食料自給を考える



NB:以下の記事は、「作業日誌」(参照)に、07/11/29から連載した内容をそのまま転載した
もので、記事に対するコメントに応えた内容もそのまま載せてある。コメントを見たい方は、
当日日付の前後の「作業日誌」を参照して下さい。文中の引用文は、原則としてブルー文字
にしてあるが、全文が引用の記事もあり、その場合には煩わしいので文字色は変えていない。
また過去に自分が書いた記事の引用はオレンジ色を使ってある。

食料自給を考える/「食料自給率という幻想」/1

△3.1/5.8度、日照7.5時間、明け方はやや雲があったが、日中はほぼ快晴。 今年の畑作業は、ダイズ跡地に小麦を播種する予定と人参の掘り取りに各一日を残す のみで、ほぼ終わった。加工用大根は、4-5割は出荷基準に達するかという甘い見通 しを書いたが、11月半ば以降の急な冷え込みで完全に肥大はストップした。仮にこの 冷え込みがなかったとしても、出荷基準(径7以上の部分が25センチ以上)からすれば 8月末播種は最初から無理があったか?後はダイズの選別、種芋の保管など残務整理 を残すのみ。「農作業」という意味での作業日誌は、基本的に終わりだ。 何がきっかけだったか、「池田信夫blog」の07/09/01の記事「食料自給率という幻想」(参照) が目に付いた。 「耕す生活」の冒頭にも書いたことがあるけれど、僕は「食料自給率」のために農的生活を 選択したわけではない。もっと根源的な疑問からスタートした。 人は、農業はもう過去の産業だ、と思っているかもしれない。僕は、農業はこれからの産業 だと考えている。産業革命以来、農業は工業への労働供給の貯水池になり下がり、農業その ものが工業化することで工業の付属物に成り下がってしまった。しかしその工業活動は、過去 の太陽エネルギーの蓄積に依存し、いまやその蓄積を使い尽くし、かつその蕩尽の結果として の排出物の前に地球そのものが窒息しかねない事態に陥れてしまった。 他方、農業そのものは、本来、土と水との協働作業で、現在及び将来の太陽エネルギーを 蓄積していくクリーンな営みではなかったのか。工業化され、工業の付属物に成り下がって しまった農業が、大量のガソリンを消費し、化成肥料や農薬を大量消費する「工業的」浪費に 倣わざるを得なかったのではないか。農業は、工業から独立して自分の足で立てばよい。そう すれば必ず新しい視界が開かれる、と考えている。参照) その意味では、「食料自給率」とか「食料安全保障」とかの議論に大して関心を払ったことが ない。食料自給や食糧の安全保障の見地から日本農業を守らなければならないという議論は、 多少見当違いじゃないのかという感想を抱いている。 それにしても「池田信夫blog」を読んで以来、「食料自給率」という穴を通して農業・農業政策 を考えた場合、どういう情景が見えてくるか、自分なりに整理しておくのも悪くないなと考えて いる(「耕す生活」にシリーズで書いた「日本に農業はいらないか」も改めて見直す必要がある かな?)。 全体像が見えているわけではない。例によって、行き当たりばったり、書きながら考える、書く ことで考えをまとめていくという方針で書いている。 まず、池田氏の論点は三つある。 1.この問題についての経済学者の合意は「食料自給率なんてナンセンス」である。リカード 以来の国際分業の原理から考えれば、(特殊な高級農産物や生鮮野菜などを除いて)比較 優位のない農産物を日本で生産するのは不合理である。 比較優位のない日本の農業は不合理であるから、特殊な農業分野を除けば不要である。 2.食料の輸入がゼロになるというのは、日本がすべての国と全面戦争に突入した場合ぐらい しか考えられないが、そういう事態は、あの第2次大戦でも発生しなかった。その経験でもわか るように、戦争の際に決定的な資源は食料ではなく石油である。その99.7%を輸入に頼って いる日本が、食料だけ自給したって何の足しにもならない。 主要資源を輸入に依存しているのに、食料のみを取り出して「安全保障」を云々するのは ナンセンスである。 3.1960年には80%もあった自給率が半減したのは、単なる都市化の影響ではない。最大の 原因は、米価の極端な統制だ。コメさえつくっていれば確実に元がとれるので、非効率な兼業 農家が残り、コメ以外の作物をつくらなくなったのだ。こういう補助金に寄生している兼業農家が ガンなので、(中略)米価を含む農産物価格の規制や関税を全廃し、兼業農家を駆逐する必要 がある。 食料自給率が半減した最大の原因は、米価統制などの農産物価格の規制にあるから、自由な 競争を規制する価格規制や関税を全廃し、非効率な兼業農家を一掃する必要がある。 まず、この辺を取っ掛かりに考えてみようか。(07/11/29)

食料自給を考える/比較優位という幻想/2

一般論として、経済学の合理的判断が社会的不合理を招く事例はいくらもある。 まして「リカード以来の国際分業の原理」が比較優位の原則に基づいて貫徹された時代が どれほどあったというのだ?! 19世紀後半から20世紀初頭にかけて帝国主義と植民地支配の時代、そのうち1930年代 から約十五年はブロック経済の時代、第二次世界大戦後の十数年はヨーロッパと日本は 戦後復興の時代、アフリカ諸国の多くは依然として植民地支配下に据え置かれ、世界は社会 主義圏と資本主義圏に分断され、つい20年前まで「冷戦」時代が続いた。いったいどこに 自由で公正な競争を前提にした「国際分業の原理」が成立するような国際的条件があった だろうか? それとも植民地支配の下で、原料・食料の供給基地としてモノカルチャー経済を押し付けられ 宗主国経済の従属化に置かれたことも、「比較優位の原則」の名の下に合理化するだろうか。 そもそも外貨準備に余裕のない時代、仮に70年前、60年前、50年前、40年前に「リカード 以来の国際分業の原理」を振りかざして「食料自給のナンセンス」「農業不要論」を論ずるだけ の蛮勇はお持ちだろうか? 前提条件が根本的に違うとすれば、40-70年前には、日本農業に国際的な「比較優位」が あったとでも云うのだろうか? 明治以来の「主要輸出品の長期推移」統計(参照)をじっくりと眺めてみると、中々、面白い。 19世紀後半は生糸とともに茶、米、水産物がかなりの比重を占めている。20世紀の30年 代までは生糸・絹織物、綿糸・綿織物が圧倒的割合を占め、その説明にある通り 戦前を通して、長く輸出品1位の座を維持していたのは生糸であり、まさに製糸女工の おかげで機械設備や軍艦などを購入する外貨を獲得してきた。 劣悪な労働条件と低賃金を武器に、時に価格ダンピング政策を交えて必死で外貨を稼ぎ、 帝国主義列強に伍する軍事的強国にのし上がるために重化学工業化を推し進めた。これ をしも「リカード以来の国際分業の原理」で説明するだろうか? 一方、戦後の主要輸出品を占める鉄鋼、船舶、自動車、電子の輸出割合の推移を眺めて 仮に1960年、70年、80年、90年を輪切りにして、夫々の時代に「比較優位の原則」を 盾に、例えば「比較優位のない自動車を日本で生産するのは不合理である」等々と云い立 てることが合理的主張と云えるだろうか? 要するに、「国際分業の原理」「比較優位」に基づく農業不要論は、初めに「農業は不要だ」 という議論ありきで、それを国際分業論で尤もらしく装っているに過ぎない。 農業不要論そのものについては、「耕す生活」で05/04/23から書き始めた「日本に農業 いらないか」(参照)で、シリーズで考えてみた。 都村長生氏の「世界一高い土地で世界で一番高い人件費をかけて、世界で一番付加価値 の安い農産物を作ってビジネスが成立するはずがない」 という議論を対象に取り上げたが、これは基本的に比較優位論を地代、労賃、付加価値に 分解して言い換えたに過ぎない。(07/12/06)

食料自給を考える/道草/3

△3.3/7.5度、日照6時間、山の気温は11月下旬から氷点下5、6度まで下がっている。 大根は、12月第一週が限界と見ていたが、日中気温がやや高めに推移していることが幸い して、まだ凍結していない。但し、加工用規格に達するものは、殆どない。 12/06「食料自給を考える/比較優位という幻想/2」について、りんご屋さんからコメントを 頂いた。せっかくだから、道草を食って、暫くお付き合いしておこう。 1.不要論に異を唱えたくなる気持ちもわかりますが、 必要論を巻き起こす事に時間を費やすべきではないかと考えます。 ここは「不要論に異を唱え」ているのではなく、不要論の根拠として提起されている「国際分業 の原理」及びその基礎としての比較優位論が、「原理」と称しうるほどに普遍性のある原理では ないだろう、ということを指摘しているに過ぎない。 農業そのものに関しては「必要論を巻き起こす事に時間を費やすべき」は当然としても、ここは 11/29「食料自給という幻想」に書いたように「食料自給率」という穴を通して農業・農業政策を 考えた場合、どういう情景が見えてくるか、自分なりに整理しておくのも悪くないな」という問題 意識からスタートした。 2.農業が大事だ。と心底思ったり、自給率を本気で何とかしないといけないと考える意味も 思考も消えうせた幸せな国において食料自給とか食糧の安全保障とかを考えて日本農業を 守らなければならないと本気で言う人間が居る訳が無いという図式。 要するに、自給論にしても安全保障論にしても、それ自体が本来の目的ではなく、他の隠然・ 公然の目的の出汁に使われているに過ぎない。すなわち それで生きていかないといけない人が沢山いてその人たちが自分達の必要性をアピールし 消費者に農業の必要性を理解させようとしたり、国家予算獲得を目論んだり外交カード切った り・・・。主に生産者側の論理という気がしていますが、というわけ。 仮に「食料自給とか食糧の安全保障とかを考えて日本農業を守らなければならないと本気で 言う人間が居る訳が無い」のが事実としても(僕は、これが事実だという前提には立ってはいな いけれど)、それ自体は食料自給や食糧安全保障問題の本質的な意義とは関わりがない。 現実に食料自給論や食糧安全保障論が予算獲得や外交カードの切り札に使われているに 過ぎないとしても、それは食料自給論や安全保障論の本質的意義を否定するものではない。 3.農業生産者殆ど全員は、単なる営利目的のビジネス、ホリエモンと同じ思考で営農している に過ぎない。生んだ利益をどう使うかの思考が無い。私利私欲のくだらない消費を拡大する為 の営利の追求。そんなもの守る必要が何処にある。 4.人間が生きる為、より良く成長する為の根源が営農その周辺の生活文化に詰まっている訳 ですが経済偏重の資本主義社会の中においてそれは時間を浪費するだけの不合理なものと 判断されてしまうのかなと思います。農業者自らそういう生活文化を捨てる方向で走ってきた 結果が今の惨状を招いてたひとつの要因かと考えます。 3と4は、どういうことですかね? 4を読むと、本来の営農活動には人間的成長を促す生活文化が詰まっているのだけれど、 資本主義社会では単なる時間の浪費と見なされ、農業者自身この考えに同調し、営利目的 の資本主義的営農活動に奔走してきた結果が、農業の衰退を招く一要因になった。営利 目的の営農など守るに値しない、ということなのかな?さらに敷衍すると、資本主義社会では 「本来の営農活動」は成り立たない、ということなのかな? この議論は、僕には単なる混乱のようにしか見えないし、「食料自給」問題の論点を複雑で 曖昧にするだけだから、これ以上は深入りするつもりはない。但し、色々大胆な断定があり、 皆さんの中に、異論・反論があればお寄せ下さい。長すぎて、コメント欄に入りきらないよう であれば、その旨、非公開コメントでお知らせ頂ければ、メールアドレスをお知らせしますの で、メールでお送り下さい。(07/12/08)

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/4

日本の食料自給率の低下には、その主要因だけに限ってみても ・急速な経済発展=工業化及び都市化に伴う農業の自壊作用 ・食生活の急速な変容 ・市場のグローバル化 などが考えられる。もち論、これは結論というより取り敢えずの仮説と考えてもらいたい。 このうち、後二者はアメリカのファーストフード大手の席捲と切り離しては考えられない。 そこで遅ればせながらエリック・シュローサーの「FAST FOOD NATION」を読んでみた。 2001年に出版され、日本では草思社から「ファーストフードが世界を食いつくす」という 書名で同年夏に出版された。 ファーストフード大手の席捲とともに広がる小規模農場の没落、企業農場による吸収・合併、 農業の工業化などの「事実」をランダムに拾ってみた。 ************************** この30年余りのあいだに、ファーストフードはアメリカ社会の隅々に浸透した。 1970年にアメリカ人がファーストフードに費やした金額は60億ドルだが、2000年には1100 億ドル以上に上った。今日のアメリカ人は、高等教育、パソコン、コンピューター・ソフト 新しい車に投じるよりも多額の金をファーストフードに費やしている。9.p アイダホのジャガイモ畑においても、コロラドスプリングス東部の牧場においても、ハイ プレーンズの肥育場や食肉処理場においても、ファーストフードが農業従事者の生活に、 国内環境に、労働者に、国民の健康に及ぼしている影響を、あなたは目の当たりにする だろう。いまやファーストフードチェーンは、アメリカの農業を牛耳る巨大な食品業界 ピラミッドの頂点に君臨している。1980年代、多国籍大企業は、商品市場を次から次へと 独占するのを黙認されてきた。農家や酪農家は自営できなくなり、必然的に、農業関連 大企業の下請けに回るか、泣く泣く土地を手放す羽目に陥った。いまや家族経営の農場は 不在地主すなわち大企業の経営する農場に取って代わられた。17-18.p 過去25年間で、アイダホのジャガイモ農家の数はほぼ半分に減った。一方で、ジャガイモ 作付け面積は増えている。家族経営の農場が、数千エーカーの規模を持つ企業農場に吸収 されているからだ。こうした巨大な企業農場は、運営上の目的でいくつもの小作地に分割 され、多くの場合、土地を追われた農家が雇われて運営を任されている。161.p 第二次世界大戦以降、アメリカの農家は勧められるままに、次々と新たな技術を取り入れ て、収穫高を増やし、コストを引き下げ、隣近所を上回る売上げを達成しようと努めてき た。こうした製造業の経営モデルを農業に取り入れたことで(つまり、コストと収穫高に 焦点を絞込み、ひとつの作物に特化するのを良しとして化学肥料、殺虫剤、防カビ剤、除 草剤を大量に使い、最新の収穫機器や灌漑装置を利用することで)アメリカの農家の生産 性は世界一になった。ところが生産性が高くなればなるほど、土地を追われる農家の数は 増えていった。そして残った農家は、コストを肩代わりする企業と、収穫を買い取る加工 業者のお陰をもって成り立っている。....アメリカの農家経済の構造は砂時計に似て きた。上の球に約200万の牧場主と農家がいて、下の球に2億7500万人の消費者がいる。 真ん中の細い部分を、十数社ほどの多国籍企業が押さえ、取引という取引から利潤を得て いる。163.p マクドナルドは国内最大の牛肉購入者だ。1968年、マクドナルドは175社に上る各地の地元 業者から挽肉を調達していた。数年後、チェーン拡大に伴い、商品の画一性を徹底する 目的で、牛肉納入業者の数を5社に絞り込む。食肉業界は過去20年のあいだに、フライド ポテト業界とそっくりの経路をたどって、吸収・合併の波の中で再編された。189.p 鶏肉業界も、牛肉業界と同じく、1980年代に起こった合併の波の中で再編成された。今では 加工大手8社が国内市場の約三分の二を支配している。こうした加工業者は、生産拠点を 南部の農業地帯にほぼ全面的にシフトした。気候が穏やかで、労働者の所得水準が低く、 組合が弱く、しかも追い詰められた農家が、どうにかして土地にとどまろうと手段を探って いたからだ。...鶏肉業界に革命が起こり、大手加工業者が支配力を強めた原因はいくつ かあるが、なかでもチキンマックナゲットという革新的商品の登場が、特に大きな役割を果 たした。これによって、それまで食卓で切り分けるものだった鶏が、車のハンドルを握りな がら楽に頬張れるものに変わった。市況商品だった農産物が、付加価値を伴う工業製品に 変わった。これに合わせて生産システムが組まれ、養鶏農家の多くが農奴も同然のありさま に変わった。193.p タイソンフーズは、現在、国内向けマックナゲットの約半分を生産し、レストラン・チェーン 大手100社のうち90社に鶏肉を納入している。垂直統合が完了していて、鶏の孵化、解体、 加工までを手掛けている。但し鶏の飼育はしない。飼育に必要な設備投資と財務リスクを 引き受けているのは、数千人の独立請負業者だ。 タイソンと契約した養鶏業者は、鶏舎こそ自前だが、中で飼っている鶏は自分の所有物では ない。大手加工業者の例に漏れず、タイソンも、契約業者に一日齢の鶏を送り届ける。孵化 したその日から屠られる日まで、鶏は一生を養鶏業者の敷地内で過ごす。それでも所有して いるのはタイソンだ。タイソンが飼料を供給し、獣医を派遣し、技術上のサポートを提供す る。給餌日数を決め、設備の変更を求め、家禽指導者を雇って会社の指示がきちんと実行さ れているかどうかを確認させる。タイソンの派遣したトラックがやってきて積荷の雛を降ろ し、七週間後に再びやってきて、解体を待つばかりの若鶏を運び去る。加工工場に着くと、 タイソンの従業員が鶏の羽数を数えて体重を量る。養鶏業者の収入は、ここで勘定される羽 数と体重、消費飼料量をもとに、一定の計算式に従って算定される。195.p (08/01/11)

