるかもしれません.適度な休息は大学院生の仕事の一部です.
言い訳をしない.研究を進めないことを正当化する言い訳は出そうと思えば無限に出せるものです.あなたが研究をしなければならない最も重要な理由を考えて,それだけを念頭に置きましょう.
(例1) 「難しくて論文が読めない」 → どの難易度の論文をどの水準まで理解すればよいかを明確にしたうえで,必要な水準に到達するための勉強を計画的に行おう.そもそも,論文が難しいのは当たり前.Top journal に掲載された論文を読んで理解するのに何か月もかかることだってありうるし,理解できたと思ってから1年後に改めて読んだときに「あのとき実は理解できていなかった」と気づくこともあるでしょう.{理解できる,理解できない}という二値で捉えないこと.「理解できない」という状態から「理解できる」に近づくために何をすればよいかを考えて試行錯誤することこそ,博士課程の学生が身につけなければならない能力の一つです.
(例2) 「基礎を完璧に固めないと先に進めない」 → 少なくとも実証研究の場合,データ・理論・実証モデル・推定・ソフトウェア内での実装などのすべての要素について完璧に理解することは不可能です.たとえば,複数時点の価格データに対して消費者物価指数を使ってインフレ調整しようと思った時に,インフレや物価という概念からはじまって消費者物価指数の構築方法やら R で演算する際にソフトウェア内部で走る primitive な関数にいたるまでを完璧に理解するまで作業を中断するなんてことはできません.大切なことは,「自分で確認しなければならないこと」と「完全には自分で確認・証明できないが,自分以外の誰かが導出・構築した知識や技術を客観的な根拠に基づいて信頼すること」のバランスをとることです.具体的なバランスのとり方は指導教員との共著プロジェクトを進めるうえで学べるはず.もし,数か月単位でモチベーションを失ってスタックしていながら「自分は完璧主義だから進めるのが遅い」と思っているなら,それは勘違いでしょう.あなたは完璧主義なのではなく,論文執筆という目的から目を背けるために意図的に枝葉に拘っているだけです.
(例3) 「もっと社会的にインパクトのある研究がしたい」 → プロジェクトの始動後に言っても詮無き事.一度決めたらテーマは所与とする.どうしても今のテーマでモチベーションが保てないならすぐに指導教員に相談してテーマを変えましょう.あなたの前にある選択肢は「我慢して続ける」か「テーマを変える」の二択です.
(例4) 「体調が万全ではない」 → 年を取ってくると常にどこかしら不調になります.今が今後の人生で一番体調がよい時期です.大切なのは休むべき時と活動する時を区別すること.研究活動を妨げるほどの症状が続くなら躊躇わずに病院に行きましょう.
(例5) 「将来が不安」 → 極めて真っ当な不安ですが,それは研究を進めない根拠にはなっていないと思います(むしろ研究を進める理由に該当するように思います).もし不安が極度に募って何も手につかなくなってしまっているなら,心療内科を訪れましょう.
(例6)「研究に関連するあらゆる能力・スキル・機会について自分の上位互換がいる」 → 比較優位って知ってますか?
(例7)「指導教員の言うことがコロコロ変わる」 → これは難しい問題で,様々な原因がありえます.まず,(1) あなたの指導教員の考えが実際に変わっている場合.指導内容のどの点がなぜ変わったのかをあなたが理解することはあなたの研究上重要である可能性がありますので,その場で教員に確認した方がよいです.次に,(2) 発言の状況が異なる場合.全く同じ仕掛品に対しても「(ブレストの資料としては)十分」と「(論文の草稿としては)不十分」という2つの意見は両立します.実際にはカッコ内の前提条件が重要であるわけですが,その部分は明示的に語られない場合があります.指導教員とよく話し合って前提条件や文脈をより正確に理解することを意識しましょう.最後のパターンは,(3) ちょっとした思い付きを発言した場合や,単純な勘違い・言い間違いの場合.これは無視して構いません.とは言え,3つのうちどのパターンに該当するかをあなたが明確に区別することは一般に容易ではありませんので,指導教員の発言のうち重要と思われる点がしばしば変わるのであれば,MTG が終わるたびに指導内容を文脈を省略せずに整理して議事録として指導教員にメールで送っておくとよいでしょう.また,その次の MTG で進捗を報告する際には「前回 MTG で先生から受けた~~というアドバイスに基づいて」といった枕詞を付けることができます.
人間の指導能力や人間性に夢を見ない.所詮人間です.研究をするのはあなたです.
いつまでも甘えないこと.あなたはいい歳をした大人です.すでに就職をしたあなたの同期は毎日目の前の現実と向き合っています.「青い鳥症候群」に陥らない.
少しずつでも手が動くようになってきたら,ネットに数多ある若手研究者向けのアドバイスを探して斜め読みしましょう.たとえば,数学者 Terence Tao の「Career advice」.成書から選びたいのであれば,シルヴィア『できる研究者の論文生産術』(講談社)など.
「あなたのことを心配している」と口先で言ってくるだけの人々がいます.そのような人は悪い人ではないと思いますが,実際のところあなたのことを大して心配してはいません.「哀れな弱者を心配してあげる強くて優しい自分が好き」というやつでしょう.口先で何か言うだけならコストゼロでできることです.そのような人々のことを気に留めるのはやめて,その代わりにあなたのために何らかの時間や労力を割いてくれる人に意識を向けましょう.直接口に出す必要はありませんから,あなたのために骨を折ってくれる人に感謝する心を忘れないようにしましょう.
以上は大学院生時代に何年間もスタックした経験のある黒田が自分と似た状態に陥って苦しんでいる学生に伝えたいことを思いつくままに書いたものです.巷に溢れる若手・院生に向けられたアドバイスの大半は70点を80点に引き上げることを目的としているように思いますが,このページは20点を40点にすることを念頭に置いています.このページの半分ポエムみたいな書き散らしは研究に身が入らないときに書きました.院生のみなさんはこのような時間の使い方をしないように.
関連:川西 (2017) 「理工系大学・高専の研究室不登校」『工学教育』
引用:Spirling "(Advice) is typically vague, unactionable or obvious. Sometimes all three. Especially when unsolicited, its purpose is mostly not to help anyone, except the advice giver. And for them, it is often narcissism parading as noblesse oblige." from On Being a (Successful) Graduate Student
初稿:2024年9月/修正:2025年6月