水戸の歴史と笠原水道
 

笠原水道施工に関する一考察

 

 平成20年1月

 

西 原 昇 治


はじめに

笠原水道は逆川流域に分布する笠原湧水地を水源とし、下市(本町)周辺の飲用水確保のため敷設した。(図5参照)遺跡は調査により、敷設構造、経路などが確認されているが、施工等については記録が乏しい。逆川緑地公園内には、笠原水源から桜通までの間、敷設跡が今でも残存する。(図1,2参照)関係資料を基に敷設跡を踏査して、当時の施工についてまとめ、ここに報告する。

 

係わり

笠原水道は1662年徳川光圀が、望月恒隆(奉行)に命じて平賀保秀が設計し、施工は永田勘衛門(茂衛門の子)が担当した。今風で言えば、望月は水戸藩の監督官、平賀は設計監修と総括責任者、永田は現場管理責任者である。笠原水道の施設を検証すると、永田親子が大きく関わっていたと思える。

永田親子は鉱山の技術者で、地質、土木、水理の知識を有するため、平賀は目を付けたのであろう。笠原水道を担当する前は、常陸の各地で、金鉱やレアメタルの採掘に携わっていた。その後、鉱山の技術を生かして、農業水利事業を担当し、久慈川の辰口堰、岩崎江堰、那珂川では小場江堰を完成させている。当時、水路の施工実績は少なく、永田は鉱山掘さくから得た経験を生かして、これらの難事業を成し遂げた。笠原水道は小場江堰の経験によるものである。

小場江堰は那珂川の水を取り込み、水路は那珂台地の南斜面底部を東に向かって延びている。水路の底面は、台地斜面から湧き出る地下水面とほぼ同レベルである。冬場の水路は、斜面から湧き出た水で、清らかな流れを見る事ができる。小場江堰で体験した地形、地質、地下水の学問は、笠原水道に生かされ、岩樋を使った日本で数少ない水路工事が無事完成した。


逆川緑地の岩樋施工

水路施工

岩樋の確認調査資料によると、水路は逆川右岸斜面沿いを通り、樋の天場面は標高89.5mである(図1,2参照)。この高さは斜面から湧き出る地下水面の高さとほぼ同じである。掘さく工事の湧水処理は大きな課題である。水の流れを習得した永田は、予め逆川に放流先を決め、排水可能な水面を選定している。(図3参照)斜面沿いは砂レキ層の硬い地盤のため、砂レキを水で浮遊させて、掘さくしたと思われる。この方法は坑道で用いる掘さく手法である。

水路の水準面は精度を要する。永田は坑道掘さくで得た経験を生かし、湧水を巧みに利用している。水準面の計測は、完成した水路に湧水を溜め、水面で高さを計測して合わせれば簡単に水準高が合う。部分的な施工は、このようにして、湧き出る地下水を利用して施工したのであろう。完成後の岩樋の天場は水面と同じ高さのため、盛り土して天場面を保護した。笠原水道が暗渠構造なのは、このような事情と推察する。(図4参照)なお、谷部をわたる暗渠敷設は、地盤が悪く、流れ込む地下水下の処理や、施工後の安定性のために、多くの工夫を要した。(写真10参照)

 

岩樋の材質

 岩樋の材料は凝灰質泥岩を主に使用している。永田は鉱山の経験者、岩質やその分布を良く理解していた。近傍の岩盤が露出する地層を観察して岩樋に適した産地を選んでいる。岩樋を観察すると、泥岩と凝灰岩の併せ持つ岩質を生かした、賢い選び方をしている。硬度、水密生、風化等、岩樋としての安定性を考慮して、加工の良さを考えて選んでいる。加工単体は1個当たり40kg前後、不整地で施工する事を考えて、現場加工して組立てている。産地は運搬が容易である、偕楽園近くの神崎寺崖に連なる斜面から切り出した。切り出した跡を観察すると、岩樋に適した地層を選んでいる事が判る。切り出しも水平に伸びる層理面から見事に掘さくしている。材料は搬出可能な大きさに切り、運搬は船を使用している。

 

通水

岩樋は多くの継ぎ目が有るため、漏水し易い。しかし、地下水内を通過する水路は樋内の水が出入り、いわゆる伏流を繰り返して流れる。取水箇所は笠原水源地に限らず、水路沿いの湧水を集めて送水した。水路は暗渠構造で、場所によっては樋内に水圧がかかった箇所もあると推察する。(図-5参照)

 

まとめ

笠原水道は逆川右岸から右に折れて、吉田神社に向かう斜面の湧水ライン上に敷設した。(図5参照)当時の施工方法は自然を巧みに利用している。岩樋などの材料の産地、輸送をはじめ、地形、地質、地下水を充分把握して施工した事が、資料や現地を踏査した結果から理解できる。

笠原水道は江戸時代から今日まで、切れ間なく湧き水を流し続けてきた。笠原水道は理工学的にも価値ある遺跡で、多くの専門家の検証を必要とする。一過性の歴史的遺跡としてとらえるのでなく、復元をして歴史、環境学習の教材として生かすべきだ。

現在、跡地は公園施設から追いやられ、手つかずの藪、ゴミの溜まり場と変貌した。12月逆川緑地の工事現場から新たに岩樋が見つかった。(写真10参照)遺跡を野外展示すると聞くが、看板、モニュメントに留めたくない。逆川緑地内の水路跡地に岩樋を復元し、当時の偉業を市民に理解して頂く事が、文化と歴史、水の都水戸の発展へと繋がる。(図1参照)

 

参考資料:水戸市教育委員会 S57年『笠原水道確認調査報告書』

 

 

作成:西原 昇治  

本報告書は資料、情報を基に現地を踏査して作成したものである。内容表記は推察して考察したものである。他の資料と異なった判断や表現が有る場合は訂正致します。なお、本資料を引用する場合は西原昇治まで一報下さい。