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/5

続き、 コロラド州グリーリーの臭いは、町の姿が見えもしないうちから鼻を突く。忘れがたい臭い だが、説明するとなると難しく、いわば生きた動物と、肥やしと、ドッグフードに練りこむ 家畜の死骸とをつき混ぜたような臭いだ。... グリーリーは近代的な工場の街だ。肉牛がその生産システムの中心にあって、労働者の手と 機械とで、大きな去勢牛をちっぽけな真空パック詰めの牛肉に変身させている。アメリカ人 が今日、一年間に口にする数十億個のファーストフード製ハンバーガーは、このグリーリー のような町々からやって来る。過去20年間のあいだに、牛の飼育と精肉加工の過程に工業化 の波が押し寄せ、牛肉生産のありようは根底から変わった。あわせて、牛肉を産出する街の ありようも変わる。ファーストフード・チェーンやスーパーマーケット・チェーンの需要に 応えて、大手食肉業者は、賃金を削ることでコストを抑えてきた。結果的に、かつては国内 の製造業で最高水準の報酬が約束されていた職でぎりぎりの低収入しか得られなくなり、貧 しい移民からなる渡り工業労働力という新たな階層が作られ、高い障害率が放置され、そし てアメリカ中央部の農業地帯に、スラム街が広がっている。205-206.p ・グリーリーの牛肉の工場生産の一端を伺わせる写真、「米国産牛肉の対応状況」(参照)、 特に12-16ページ ・グリーリーの肉牛生産現場のルポ、「肉食が地球を滅ぼす」の第三章冒頭「肉牛の大量生 産工場」(参照) ・食肉工場で働く不法滞在の移民労働者(米国:摘発で移民家族バラバラ) アメリカでは毎日、約20万人が食品由来の病気にかかり、うち900人が入院し、14人が死亡 している。疾病管理予防センターによると、国内人口の四分の一以上が、毎年、食中毒の被害 遭っている。これらの事例の大部分は、当局への報告や正しい診断がなされていない。広範囲 に及ぶ集団食中毒で、正しく認識され、原因が突き止められるのは、実際に起きている件数の うちほんの一握りに過ぎない。そして食品由来疾患の発生件数が、ここ二、三十年増え続けて いるだけではなく、これらの病気が、以前考えられていたよりもずっと深刻な害を長期的に及 ぼすということが、確実の立証されてきている。... 食品由来疾患が増えたことには多くの複雑な要因が存在するが、増加の大部分は、近年の食品 製造方法の変化に起因する。... わが国の産業化・集中化された食品加工システムが、全く新たな集団食中毒を生み出し、何百 万人もの人々を発病の危険にさらしている。270-271.p 本来あるべき環境から切り離された肥育場の牛たちは、あらゆる病気にかかりやすくなってい る。そのうえ、牛たちが食べさせられる餌が、病気の蔓延に貢献している。穀物価格が上昇し たため、より安い餌、特に牛の成長を速める高タンパクの飼料が求められようになった。1997 年8月まで、わが国の牛の実に75%が、日常的に、畜産廃棄物(加工済みの羊や牛の残骸)を 食べさせられていた。年間何百万匹という猫や犬の死骸までが、動物保護施設から買い取られ、 飼料にされていた。280-281.p ファーストフード・チェーンは、西側諸国の経済発展の象徴となった。彼らはたいてい、ある 国が市場を開放したときに最初に乗り込む多国籍企業であり、アメリカ流フランチャイズ方式 の前衛集団として機能する。15年前、マクドナルドがトルコに最初の店を開いたとき、この国 で事業を行う国外のフランチャイズ企業はひとつもなかった。それが今や、セブンイレブン、 ニュートラスリム、リマックス不動産、メールボックスETC、ジーバート・タイディ・カーなど 何百というフランチャイズ店がトルコに展開している。国務省は現在、国外フランチャイズの ビジネスチャンスについて詳細な研究報告を発行しており、在外公館において、ゴールドキー・ プログラムを実施して、アメリカのフランチャイズ企業が国外で提携先を見つけるための支援を 行っている。319.p 20世紀の大部分のあいだ、アメリカ的価値観と生活様式が世界に浸透していく上で、最大の 障害になっていたのが、ソ連邦だった。ソ連の共産主義が崩壊すると、空前のアメリカ化が 地球規模で起こり、それはアメリカの映画、CD、音楽ビデオ、テレビ番組、ファッションなどの 人気上昇という形で現れた。しかし、これらの商品と違って、ファーストフードはアメリカ文化の 中でも、国外の消費者(consumer)が文字通りに「食する」(consume)類のものだ。アメリカ 人のように食べることで、世界中の人々が、少なくともある側面においては、アメリカ人のような 姿になってきている。アメリカは現在、先進国の中で最も肥満率が高い。成人の半分以上と 子供の四分の一が、肥満或いは過体重だ。この割合はここ数十年、ファーストフードの消費量 とともに、うなぎ登りに上昇してきた。334.p ****************************** 僕の関心を引いた主題を中心に、ランダムに引用した。引用は、必ずしもこの本の内容を 要約するものではない。出版から7年以上経っており、使われている資料は10年以上前 のものが多く、現在はどうなっているのか実情は知らない。 ファーストフード・チェーンは、安価で均質な食べ物を地球全域に供給している。それは 食べ物を変えただけではなく、人々の生活様式や文化、考え方までをかえた。 安価で均質な製品を生産するために、その素材となる農産物や鶏肉・牛肉生産の現場に 工業的な管理システムを持ち込み、農業構造そのものを変えた。 今日、アメリカの農業構造がどんなものか、実情はほとんど知らない。 ここに引用した指摘を手がかりに、ぼちぼち調べたいと思っている。(08/01/12)

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/6

食料自給の問題とはやや離れるが、もう少し、工業的農業の問題にこだわって見よう。 工業的農業の拡大とともに、食品由来の疾患の蔓延が指摘されている。 google で「食品由来疾患」と検索すると、約16万件ヒットする。大別すると ・疫学的アプローチによる疾患の分析 ・食品の製法・流通・保存など食品側からの分析 ・食生活の変化に伴う疾患予備軍(生活習慣病)の増加など食文化的な分析 僕が、主に関心を持っているのは、主題そのものからして後二者が中心。 04 年11 月、メキシコシティで開催された世界保健研究フォーラム年次大会で 「工業的畜産はつぎの世界的な健康危機か?」と題する報告が発表された。 主な論点を摘記すると、 ・食肉の「工場」生産体系の始まり 第二次世界大戦後、経済的に最も豊かな国々は、増大する食肉需要を、莫大な頭数の 家畜を戸外や密閉施設内で飼育することで賄ってきた。工業的畜産の時代の始まりで ある。抗生物質、成長促進剤、穀物中心の不自然な飼料の投入は、当時から現在に至 るまで牛のフィードロット(肥育場)、養鶏場、養豚場に欠かせないものとなっている。 ・工業的畜産施設の問題点 工業的畜産がもたらす大量の家畜排泄物は、大気と水を汚す恐れがある。工業的畜産 施設では、家畜が生まれてから屠殺されるまでの間に、疾病の治療や成長促進のため 大量の抗生物質が与えられる。家畜への抗生物質の過剰使用は、耐性菌の出現と関連 があるとされている。工業的畜産はこのほか、食品由来感染症、新興の人畜共通感染 症、肥満、糖尿病、心臓病など非感染性疾患の増加に直接、間接の影響を及ぼしている。 ・今後も食肉需要はアジアを中心に急増する 国連食糧農業機関(FAO)によれば、畜産分野の成長が最も急なのはアジアで、その次 が中南米及びカリブ諸国である。畜産物の消費も、今後15 年間、これらの地域で最も 上昇する見通しである。2020 年には、発展途上国の国民は、1980 年代の2 倍に当る、 1 人当り39kg 以上の肉を消費するようになる。しかし、世界の食肉の大半は、引き続 き先進「工業」諸国の国民によって消費され、その1 人当りの消費量は、2020 年には 100kg に達するとみられる。これは牛1/2 頭、ニワトリ50 羽、豚1 頭に相当する量で ある。 ・工業的畜産施設の拡張に伴う環境汚染の懸念 工業的畜産は今日、アルゼンチンからブラジル、中国からインド、南アフリカから東欧まで、 世界中で営まれている。世界の肉牛の43%はフィードロット(肥育場)で育てられる。工業 的畜産ではしばしば、不自然な穀物飼料と、増体を早め過密施設での疾病蔓延を防ぐため の抗生物質が与えられる7)。世界の豚とニワトリの半数以上が工業的畜産で飼養されている。 畜産は先進工業国が優位を占める産業であるが、途上国でも急速な成長と生産の集約化が 進行している。 これらの地域では、世界で最も人口密度が高く成長の急な都市の近郊や、ときに都市の中 にも多数の工業的畜産施設があるため、周辺の水、大気、土地の汚染が懸念される。 ・工業的畜産とは? 工業的畜産とは、産肉量を最大化しつつコストを最小化する、集約的「生産ライン」方式で 家畜を飼養するシステムである。工業的畜産を特徴づけるものは、高密度及びまたは 密閉飼育、強制的な高い増体速度、高度の機械化、低い必要労働量である。具体的な例 としては、採卵用バタリー養鶏、肉用子牛のクレート飼いなどがある。工業的畜産という 言葉は、後に意味を拡大して、遺伝子組み換え動物を使った畜産も含むようになっている。 ○ニワトリ 世界の採卵鶏47 億羽のうち4 分の3 がバタリー養鶏で、1 ケージに10 羽も詰め込まれた 状態で飼養されている。ケージは何段にも積み重ねられ、中にいるニワトリはほとんど身動き ができない。毎年、世界で440 億羽のブロイラー鶏が肉用に育てられている。これらは ケージには入れられないものの、成長を早めるために内部を薄暗くした不毛な鶏舎で密飼い されている。工業的畜産のニワトリはしばしば跛行を起し、心臓発作で死ぬことも多いが、 これは、不釣り合いに大きくなった体を心臓が支え切れないためである。 ○豚 世界の豚25 億頭の半分が工業的畜産で飼養されている。工業的畜産で飼養される雌豚の 多くは、ほとんどの時間を狭い枠に閉じ込められて過ごし、向きを変える、巣をつくる、 地面を掘るなど、豚本来の行動をとることができない。ストレス下にあるこれらの雌豚は、 しばしば人工授精によって、生涯のうちに何腹もの子豚を出産させられる。 ○牛 牛の多くは幼齢期を牧場で過ごすが、屠殺の数週間前になると、増体のためにフィード ロットに集められ、不自然な穀物飼料を給与される。過密で不衛生な環境で過ごすため、 食肉処理施設に到着するときは牛が排泄物にまみれていることもしばしばである。 ・食品由来疾患の実態 食品由来疾患には誰もがかかる可能性がある。しかし、とりたてて問題にしたくない症状 (下痢)を特徴とするために診断も報告もされないことが多く、事の重大性が認識され にくい。食品専門家が見落としているのは、食品由来疾患は世界で最も広がっている健康 問題の1 つで、WHO の推定では、報告された数の300 ~ 350倍は発生しているという点で ある。米国では毎年、食品由来疾患のために約7,600万人の患者、32 万5,000 件の入院、 5,000 人の死亡が発生している。このうち、既知の病原体によるものだけを数えると、 患者1,400 万人、入院6 万件、死者1,800人という数字になる。 ・食品の生産工程に伴う原因 FAO によると、畜産の商業化と集約化の流れは、食の安全にかかわる様々な問題を生み出 している。工業的畜産施設の、過密でしばしば不衛生な環境と、不適切な排泄物処理は、 動物の疾病や食品由来感染症の蔓延を加速する。たとえば、大腸菌O157: H7 型は、家畜 排泄物で汚染された食品を人が食べることで、動物から人に伝わっていく。東アングリア 大学のイアン・ラングフォード博士によれば、過密な環境で飼養された家畜は、しばしば 糞便まみれで食肉処理施設に到着することがあり、それが食肉中の微生物の増殖と拡散の 下地をつくっている。博士によると「問題は、消費者が食品に十分気を配るかどうかでは なく……食品の生産工程にある」 (以上は「工業的畜産はつぎの世界的な健康危機か?」からの引用) この報告書では、素材の製造工程のみの「工業化」が指摘されているが、実際には素材の 生産から、それが加工され我々の口に入るまでの一連の工程全体が、工業的な品質管理を 受けていることは、まるで機械部品のようなマクドナルド店員の対応振り(20年ほど入って ないから最近はどうなのか知らないが...)にも現れていた。 やや古い資料だが、 ・国立医薬品食品衛生研究所安全情報部の「食品安全情報」(04/01/07)の中の 食品微生物関連情報は、OECD諸国の食品由来疾患の状況をその典拠とともに、簡単に紹介 している(参考)。 07/12にWHOは ・Foodborne disease outbreaks: Guidelines for investigation and control と題する164頁ほどの報告書を公表しているが、まだ読んでない(参照)。 04/07に、WHO は食品由来疾患を大幅に減少させるために、調理中または食事中に、 家庭と職場で実践すべき簡単な「5つの鍵」戦略を発表した。この5つの鍵とは、手と調理器具 を清潔に保つこと、生の食品と加熱済み食品を分けること、食品には完全に火を通すこと、 食品を安全な温度域で保存すること、水と生の食材は安全なものを使用すること等である。 (参考) これらは適切な指摘で、確かに「Key strategy」には違いないが、「食品の生産工程」その ものに由来する疾患には如何ともなし難い。 風土と食文化の不可分の関係という視点から、食生活の急速な変容が及ぼす社会的な影響 には深い関心を払っているが、食品由来疾患の視点からは、食肉の「工業的製法」のみなら ず、肉食と草食(あるいは穀物食)との違いにも注目する必要がある。 「工業的畜産はつぎの世界的な健康危機か?」には、次のようは調査報告が載っている。 05 年、イングランドとウェールズという工業的畜産が支配的な地域で実施された調査は、 人に感染する食品由来疾患の「乗り物」、つまり媒介食品に注目したもので、貝や果物から 鳥肉に至るまで、各種の食品の比較が行われた。そこから、つぎのような結論が得られた。  ・鶏肉による食品由来感染症がつねに疾患の増加原因であったのに対し、植物性   食品に由来する疾患は、調査集団に軽微な影響しか与えていなかった。  ・食品由来疾患がニワトリから伝わるリスクは、調理済の野菜または果物の   5,000 倍であった。  ・レッドミート(牛、小羊、豚の肉)のリスクは低かったが、死亡への寄与率は   高かった。  ・食品由来疾患の影響の低減は、主として鶏肉の汚染防止に依存する。 植物性食品については、いわゆる「生活習慣病」との関連でも食物繊維の積極的な摂取が 薦められているが、食生活の変化に伴って実際には減少傾向である。 古いものだが、参考資料として、取り敢えず 「高コレステロール血症の改善、虚血性心疾患および糖尿病の予防のための 食物繊維の適正摂取量」を挙げておく。(08/01/15)

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/7

次に、google で「工業的農業」と検索すると、三日前は約38.3万件、今日は56万件ヒット した。何故か、僕の書いた記事が二番目と三番目に出てくる。三番目の記事は三年前に書い たもので遺伝子組換え作物と農業の工業化との関係を指摘して、 GM作物の導入は、その単純化された機械化体系とも結びついて、農業の工業化を一段と 促進した。そしてまたこのような工業化された農業が、都市資本なり工業資本なりにとって、 農業を魅力的な投資対象に変質させたからこそ、アルゼンチンの例に見られるような爆発的 なGM大豆の拡張となったのだ。 と書いてある。 二番目には12日の記事が早速、検索対象になっている。余談はこれくらいで...。 「The New Farmer」のサイトに「農業経済 一般教書演説」と題するミズーリ大学名誉教授 ジョン・イカードの02年11-12月のレポートが載っている。そのうち第一部「工業的な農業 の論理的帰結」の部分の要点を摘記すると、 ・現在、アメリカの農業は「大きな転換期」を迎えています。私たちが知っている家族農業 や自立した地域社会を基盤とする農業は、農場の機械化による運営と地域社会の衰退に伴っ て工業的な農業へと急速に変化していっています。このような変化により、大きな危険が 生ずると共に、大きなチャンスも与えてくれます。 ・第2次世界大戦後、化学技術――特に商業用化学肥料と農薬――は工業化を促進させました。 そして最近まで、農業の工業化が進む過程で引き起こされたもっとも顕著な結果は、農場の 大規模化、農場の減少そして農家世帯数の減少でした。それでも生産者や家族経営農家、また 農業の重要性を理解している人達は、何をどのように、誰のために生産するのか、それが農地 や周囲の人々にどのような影響を与えるのか、ということに配慮し意思決定を下していました。 ・現在進行中の農業の「企業化」はまさしく工業化の最終段階といえます。新技術は常に事業 を拡大し、その都度新規投資を必要としてきたため、最大規模の農家を除く一般の農家は皆、 必要な額の資金をうけることができなくなるという状態に陥っています。農家の多くは、これ まで投資資本を強化するために同族会社を形成してきましたが、加速する農業の工業化に 必要な資本提供を受けることができるのは公営企業だけとなってきており、その数は増えて います。...農地や基礎的な生産施設のほとんどは、まだ農家や同族会社により所有されて いますが、生産は次第に巨大な農業関連企業による管理下へと移行してきています。 ・食料システムへの企業の支配力が増すにつれ、契約農家よりも低コストで生産している独立 した農家でさえ、競争に打ち勝つのは困難だと認識するようになってきています。現在企業は、 新技術、特にバイオテクノロジー関連の大部分を掌握しており、農家は契約協定を通してしか それらを入手できません。 ・株式上場の大企業のように株主の数が増え、基本的に所有権から経営が離れてしまうと、 意思決定は企業の利益や発展に影響されます。こうした企業の資本のほとんどは投資信託と 年金基金によって運用され、株主は、すべてではないとしても、投資の価値が上がることに 最大の関心を持つ傾向があります。このように企業に管理された農業はこれまでの農業とは 根本的に異なるものとなります。 ・アメリカ人は自国の農業をコントロールできなくなっています。何を、どれだけ、どこで、どの ように、誰が生産するかは、アメリカ人によってではなく、ますます多国籍企業によって決定 される傾向にあります。...契約協定では誰に決定権が与えられるかが決められますが、 大部分において、農家は地主やトラクターの運転手や養豚場の管理人と同じように見なされ ており、本来の役割をもつ「農家」として見なされていないことは確かです。 ・多国籍農業関連企業はアメリカ農業への支配力をますます強化し、無国籍で世界の至る所 に株主を持っているのです。今後さらに多国籍企業は、アメリカ国外で生産する方がより儲かる と認識するでしょう。トウモロコシ、大豆、豚肉、牛肉、綿、米などの主要農産物を生産する 場合、南アメリカ、オーストラリア、南アフリカ、中国のような地域と競争するには、アメリカの 農地や労働コストは高すぎるのです。 ・世界市場での生存競争に生き残るためには、アメリカの生産者は、土地と人間の両方を搾取 する契約協定を受け入れざるを得なくなるでしょう。大規模な飼育場での養鶏や養豚の工業化 は、大企業による搾取の代表例と言えます。 ・大企業がアメリカでの農業を撤退する前に、アメリカの農村地域の多くは"第3世界"に見ら れる不毛の地へと化してしまっているでしょう。河川や地下水は汚染され、小さな沼に廃棄物 は捨てられ、表土は破壊され疲弊し、帯水層は枯渇し、農村地域の犯罪、未熟な労働者、農村 地域の消滅――これらは、農業の企業化による負の遺産となるでしょう。 ・食料の海外依存に対して懸念の必要はないと主張する経済学者は数多くいます。世界的 経済発展の新時代において、アメリカが農業そのものを超えて進化するのは必然であり、食料 は世界各地で安く生産され、もっと低価格で購入できるようになっている今日、アメリカ国内の 土地と労働力に対してもっと高い使用価値をあたえるべきだと助言しています。しかしながら、 もし危機がやって来た時に、食料自給のできない国家は、自衛力のない国家と同じくらい安全 ではないのです。(引用は以上) 食料自給との関係で、このレポートで興味深いのは、農業が多国籍企業の支配下に置かれ 意思決定権を失うとともに、農業もまた工業と同様に「空洞化」し、やがては「食料を自給でき ない国家」に転落する可能性があるという指摘である。 農産物輸出大国で、食料自給率120-30%のアメリカが、やがて「食料を自給できない国家」 に転落する可能性があるという、一見、逆説的指摘が奇異でも何でもないところに、国家の 意思決定権をも部分的に超えてしまった多国籍企業の支配する現代の産業社会の逆説的 現実がある。 第二部は「消費者の関心が高まる持続可能な農業」 第三部は「新しいタイプの農業者」 関心ある方は、同サイトで読んで頂きたい。 第二部で、次のように書いている。 農業の根本的な目的は、太陽エネルギーを(植物光合成の働きを用いて)人間に有用な形に 変換することであるにもかかわらず、その農業に様々な機械が導入され、再生不可能な化石 燃料を燃焼して使うことによって、太陽から取り出すエネルギーより大きいエネルギーを 消費するようになってしまったのです。... 産業の時代は過ぎ去り、目の前にはなにか全く別のものが私たちを待っています。農業は いまだ工業化の支配から逃れられないでいますが、企業化は工業化の発展過程の最終段階です。 すでに先進国世界の他の多くの国々では、工業化を超えた方向へと進もうとしています。 この思想は、11/29に再引用した、「耕す生活」の冒頭の僕自身の考え方と完全に一致する。 そこで僕は「農業は、工業から独立して自分の足で立てばよい」と書いた。しかし「自分の足」 で立つとはどういうことか、発酵学や微生物学との結びつきがその基礎を築くのではないかと の感じを持っているが、僕にはまだ漠然としか見えていない。 イカード氏は、第三部で「新しい農業」の特徴を三点指摘した上で、「最後に、この新しい 農業者にとって、農業とは生計を立てる一手段であるだけではなく一つの生き方を表明する ものです」と述べている。 この思想も、奇しくも「耕す生活」の冒頭で 人生の後半生に入って、あえて百姓という生き方を選んだのは、戦後社会を支えてきた、こう いう考え方に対するアンチテーゼだ。もう、そんな生き方は行き詰ったという、僕自身の生き 方を賭けたささやかな狼煙だ。 と書いた考え方と、完全に一致する。それでもなお、抽象的に留まっているのは否めない。 (08/01/17)

