知ってる!?北茨城

ご存知ですか?北茨城のいろんなこと。
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高麗子(天心の娘)の墓
五浦の岡倉天心の墓は通り沿いにあり、六角堂へ観光にきた方でもわかりやすく
お参りしてくださる方も多いのですが、じつは天心のお墓の上に、天心の娘の
高麗子(こまこ)さんのお墓があることはあまり知られていません。
天心と同じ「土まんじゅう」の形のお墓です。
そばには、天心のご子孫にもあたる方々が西暦2000年に建てられた碑もあります。
 
追慕の記
この碑は、潮騒と松籟の協奏曲に耳を傾けつつ此処に静かに眠るわれらの亡き叔父母
米山辰夫(ときお) (一九四五年十二月一日没、享年六十九歳)
   高麗(こ ま) (一九五五年十二月十日没、享年七十二歳)
の在りし日の面影がやがて忘却の淵に沈むことを憂慮したわれら両名が、幼年時から蒙っ
た慈愛に感謝しつつ、故人を追慕し、後世に伝えるべく、建立を思い立ったものである。
 辰夫は越前加賀の人、旧制第四高等学校(現金沢大学)を経て東京帝国大学(工学部) 
を卒業、直ちに鉄道省(旧国鉄の前身)に入り、後年、札幌、仙台、門司等の各鉄道局長
を歴任、退官するまで終生鉄道に身を捧げた。学生時代にはボート部選手としても活躍し
た長身痩躯で謹厳実直の士、一見近寄り難い風貌と端厳な立居振舞に似ず、温かく優しい
心の持主で、同僚、後輩、部下などから深く敬愛され、慕われた。
 高麗(こま)は天心・岡倉覚三の娘、われら兄弟の父一雄の実妹、天心から「コマチー」
の愛称で熱愛された。一九〇三年辰夫と結婚、不幸子宝には恵まれなかったものの、終生
琴瑟相和し、全国各地へ転任の多い夫に随伴して内助の功を立てた。生まれつきの明朗闊
達の人柄に加え、旧制仏英和高女卒でフランス語も能くし、豊かな教養、豊富な話題と湧
き出るユーモアとウィットに富む会話、春霞みのような抱擁力などで、年令、身分、職業
等の別なく誰からも愛され親しまれ、慕われた。
夫妻は、晩年五浦に隠棲して天心墓地の墓守として暮らすべく、墓地周辺の此の地に建
てる寓居の基礎工事も完了していたが、一九四五年春の東京大空襲で滝野川田端の旧居を
消失、やむなく五浦に避難して旧天心漁荘に仮寓するうち、同年末、辰夫は逝去、遺骨は
高麗の手により天心墓地を模したこの土饅頭の下に埋められた。以来、孤独の身となった
高麗は、旧知の大津、五浦の人々の温情に支えられつつ、愛猫を唯一の伴侶に当時檜皮
門の屋根も朽ち、茅屋同様の天心漁荘に気丈にも独居し、亡夫、亡父母の墓を守りつづけ
ることまさに満一〇年、一九五五年十二月、七十二歳の天寿を全うした。
この碑の建立てに際しては、十余年間も天心漁荘の管理に尽くした俳人源郎・村山源治氏
を初め、海上保安庁の村田実氏、石工緑川義男氏らの格別の御尽力、岡倉家とは千代次
庄兵衛以来父子三代にわたる縁の深い渡辺、鈴木両家などの御協力に与った。
深く感謝したい。
   二〇〇〇年二月吉日
                       岡倉 古志郎 
                       桐原 妙 (旧制岡倉) 
 〈碑文より〉
 
 

通りゃんせの像
国道6号線を北上、野口雨情生家、天妃山を過ぎ、二つ島が見えたその先に
手をつないで上にあげた少年少女の像を見かけたことがありませんか?
ついつい通り過ぎてしまうかもしれませんが、ぜひ立ち寄ってみてください。
 
通りゃんせの像
この像は、昭和三十五年五月五日国道舗装の完成を祝って建てられた。
二つ島という風光明媚の地に、往き交う人々の旅情をなぐさめてくれればと念じつつ建立され、
当時、野口雨情詩「あの町この町」からヒントを得てつくられたこの二人の童が、通りゃんせの
ポーズをしているところから、いつとはなしに「通りゃんせ」の像として親しまれるようになった。
題名も作者名も不明のまま路傍の彫刻として放置されていたが、道往く人々の幸せと交通の
安全祈願し、昭和四十五年・建立十周年を記念して、「通りゃんせの像・山崎猛作」と命名された。
 
〈案内看板より〉
 
 
あの町 この町  詩:野口雨情 曲:中山晋平
 
あの町この町 日が暮れる
日が暮れる
今きたこの道 かえりゃんせ
かえりゃんせ
 
お家がだんだん 遠くなる
遠くなる
今きたこの道 かえりゃんせ
かえりゃんせ
 
夜空に夕べの 星が出る
星が出る
今きたこの道 かえりゃんせ
かえりゃんせ
 
 
 

