気仙沼市 南町紫市場


気仙沼湾の最奥部、古くからの繁華街だった「南町」。
3.11の津波に襲われ、多くのお店が被害を受けました。

「でも負げらんねぇ!」「商いの灯は守るぞ!」

震災から1カ月後、商店主たちは早くも「青空市」を再開。そんな元気に惹かれるように、全国からの応援・支援もたくさん届けられ、平成23年12月、仮設商店街「気仙沼復興商店街 南町紫市場」がオープンしました。

店舗数54軒。沿岸部最大級の仮設商店街に、今も全国からの笑顔が集っています。

「来れば元気がもらえる」「大学を卒業してもずっと来る!」

町の人とも、訪ね来る人たち同士でも、新しい繋がりの輪が広がり続けています。





リアス式海岸の入り組み激しい地形が生んだ、比類なき天然の良港・気仙沼湾。

離島・気仙沼大島へ向かう定期航路の汽船が発着する「エースポート」や「港ふれあい公園」などがあった湾最奥部の「内湾」と呼ばれるところに、南町商店街はありました。

 

港の波は、湖のように穏やかで、全国からやって来た数多くの漁船も停泊。

南町商店街には、町の人たち、島の人たち、観光客、漁船員も訪ね来て、多くの買い物客で賑わっていました。

 

ところが「あの日」。

・・・東日本大震災の津波が、恐ろしい勢いで湾を北上してきました。

津波の高さは、エースポート付近で約3m。船は陸に押し上げられ、建物にぶつかり、砕けた建材などがさらに多くの建物をなぎ倒し――。

津波が襲来したとき、商店街の人たちは、すぐそばの高台にあった「紫神社」の境内に駆け込み、難を逃れます。


紫神社



紫神社より南町を眺める




街は、壊滅的な大打撃を受けました。

残った建物も、多くは使えそうにありませんでした。

しかし、南町の商店主たちは、1カ月後には「青空市」を立ち上げて、商売を再開します。

 

「海を恨む気はない」「海と一緒に生きてきた俺たちだ」「海からのお客さんもいる」「もう一度、南町で商売をしたい」「商いの灯は絶やさないぞ」――。

 

商いは、気持ちだけできるものではありません。

でも、やっぱりまず大切なのは心意気。

その熱意は、多くの人たちに伝わり、〝気仙沼を、南町を応援したい!〟という人びとを、この街に結びつけ、どんどん輪を広げていって、仮設商店街の立ち上げに向けて、全国からの応援・支援が集まりはじめました。


気仙沼港に隣接した紫市場(手前と奥のプレハブ)


中小企業経営者の連合会、NPO法人、企業、大学と大学生、ボランティアサークル・・・・・・。たくさんの個人や団体が力を振るってくださいました。

そして、震災から9ヶ月後の平成231224日、「気仙沼復興商店街 南町紫市場」がオープン。

商店街の名前には、あの日、皆が駆け上がった「紫神社」の一文字も加えられました。

 

「仮設商店街とはいえ、本設と変わらない内装や設備を用意していただいたり、装飾に手を貸していただいたり・・・。私たちは大きな負担なく、この商店街を立ち上げることができました。本当に感謝しています」

と語るのは、気仙沼復興商店街副理事の坂本正人さん。

気仙沼復興商店街副理事の坂本正人さん

「経済的な支援もうれしかったし、遠くから駆けつけてくれた大学生やボランティアさんは力仕事もしてくれました。何より嬉しいのは、一度だけでなく何度も来ていただけていること。繋がっているという実感がいちばん嬉しいです」



「あのカツオの絵のあたりまで津波が来ました」と坂本さん



平成2682日と3日、南町紫市場商店街では「気仙沼港まつり」の協賛イベントが開催され、全国の〝気仙沼ファン〟の皆さんが、大勢駆けつけてくれました。



8月2日、3日と行われたイベントの様子



港町の男達による勇壮な御神輿



気仙沼市の観光キャラクター「ホヤぼーや」も登場




震災直後、東京大学の学生たちが立ち上げた「UT-Aid(東大-東北復興エイド)」の元代表・青木健吾さん(4年生)は、

「力仕事でも何でもやっているうちにだんだん街の人たちと親しくなって『また来たよー』っていう感じです。エイドは解散しましたが、GW、夏休み、クリスマス、3.11などには友だちを誘って通い続けています」。

 

神奈川県で「復興支援チームtvt」を主催する寺田通子さんは、

「支援を続けているうち、青木さんとも知り合い、今ではもう〝お友だち〟。気仙沼は、魅力的な方が多く、居心地がいいんです。来ればあの人、この人にまた会える。そんな繋がりも、また来たくなる理由のひとつです」

 

青木健吾さん(左)と寺田通子さん(右)





地元・宮城からは、震災以降の商店街や街の移り変わりを映像として記録し続けている、東北工業大学ライフデザイン学部・経営コミュニケーション学科の猿渡学准教授と学生の皆さんも来られていました。

「映像表現と写真の研究を行うゼミです。平成235月、まだガレキが残っているころからカメラを回し続けています。10年、20年と関わって、新しいまちづくりを見届けていきたい」(猿渡先生)

「人と関わりたいっていう思いがありました。街の人たちとふれあっている先輩たちの姿を見て、僕も卒業研究にこれを選んだんです」(小原哲朗さん/4年生)

「震災後、石巻出身の友だちから当時の話を聞かされて心が動かされました。研究室の課程を通じてでも、なにか自分の足跡を残したかった」(菊池花梨さん/4年生)

 

左から、猿渡先生、小原哲朗さん、菊池花梨さん





港町として、気仙地方の交通の要衝、商業の中心地として多くの人が行き交ってきた気仙沼。

「来た人をもてなさずには帰さない」・・・街の人情をそんな風におっしゃる方もいます。

出会いの中で生まれる〝気持ち〟を、気仙沼の人たちはとても大切にしています。

 

仮設商店街にある「特急寿司」の白幡康次郎さんは、

「たくさんの人が来てくださって、力仕事や飾り 付けやイルミネーション、さらに商店街の壁に気仙沼のキャラクター『ホヤボーヤ』の絵も描いてくれたり。人の手がいっぱいあるっていうことは本当にすごい ことだと思いました。もしもどこかで地震や津波があったら、必ず駆けつけたい。何かお腹に入るものを届けたいし、力仕事もしたい。そう考えています」


「特急寿司」の白幡康次郎さん



プレハブの壁面が殺風景だからと学生ボランティアによって描かれた「ホヤぼーや」




東日本大震災から3年半。

交わし合う気持ち、思い、たくさんの力。応援・支援、そして友情――。

支えて支えられる繋がりの輪を広げながら、南町紫商店街は、今日も街の灯を守り続けています。


気仙沼市紫市場からのメッセージ