食料自給を考える/「自給率」という幻想/8

食料自給という概念を、「Aが消費する食料はAが生産する」と、最も素朴に解釈する。 この場合、「A」に何を入れるのが適当だろうか? 現代では、一般的には「国民国家」を入れる。しかし多国籍企業のように部分的に国家の 政治的支配の及ばない経済的領域が広がると共に、国民国家を主体にした食料自給率の 概念は、事実上、空洞化する可能性があることをイカードのレポートは示唆している。 言い換えれば、「国家の後退」と共に、国民国家の枠組みを分母とする自給率は必ずしも 国民的な食料確保の政治的保障にはならないというわけだ。 一方、国民国家の枠組みを取払ってしまえば、食料自給率の割合がどうであれ、食料確保 の不安が忽ち襲ってくる。無政府状態に陥った場合は勿論のこと、投機的取引や流通途絶 で部分的・一時的な食料の遮断が起きただけでも、不安が不安を呼び、パニックに陥る 可能性はなきにしも非ず。「納豆を食べればやせられる」という阿呆なテレビ放送をきっ かけに、僅か数日とはいえスーパーの店頭から納豆が消えてしまったことを思い起こせば、 ある種の社会的条件の下では食料買付パニックの起こりうる可能性は、単なる杞憂とも云 えない。問題は絶対的不足ではないし、「日本がすべての国と全面戦争に突入」して「食料 の輸入がゼロになる」という非現実的想定でもない(11/29、池田信夫氏の想定を参照)。 投機的市場では、突然、架空需要が何倍・何十倍にも膨れ上がり、どれだけが実需でどの 部分が架空かの区別もつかず、実際の商品は市場から消えてしまい、価格が跳ね上がり、 調達に右往左往する事態は珍しくもなんともない。しかもそれが「投機的」市場かどうか、 本当のところは過ぎてみなければ分からない。生産財であれ、非生産財であれ、必需品で あれ、非必需品であれ、金融商品は勿論、石油・土地・穀物・トイレットペーパー、何で あれ投機的取引の対象になりうる。 飽食・自給率の低さ・市場不安などの諸条件は、これにある種の社会的条件が重なれば、 投機的取引の格好の餌食になりやすい。 我々は「国民国家」という枠組みを、あたかも自然の賜物のように錯覚しているけれど、 ユーゴ、アフガン、イラクのように、突然、暴力的に破壊されてしまう場合もあれば、 東欧諸国のように内部的に崩壊してしまう場合もあれば、国家的枠組みは健全でも、マレー シア、台湾、韓国、アルゼンチンのように国民総生産を上回るような投機的資金の餌食に されたり、日本のように投機的サイクルの自己崩壊で国民総生産の何分の一かを一挙に 喪失してしまう(戦争を上回る国富の喪失だ)場合もある。年金基金のような、一見盤石 のように見えたものさえ、突然、その内実が如何に危ういものか思い知らされたりする。 「ねじれ国会」のような国会機能の部分的喪失は、時に片肺飛行のような危うさを伴っている。 歴史的には、A=「国民国家」は自明の理ではない。 とはいえ、「A」に個人なり家族なりを入れるのが適当ではないとは、すぐに分かる。 仮に、家族を人間の社会的存在の最小単位と考えれば、A=家族とするのは、必ずしも不可能 ではないが、原始社会を想定したにしても合理的とは云えない。一家族だけで継続的に安定 して、家族が必要とする年間(或いは一世代間)の食料の総量を生産できるとは限らないから、 家族間での交換と分配は避けられないし、従って一共同体なり共同体間の交換と分配も不可避 である。同時に、食料の生産技術が発展するにつれて、一家族や一共同体では消費しきれない 余剰食料が生産されるようになれば、この面からも蓄積や交換は不可避となる。 男女間であれ、家族間であれ、世代間であれ、親族間であれ、地域間であれ、分配と交換が 始まるとともに、交換の空間的な広がりに並行して、「A」に入れるべき合理的な概念は 拡張される。要するに、歴史的発展と共に「A」の合理的概念は拡張される。 食料生産は人間存在の基礎であるから、政治的支配は食料生産手段、すなわち土地及び労働力 の所有または占有を前提とする。食料生産にとっては政治的支配は必ずしも前提ではないが、 政治的支配にとっては食料生産手段の獲得(その方法の如何を問わず)は絶対的な前提である。 支配領域の領民を養えない政治的支配は崩壊する(*)。逆に、政治的支配領域の拡張は、 概ね食料生産手段としての土地及び労働力の領有と並行している。 (*)「一般的には」というべきか。ソ連、中国、朝鮮のように何百・千万の民を 飢餓に曝して生き延びた国家もあるし、ドイツやカンボジアのように何百万の 民を意図的に抹殺した国家もある。 食料生産力が発展して、食料生産に携わらないという意味での「遊休民」が増加すると共に、 政治的支配領域の拡張は自己目的化する。 全般的な社会的生産力が発展して、交易が一般化すると共に、食料生産には携わらず、また 政治的な領域支配の拡張も求めず、専ら交易によって生活し、交易によって食料を調達する 民も現れた(カルタゴなど、現代の日本もやや近いか?)。彼らにとっては、交易という生き 方そのものが食料調達を保障している。従って交易の安全を確保する軍事力と植民地都市の 建設が不可欠であった(この点では、現代日本はやや不備か)。 交易は、政治的支配領域を超えて絶えず広がろうとする志向を持っている。政治的支配が、 交易を自らの領域内に包摂しようとする一方、交易がそれを超克しようとする争いは、その 発生以来現在に至るまで連綿と続いている。現代の争いは国家の後退、市場の復権、新自由主義、 グローバリズムなどの概念で表現されている。 「国民国家」が、歴史上に登場したのは、せいぜい16世紀以降、更に政治的支配領域が今日 の「国家」と概ね一致するのは、たかだか60年余のことであり、それ以前は、19世紀後半以降、 列強諸国の植民地支配は一般的であった。アメリカは植民地獲得競争には、直接には参加し なかったけれど、入植者から見た未開拓地に侵食して、相対的に不足する労働力をアフリカ 諸国から奴隷労働として調達した。また政治的支配領域を必ずしも国外に求めなかったけれど、 経済的支配領域の拡張には昔も今も積極的である。 植民地支配が一般的な時代は、植民地本国は帝国全体を「A」と認識した。イギリスのような 富者の帝国は、食料生産地という認識は相対的に薄く、日本のような貧者の帝国は満州殖民の ように食料供給地の拡張意識が強かった。軍部は食料自給を必死の命題に掲げ満州、朝鮮、 台湾領有を、文字通りの意味でも・軍事的な意味でも「国土生命線」と捉えていた。他方、 被植民地国にとっては、自らの「祖国」を持たず、A=国民国家とする食料自給率など何の 意味も持たなかった。 というわけで、政治的・経済的支配領域の歴史的拡張とともに、「A」の自然の認識領域は 絶えず拡張され(*)、A=国民国家とされるに至って、いまや最終段階に達したのかもしれ ない。と同時に、多国籍企業の登場で(或いはグローバリズムによって)国民国家は形骸化 する憂き目に曝されている。グローバリズムに身を委ねれば、「食料自給率」などは、形骸化 した分母に囚われた非合理的妄念に過ぎないと見えるし、グローバリズムの負の側面に注目 すれば、形骸化した「国民国家」に代わる新たな分母の発見に努めざるをえない。 (*)一方、消費対象が「食料」だという特殊性によって、食文化(または食習慣)・ 保存性・鮮度などによって、「A」に入る合理的範囲は制限される。しかし保存 技術や冷凍技術の開発は、この「制限」を拡張する。食文化もまた、グローバリズム によって相対化される(「マクドナルド化する社会」)。 (08/01/19)

食料自給を考える/「農産物の急騰は日本を変える」?/番外

08/1/18のロイター日本語版に、モルガンスタンレー証券/経済研究主席R・フェルドマンの 「農産物の急騰は日本を変える」(参照)と題する分析が載っている。レポートの狙いは、農産物 価格急騰によって、日本農業構造に変化が起き、そこに新たな投資チャンスが発見されるはずだ、 というものだ。世界的な投資家の目が日本の農業にどういう眼を向けているか、その一端を伺う 資料として掲載しておく。◆の部分は、僕の評価 ・いまの農政は変化を余儀なくされている ここ数カ月の農産物価格の急騰は日本を大きく変えるだろう。世界の農業分野では、生産性を 上げないと食糧安全保障はない、という認識が広がっている。日本が今の農政を継続すれば、 地方の困窮化はさらに深刻になる一方である。 ・世界的な農産物急騰の原因は何か? 世界人口が70億人になったことが農産物価格急騰の基本的な原因だという意見があるが、 これはデータと整合性がない。1950年前後に世界人口は約20億人で、2000年は約70億人 に増加したが、その50年間に農産物の実質価格は続けて低下傾向にあった。むしろ農産物供給が 需要より早く成長した、という反マルサス派の見方が正しかった。 では、何が原因か?理由は基本的に3つある。1つは、研究開発の成果の広がりがゆっくりである ことだ。確かに遺伝子組み換え品種は、米国などで生産性を上げている。しかし、大半の国はこの ような技術をフルに利用していない。各国の気候事情に適応することが遅れれば、供給は「伸びる 需要」に追いつかない。  もう1つの理由は、途上国の所得水準が上昇し、肉の需要が大きく増加していることである。 たん白質工場として、家畜は効率が非常に悪い。専門家の計算では、牛肉100グラムを作るには、 飼料を少なくとも1000グラム使わないといけない。当然、13億人の中国、11億人のインドの 人たちが肉を食べだすと、飼料の需要が何倍も上がる。豚肉は牛肉より、鶏肉は豚肉より効率が良い が、それでもかなり悪い。  3番目の理由はもちろんエネルギーだ。今の農業はかなりエネルギー集約的になってはいるが、 加えてバイオ燃料が今のエネルギー価格の下でようやく採算が合うようになってきた。(補助金は もちろんあるが、これは国防の目的と思ってもいい。)バイオ燃料という技術進歩は、エネルギー 価格が農産物価格を引っ張る効果をもたらした。(ただし、バイオ燃料が利用される分、原油価格の 上昇が抑えられる。) ◆「食料の未来を描く戦略会議」の第一回会議(07/07/17)の配布資料「今、我が国の食料 事情はどうなっているのか」(参照)の分析と、概ね一致しており、特別に注目すべきほどの分析 ではない。但し、50-60年以上にわたって続いた国際的な農産物の実質価格の低下傾向 は、基本的に転換したのかどうかは注目点である。 ・農産物の急騰で進む流通などの構造調整 農産物価格の急騰は、食糧品の投入市場、産出市場、流通経路などの構造調整を促す。これは代替商品、 補完商品、投入価格が全てつながっているからこそ起きる。(この部分の詳細は全部省略する) ・価格急騰で生まれる日本農業改革のチャンス これだけ動く農産物市場だが、価格変動に鈍感な日本の制度は変わるか、という疑問はもちろんある。 しかし、私は、かなり変わるだろうと思っている。日本の農産物の生産性は、高いレベル(野菜、果物) もあるが、農場の規模からいうと生産性を改善する余地は大きい。農産物が安いときは、低い生産性の 機会コストが小さい。しかし、農産物が急騰すると、機会コストも急騰する。補助金をもらうか、生産性 を上げるかという計算は変わる。 食糧保障、安全保障の問題もある。インド、ロシア、中国は既に品目によって輸出禁止を実施している。 日本の農産物備蓄が足りなくなるかという心配も当然ある。食料品を地政学的な武器として使うことはなく ても、充分な食料品を市場から取れるかという心配はある。国内生産を増やすことは時間がかかるので、 解決策にならない。 結局、長年の「低生産性農業」を自己利益の道具としてきた役所、政界の戦略は、グローバルな農産物価格の 急騰で崩れている。農地法の改正、農業委員会の廃止などの政策が正しい。地方活性化、物価上昇の抑制、 安全保障で「一石三鳥」の政策と言える。反対するのは、生産性を抑えて得してきた既得権益の享受者だけ だろう。 ◆下線部分の評価は、中々面白いし、正鵠を得ているかも知れぬ。(08/01/19)

食料自給を考える/世界の食糧市場/9

昨日の話の続きで、A=世界とした場合の問題を考えてみよう。この場合、購買力ある需要に 対しては自給率は、常に百で安定しており、在庫率に応じて価格の高低があるだけだ。 グローバリズムは、端的にこの立場に立っている。グローバリズムの究極的な終着点は、 国家的・地域的障壁が取り除かれ、地球全体がやがて開かれた「市場」の競争下に置かれ、 資源及び労働力は最も「合理的」に配分され、そのお蔭を以て世界はますます豊かになると いう想定だろう。だから食料自給などという阿呆なことを考えるより「普段から輸入ルートを確保 しておくほうが供給不足には有効だ」となる(池田blog「食料自給率という幻想」参照)。 世界をひとつの「共同体」と見た場合(社会主義体制の崩壊とIT革命による国境を越えた情報の「共有」、 金融の自由化などは、部分的にはそれを実現しているかに見える)、世界的な富及び分配の偏在、その 結果としての一握りの先進諸国の飽食と他方での飢餓状態という矛盾を依然として内包しているが、 グローバリズムはこの矛盾を緩和するか、それとも先鋭化するか? グローバリズムは、部分的には国民国家の枠組みを超克しているが、この枠組みそのものを廃止 (「止揚」と表現したいところだが)したわけではない。従って食料の交換と分配をめぐる争いは、 複数の多国籍企業と国家とを交えた複雑なせめぎ合いになるのだろうか?そのせめぎ合いは緩和される 見通しなのか、それとも熾烈化するのか? 昨年12/11に、「温暖化によって何が起こり、どう対応できるのか ―農林水産業に与える影響の評価と その適応策―」と題する第28回農業環境シンポジウムが開かれた(参照)。その講演の 一つに、「これからの日本を取りまく食糧事情」と題する丸紅経済研究所の柴田明夫氏の レポートがある。当日「配布資料」の要約(参照)を見ると、 世界の食糧市場を見るうえでの「六つの視点」が提起されている。 ・均衡点の変化 ・世界の食糧在庫の変化 ・中国のインパクト ・特定作物への依存 ・急速に普及する遺伝子組み換え作物 ・三つの争奪戦の始まり ここには簡単なレジュメしか載っていないが、11/28に農水省主催で東京国際フォーラムで 開かれた「アグリビジネス創出フェア2007」での柴田氏の講演要旨(「バイオ燃料と世界食糧市場」、 参照)から、補足的説明を付加しておく。柴田氏は、他に去年の7月に「食糧争奪」という本 (参照)を出版している。まだ読んでないが、以下に紹介する内容に比較して特記したい点があれ ば、改めて紹介する。 ・均衡点の変化 ▽原油価格が高騰し、ここ数年は金属資源の価格も2~4 倍に高騰している。こうした動きに ついて私は、長く続いた「安い資源の時代」が終わりを告げたとみている。価格の均衡点が上方 にシフトし、「高い資源の時代」に入った。 ▽食糧はこれまで、水と太陽光と土地さえあればいくらでも再生産可能な無限の資源とみられていた。 しかし水の制約、土地の制約を考えると、食糧も有限資源化していく流れの中にある。その中で、いま までの価格帯が上方に大きくズレ上がる形で、価格の均衡点の変化が起こってくる。 ・世界の食糧在庫の変化 ▽世界の穀物の年間消費量に占める在庫比率はいま、1970 年代以降で最低のレベルまで下がっている。 これは、中国の影響も大きい。また世界で商業生産されている食糧は約150 種類。そのうち半分以上は コメ・小麦・トウモロコシ・大豆・イモ類など4~5 種類作物に大きく依存する構造になっている。農業 の近代化の成果でもあるが、生物の多様性の面からみると脆弱な構造といえる。しかも世界が頼りにして いるコメ・小麦・トウモロコシ・大豆がいずれも需給逼迫傾向にある。 ▽原油価格の高騰でガソリン価格が上がり、代替燃料としてバイオエタノール、バイオディーゼルの需要 が増えている。これらを考え合わせると、3 つの分野で争奪戦が始まる可能性が高い。 ひとつは、限られた穀物をめぐる国家間の争奪戦。2 番目は、エネルギー市場と食糧市場における穀物 争奪戦。3 番目は、水と土地をめぐる工業・農業間の争奪戦だ。こういう中で価格の均衡点がズレ上がる 可能性が高い。 ▽シカゴ市場における穀物価格をみると、過去20 年問にわたって「均衡点の変化」といえるような大きな 動きは起こっていなかった。それがいま起こり始めている。小麦の価格が昨年秋口から高騰し、1996 年に 記録した過去最高値を抜き去った。今年に入って1ブッシェル当たり9㌦60 ㌣まで上がった。最近は8 ㌦ 前後で調整されているが、この先、何が起こるか。大豆・トウモロコシ価格に伝播し、大豆と小麦の価格 差が縮まる。 ▽小麦の高騰は、世界的な小麦在庫の不足が原因だ。大豆の方が割安となれば、大豆が買われる。実際、 大豆は1ブッシェル11 ㌦近くまで高騰している。家畜にとっては、トウモロコシが主食、大豆粕がおかず という補完関係にある。大豆の値段が上がると、トウモロコシ価格も引っ張り上げられる。このような 上方修正が全体として始まっている。 ▽原油価格は1960 年代まで、1 バレル2 ㌦前後だった。1970 年代のオイルショックを経て、1980 年代 はじめには瞬間的に40 ㌦まで上がった。20 倍になったわけだ。上がり過ぎた価格はその後修正され、 1980 年代後半から1990 年代までは20 ㌦弱が落ち着きどころだった。いまでは90~100 ㌦に迫るところ まで高騰している。実に5 倍だ。 ▽この間の穀物価格はどうか。穀物価格も1960 年代までは低位安定だった。1973 年の食糧危機を経て 穀物価格は上方にシフトしたが、その後約30 年にわたって、小麦であれば1ブッシェル3 ㌦程度、 トウモロコシなら2 ㌦程度を中心とする値動きに落ち着いていた。いま小麦は9 ㌦に迫ろうとし、 トウモロコシは4 ㌦というレベルにきている。全く新しい価格均衡点への変化が始まっている。 (続く) (08/01/20)