忠犬ジョンの碑
日本美術院のロケセットがある上に、なんだか犬の像が…
震災では崩れてしまいましたが、今は立派に立ち上がっていますよ。
 
忠犬ジョンの碑
忠犬ジョンは資性怜悧にして能く番犬任を果し為めに主家をしてその守り堅きを誇らしめつつあったが
その任に忠なる為にうかがうべき隙なきを憎みてか一夜農薬入りの食を与えし人あり
ジョンはその服毒の激痛に耐え夜の明くるを待ち怜悧にも己れの死期迫れるを知り
未だに臥床中の主人の床に近づき告別の意を傅いて息断えたり
主人その死を憐れみ僧を招き厚く囘向し風光絶佳の此の地に懇ろに之を葬る
爾来今様花咲翁のそれの如く主家の幸運之より至る
之も忠犬の余念の存する為めならんと厚く讃ふ
以来當地に杖を曳く人名犬の死き憐れみこの墓地に詣ずる者多し
忠犬ジョンの勇姿に接する人には忠犬の守護あり
福運必ずその身に及ばん
意ある人迷ふ事なく来り詣でその加護を受けられん事を
 
五浦観光ホテル開發に寄与せし
功労者を永遠に傳えその功に酬ん
鈴木光郎   森野景止
八木 生   鈴木末吉
田辺 坦   山縣勘解記
佐久間馬作  三枝末松
加藤誠四郎  三上瓦店
三枝忠太郎  鐵 佐吉
入江市太郎  肥後牧子
栗林光夫   鐵よし江
昭和三十年十一月吉日建之
建設者 村田彌一郎
     村田はつ
祐筆  鈴木力弥
石工  東小川金次郎
     東小川敏雄
 
〈碑文より〉
 
 
〈現地の案内看板より〉
 大津浜異人上陸事件
六角堂、岬公園のロケセットから大津港に向かう坂道を、右側を見ながらゆっくり進んでいくと、
途中に案内看板があります。
「異国人上陸」とあります。
日本史で習ったペリーが浦賀に来る30年も前に、鎖国時代の北茨城のこの地に外国人がやってきました。
当時の人たちはびっくり! 管理していた水戸藩にとっては大事件。
今(江戸時代)の日本に外国人がどんどん来てしまったら大変だ~
と思った水戸藩はこの事件をきっかけに、「攘夷」という考え方が強くなっていきました。
 
 
異国人上陸
文政七年(一八二四)三月二十八日、二そうの英国捕鯨船が常陸大津浜沖(北茨城市大津)に現れて碇泊、鉄砲を
持った十一名の船員が二隻のボートに分乗して、富岡海岸に上陸した。
はじめて見る巨大な黒船と異人の姿に村人たちは驚きあわて、平和の村は忽ち大騒ぎとなった。
急を聞いて駆けつけた領主中山氏の手勢によって船員は捕らえられ浜辺の民家に監禁されたが、一部の船員が
逃亡を企てたゝめ洞穴に押し込めた。
沖合の本船は、数十発の大筒空砲を轟かせ威嚇しながら船員の身柄引き渡しを要求したが、拒否された為、上
陸船員を残して退去、その後数日して、こんどは五そうの船団となって現れたが、再び退去した。
水戸藩からも出陣の兵が送られ幕府代官の下向によって、取調べが行なわれた。結果船内に病人が出て、野菜
等の補給の為の上陸とわかり、六月十日薪、水、食糧など給与し、ボートによって退去させた。
この事件を知った水戸の藤田幽谷は一子東湖を大津浜に送り、異人たちを斬るべく計ったが、時すでに釈放の
あとで果たせなかった。
「常陸なる大津の浜にイギリスの船を、つなぐと君はきかずや」の一首はその時の歌である。
異人たちは、二十日ほどの囚われの中で画をかき、相撲などとって里人と親しくなった。
洞穴のそばに梅ノ木の老木があった。
人呼んでイギリス梅という。昭和のはじめに枯死し、今は面影をとゞめていない。
これ以後も常磐沖には、外国船が出没し、沿岸各藩の海岸防備は厳重をきわめた。
嘉永六年ペリーの浦賀寄航に先立つ約三十年前の事件であった。
 
北茨城市
茨城民俗学会北茨城市部 資料提供
 
〈現地の案内看板より〉
 
 

吉田松陰先生遊歴之碑
こちらも歴史で習う吉田松陰。松陰は水戸の学者・会沢正志斎が大津浜異人上陸をきっかけに著した「新論」を読んで、影響を受けたといわれています。
水戸で正志斎に会い、東北に向かう途中に高萩を経由し嘉永5年(1852)1月22日、磯原に泊まりました。その時に見た夢をもとに漢詩を作りました。
 
磯原客舎(いそはらかくしゃ)
 
海樓把酒對長風
顔紅耳熱醉眠濃
忽見雲濤萬里外
巨鼇海蔽來艨艟
我提吾軍來陣此
貔貅百萬髪上衝
夢斷酒解燈亦滅
濤聲撼枕夜鼕鼕
 
海樓酒を把って 長風に對す
かいろうさけをとって ちょうふうにたいす
 
顔紅に耳熱して 醉眠濃やかなり
がんくれないにみみねっして すいみんこまやかなり
 
忽ち見る雲濤 萬里の外
たちまちみるうんとう ばんりのほか
 
巨鼇海を蔽うて 艨艟來る
きょごううみをおおうて もうどうきたる
 
我れ吾が軍を提げて 來り此に陣す
われわがぐんをひっさげて きたりここにじんす
 
貔貅百萬 髪上り衝く
ひきゅうひゃくまん はつのぼりつく
 
夢は斷え酒は解けて 煙も亦滅す
ゆめはたえさけはとけて けむりもまためっす
 
濤聲地を撼かして 夜鼕鼕
とうせいちをうごかして よるとうとう
 
 
 

 
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