食料自給を考える/世界の食糧市場/10

続き、 ・小麦需給の逼迫 ▽すべては豪州の大干ばつによる小麦価格の高騰から始まった。北半球でも、欧州、ウクライ ナやカザフスタン等の黒海沿岸諸国、またカナダも2 年続きの干ばつに見舞われ、生産量が減 っている。 ▽小麦の期末在庫率が急速に落ち込み、1973 年の食糧危機の際の期末在庫率(21.2%) を大きく下回るレベルまで低下している。全体としては消費量も生産量も伸びているが、消費の 伸びに生産が追いつかず、世界の在庫が取り崩されている状況にある。臨界点を超えつつある 状況の中で豪州の大干ばつが起こり、ここにかなりの投機マネーが入ってきた。 ▽米国の小麦は今年わずかながら増産されたものの、エジプト、バングラデシュ、フィリピン、 インドなどが先を争って米国小麦の買い付けに走っている。その結果、来年は米国の小麦在庫 が1960 年代並みの低水準まで下がってくる。小麦価格が上がればトウモロコシ・大豆に伝播 する。小麦の2 割程度は家畜のエサに回っているためだ。 ▽トウモロコシは大半が飼料用で、いままでは小麦との間で値段の引き下げ合いをしていた。 しかし小麦在庫がこれだけ減ると、飼料に回る部分がなくなり、トウモロコシのエサ用需要が増 える。そのトウモロコシはエサ用だけでなく、バイオエタノール向けの新しい需要も増えている。 ・食料需要とエネルギー需要の競合 ▽米国のトウモロコシは今年、歴史的大増産となった。エサ需要、エタノール原料需要の増加 を見越して農家が作付けを大幅に増やしたためだ。大豆の作付けを減らしてトウモロコシを増 やした結果、大豆生産量はガタ落ち、トウモロコシは過去最高水準に達した。だからといって トウモロコシ在庫が来年に向けて大きく積み上がる状況にはない。一方で大豆は来年に向け、 期末在庫率が7%台まで急速に落ち込んでいく。 ▽小麦は世界的な需給逼迫傾向があり、大豆も米国の減産によってタイトになる。トウモロコシ の生産量は増えたが、バイオエタノール向け原料需要が急増し、米国では昨年ついに輸出需 要にほぼ並んだ。今年は輸出需要を大きく上回る構図になっている。 ▽ブッシュ大統領のエネルギー政策もエタノール需要を後押ししている。今後10 年のうちにガ ソリン消費量を二割削減し、代わりにトウモロコシ原料のエタノールを中心とする再生可能燃料 の生産を350 億ガロンまで増やすという(昨年で7 倍だ)。350 億ガロンのエタノールを作るた めには、米国の全トウモロコシ生産量をエタノール向けに回す必要がある。 ▽世界の穀物需給の流れは、期末在庫率の動きに集約して表れる。期末在庫率をみる場合、 3つの視点が重要だ。どういう方向に向かっているか、スピードはどうか、レベルはどうか、の3 つだ。これを当てはめると、在庫率は下がる方向にあり、2000 年に30.2%だった在庫率が、 いまでは15%に半減するという早いスピードだ。そしてこの比率は、食糧危機が起こった 1973 年の期末在庫率15.3%をも下回るレベルとなる。今後の穀物需給にはかなりの注意が 必要だ。 ・中国のインパクト ▽中国の実質経済成長率は今年上半期で11.5%で、年間を通しても11%台半ばを維持する勢いだ。 中国の経済成長は、世界の資源の消費や価格の動きと重ね合わせることができるほどインパクト が大きい。 ▽中国の食糧で無視できないのはトウモロコシと大豆だ。どちらも国内需要が急増している作物 だが、中国政府は、トウモロコシは増産して国内で賄おうとしているが、大豆は輸入を増やして いる。ブラジル、アルゼンチンという大豆生産国が現れたためで、大豆輸入は3000 万㌧を超え、 世界の大豆貿易量7000 万㌧のうち半分近くが中国の輸入に回っている。 ▽トウモロコシは米国に次ぐ輸出国だったが、輸出余力が落ち込み、輸入国に転じるのではないか ともいわれる。トウモロコシは米国が世界の生産量の4 割、貿易量の6~7 割を占め、中国が輸入国 に転じれば米国から輸入するだろう。その米国ではバイオ燃料向け需要が急増し、輸出余力が落ちて いる。中国が輸入を始めたら、限られた量のトウモロコシをめぐる争奪戦が始まる。 ▽食糧をめぐるいまの環境は、食糧危機前後と類似点が多いが、スケールアップされている。 当時はソ連(現ロシア)が大量の大豆をシカゴから買い付け、価格が一気に高騰したが、今回は中国 の動きがこれに置き換わった。 ・特定作物への依存 ▽世界で大量に商業生産されている作物は約150 種類あり、すべて足すと44 億㌧だ。コメ、 トウモロコシ、大豆という特定の作物に依存している。農業近代化の中で生産性を上げてきた が、特定の作物に世界が大きく依存するという生産構造のぜい弱化を招いた。その特定作物の すべてが需給逼迫傾向にある。 ▽1973 年の食糧危機後の場合、世界は穀物の作付面積と単位収量を増やし、生産量を増 やすことで対応できた。しかし今回は状況が異なる。世界の人口が増え続ける中で、穀物の 収穫面積は1980 年をピークに減少傾向に転じている。また、かつては灌漑農業を導入する ことが単位収量の増加につながったが、これも頭打ち傾向にある。 ▽食糧需給をみる場合、「水資源はふんだんにある」という前提で計画が立てられていた。需要 が拡大すれば価格が上がり、供給が増えて需給が均衡するというモデルだが、今後は水の 問題が深刻にかかわってくる。 ▽淡水利用できる水資源は地球全体でもごくわずかにすぎないが、工業化・都市化が進む ほど、河川の水は工業用水等に使われる。農業利用できる部分が減り、地下水をくみ上げる から、地下水が枯渇したり水位が低下する。穀物生産の増加と灌漑用水面積の増加はパラレ ルで推移しており、灌漑用水が今後増えるのは難しい状況にある。 ▽小麦1㌧を生産するのに必要な水の量は1150 ㌧、大豆は2300 ㌧、牛肉なら1 万6000 ㌧に 達する。水自体は増えない中で、水の需要量はどんどん増えている。将来の食糧需給をみる上で、 今後は水の制約という条件を決して無視するわけにはいかない ・遺伝子組換え作物のリスク要因 ▽ブッシュ大統領は遺伝子組み換え作物を導入して収量を上げるとうたっているが、どうするか というと密植をする。密植すれば普通は害虫が発生するが、遺伝子組み換え作物は食べた害 虫が死ぬから収量が上がる。しかしこれは、大量の水資源を使った略奪型農業という側面もあ る。遺伝子組み換えは商業化から10 年余りで、評価が定まっていない。水の問題など新たな リスク要因が顕在化する中、本当に安定的なのか疑問だ。これを頼りに食糧生産の拡大を図る のはリスクが大きい。 ▽水の制約、土地の制約、地球温暖化といった変化の中で食糧供給が増えにくい。一方で食生活 は豊かになり、需要が減らない。2000 年以降の食糧需給の特徴は、旺盛な消費の伸びに供給が 追いつかない構図だ。そこに大干ばつ等が重なって需給が逼迫している。今回の需給逼迫はかなり 深刻と言っていい。 ▽日本の状況は、食料自給率が40%を切り、農業就業人口・農家戸数・作付面積とも減り続けて いる。世界の食料需給が逼迫傾向にある中、食糧輸入を通じて大量の水と農地を輸入し、国内では 耕地470 万㌶のうち1 割近くが耕作放棄されている。水資源も他国は5~6 割を利用しているが、 日本では地形や気候の制約もあるものの2 割しか利用されていない。 ◆「高い資源の時代」を迎え、水と土地の制約を受け、食糧もまた有限資源化していく中で 今後、長期にわたって国際的な穀物争奪戦が熾烈化していくとすれば、いままで ・高い関税障壁によって高価格を維持し低生産性農業を保護する農政が国際的非難攻撃 を浴びせられたのと同様に、これからは ・国内の水資源や土地資源を手付かずに放置したまま、金に飽かせて国際市場から食糧を 買いあさり、その何分の一かを無造作に廃棄している食料輸入大国に非難攻撃が浴びせら れる時代が来ないと、果たして言い切れるだろうか?!(08/01/22)

食料自給を考える/食糧市場の変貌/11

大した脈絡もなしに気の向くままに読んでいる。一昨日辺りから 1.【環境危機をあおってはいけない】/ビョルン・ロンボルグ/03年6月 2.【グローバリゼーションと日本農業の基層構造】/玉真之介/06年3月 3.【食糧争奪】/柴田明夫/07年7月 4.【フェルマーの最終定理】/サイモン・シン、などの本を読んでいる。 グローバリゼーションと食糧争奪は読み終わった。環境危機はものすごく面白い本だけれど、 脚注がやたらに多く(2930もある!)、それを丹念に拾っていると、繰り返し中断されて不愉快 だから、素読と精読で二度目を読んでいる。 【フェルマーの最終定理】の最初のほうに、科学理論と数学理論の違いが出てくる。科学理論 は、手に入る限りの証拠にもとずいて「この理論が正しい可能性は極めて高い」と云えるだけな のだ。いわゆる科学的証明は観察と知覚をよりどころにしているが、そのどちらもが誤りをまぬ がれず、そこから得られるものは真実の近似でしかないのである、と指摘した上で、B・ラッセル の言葉を引用している。 「逆説的に見えるかもしれないが、精密科学はどれもみな近似に支配されている」 社会科学は、精密科学には程遠い。まして市場分析などというものの多くは、「科学」というも おこがましく、思惑と欲に引きずられた雑音に等しく、変動グラフの上げ下げと共に一喜一憂を 繰り返す後追い分析か、短期的変動を「長期」と錯覚するか長期的変動の変わり目を「短期」的 変動と軽視するか。しかも不思議なことに、一つの流行の流れが決まってしまうと、それを補強 するような証拠ばかりが次々と挙げられる。 地価高騰の真っ最中には、まだまだ挙がるという挙証が自信たっぷりに語られるし、仮に最初 の変わり目に遭遇しても、次のリバウンドを期待して奈落へと引きずり込まれていく。 【環境危機をあおってはいけない】の最初のほうに「環境論争では、すごく短期のトレンドをもと にして、一般論が展開されるのをよく見かける」と批判している。実はこの本は、これでもか、 これでもかというほど執拗に短期的トレンドを「一般的」傾向とする「環境論者」の思い込みを 小気味良く追究している。 気象変動に関するニューズウィークの記事が引用されている。 地球の気候パターンが激しく変動を始めており、こうした変動が食糧生産の大幅な減少につな がるかもしれない暗い兆候が現れつつある。これは地上のあらゆる国にとって深刻な政治的問 題を引き起こす。食糧生産の低下はごく近い将来、ひょっとするとほんの10年ほど先に始まる かもしれない。 さて、この引用をした上でこう批判している。 今日僕たちが聞く温室効果の心配と実によく似てはいるのだけれど、実はこれは1975年の 記事で「冷えゆく世界」と題されている。当時はみんな、地球寒冷化を心配していたのだ。 どうです、付和雷同が本能のマスコミは勿論、科学者を含めて自分の忘れっぽさに反省を促し てくれそうな話題豊富なこの本に魅力を覚えませんか?! さて、望遠鏡を顕微鏡と取り違えたり、その逆に微視的なものを巨視的に錯覚したり、とかく 空間的・時間的スケールの縮尺を適正に測れないのが、我々の観察眼だけれど、様々なレベ ルのスケールがあり、スケールの取り方によって、真実はまるで違って見えることがあるものだ と認識しているのはまだましなほう。自分の見ているものが唯一の真実などの思い込みは迷惑 この上ない。無駄話はこれくらいにして...。 【食糧争奪】の中から、一昨日・昨日の引用と多少はダブル点もあるが、興味を引かれた二三 の指摘を紹介しておく(引用文は、簡略化のため多少書き換えた部分もあるが、文意は変えて いない)。 ・穀物市場は「薄いマーケット」/三つの脆弱性 第一に、生産量に対して貿易量が10-12%に限られ、輸出国の国内生産量の変動を増幅 する形で貿易量に反映される傾向がある。 第二は、主要な輸出国が米国、カナダ、オーストラリア、南米、中国に限られている。 第三は、穀物輸入国も日本、韓国、台湾などのアジア諸国に限られている。 このような脆弱性を持つ穀物市場に、最近、新たな構造変化が起きている。①穀物需給の逼迫 傾向が強まっている。②小麦市場に、新たに旧ソ連圏などの新たな輸出国が台頭しているが、 その生産量は天候に左右される傾向が強く、市場の安定性には寄与しない。③伝統的な穀物 輸入国のEUに加えて、中国、インドが新たな穀物輸入大国に転じつつある。31-32.p ・穀物メジャー 70年代初めに、旧ソ連への大量穀物輸出をきっかけに、その存在が知られた。80年代に米国 の農業不況下で企業再編が進み、90年代にグローバル化の進展を背景にスケールメリットと 中核企業への特化を狙いとした再編が加速した。 最近の穀物需給構造の変化を受けて、第一に、伝統的な輸出基地であり圧倒的な穀物生産力 と輸出力をを持つ米国内で集荷力と販売力を強化して、国内市場での専有率を高める。第二 に、近年、穀物生産・輸出量が飛躍的に拡大しているブラジル、アルゼンチンでの集荷体制及 び輸出拠点を確保すること。第三は、日本、韓国、台湾、東欧諸国に加えて中国、東アジア諸 国に進出して販売拠点を築くこと。以上三点が、穀物メジャーの戦略だ。45.p ・「高い資源時代」 世界経済のけん引役が、90年代までの日・欧・米の先進国から、00年代に入ってからは中国 を中心とする世界人口の四割を超えるBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)など新興市場 国に移ったことを背景に、「高い資源時代」に均衡点が変化した。世界経済を牽引しているのは 人口八億人弱の先進国ではなく、人口約三十億人のBRICs諸国の経済発展である。90年代 までは、経済がサービス化・ソフト化されていたため、いくら成長してもエネルギー・資源需要に は直決しなかった。BRICs諸国の成長は「もの作り」であり、そのためのインフラ整備である。 それは地球規模でのエネルギー・資源多消費型経済発展であり、需要ショックといった形で 世界の石油需要の急増と直決する。63-4.p ・水問題 地球上の水の量は13.8億キロ立法㍍、内淡水は0.35億(2.5%)、その内三分の二は南極の 氷雪で、比較的利用しやすい河川・湖沼の水は0.01%にすぎない。148.p 世界の年間の水使用量は、1950年1350キロ立法㍍から00年5189キロ立法㍍に約4倍 近くに増加した。一方、人口一人当たりの水供給可能量はアフリカでは20.0から5.1千立法 ㍍に、アジアでは9.6から3.3に減少した。148.p 世界の農業地域で水不足が進行していくにつれて、今後、農産物貿易は作物生産に必要な水 の量によって決定されることになりそうだ。水不足がすでに深刻なアジア諸国は、最大の食糧 輸入国になり、自らは工業製品の最大輸出国になる可能性が高い。151.p ・フードシステムの構造変化 生産された農水産物が、実際に「食品」として消費者の手元に届くまでには、様々な段階を経て いる。この中間過程の複雑さは、ある程度まで「A」の歴史的な広がりに対応している。A=家族 の場合は、中間過程はせいぜい「調理」を想定すれば充分だが、食肉や小麦粉その他諸々の添加物 がマクドナルドのハンバーグとして我々の口に入るまでの一連の中間過程は、流通・加工・製品 流通・販売と多段階の複雑な経路を辿っている。一般に、これは迂回生産と呼ばれ、迂回経路が 複雑になるほど付加価値が高まると見なされている(以上は、僕の文)。 この一連の過程全体を、仮にフードシステムとして捉えると、このシステムの入口の農業生産額は 10.1兆円(+漁業2.9兆円、2000年の数字)、出口の飲食料最終消費額80兆円。最終消費額の規模 は80年に44兆円→90年に64兆円→00年に80兆円と着実に拡大してきた(この部分については 「我が国食料市場をめぐる環境変化」の二頁「食の生産・消費のフローチャート」を参照せよ)。 90年代のグローバリゼーションの下で、フードシステムに構造変化が起きていることを、次の ように指摘している。 ①外国産原料資源(半製品)の輸入が急増する一方、②国内農業(生産)が縮小、③さらに、 消費面でも外食産業・中食産業の成長などを背景に、日本のフードシステム構造そのものが変化 している。具体的には、食品産業の海外生産シフトが加速し、国内産業との分離が進んでいる 点である。この結果、日本のフードシステムが海外のそれに一部ビルトインする格好となり、 国内農業と食品産業の関係が以前より緩やかになりつつある。 特に、この傾向は冷凍野菜市場で顕著である。日本の冷凍野菜の輸入は、90年の30.5万トンから 2000年74.3万トンへと拡大、この過半は中国からの輸入である。一方、この間、国内の冷凍野菜 生産量は10.1万トンから9.2万トンに減少するなど、国内での生産・雇用の空洞化現象が生じている。 232.p 2000年時点では、食品産業の海外生産比率は製造業全般(14.5%)に比べて、まだ微々 たるものだが(3.2%)、これは取り残された結果と見るのか、これから大いに伸びる数値と 見るか、見解の分かれるところだ。しかし製造業をはじめ食品産業の出口と中間付近の産業 が、収益率の拡大を求めて海外に移転し、あるいは海外の多国籍企業にビルトインされ、国内 産業が空洞化していくとすれば、取り残された農業分野は「空洞」居住者の格好の住処には なり得ないだろうか。(08/01/22)

食料自給を考える/閑話休題/12

穀物相場の短期的変動を追いかけた所で、それで自分の畑作物の次年度の作付面積を考慮 するほどの直接的連動性もないし、かと言って「短期的」変動を即「長期的」見通しに読み替え て、将来の不安を煽るような記事は僕の本意ではないから、あやふやな見通し記事など関心が ない。とはいえ「食糧市場の動向」に触れたせいか、多少、気になる記事が眼に付くようになっ た。それに触れる前に、最近、疑問に思っている二三のことを心覚えとして書いておく。 ・80年代を境にインフレ時代からデフレ時代に転換した。デフレ時代はいつまで続くのか、 原油高騰、資源価格の高騰を背景に再びインフレ時代に再転換する(した)のか? ・日本もアメリカも膨大な財政赤字を抱えている。アメリカの好景気を支えてきたのは財政 赤字と貿易赤字で、要するに借金で贅沢をして来たに過ぎない。この赤字の積み増しが いつまでも続くはずはないし、かつてこのような赤字は超インフレによってチャラにされてきた。 事実、「超インフレ時代」がやってくるという予測はいくらもある。 ・アメリカのサブプライム問題と株式市況の崩落は、タイムラグをおいたデフレ時代の到来を 告げるのか?とすれば世界的なデフレ時代は、まだまだ続くと見るべきだろう。 ・現在の資源高騰(原油、穀物、金、レアメタルなど)は、超インフレ時代の前触れなのか、 それとも資源高騰で世界的なデフレ圧力は一段と強まるのか? ・いわゆる先進諸国とBRICs諸国との対応は、二極分化する可能性があるのか? 僕は、自分で農業を始めてからこの十数年、意図的に外部情報を遮断してきた。余計な雑音 などに眼もくれず、ひたすら深山幽谷で農作業に明け暮れ、自立した生活を確立するよう努め てきた。作物生理学や農業技術には関心を払ってきたが、農政や農業構造、食料自給など 関心を払ったことはなかった。一昨年は、偶々、目にした投稿をきっかけに「日本に農業はいら ないか」などを書いたけれど、余りに近視眼の阿呆な論考に腹が立って筆が滑っただけ。 それでも、最近は僕の畑作農業の足元を、いろいろな意味で揺るがしかねない政策変更や 構造変化が身近に起きている。今更、それでジタバタする程のことはないけれど、これから 「農のある生活」を営もうという人には、この構造変化や政策変更は何がしかの重要な意味を 持って来るかも知れない。そんなわけで、多少は農政「天気」にも、眼をくれようかと心配りを し始めた。とはいえ、十数年のブランクは否み難く、全く見当違いな藪睨みをしているのでは ないかという懸念は払拭されない。閑話休題の余談なんて変だけれど、以上は余談。 昨日の東京新聞Web版に「水不足、食糧難加速と予測」の記事が載っている。 国際農業研究協議グループ(CGIAR)の傘下の「国際水管理研究所」が各国のバイオ燃料 増産計画などを基に、2030年にバイオ燃料を生産するために新たに必要となる水資源量や 土地を予測した結果、 「バイオ燃料生産の急拡大が、ただでさえ深刻なアジアの水資源問題や世界の食糧問題を さらに悪化させ、貧しい人々の暮らしを圧迫する危険性がある」 と警告したというものだ。 一般的に「作物の要水量」(参照)として、水が農業生産の制限要因になることは知っている けれど、国際的には水の制約が「食糧問題」の隘路になりうると、どれほど自覚しているだろ うか、少なくとも僕は「食糧争奪」を読むまでは、そんな自覚を持っていなかった。 水の「制約問題」は、次のような問題を提起する。 ・中国の経済成長と食生活の変化で、中国人が日本人並みの「食生活」をする ようになれば、中国の水不足と相俟って、忽ち食糧輸入大国(今でも充分に大国 だが)に変容する。今度こそ、レスター・ブラウンが提起した「中国人を誰が養うか」 (参照)という懸念が、本当の懸念になる可能性がある。 ・遺伝子組換え技術は、食糧不足の救世主のように云われているが、「大量の 水資源を使った略奪型農業という側面」持っており、化成肥料と同様に、別の 形で自然資源の荒廃を一段と促進する可能性がある。 ・アジアの中では相対的に水資源の豊かな日本は、農業放棄という形での自国 の水資源の浪費と食糧輸入という形での他国の水資源の浪費という二重の浪費 を、いつまで続けられるだろうか? 今日のDiamond on line に「穀物相場の高騰を誘引!非遺伝子組み換えプレミアム」という 記事が載っている(参照)。 昨年は、大豆で約9割、トウモロコシで7割以上が遺伝子組み換えになった。 作付け比率が減りつつある非遺伝子組み換え作物は、遺伝子組み換え作物との分別管理 など手間がかかる。 そのため、輸入元の商社などが穀物価格に数パーセントのプレミアムを上乗せして、米国 の農家に非遺伝子組み換え作物を栽培させてきた。(中略) ところが、穀物価格の高騰で状況は一変。農家の実入りは3~5倍になり、BMWやベンツ などの高級車をどんどん買えるほどカネ持ちになった。 そのため、「わざわざ手間をかけてまで、プレミアムをもらう必要はないと考える農家が増え ている」(商社関係者)のだ。それでも非遺伝子組み換え作物を栽培してもらおうとするなら、 さらにプレミアムを積み増しするしかない。(中略) ここ数年でプレミアムの額はかつての3倍に跳ね上がった。今年は、さらに3倍になるとの 見方もある。 すでにその兆候はある。一年前、東京穀物商品取引所で、食用に使われる「Non-GMO 大豆」(非遺伝子組み換え)の先物価格が、飼料用などに使われる「一般大豆」(遺伝子組み 換え)を上回る幅は、10%程度だった。 ところが、非遺伝子組み換えの価格が2倍になった今年は、35%程度まで拡大している。 豆腐や味噌などを作る中小食品メーカーには、原材料価格の上昇分を製品価格に転嫁でき ず、倒産や廃業に追い込まれる企業も少なくないが、今年はさらに厳しさを増しそうだ。 ダイズは、トウモロコシ作付けとの競合で作付け面積が減っている。 「米国産大豆の減産分を埋め合わすことは可能か」という記事(参照)を見ると、一段と厳しい ようだ。 米農務省(USDA)発表の12月需給報告(WASDE)によると、作付面積の減少に伴い 生産高が前年度の31億8,800万Buから25億9,400万Buまで減少した結果、期末 在庫も5億5,500万Bu(在庫率は18.0%)から1億8,500万Bu(同6.2%)まで引き下げ られており、2003/04年度以来の需給逼迫状況が下値を強力にサポートしている。(中略) 今年度の大豆逼迫状況を解消するには、トウモロコシに対して大豆相場の水準を相対的に 押し上げ、農家の大豆に対する生産意欲を高める必要がある。しかし、大豆はさび病発生 などのリスクがあることに加え、南米産の生産状況次第で価格が暴落するリスクもあるため、 農家は大豆生産に慎重な姿勢を崩していない。このまま年明け後の面積争奪戦に突入すれ ば、大豆の作付面積は伸び悩み、一段と需給逼迫リスクが意識されることとなるだろう。 (08/01/23)

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/13

食料自給問題の周辺部ばかりをウロウロしてきた。そろそろ本丸に攻め込もうか。 日本の食料自給率の長期的推移を見ておこう。基礎資料は農水省の食料自給率資料室の 中 の「日本の食料自給率」(参照)にカロリー及び生産額ベースの自給率推移(昭和35年- 平成17年度)が載っている。推移グラフを俯瞰するには「社会実情データ図録」(参照)の方が 便利で、ここには主要国の自給率推移の国際比較も載っている。 自給率を測るに、カロリー、生産額、穀物自給率その他、何で測るのが適正かという議論が ある。カロリーで測れば野菜はカロリーが低いからとか、逆に油脂・畜産物は高いとか、その ためにバイアスがかかるから云々とか、主食である穀物自給率で測るのが適当だとか、いろ いろ議論がある。いろいろなデータを比較して、目的に応じて、適当なデータを選べば良いし、 拙ければ他のデータと照合すればよいので、予め視野を制限する必要はない。 カロリーベースで「実情データ図録」を見ると、1960年から80年までの20年間に急激に下が り、80-85年は横ばい、80年代半ば以降、再び緩やかに下がってきている。穀物自給率も ほぼ同様の傾向。93年に大きく下がったのは、大冷害の年で北東北沿岸部では一粒のコメも 取れなかった(この年の夏に僕は初めて普代を訪れた、あの時の寒々として畑の光景は忘れ られない)。 自給率低下の長期的傾向は、奇しくもインフレ時代からデフレ時代への転換と一致している。 これは偶然か、何か内的関連があるのか? 一方、自給率の国際比較を見ると、小国と大国、或いは大陸国家と島国、水及び耕地を含めた 自然資源などの要素が、自給率の絶対値を制限していると感ずる。仮に国土面積が同じでも 平野か山岳か、砂漠か森林か、凍土かステップかの違いで自給可能性は全く違ってくる。 また社会経済システムの違いによっても、自給率は制約を受ける。工業の発展が相対的に 低く、農業人口の比率が高い場合は自給率は高くなるし、工業が発展し、社会システムの中で 前々回に触れた迂回生産の比率が高くなれば、また農業の機械化などによって農業生産力が 発展し、農業人口比率が低くなれば、国際競争力に対応した産業特化の割合に応じて自給率 は増幅されて増減する。この面では、池田氏の指摘する素朴な比較優位の議論(12/06の 食料自給を考える/2を参照)も、一般論としては成立する(現在では、「ある国は、その国に 相対的に豊富に存在する生産要素を多用して生産される財に比較優位を持ち、そうでない財に 比較劣位を持つ」というヘクシャー・オリーン理論に取って代わられているが、ここでは深入 りしない)。 食料自給率の低下を、別の角度から視覚的に表示したものに 「第一回食料の未来を描く戦略会議」の配布資料3「今、我が国の食料事情はどうなっているか」 (参照)の中の ・6頁に「私達の食生活の姿は大きく変化した」(昭和40年度と平成17年度の比較、カロリー ベースの自給率は、この間に73%から40%に低下した) ・10頁に畜産物・油脂類の消費増加に伴う品目別の自給率低下の図示 ・12頁に国内農地のみで食料供給する場合の想定メニュー などが載っている。 また「第二回会議」の配布資料「今、世界の食料に何が起きているのか」(参照)の中の ・8頁に平成18年度のカロリーベースの「品目別自給率」の帯グラフが載っている。グラフの 縦・横を掛けた面積比が、そのまま自給率或いは対外依存率を引上げたり引下げたりする 寄与率を表している。 以上のグラフを見て、直ぐに分かることは、食料自給率の低下の直接的要因は食生活の変化 (急激な洋風化と云っても良い)と、農業生産構造がそれに対応できなかった点にあること。 一般論として、需要構造が変動して、供給体制が対応できなければ、代替品によって置き換え られ、当該産業は衰退する。逆に供給体制の変革で需要構造が変動し、当該産業の供給構造 が激変する場合もある。需要側・供給側のどっちに変革のきっかけがあろうと、変化は反対側に 及ばざるを得ないし、両者相俟って加速化する場合もあろう。 馬車が鉄道に取って代られ、絹・木綿が化繊に変わられ、天然が合成に変わられ、石炭が 石油や原子力に代わられたように、60年代に始まる約20年間の食生活の急激な変化に よって日本の農業生産構造も急激に変化した。 ・1910年以降の「食生活の変化」グラフ⇒「社会実録データ図録」(参照) ・農業生産構造の変化⇒「日本の統計」の中の7-6「農業総産出額」(excelグラフ、参照) 視覚的には、もっと適切な構成比グラフが、どこかのサイトにあったけれど見当たらないので、 取敢えず大まかな構成比だけを参考のために表にしておく。単位は兆円、()内は% (参考に、昭和30年から平成16年度までの農業総産出額の推移グラフを挙げておく)         総額    米    野菜  果実    畜産 1965      3.17    1.37  0.37   0.21   0.73              43.2)(11.7  (6.6)  (23.0) 1980     10.26    3.07  1.90   0.69)   3.21              (29.9)(18.5)(6.7)  (31.2) 1995     10.31    3.05  2.29   0.92   2.58              (29.6)(22.2)(8.9)  (25.0) 2004      8.79    2.00  2.16   0.77   2.45              (22.7)(24.5)(8.7)  (27.9) 構成比の変化を見れば、それなりに食生活の変化に対応する努力はしてきた。しかし充分に 対応できず、その隙間を埋めるように外国農産物が流入し、かつ自由化と相俟って国内農業は 敗退した。 また80-85年以降は、食生活の急激な変化は一応収まるが、耕地の縮小、耕作放棄、農業 人口の新たな減少と老齢化などで、国内農業生産そのものが縮小する。特に米の生産調整 及び米価の低迷によって、専業農家が激減し、最近は第二種兼業がほぼ七割(農業収入以外 の所得が中心の農家)を占め、農業総敗退という事態に立ち至って、一段と食料自給率が低下 している。 以上のグラフ及び構成表を俯瞰するだけでも 「自給率が半減したのは、単なる都市化の影響ではない。最大の原因は、米価の極端な統制 だ。コメさえつくっていれば確実に元がとれるので、非効率な兼業農家が残り、コメ以外の作物 をつくらなくなったのだ。こういう補助金に寄生している兼業農家がガン」(参照) という言い草が、根拠のない言い掛り(暴力団並みの難癖ですね)とわかる。 規模別・経営形態別の経営分析や米の生産費のカバー率(販売費が生産費の何%をカバー 出来ているか)を見てみれば、直ぐに分かるが、要するに米生産の赤字を兼業収入でカバー しているから、兼業農家が生き残っているだけで、「補助金に寄生」など阿呆かとしか云いよう がない。仮に、兼業農家がコメ生産から総退出すれば、穀物自給率は10%程度に、食料 自給率は20%程度になるのじゃないかな?(続く)(08/01/24)

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/14

新たに二冊の本を読んでみた。 【WTO時代の食料・農業問題】/梶井功/03年4月 【国民と消費者重視の農政改革】/山下一仁/04年8月 山下氏の論文・コラムなどは経済産業研究所(RIETI)のサイト(参照)にまとめられている。 いずれも読むに値する優れた論文だと思っている。 まず食生活の変化を考えてみよう。 これは多くの人が指摘していることだけれど、敗戦後の占領政策及び対米従属政策と相俟って 文化的植民地化現象を第一段とすれば、多国籍企業の席捲に拠る「マクドナルド化する社会」 化現象を第二段と、僕は専ら考えてきた。 例えば、【WTO時代の食料・農業問題】で指摘しているが 敗戦後の日本の栄養政策、そして食生活についての指導は「欧米に比べ、我々の食生活は 後れている。もっと肉を食べ、牛乳を飲むようにしなければならぬ」というものだった。米と味噌 汁に替わってパンと牛乳が食生活近代化の象徴として、「米を食えば頭が悪くなる」といった デマゴギーまで交えて奨励されたものである。それがアメリカの穀物輸出戦略に従ったもので あることは、今日では良く知られている。学校給食を含めて、アメリカの輸出戦略が最も成功し た事例として日本の食生活転換がしばしば語られることを指摘しておこう(参考文献として高島 光雪【日本侵攻アメリカ小麦戦略】、トレージャー【穀物戦争】を挙げている)。 選択的拡大を生産政策の軸に据えていた農業基本法の食生活の認識も、欧米型に近づくこと が食生活近代化であり、所得水準の上昇が必然的にそういう方向での食生活の変化をもたら すということだった。145.p 要するに、食生活の高度化・多様化とは、決して自然に進んだのではなく、アメリカの小麦戦略 の結果だというわけだ。従って、「選択的拡大」政策は、対米従属の農家選別政策だとして野党 や組合は反対し、結果として農業構造変革の足を引っ張り、自給率低下の一因をなした。 最近まで、僕も専ら、アメリカナイズされた生活文化の受容の一側面という捉え方をしてきた。 しかし中国の変化を見ていると、必ずしもそればかりじゃないのではないか、ひょっとすると生活 が豊かになり、都市化すると共に、向かっていく「高度化・多様化」の一側面かもしれないという 疑念を(何%か)抱いている(もっと平たく言えば、豊かになれば美味いものを食いたくなるのが 人情だ。粉食と粒食文化の違いは、どう関わる?) 例えば、【食糧争奪】に、中国の食生活の変化に伴い「質」の追求とそれに伴う専用小麦の不足 が起きているとして、次のように書いてある。 中国では90年代後半から、都市部を中心に主食が米食からパン食に移行しつつある。日本の 60年代後半と同様、通常、パン食への移行は、都市化の加速と女性の社会的進出などが絡 み合って進行する。これに伴って、中国の小麦需要も純硬質小麦、月餅などに用いられる軟質 小麦から、パンやケーキ・菓子用の強力粉、マカロニ用のセモリナとケーキ用の薄力粉の原料 小麦などの専用小麦に移行している。105.p また、今後の肉類の消費量について、アジア型に向かうのか西洋型に向かうのか、二つの見方 があるという。すなわち、 03年の日本の一人当たりの年間の肉類供給量は43キロに対し、米国は125キロ、フランスは 111キであり、アジアでは中国が52キロ、台湾77キロ、韓国49キロと少なく、「アジア型」とも 言える食料消費パターンがある。(今後、一段の経済成長に伴って、「西洋型」にまで進むのか どうか?)87.p この件に関して、今後の注目点は ・中国もまた、アメリカナイズされた生活文化の受容者とみるかどうか、 ・インドは、宗教的禁忌の影響が強いが、今後の経済成長と共に食生活がどのように変わって いくのか(第三回食料の未来を描く戦略会議で配布の参考資料2の「食料をめぐる国際情勢と その将来に関する分析」の21-23頁で、インドの食糧需給について、多少、言及している。参考)、 ・肥満対策として、欧米諸国で「日本型食生活」が再認識され始めている。今後、ある種の回帰 現象が起きるのかどうか。 60年代以降の食生活の急激な変容が、アメリカの「小麦戦略」を始めとした文化的植民地化の 結果なのか、経済成長・都市化に伴う生活の高度化・多様化の一般的結果なのか、いずれで あるにせよ農政の対応の如何によっては、その結果は違ったものになったはずだ。次に、この 点を考えてみよう。 山下氏は、【国民と消費者重視の農政改革】の「農業問題とは何か」と題する第一部の第二章 で「特殊な日本、食料自給率はなぜ低下するのか」をテーマに扱って、 ・自然の制約による国際競争力のなさ ・政策の失敗による国際競争力の低下 ・食料安全保障の基礎である農地の減少 以上の三点について分析している。的確な指摘をいくつか摘記しておく。 「自然の制約」については、多くを触れるまでもない。 土地という生産要素の相対的に少ないわが国は、土地集約型産業である農業には比較優位を 持ちにくい。日本の耕地面積は487万haに過ぎず(2000年)、アメリカの78分の1、EUの27 分の1に過ぎない。但し、規模の点を除けば、日本の気候・風土は農業に適している。37.p この「自然の制約」を超克するために、戦前は軍部を中心に国土生命線論を唱え、大東亜共栄 圏構想を打ち出し、或いは移民政策を奨めた。戦後も、一時オーストラリアの土地買収構想な ど囁かれた。今後は、水や土地が、国際的に「食糧生産」の隘路になってくれば、その程度に応 じて「日本の気候・風土」は、相対的な比較優位にはプラスになりうる。 また視点を変えれば、植物工場構想では、相対的には土地の制約を超えられるし(この点では 資本競争になるから、小農は耐えられない)、或いは「他人の土俵」(規模)では勝負せず、「自 分の土俵」(質)で勝負するか、そもそも「勝負」などという考えを超克してしまうか(決して、 意図的にではないにしても、第二種兼業農家の生き残りは、結果的には、これに等しい)。 「政策の失敗」に関しては、 高度成長期以降の農政は消費者から離れていった。これを端的に示すのが食料自給率の低 下である。自給率の低下はわが国農業生産が食料消費から乖離し、消費の変化に対応できな くなった歴史を示している。(中略) 農業基本法は所得が高まるにつれて消費が拡大すると見込まれた畜産、果樹等に農業生産を シフトさせ、食生活の急速な変化に対応させようとした。しかし、実際には米について消費の減 少とは逆行するような政策が採られた。米価が重点的に引上げられたため、米と麦等他作物の 収益格差は拡大していった。選択的拡大のためには、消費の減少する米の価格を抑制し、消 費の増加している麦等の価格を引上げるべきであったが、これとは逆の政策が採られた。当時 これは麦の安楽死政策と呼ばれた。更に、兼業化が進み二毛作から単作化に移行したことも 耕地利用率を下げ、食料自給率を低下させた。45.p 高米価はわが国農業の構造改革を遅らせ、国際競争力に低下をもたらした。46.p 需給均衡を無視した米価の引上げにより過剰を発生させ、米の需要減少の中で過剰をますま す拡大させながら30年以上も生産調整を続けてる。...米が過剰になるまでは政府も農家も 反収向上に努めた。(中略)しかし、生産調整開始後は、反収向上による国際競争力強化という 道は、米の過剰を悪化させ生産調整強化につながる恐れがあるため、閉ざされた。47.p 地価の上昇により農地の資産保有的志向が高まったことに加え、高米価によりコストが高く規 模の小さな兼業農家でも自家飯米を生産したほうが米を買うよりも有利であったため農地を賃 貸しようとはしなかった。48.p 都市の拡大により農村地域の地価も上昇し、農地転用を期待した農家の資産的な土地保有が 高まったため、意欲ある農家への土地集積は進まなかった。51.p 「米価の極端な統制」によって、コメ以外の作物を作らなくなったという池田氏の指摘は一面の 事実だ。そのお蔭で生産調整と米価の低落を食らって、農家は自縄自縛に陥っている。「コメ さえつくっていれば確実に元がとれる」時代はとうに終わっている。「非効率な兼業農家が残」っ たのは、高米価政策と補助金のためばかりではない。まして兼業農家が残ったことが自給率 低下の「最大の原因」と云うとすれば、単なる言い掛りに過ぎない(尤も、自給率低下の最大の 原因は、「米価の極端な統制だ」という文節にのみ掛かるとすれば、一面の事実を衝いてはいる が、兼業農家を最大のガンと思わせる意図的な悪文だ。)農業基盤整備など農業助成に名を 借りた公共事業の最大の「寄生者」は、関連企業と周辺取巻きの有象無象であって、兼業農家 などとはお笑いだ。(続く)(08/01/25)

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/15

NB:13回に農業総産出額の「構成比グラフ」が見当たらないと書いたが、やや古い資料 があった。出所が明記されていないが、多分、平成8、9年の農業白書だろう(参照)。 「農業総産出額の品目別構成の推移」として昭和35年から平成7年までの構成比グラフ が載っている。いま、手元にないので確認できないが農業白書の「付属統計書」が販売され ているが、長期的な推移を俯瞰するには、白書本体より便利だ。なお「白書」本体は、 農水省の「白書情報」(参照)からアクセスして、読みたければ全文読める。但し、付属統計表 は載ってない(こっちの方が価値があるのにね!) 以下は、全くの余談だけれど、「日本国勢図会」、「白書の白書」など、2-3年前のものは BookOffで百五円で売られている。これで全体を俯瞰し、必要があれが、最新の資料を 当該官庁のサイト(参照)で確認すれば便利だし、安上がりだ。 農業の本質的資源は、太陽と水と土地だ。太陽はどうにもならないが、水と土の賦存量は、 決まっているが、社会的・個人的に「利用可能量」は、この順番で制御可能性があり、社会 システムによって有効量は規制される。 「水資源」については、いずれまとめて扱ってみようと思うが、簡単に水資源機構の「地球と水 の科学館」(参照)の ・地球の水の量 ・多くの水は輸入されている、を参照。 特に農業用水に関しては、関心のある人は「世界の水資源とわが国の農業用水」(平成15年 2月、農水省農業農村整備部会企画小委員会の報告書、参照) 8回に「支配領域の領民を養えない政治的支配は崩壊する」と書いた。略奪、交易、援助、 生産、いずれにせよ一定量の食糧確保は他の如何なる資源を措いても絶対不可欠である。 「戦争の際に決定的な資源は食料ではなく石油である」(参照)と阿呆なことを云う人もいる けれど、実際にそうかね? 60余年前に、日本は石油をストップされて、対米開戦を決意したけれど、実際にこの戦争で 死んだ兵士の七割は、戦闘で死んだのではなく、餓死したとされている(参照、他に秦郁彦 「現代史の争点」など)。食糧補給の見通しもなしに兵士を戦場に送り出した参謀連と同類の 阿呆だね。 山下氏は、「食料安全保障はエネルギーの安全保障と対比されることが多い。しかし石油や 電気がなくても江戸時代の生活に戻ることは可能であるが、食料がなくては江戸時代の生活 にさえ戻ることができない」11.p 「農業機械を動かす石油の輸入ができなくなれば農業生産が行われなくなるというのは生産 要素間の代替性を考慮しない議論である(日本の石油類の総消費量のうち、農林水産業と 食品製造業の割合は6%に過ぎない)」24.pと書いている。 同じあり得ない想定をするにしても、どっちがまともな議論か分からん人は、石油を飲んで電灯 線を尻の穴にでも突っ込んで生きていくのかね?! さて、耕地だ。 これは「日本に農業はいらないか?」でも触れたことがあるが(何回目か忘れた)、明治から 1960年まで、約百年にわたって不変の三数字と云われた農地600万ha、農家戸数600万戸 農業就業人口1400万人というのがある。それがいま、465、285、312になった(参照)。 平成19年の耕地面積の概要、都道府県別面積、拡張・かい廃(宅地転用、耕作放棄など)など は「農林水産統計」を参照。最近の制度的な問題については「農地制度について」(平成16年 3月の農水省資料、参照)。 大まかなことを云うと、農地は40年余に130万ha減少した。この間に公共事業で新たな農地 造成が100万あるから、実際の農地減少は230万、このうち半分が宅地や工業用地など都市 的用途への転用。都市近郊の優良農地から転用されていくだろうとは、誰にも推測できる。 まだ、厳密な分析はしていないが、農地の減少(減少率の変化及び減少要因)はインフレから デフレ時代への転換に対応して二段階に分かれるだろうと、僕は想定している。 取敢えず、山下氏の指摘の中から注目すべきものをいくつか。 ・兼業農家の所得は農外所得の増加により、勤労者世帯を上回っているとともに、農地の宅地 等への転用によるキャピタル・ゲインにより彼らの資産は増加した。毎年のキャピタル・ゲインは 農産物生産額の60%にもなる。農業の所得率は30%なので、キャピタル・ゲインは農業所得 の二倍に相当する。...土地のゾーニング(農用地の区画線引き)がしっかりしてない日本で は、都市近郊農家は農地転用が容易な市街化区域内へ自らの農地が線引きされるされること を望んだといわれる。54-55.p(これは、いまや昔の夢だ) ・土地持ち農家のこのような行動はいまや圧倒的多数となった勤労者の反感を買った。 ”農家栄えて農業滅ぶ”という状況にもかかわらず、農業に対する反発も高まった。55.p ・農地の減少の半分は植林や耕作放棄等による農業内的かい廃である。ここでも高米価、生産 調整の影響が見られる。消費の減少している米の価格を高くすることによって消費=供給を更 に減少させる一方、他の産品については米との相対的な収益を不利にすることにより、生産 意欲を減退させることになった。(中略) このような農業内的かい廃のほうが1994年以降都市的かい廃を上回っている。1995-99年 の5年間で都市的かい廃10.5万に対して農業内的かい廃は12.6万haである。これは1994 年以降生産調整規模が拡大しているにもかかわらず、米価が低下していることを反映したもの と考えられる。56.p(要するに土地を引受けても収益見通しがないから、引受け手がなく耕作 放棄されているということだ)。 農業所得よりも土地の値上がり益の収入のほうが多く、かつ米の生産性向上に励むよりも生産 調整に協力して何もしないか、大豆や麦を捨て作りにしておいた方が収入があがるような状況 を、何十年にもわたって集落ぐるみ、村ぐるみ、農協ぐるみ、半ば強制されて、それで「意欲ある 農業生産者」など、どう逆立ちしたら育てられるのだ?! このように歪んだ農業構造や農業の頽廃は、確かに戦後の米偏重・高米価政策に由来する けれど、僕は、単にそれだけが要因とは考えない。日本人は稲作農耕民だ、日本の農耕文化 の基底は稲作文化だという歴史的な思い込みが深く係っていると考える(土を考える/日本人は 稲作農耕民か/8、「環境」と云う殺し文句、参照)。(08/01/26)

食料自給を考える/小休止/番外

昨日、「講読の部屋」(参照)に「食料自給を考える」の1回目から15回目までを、 一括して載せておきました。 そろそろ終わりにしようかと思い、全体を俯瞰して、あと何が問題になりうるかを 再考するためです。取敢えず考えていることは、 ・兼業農家が根強く残っている問題 ・急速な経済発展=工業化及び都市化に伴う農業の自壊作用 (4回に問題点として指摘した最初の問題。これは「日本に農業はいらないか」で 基本的に取り上げたつもりでいるけれど何か抜けた点があるかどうか?) ・現在の社会・産業システムの中で、農業をどのように位置づけるか ・自然環境または風土的環境の中で、農業をどのように位置づけるか ・国民の栄養および健康を確保するために、「食の供給」をどのように位置づけるか のようなことを考えています。 今朝、再読してふと思いついたけれど、明治以来不変の三数字といわれてきた 農地面積、農業戸数、農業人口。これと人口総数、この四つの数字の明治初年、 1945、1960、2005年の比較だけで、どのようなことが読み取れるか?(08/01/27)

食料自給を考える/大雑把な数値計算/16

さて、昨日の課題だが、簡単な計算をしてみよう。 明治初年を仮に1870年とする。後は1945、1960、2005年だ。夫々、敗戦の年、戦後最初 の農業基本法の制定、最近。各年の人口総数は3300、7200、9430、12700万人。 耕地面積、農業戸数、農業人口は、前述の通り1870年から1960年まで、600、600、1400 に対して、2005年が465、285、312。夫々を第一期、二期、三期とする。 人口増加率は、年率(複利計算)にして1.046%、1.80%、0.65% 1870、1945、1960、2005年の各年の耕地面積あたりの人口扶養力が1町歩当り5.5、 12、15.7、27.3人。第一期の75年間に約二倍、第二期の15年間に約三割増加しているが、 これを年率で比較すると一期、二期は1.046%、1.50%と増加した。第三期は45年間で 約二倍になったが、年率増加率は1.24%と第二期よりも、むしろ低下している。 農家一戸あたりの耕作面積は1960年までに約百年間は変わらず、その後の45年間で1.63 haまで拡大した。しかし、これを面積当り人口扶養力からみると農業機械化が進み、農業生産 力は向上しているはずなのに、戦後初期の15年より最近45年間のほうが耕地の効率的利用 の面では、却って低下している。 次に人口総数と農業人口数を比較すると、第一期に人口総数は約3900万増加したが農業 人口は変わらなかった。人口総数の6-7割は就業人口と考えてよいから、その大部分は農業 以外の第二次産業に吸収された。農業人口も増えただろうけれど、それは農業からの流出また は退出を補うだけで絶対数は変わらなかった。これは一方では、僅かながら農業生産力が 向上し、人口増加に見合う程度の人口扶養力を獲得したが、農家そのものの家族扶養力は 向上しなかったとも考えられるし、或いは工業発展力が就業人口の増加数に見合う程度だった か、人口増加率によって制約されていたかの、どちらかである。 とはいえ、江戸時代の人口の定常状態と比較すると(人口の超長期推移、参照)第二次世界 大戦までの人口増加率、従ってまたそれを支えた農業生産力の向上には目覚しいもの がある。 次に第二期には、人口総数は2230万人増加した。この間も農業戸数も農業就業人口も変わ らなかった。ということは工業の急速な発展によって農村人口は工業に吸収されていったけれ ど、また工業開発がどんどん進められ都市化が進んだけれど、農業にはまだ後継者がいた し、農村あるいは農村共同体という地域構造は基本的に維持されていたと予想される。 ところが第三期になると、総人口は3300万人増加した。つまり江戸時代の日本がそっくりもう ひとつ出来たのと同じだけの人口が増加した。一方、耕地面積も農業戸数も大幅に減少した。 特に農業就業人口の1100万人の減少は、一方では農業生産力の向上で面積当りの必要 労働力の著しい減少を示しているが、他方では後継労働力の喪失、従ってまた農業の将来的 な再生産の可能性を著しく不安定にしている。これは取りも直さず農業の産業としての将来性 の喪失の反映である。 更に、耕地、農家戸数、農業人口の揃い踏みの減少は、第三期の工業発展が農村という地域 構造そのものを破壊して進んでいることを示唆している。第二期に比べて第三期に耕地の効率 的利用が後退し、またこの間に食料自給率が急速に低下したことも、農業の再生産構造の 破壊、農村共同体の解体の反映とみなして良いのではないか。 第三期の始まりの農業基本法は経営規模の拡大、農業生産性の向上、需要構造の変化に 対応した選択的拡大を柱とする農業構造の改善を目指した。 40余年の成果として、どうなったか??(以下の数字は、山下前掲書から引用) 農家規模、すなわち農家一戸当りの耕地面積は、日本1.6haに対して、アメリカ197.2、 EUは18.4である。一戸当りの平均耕地面積の拡大率を見ると、1980年から2000年にかけ てドイツは14.9⇒36.3、フランスは25.4⇒42.0に対して、日本は1.2⇒1.6に過ぎない。 国土面積、ひいては耕地面積の狭さは如何ともしがたい。しかし農家の流出に伴って耕地の 集積が、なぜ進まなかったのか?これを農地価格の面からみると、10a当りの価格が、 アメリカ1.5万円、フランス3.8万、イギリス6.7万、ドイツ14万に対して日本は169.7万円 (いずれも1995年価格)である。資本投下対象としての耕地は、日本では絶対的に採算が 取れない構造になって居る。 農業担い手の絶対数が減少し、最近では耕地の小作料は低下しているが、それでも農産物 価格の低下で借り手そのものが居なくなり、今では転売はもち論、借り手さえなく、耕作 放棄地が拡大している。 このような各国の比較は、明らかに日本の農政の失敗を示唆しているものであって、この ような結果を、個々の農家の行動様式に求める(例えば「補助金に寄生する兼業農家」とか 「ホリエモンと同じ思考で営農している」農家とか)とすれば、本末転倒も甚だしい。 (08/01/28)

食料自給を考える/食料の安全保障/17

前回の大雑把な計算では、四つの変数の比較から推測できる「変化」を指摘しただけで厳密な 議論ではない。一番の欠陥は、食糧充足率を考慮してないことで、例えば面積当りの人口扶養 力は充足率に応じて補正しなければならない。殊に第三期に食料自給率が急速に低下してい るのだから、実際の人口扶養率は27.3人よりもっと低いし、第二期に比較して第三期の耕地 の利用効率の低下は、もっと著しい。 どういうことか? 国内の農地を、しかも優良農地から、転売し・切売りし、工場や宅地・道路などの都市的用途に 転用し(一方で、農地を切売りして儲ける都市近郊農家の”強欲”を非難する憂説があれば、 他方では農業に対する保護政策が地価高騰の真因だ論ずる珍説が盛んな時期があった)、 他方では多額の国費を投じて基盤整備して開発された地方の農耕地でさえ、最近では耕作者 もなく、耕作放棄され、荒れるにまかされている。 経済効率の悪い農業などに、土地・労働力・資本などを投下するのは、全くの無駄・資源の浪 費だ、高い農産物を消費者に押付ける、開発途上国の発展の道を閉ざすものだなどと論じて、 自国の農業を貶めてきた。こうして、ある意味では極限まで農耕地を荒廃させ、工業と金融で 稼いだ金で自国の農耕地だけでは、到底、充足し得ないまでに胃袋を肥大化させてしまった。 その結果がどんなものか、第13回で指摘した資料「今、我が国の食料事情はどうなっているか」 (参照)の12頁を改めて、ジックリ見て頂きたい。 これは脚注にあるように、平成27年度における農地の見込み面積である450万haを前提に、 熱量効率を最大化した場合の試算(2,020kcal/日)だそうだ。 ・「国内農地のみで私達の食事をまかなう場合」という想定そのものが、非現実的だと反論する だろうか? ・それでは、自国の胃袋の充足の四分の三を、他国の農地に依存している現状を、いつまでも 続けられると想定することは、果たして現実的か?(同前の11頁参照) 加えて水だ。山下氏の前掲書から引用すると、 日本はまた食料・農産物の輸入を通じ輸出国の水(仮想水)を大量に消費している。総合地球 環境科学研究所の沖大幹助教授の研究によると、これは年間744億トンにのぼり、琵琶湖の 貯水量の約2.7倍、日本全国の年間使用量の約85%に相当する。農産物1トンを生産するの に必要な水の量はトウモロコシ千トン、大豆2.4千トン、小麦粉2.9千トン、精米6千トン、鶏肉 4千トン、豚肉6.1千トン、牛肉22-25千トンである。このためわが国の牛肉などの輸入先で あるアメリカからは427億トン、オーストラリアからは105億トンの水を食糧輸入により間接的 に輸入している。73.p 土にせよ水にせよ、各国の輸出能力は、歴史的にはもう限界点に達していると見たほうが良い だろう。一方、自慢の経済力が「世界経済の変化」に置いてきぼりを喰らい、もはや「一流では ない」と自認するにいたって、将来にわたって自分の胃袋の充足を他国任せにしておいてよい のだろうか? 最後に、山下氏前掲書から、幾つか面白い指摘を抜き出しておく。 ・農業改革はWTO・FTA交渉や産業界のためだけでなく、農業自身、さらには国民・消費者の ためにこそ必要なのである。農業が衰退し食料生産が減少して困るのは農家ではなく消費者 だからである。4.p ・国防は国民に対するサービスの提供である。サービス貿易を自由化するのであれば、日本は 防衛力を持つのを止め、世界最高の優れた軍事力を持つアメリカに対価を払って国防という サービスをすべて提供してもらうことが最も国民経済全体の厚生水準を向上させるはずである。 しかし、サービス貿易の最も熱心な自由化推進論者であってもそのような発想をする人はいない。 214.p ・「21世紀に向けてアメリカ農業をどうやって確実に繁栄させることができるだろうか。つまり、 これは国家安全保障の問題である。国家が国民を養うのに必要な食料を生産することはたいせつ なことである。自らの国民を養うのに充分な食料を生産できない国を想像できるだろうか。 そのような国があるとすれば、国際的な圧力に従属する国、危機に瀕している国である」という ブッシュ大統領の演説(01/07/27)を引用した上で、 危機に瀕している国とは日本のことを云ったのであろうか。215.p (08/01/29)

食料自給を考える/デフレ時代の農業・農村/18

第11回で触れた【グローバリゼーションと日本農業の基層構造】は、ユニークな本だ。 どういう点で、ユニークか? ・農村・農家、或いはムラ・イエを、単なる過去の遺物(家父長的・前近代的)とは捉えない。 日本の風土と歴史の中で育まれた独特な共同体として捉え直す(⇒「江戸時代にイエとムラ という形で制度化された地域資源の管理と利用の集団的システム」29.p)。 ・更に、ムラ・イエは、グローバリゼーションによって、「国家が後退」する時代の地域の生活と 生産を再生する場であると提唱する(⇒「デフレ時代に必要な問題提起は、むしろ地域の生活 と生産の見直しによる農家レベル、消費者レベルの自給、地域レベルの自給であって、退場 しつつある国家ではない」39.p)。 ◆イエとムラを、「地域資源の管理と利用の集団的システム」として捉え直そうと云う視点は 興味深い。二点、疑問を持つ。「過去の遺物」という側面は、やはり拭えないのではないか。 二面性を持つという捉え方が実態に即しているのではないかという疑問。しかし70-80年代 以降、急速に解体し、退場しつつある国家に代わって地域レベルの生活と生産の再生の場 として機能しうるだけの実体があるのかという疑問。イエ、ムラを片仮名にする意味は何? ・80年代にインフレ時代からデフレ時代に転換(⇒「90年代からの長いデフレは、グローバリ ゼーションの一面だ」75.p)したとの基本認識に立って、デフレ時代における農業・農村・農家 の、自立した独自の生き方を提唱する。その中で、特に兼業農家に焦点をあて、兼業農家は 消え行くべきものではなく、日本の農村の独特な基層構造をなすものと捉える。 ・またグローバリゼーションを、農村にとっての脅威とのみ捉えず、国や自民党政治に頼らず、 独自に自立した生活を支える新たな可能性を広げるものと捉える(⇒「IT革命を柱とするグロー バリゼーションを通じて、自民党の先生や農業補助金以外に村を支えてくれる住民たちとダイレ クトにつながる可能性が広がってきていることを認識する必要がある」39.p)。 ◆高米価政策が「兼業農家」が根強く残った主因だとする浅薄さに較べれば、遥かに実態に 即した捉え方とは思うが、日本の農村の「基層構造をなす」とまで云えるかどうかには疑問が ある。一方、グローバリゼーションについての捉え方は、全面的に賛成だ。これはグローバリ ゼーションに賛成か、反対かという問題ではない。歴史的に不可避的な過程として捉えた上で どう対処していくかという問題だ。「忍び寄る農村恐慌」を煽り立て、グローバリゼーションによっ て、農村は壊滅的打撃を受けるかの主張は、数十年前の左翼の万年「全般的危機論」の焼き 直しに過ぎない。 以上は、基本的認識。以下、例によって簡単な摘記を作っておく。 ▽インフレ期の農政の特徴は(戦前期を含めて)、 ・都市への食料供給を増やすための増産政策=農業近代化政策に集中するところに特徴が ある。インフレ期の農業政策を、一言で特徴づけるなら「行け行けドンドン」である。34.p ・戦後の高度経済成長期は、旧農業基本法の選択的拡大政策である。構造改善事業という 名の土木事業、補助金、価格支持、融資、機械・設備補助、試験場技術などなど、増産政策の すべてが大都市における食料品物価抑制のために投入された。結果として、コメをはじめ果樹 や牛乳など「選択された」品目は1980年代には見事に過剰となった。アメリカの圧力による 農産物輸入の増加も見逃せないが。35.p ▽戦後農政の「型」創出 ・1942年に成立した食糧管理法による米麦の国家管理こそ「戦後農政」の機軸であった。 1937年の日中戦争開始以後、日本は高度成長期と同様に「重化学工業化」、「都市化」「イン フレ」が進行していた。そこで政府は、農家に増産と供出を促すために奨励金・補助金などの 名目で買上価格を引き上げ、一方、インフレ抑制と家計安定のために消費者米価は据え置い た。これが生産者米価の方が消費者米価よりも高い逆ザヤ価格体系の始まりである。57.p ・1970年から、米価抑制を柱とする総合農政が展開された。これは「工業部門で発展してきて いる装置化とシステム化の動きを農業部門に導入し、大量生産、大量出荷によって農業の飛躍 的進歩」を目指すものであった。ポイントは大胆な経営規模拡大を農政の柱に据えたことで ある。61.p ◆戦後農政の「型」創出の起源を、40年代の戦時体制の下での国家管理政策に求める考え は、特に独創的というわけではないが、基本的に正しい。 ▽デフレ時代の農業・農村・農家 ・今の農村で起こっていることを一言で特徴づけるなら、それは全般的なデフレ現象である。 一つは、農産物価格の下落と農業の所得の減少であって、米を始めとして過剰基調にある 作物の価格は需給をダイレクトに反映して大幅に下落し、とりわけ専業農家の家計を直撃して いる。その背景に、1980年代以来の農業政策をめぐる世界的な自由化の動きがあることは 云うまでもない。37.p ・デフレ時代に必要な問題提起は、地域の生活と生産の見直しによる農家レベル、消費者レベ ルの自給、地域レベルの自給であって、退場しつつある国家ではない。39.p ・近代以降、日本の農業・農村・農家は何度も深刻なデフレを経験してきた。その時々の対応策 は、いつも基本的に同じであった。第一に、農業だけではなく、地域の諸々の実業を総合的に 捉え、第二に、その調査・点検によって、利用可能な資源を発掘し、第三に、地域全体の総合 的な振興計画を農家レベル・集落レベルから積み上げて作ることである。その際、第四に、出来 る限り自給して、現金支出を農家でも地域でも抑え、倹約と勤労の小さな合理化、工夫を積み 上げること、そして第五に、一番重要なことは、依存意識を廃して自力更生の精神を鼓舞するこ とである。85-6.p ・今の農業・農村・農家にとって最も必要なことは、工業を追いかけて壊してきてしまった農業 のあり方を農の原理に引き戻すことである。とりわけ、家畜を生き物扱いしていない畜産はそう である。但し、それは直ちに有機農業を意味しているのではない。「農薬の助けを借りたほうが 良いこともある。大切なのは、それを目のかたきにすることではなくて、化学肥料や農薬で自然 の営みと循環をぶちこわさない」ことである。だから大切なのは単なる食品の安全性や自然 環境ではなく、自然の営みと循環が維持されていく持続性の方であることを都市の生活者にも 伝えることである。 それは農法だけに限らない。農村の人付き合い、農家の暮らし方、子育ての仕方もそうである。 農村に暮らすことに劣等感を感じ、都市の消費依存の生活を真似していたとしたら、それを 真剣に反省して見る必要がある。87-8.p ◆ほぼ全面的に同意できる。(08/01/31)

食生活を乱したのは誰?/番外

08/01/31発行の「国民生活センター」の「おすすめフレッシュ便」は、 中国産冷凍ギョウザが原因と疑われる健康被害が報道され、現在、関係事業者 が商品回収を実施しています。そこで、「ご注意ください」に、各機関の情報のURLを 紹介する「中国産冷凍ギョウザ等を回収しています!」ページを掲載しました。 と始まる。 当該ページを見ると(参照)、その広がりは感染症以上の規模と深さといっても良い。

僅かに(と云っては語弊があるだろうか)
「本年1月5日に兵庫県において1家族3名、1月22日に千葉県において1家族5名の有機リン
中毒の疑いがある事例が発生」した事件に始まる”ギョウザ事件”の異常さに唖然としてしまう。

何が問題だ?
中国の食品管理の杜撰さか?!それはまだ分からない。中毒症状の酷さから考えれば、
素材の野菜の残留農薬の可能性は限りなく小さい。運搬・製造・包装その他の過程での
過失または故意の混入可能性が強い。

しかし、僕が驚くのはそんなことより、中国の一食品メーカーで起きた何らかの事故または
事件が、こんなにも急速に、こんなにも広範囲に、あっという間に広がり、それによる経済的
被害(これは殆ど報道されていないけれど)が拡大してしまう異常さだ!!

昨日、偶々【日本の食と農-危機の本質】/神門善久/NTT出版/060628、を読み始めた。
この本の第二章三節は「食生活を乱したのは消費者自身」と題し、次のように書き出す。
消費者自身が何をしてきたかを観察してみよう。現在の日本で最大の食の問題は、食生活の
乱れである。BSEや遺伝子組み換えなどが仰々しく報道されるがまだ科学的にも未解明の
部分が多いし、健康危害の報告例も少ない。それに較べると、食生活の乱れは広範に発生し
ていて、しかも確実に心身の健康を侵す。24.p
しばしば、食生活の乱れを、共働きなどの労働形態の変化や経済成長の所為にしてしまう
向きがあるが説得力に乏しい。(として90年代の実質ゼロ経済成長期に食生活の乱れが顕著
になったことを指摘する)26.p
要するに、消費者の本音は手軽さが第一で、食の安全だの安心だの、子供の健康などは二の
次、三の次と考えたほうが分かりやすい。そう考えなければ、外食や中食の増加を説明する
ことは出来まい。ホンモノ志向と称してデパ地下がもてはやされるのは矛盾もはなはだしい。
デパ地下食品を家庭の食卓に並べるのは、値段の違いはあっても、基本的にはレトルト食品・
冷凍食品を食卓に並べるのと同じである。
ほんとうに「食の安全・安心」や子供の健康をいうのであれば、消費者(大人)が自らで食材を
吟味し、調理方法を工夫してこそである。27-8.p

昨日これを読んだときは、この意見に9割方同意した。今日は、120%程度同意したい気分だ。

中国の、たった一社の工場から始まった事件か事故が、こんなに広範囲な騒動を引き起こせる
とすれば、遅効性の毒物を意図的に混入して、冷凍食品として持ち込めば、日本中を大混乱の
巷に簡単に叩き込めるな、と考えるようなテロリストがいないことを願いたいね。(08/02/01)



閑話休題/食と農のドロドロ/番外

実は、今日は昨日の「続き」を書くはずだった。というより、殆ど書いてしまって、 長過ぎるので半分にして前半だけを載せた。 後半を、やや手直して載せるつもりだったが、国民生活センターのメール便を 読んでいるうちに、”ギョウザ事件”の異常さに呆れてしまって、方針変更。 (岩手に居れば、新聞もテレビもないから、こんな雑音は入ってこないし、ネット やメールだけでは、その異常さは伝わりにくいから、全然、見向きもしなかった かも知れないけれど、テレビや新聞のお蔭でアンプリファイされているかな?) 「手軽さ」を求める消費者の本音を衝いた引用をしたけれど、さらに考えてみれば、 胃袋を満たすという本能的な行為さえ、工場生産という機械化されたプロセスの 一部といってよいほどの延長上にあるという異常さが事の本質ではないかと思う。 ジョージ・リッツアの【マクドナルド化する社会】を読もうと思って、机の脇に積んだ ままになっているけれど、予想では素材の原料肉の製造からマクドナルドの製品 として消費者の口に入るまでの全行程、販売店員の口調までも含めての全行程 を、徹底的に簡素化し、マニュアル化し、合理化した社会のモデルを描き出して いるのだろう。 ”ギョウザ事件”を見ると、日本人の胃袋のかなりの部分も、このマニュアル化した 工場生産の延長上にあると見てよい。自分でやることといえば、チンするだけ。 だから、食の安全・安心を問題にするなら、本当は、超マニュアル化した社会、それ を可能にしているグローバル化した多国籍企業の支配を拒否するしかないのだ。 その支配力は目も眩むばかりに巨大で・強大だけれど、消費者がそんなマニュアル 化され、均一化された食材を拒否して、文字通りの手作りに徹すれば、一夜で崩壊 してしまう脆さも内包している。 尤も、そうすれば今日の産業社会の繁栄の三分の一以上は消えてしまうけどね。 僕の考えでは、地球環境問題の大部分はそれで解決するけれど、肥満の根源にある 贅沢病はそのままで(遺伝的なインシュリンの機能障害は別にして)、糖尿病だけは 避けたいという身勝手さだもの、お話にならないね!! 本当は、こんなことを書くつもりじゃなかったけれど、閑話休題の気軽さで脇き道に 話が逸れてしまった。 後半の議論は、兼業農家がなぜ根強く残っているかという話題が中心だ。 【グローバリゼーションと日本農業の基層構造】の玉氏の意見では、ムラ・イエという 江戸時代以来の日本独特の共同体的な縛りが、離農・土地の売却、農地の集積を 阻んできた要因だというものだ。感覚的には10-20%程度は、その種の要因もある かなというのが、僕の意見だ。 ところで、さっき言及した【日本の食と農】の第四章、五章のテーマは「農地と政治」で 「農地をめぐる”ドロドロ”の政治力学」221.pを扱っている。零細農家、JA、JAの後ろ にいる農林族議員、農水省、土建業界の一体となった政治力学を扱っている。 これを読んでみると、ゾーニングの曖昧さとか、農地価格の異常高とか、日本独特な 共同体的縛りとかの、そんなきれい事の議論では、到底済まされないことが分かる。 神門氏は「日本では土地がらみのことに下手に首を突っ込むと、身の危険にさらされ かねない」128.pと書いているけれど、先に進むのはここでの議論を熟考してからだ。 (08/02/01)

食料自給を考える/デフレ時代の農業・農村/19

続き、 ▽グローバリゼーションをどう受け止める? ・我々が今直面しているデフレ時代は、戦時期に起源を持つ国民国家単位の行政主導体制が 80年代からのグローバリゼーションによって崩れて来た結果である。それはまた、基軸産業が 重厚長大な重化学工業から軽薄短小なIT産業に移行した結果でもある。国家が主導権を握っ てインフラを整備する中央集権的な重化学工業の時代が終わり、社会を構成する個々人の欲 求の多様化に合わせて、国境や部門を越えた市場競争が展開されるダイナミックな社会変動 の時代の到来である。 それはかつての国家的な安定していた総中流社会に比べると、リスクを伴う浮き沈みの激しい 時代になることは間違いない。その一方で、情報化を始めとする技術革新によって、距離と空 間における尺度が変化し、自然環境志向をはじめとする価値観の変化・多様化を通じて、都市 と農村との関係も大きく変わることが予想される。 その意味でも、グローバリゼーションをただ農村にとっての脅威としてのみ捉え、過去の制度や 体制を守る姿勢に終始することは、却って地域を危機におとしめることになりかねない。39.p ◆この問題は、当然のことだけれど、簡単にあれこれと結論が出せる問題ではないし、仮に 「結論」を出したところでどうなるもんでもない。そもそもグローバリゼーションとは何か、という点 に限ってみても、単なる現象(或いは傾向)と捉えるか、何らかの新たな体制と捉えるか、必ず しも明確ではない。まあ、脚注で簡単に言及して終わりに出来る問題でないことだけは明瞭。 日本語版【ウィキペディア】では、定義は示さず、「グローバリゼーションの徴候」として経済、 文化、政治、社会の多様な側面の地球規模化の「徴候」を指摘している。 12/16の「稲作農業」で触れたことのある「認識革命るいNETWORK」/「新しい農のかたち」の 記事「食糧自給率問題を考える」(参照)は、「池田信夫blog」の食料自給率なんてナンセンス という主張に対して、幾つかのコメントを取り上げて、 ・グローバリストの提灯記事のようで気分が悪くなりますが... ・WTOはアグリビジネスのロビイストによって牛耳られているので、市場主義者の急先鋒である ことはミエミエです! と、まあ悪罵を投げるだけで、生産的な議論はしていない。何ものをも飲み込み・踏み潰す勢い の多国籍企業の席捲ぶりやアメリカの一国覇権主義(急速に翳りが見えてきたが)に、頭にくる のは分かるが、それだけがグローバリズムの全体ではない。 評論家や学者は、グローバリゼーションで「農業恐慌」の危険が忍び寄るだとか、21世紀の 農政課題は主権国民国家の「食料自治権」を認め合うことだとか(【食料主権】/田代洋一/ 1998)、空文句を唱えていればメシが食えるが、百姓は生き抜いていかなければ仕方ない。 容赦なく深化するグローバリゼーションに対応して、どう生き抜くかが課題だ。 ▽インフレ時代に、規模拡大が進まなかったのは何故か? 高度成長に伴う地価高騰に求める見解が有力だが、イエ制度の足枷がストックとしての土地の 処分を躊躇わせたと、次のように分析する。 ・(1955-85年の5年毎に第二種兼業農家の動態を、近畿、東北、北海道の三つの典型的 地域で比較すると)北海道では第二種農家自体が急速に減少していくのに対して、近畿・東北 でタイムラグを示しながら「恒常的勤務」の着実な増加である。つまり都府県の総兼業化の内実 は恒常的勤務の支配的増加に支えられたものである。20.p ・北海道だけは、挙家離村によって構造改革が進み専業農家率が維持され、第二種兼業農家 は減少した。(中略)これに対して都府県では、第二種兼業農家だけが増加して七割近くに達 し、農地は兼業農家に保持されたまま流動化が進まなかった。(このような北海道と都府県の 違いは)農地を先祖伝来の家産でありイエ存続の担保として維持しようとする農家のイエ意識を 考えなければならない。 徳川時代から「農間余業」として支配的に見られた兼業化は、イエとしてムラに存続するための 対応形態であった。北海道では挙家離村が一般的であったのは、北海道農業が近世のムラ 社会を持たない植民地であるがゆえに、ムラの中でイエを維持存続させようとするイエ意識が 都府県の農家に対して希薄であった点に求められよう。126.p 20頁には、近畿・東北・北海道の1955-85年の5年毎の第二種兼業農家の増減表が載って いるが、ここでは簡単に1960年と90年との比較を都府県・北海道別に載せておく。                  都府県      北海道 農家数(千戸)     5823  2884  234  87 平均経営面積(ha)  0.77  1.15  3.54  11.9 専業(%)         33.7  15.0  50.4  47.0 第一種兼業        34.1  17.0  22.2  35.9 第二種兼業       32.2   68.0   27.4   17.1 (世界農林業センサスから) ▽日本農業の基本矛盾と兼業化の論理 ・「農地に対して扶養人口が過大という基本矛盾」 イギリスのように海外進出と植民という道を閉ざされていた日本の小農家族にとって最大の 課題は、限られた農地で扶養人口の多い直系的家族をいかに扶養するかという基本問題で あった。ここに、我が国のきわめて労働集約的な土地生産力中心の農業技術発展の方向も 軌道付けられた。しかも、たとえ小作農に転落したとしても、ムラの中でイエとして存続すること が、水利・入会などの資源利用にとって不可欠である限り、イエの存続が小農家族にとって 最大の価値規範であり、それがまた零細耕作を強固に維持する役割を果たしたのである。 そして、このような基本矛盾への小農家族の対応形態の一つが副業、兼業、出稼ぎなどの 「農間余業」であった。124.p ・兼業化という小農家族の対応形態を戦後の際立った現象と見る傾向があった。・・しかし 1938年のセンサス調査で・・・農業のみを営む専業農家はすでに五割を割って45.7%でしか なかった。県別で見ても、福井の26.8%を最低として、岩手、石川、兵庫、和歌山、岐阜、 愛媛、広島、奈良、大阪、高知、徳島、、長崎、秋田などが40%以下である。125.p ◆ここで指摘していることは、ある時期まではその通りと思うし、今でも部分的には当て嵌まる 点もあるのではないかと思う。しかし、ある時期以降(60年代中頃かな?)、 一昨日言及した【日本の食と農】で神門氏が指摘している内容、 ・営農規模の零細性や分散錯圃が農産物の生産コストを高めているとしばしば指摘されるが、 大多数を占める伝統的零細農家の関心は農業ではない。転用期待こそが農地を保有する本 当の理由である。 ・分散錯圃を日本農村の歴史的遺産とみなし、農地流動化の遅れを歴史的に宿命づけられた ものであるかに論じられることがあるが、それは欺瞞である。いくら歴史的なものでも経済的 インセンティブがなければ、人々はそれを簡単に捨て去ってしまう。 ・零細農家の多くは非農業所得への依存度が大きく、農業の収益のいかんには余り関心が ない。それよりも、票田としての農村集落を維持したほうが、転用許可や公共事業の誘導には 有利である。 ・農水省も、このような政治家と零細農家のもたれ合いに便乗する。 ・零細農家-政治家-農水省にとっての最高のシナリオは、農水省の予算で農地の改良投資 を行い優良農地にして、その後、転用して農家の懐を暖めることである。農水省の農地改良 投資によって、農業生産性が上がる以上に転用価値が上がることは農家の常識である。.... さらにこれに便乗するのが土建会社である。 のほうが、事実に即しているのではないか(ここで云う零細農家と兼業農家は、かなりの程度 までダブっていると見てよいのかな)。 最近では、デフレ経済の中で、この経済的インセンティブも相当後退した可能性がある。いずれ にせよ、兼業農家が根強く残っている要因は、高米価政策や農政の失敗などに矮小化できる ほど単純な問題ではないことは明らか。日本の社会システム、高度経済成長の下での村社会 の変容、土地制度、農地をめぐる”ドロドロ”の政治力学など広範な問題を考慮しなければなら ない。「食料自給を考える」範囲を遥かに逸脱しているし、僕には、そんな能力は今はない。 (08/02/03)

食料自給を考える/食生活の崩壊/20

「食は生を養う」というのは、単に空腹を満たし、身体を養うのみならず、人間の生活文化全体 を養う根源が食生活にあると考えるのが良いのではないか。この点を説得的に展開するには、 どのような論点があるか考えているが、中々、まとまらない。 まずは、今までに僕が書いてきたことの中から関係する論点を挙げておく。 ▽07/08/01「土を考える/一物全体食/14」(参照) 我々の食事が「一物全体食」から、正反対の方向に向かっていることだ。イミテーション食材は 云うに及ばず、加工食品の氾濫、外食産業への依存、輸入食材の氾濫、これらすべての事情 が「一物全体食」を、益々困難にする方向に向かってひた走っている。挙句の果ては「食べる こと」を抜いたり、ダイエットのために食べるかに錯覚したり、逆に「食べること」自体が厭わしい という摂食障害のような倒錯現象まで引き起こすに至っている。 ▽07/10/22「食と農を考える/覚書」(参照) 「腸内細菌叢(腸内フローラ)と免疫力」に関連して書いた、 食は風土によって支配され、人間の「食」は風土と不可分の関係にあるにもかかわらず、 社会システムが進化するほど、この関係は乖離していく矛盾。すなわち、 何を「食」とするかは、風土と社会システムで規定され、未開社会ほどより強く風土に支配され、 文明が高度化するほど社会システムに規定されます。この場合、社会システムとは狩猟採集・ 農耕文明から最近のグローバル化や農業政策・貿易交渉、更にはスーパーマーケットの 支配、商業主義、ダイエット願望、テレビ文化の氾濫、栄養学・保健医学などの科学まで(要す るに人間の摂食行動を直接・間接に規制する社会的・意識的内容)含む、言い換えれば自然 風土を除く全部と云ってもよいほど広範な(広範すぎる)概念として使っています。 ▽07/10/26「生活習慣病/覚書」(参照) 人間及び動物は、無機元素から栄養分を取り出すことは出来ない。植物及び他の動物を 摂取して自己の身体を作る(同化)と共にエネルギーを取り出している(異化)。同化・異化を まとめて代謝という。代謝を司る器官と代謝の機能は、数百万年というタイムスケールの所産 である。その結果、人間の身体は「飢餓」状態に対しては幾重もの防禦システムが作動する が、この僅か数十年の社会システムの変容によって生み出された「飽食」には対処するシス テムの備えがない。この意味では、生活習慣病とは風土と歴史的伝統によって培われた人間 の身体のシステムと社会システムの変容によって突然現出した食生活習慣とが本質的に相容 れなくなった現象だ、と僕は理解している。 以上が、現在まで、考えているところだ。 以下は「食生活の乱れは社会生活の乱れ」と説いている東京農業大学の小泉武夫氏の講演 を参考に挙げておく(pdf、参照)。 ▽(日本の食料自給率は下がる一方で、このまま下がり続けて20 %台になったら、日本人 は相当餓死すると思います。あと10年くらいでそうなるかもしれませんと書いた後) 餓死にいたらなくても危険な兆候は出ています。若い人たちの間で「クローン病」という病気が 発生しています。10 年前には全くなかった病気で,直腸や大腸に潰瘍ができて、そのうち 潰瘍部分に穴が開いてしまいます。そこからうみや血液が出て急性腹膜炎を起こし、死にいた ります。現在、2万人くらいの患者がいると言われています。病気になる人が若い人ばかりとい うことで調査したところ,原因は食べ物によるものだとわかりました。急激な食生活の変化に よるものです。毎日のようにハンバーグ、フライドチキン、ホットドッグ、インスタントラーメン、 スナック菓子といったファーストフード、コンビニ弁当を食べている若者に多く発症が見られると のことです。 ◆クローン病について(参照) ▽また、18 歳から25 歳までの成年男子の精液の中の精子の数が減ってきています。昭和 40 年代には1億1500 万くらいあったのが、平成13 年になると約8000 万前後に激減して いると言われています。これがあと10 年くらいして5000 万まで減ってしまうと受精能力がなく なり、日本民族は滅びてしまうのではないかと懸念されています。 ◆精子の減少(参照) ▽今、日本人は世界一、心の荒れた、情緒不安定な民族になってしまいました。若者に注意 するのも、すぐ「切れる」ので命がけというありさまです。 なぜこうなってしまったのでしょう。初めはストレスによるものだとか、環境の変化が原因 だとか言われたのですが、よく調べていくと、大きな要因の一つは食べ物に由来しているだ ろうとわかってきました。日本人の食生活が急激に変化して、肉を多く食べるようになりま した。動物を見ても肉食性の動物と草食性の動物では、性格が全く違います。攻撃的なのは 肉食性の動物です。 ◆この手の、単純な二元的対立論には同意できない。 ▽日本人を日本民族の遺伝子レベルで考えてみると、今のような肉食には向いていないので す。日本人としての顔立ちが似ている、赤ちゃんが生まれると青いあざの蒙古斑ができる。これ は民族の遺伝子によるものです。日本人を解剖学的に見てみると、アングロサクソンやゲルマ ンに比べて腸が長い。お酒についても、お酒を飲むと肝臓で分解するわけですが、日本人の 場合、アルコール脱水素酵素によって分解しています。ところが、アングロサクソンやゲルマン は、その酵素のほかにも日本人にはないMEOS系の酵素が加わるのでお酒に強いのです。 民族に遺伝子的特徴がそなわるのは3000 年くらいのスパンです。その土地ではぐくまれた 食べ物によって遺伝子的特徴がそなわり、食文化がつくられます。 それなのに、日本人は、ここ30 年の間に食べ物のとりかたが激変しました。肉の消費量は 3.2 倍、油は3.7 倍です。でんぷん質中心の日本人が、30 年の間に突如として窒素が多く なり、カロリーや油分が多くなった。日本の若者たちが狂ってくるのは遺伝子が対応できない からなんだと思います。 ◆果たして、食文化の違いを遺伝子レベルの話にまで持っていけるのかどうか、風土・食・ 人間の身体の内的関係を、どの程度までつなげて考えられるのか、どういう研究がされて いるのか、僕には分からない。 ▽こういうところを見ると、私は、日本の食生活は堕落したと思うのです。人は、食生活が乱れる と体調も崩れます。それと同じように、国民の食の周辺が乱れてくると、その国の社会も崩れて きます。食生活の乱れが社会の乱れにつながっている、それが今の日本の現状です。 ▽世界的な潮流としてアメリカが中心となったグローバリゼーションという動きがありますが、 日本にとってはこれは間違いで、ローカリゼーションをまずやるべきです。 「安心、安全でおいしい食べ物」は自分たちでつくって食べなければだめだ、そのためには農業 を後継する若い人たちをつくらなければだめだ、ということを私はいろいろなところで訴えており ます。 ローカリゼーションの推進という意味では日本食の良さを再認識するべきです。私たちは栄養 学や食文化論という分野を研究していますが、外国人が決まって言います。日本食というの は、朝はみそ汁と納豆とご飯と漬け物、お昼はサバのみそ煮定食、夜は刺身とご飯とみそ汁と 大根おろしと、そんなものだと。 ◆食料自給率の低下や食生活の乱れで、10数年で日本人が大勢、餓死するとか、民族が 滅んでしまうと、本気で懸念しているのかどうか知らないが、高校生相手の講演にしても、話を 漫画的に単純化しているのじゃないか。 但し、食生活の乱れが、生活文化の乱れ、社会的な乱れの大きな要因になりうるという話の 大筋は、同意できる。小泉氏は【食の堕落と日本人】/東洋経済新報社/2001年6月という本 を出しているが、注目すべき点があれば、後日、摘記を作る。(08/02/06)

食料自給を考える/一応はまとめ/21

食料自給率の問題を考える際にポイントとなる点は、 1.現在の社会システムおよび産業システムの中で、農業をどのように位置づけるか 2.自然環境または風土的環境の中で、農業をどのように位置づけるか 3.国民の栄養および健康を確保するために、「食の供給」をどのように位置づけるか 取り敢えず、僕の頭に浮かぶのはこんなものだろうか? 必ずしも厳密ではないけれど、食料自給と食料自給率とは分けて考えており、僕が 扱っているのは「自給問題」だ。国民国家を単位とした「自給率問題」と食料を自給 する問題は自ずから違うという意識があるからだ。簡単に云えば、日本の自給率が どうであろうと僕自身の自給率はきわめて高い。百姓だから当然と思うかもしれない が、生涯を通して食堂に入った回数や出来合いの加工食品・インスタント食品、缶 ジュースの類を利用した回数を数えられるくらい少ない。 逆に今どき、百姓だって、自分の作物は単なる「商品」で自給率は都会人並みという のだって珍しくない。 一方、自給率問題となると、政策なり国家戦略なりが対象になる。 昔、中江兆民が「日本人には哲学がない」と喝破したことがあるけれど(空海とか、 道元、安藤昌益のような例外はいるが)、似たような意味で、戦術思想には長けてい るけれど、戦略思想は希薄だ。軍事力だって、他人に委ねて経済成長に特化しようと 考える国だもの、食料くらい、米国であれ中国であれ他人に委ねる位、屁の河童だ。 昔、農は国の礎だった。事実としてそうであれば、言い換えれば、単なる思想として ではなく日常生活の中に息づいている時代には、先に挙げた三点(これで全部かどう か、取敢えず僕の頭に浮かぶことだ)は考えるにも及ばない。こんなことを、考える こと自体、農業が「選択」対象になったということだ。 となれば「農のあり方」は、戦略思想と不可分であり、仮に産業としての農業が日本 の国土から消え去ったにしても、一億程度の国民が生きていくには、全く支障がない と豪語する功利的計算に長けた経済人さえ輩出する始末だ。 事実、国内総生産額503兆円に対して農業総生産額は4.8兆円と1%に満たない。様々 な農業補助金を除けば実質生産額はゼロだという指摘さえ受けている(参照)。 一方、労働人口から見ると、総就業人口6400万に対して312万と約5%を占めている。 また耕地面積は465万ha、従って、極めて大雑把な計算をすると農業労働一人当たり 1.5haの耕地を利用して、年間154万円の農業生産を行っているが、そこから直接・ 間接の農業補助金を除くと実質生産額は50-100万円程度、或いはそれ以下といって 良いだろうか(農地売却を考慮すると、実質、ゼロまたはマイナスの可能性もある が、これをマクロ的に分析したものを僕は知らない)。しかも農業労働人口は高齢化 する一方で、若返りの兆候はない。会社四季報をパラパラとめくって見れば分かるが、 成長産業は就労者の平均年齢は若返り、斜陽産業は高齢化する。農業は斜陽産業 どころか、「産業」としては既に死に体だと宣告されている。安楽死なり尊厳死を要求する 有識者も少なくない。 これに対して、「単なる」産業ではないという屁の様な反論もあるが、如何にも頼りない。 仮に「農政」に注目して、農林水産予算と農業の国内総生産額とを比較すると農林水産 予算は1960年度の1319億円から75年度には2兆円台に乗り、80年代以降3兆円台 を確保している。しかし、農業の国内総生産は60年度の1.5兆円(経済全体の9%)から 80年度6兆円(同2.4%)02年度には5兆3000億円(同1%)に低下した。60年度の農業 予算は11倍の国内総生産を生んだのに、今日では1.8倍の国内総生産しか生まなくなって いる。「高い水準の農業予算を維持しても農業は衰退した」(参照)という指摘を受けている。 ちなみに平成17年度のそれは1.6倍に過ぎない。 何のため、誰のための農業予算だ?? しかし、このような結果は、よってたかってそのような扱いを押し付けてきたからそうなった だけで、日本における産業発展の宿命的結果というわけでもあるまい。 いままで僕が書いてきたことは、要するに、「よってたかって」の諸要素をいろいろ思いつく ままに取り上げたということか。 研究者によって、何が決定的要因だとか、主要な要因だとか書いているけれど、 まあ、それは自分の研究題目や立場とかその他諸々の要因で書いていることで、何か一つ の決定的要因だけで歴史的・社会的傾向が決まってしまうことは有り得ないと云うのが僕の 考えだ。 敢えて(まさに敢えて)云えば、豊かな自然に恵まれた狭隘な国土に多数の人口を抱えた ということか。 ・米に偏重した高米価政策によって零細兼業農家が癌のように蔓延っていることが 農業の低生産性を温存し、農業の衰退を招いたという意見がある。歴史の一断面を 切り取ってくれば、その意見も尤もに見える。しかしある時代には、食糧増産と農家 救済のために、それが不可欠な時代があった。条件が変わっても、それを続ける農政 も変だが、生産コストとの関係では「高米価」とは云えない条件を無視して「温存」を 唱える研究者も阿呆だ。 ・食料自給論やら水田農地の社会的機能を声高に論じながら、足元から優良農地が 消えていく事態(自然消滅しているわけではないぞ)に、形式的規制だけをかけて、 裏では一体になって農地資産を食い潰して個人的・社会的に富を築いてきた連中の 「政治的力学」に目と口をつぶっている欺瞞と卑しさは計り知れない(こんなことを書い ている僕だって、農地を持っており、金に困れば売り払っているかもしれないという危う さが人間にはある)。 ・グローバリズムの軍門に下り、国内農業市場を明け渡してきた農政の従属的姿勢を 批判し、「食料主権」を確立することこそ21世紀の農政課題だと論じて見たところで、 足元の農地と農業者が消えてしまっては話にならない。 ・自分の胃袋さえ、機械的工業生産の一工程にまで貶めておきながら、「食の安全・ 安心」を声高に要求する人々の無責任のおぞましさは、呆れて見詰めるほかはない。 こんなことを繰り返しても仕方ない。夫々の時代の社会的諸要因に応じた政策と対応 が凝縮して、何らかの比率で作用・反作用を及ぼしあって、現在我々が見る姿を現出 した。「よってたかってそのような扱いを押し付けてきた」とは、そういう意味だ。 どうすれば良い? そんなことは分からない。国民の何割かが実際に飢える体験でもしなければ分から ないのじゃないか、と思っている。まあ、僕としては何度も書くけれど 人生の後半生に入って、あえて百姓という生き方を選んだのは、戦後社会を支えて きた、こういう考え方に対するアンチテーゼだ。もう、そんな生き方は行き詰った という、僕自身の生き方を賭けたささやかな狼煙だ。参照) というしかない。誰も、そんな狼煙に気付かなくても、それは仕方ない。 中途半端や尻切れトンボもあるけれど、取敢えず「食料自給を考える」は、これで お仕舞いにする。また何かに触発されれば書き始めるかも知れない。(08/02/07)

食生活の崩壊/またまた番外

東京農業大学の小泉武夫氏は、01年に【食の堕落と日本人】/東洋経済新報社とい う本を書いて、食の乱れは社会生活の乱れ、ひいては民族の存亡に係ると警鐘を 鳴らしている(多少、紹介しようかと思ったが、話が長引きそうなので後回し)。 いつから、日本の家庭の食生活は手抜き料理に溺れ、出来合いの加工食品やまがい 物食品・冷凍食品に占領されてしまったのか? 統計局HPの家計調査から、都市階級・地方・都道府県庁所在市別 (勤労世帯)の 「1世帯当たり年平均1か月間の収入と支出」(参照)を見ると、07/02/13公表の 食料支出の内訳が伺える。 この家計調査によると、平成18年度の月平均の全都市勤労者世帯の 消費支出総額は32.1万円、その内食料費は7.0万円に相当する。この内、どの程度 を加工食品・冷凍食品、或いは外食産業に費やしているか? 一口に「加工食品」といっても、様々なレベルのものがあり、納豆・豆腐なども 加工品なら、最近急増している冷凍野菜・冷凍食品も加工品。だから、単に加工品 の割合だけから家庭の食卓の姿が変わってしまったかどうか、もち論、正確には分 からない。こういった留保はあるが、ともかく加工品の類の内訳を見てみよう。 加工品12817円(調理済食品8556、)、菓子類9931円、一般外食12779円(学校給食 を除く)、以上の合計が35527円(50.5%)、これに飲料・酒類6931円を加えると 食料費の60%を占めている。一方、いわゆる主食の穀類は6440円、生鮮野菜5124円 を占めるに過ぎない。一般外食の何割かは穀類が占めているから、これより多少は 多いとしても高が知れている。 これをマクロ的に見るには、二通りの統計調査がある。 一つは、農水省データを元にしたもので、「わが国食料市場をめぐる環境変化」 (04/09、pdf、参照)の中の二頁目「食と生産・消費のフローチャート」(2000) で、飲食料最終消費額80兆円に対して外食産業23.7兆円で、29.6%を占めている。 二つ目は、日本フードサービスの「外食産業データハンドブック」(参照)で、 外食産業の市場規模は75年の8.6兆円から91年27兆円まで急増、その後は漸増して 97年に29兆円とピークを打った後、2000年は27兆円、最近は24兆円規模で推移して いる。同データに、食の外部化率=(広義の外食産業市場規模)÷(年間の食料・ 食品支出額)の統計が出ている(1975-05)。 75年の28.5%から90年にかけて41.2%に急増した後、41、2%台で推移している。 2000年の外食市場規模27兆円と外部化率41%から逆算すると00年の食料・食品支出 総額は約66兆円、農水省データとの差額14兆円は何なのか分からない。 また、都市勤労者世帯の食料支出のうち一般外食費の割合が二割以下なのに対して、 マクロ的には外食産業の市場規模が3-4割以上を占めているのは何故なのか? 飲料・酒類の扱い方、或いは会社などの交際費的な支出などが考えられるが、多す ぎるのでは? ともあれ、1975年から90年頃にかけて、すなわち経済のバブル化に伴って、日本人 の摂食パターンが急速に変わり(正確には家計調査を検討しなければならないが)、 かつバブル崩壊後も元に戻らなかったことが推測される。 一方、加工食品への依存度が長期的にどう変わって来たか、品目別家計調査の昔の 統計が見当たらないので分からない。ただ加工食品の中でも冷凍食品の割合が急増 しているので、フライなどの揚げ物類や調理済食品の割合が増加していることが伺 われる。 日本冷凍食品協会の「冷凍食品統計データ」(参照)を見ると、 冷凍食品の消費量は、1975年に38万トン、一人当たり年間消費量は3.4キロ、この内 輸入量の占める割合は6.6%だった。これが1990年には133万トン、10.8キロ、23%、 2005年には262万トン、20.5キロ、41%に増加した。 しかも輸入冷凍食品うち中国の占める割合は、1997年には45.6%だったが、06年に は63.6%が中国産だ。中国産冷凍食品の品物をランダムに拾ってみると、えびフライ、 いかフライ、いかリングフライ、かきフライ、あじフライ、白身魚フライ、トンカツ、
チキンカツ、
棒ヒレカツ、鶏唐揚、いか唐揚、かれい唐揚、かき揚、れんこん挟み揚、ハンバーグ、
春巻、たこ焼、お好み焼、練製品、焼鳥、北京ダック、カップ惣菜、魚加工品、飲茶、
ロールキャベツ、角煮、大肉包、小松菜炒め煮、いんげん肉巻、きんちゃく、湯葉、
中華丼の具、さば塩焼、さば照焼、中華串、豚ごぼう焼、豚すき、丼の具、飲茶類、タルト、
まんじゅう...etc。

また国内生産量だけで見ると、業務用冷凍食品は97年をピークに減少しているが、
家庭用冷凍食品は一貫して増加し続けている。これは業務用冷凍食品そのものが頭打
ちなのか、海外に生産拠点を移しているためなのか分からないが、何れにせよ家庭の
料理離れ・手抜き料理(こんなものは料理以前)は歴然としている。
ある禅僧の言葉、人間は所詮たんなる糞袋、その境地に達したか?!(08/02/10)
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