▼[夜郎自大(田舎者の無邪気さ)]
▼[尾籠とは?(烏滸蠻・烏滸の沙汰・夜郎自大)]
漢の使節が来たとき、夜郎侯(漢の武帝が夜郎王を県令に任命したので夜郎侯という)は「漢という国は、わが夜郎より大きいのかね?」とたずねた。 徳島県知事が「中華人民共和国って、徳島県よりも大きいの?」と訊くのと同じようなもの。 夜郎は、よそへ行ったことがないから本気で質問した。前回の徳島県民も、よそのことを知ろうとしないから、東京にどんなに大きなビルが林立しているか(林立どころではない)を感覚的に知らないし、日比谷公園とか代々木公園のイメージも湧かない。18階建てのビルは「超高層ビル」だし、前山公園は大きな公園なのである。 もちろん、地元の施設に愛着を感じ、誇りをもつのは全然悪いことではない。好ましいことかもしれないが、それにしても「世界」を知らなさすぎるのである。 「知らない」というよりも、「知ろうとしない」(知る必要性を認めない)ところが、問題といえば問題である。 「夜郎」も「徳島県民」も、「ローカル」で生き、「ローカル」で完結している。 徳島県民は、新聞といえば「徳島新聞」だけを読み、朝のテレビは「おはよう徳島」、夕方は「フォーカス徳島」・・・と、どっぷりと「ローカル」に浸っている。悪いことではないが、こうして「ローカル」に浸っているばかりでは、外の世界に目を向けることができず、こういうチグハグなことも起こってくるのである。 こういう、ほのぼのとした笑いにつつまれる話しならいいが、こういう感覚がへんなきっかけでナショナリズムを刺激しないとも限らない。実際に、徳島県では過去に、「外国人留学生入居おことわり」マンションが登場し、その記事が全国に流れたことがある。「外国人=こわい」という、幕末の黒船時代の感覚そのままである。今はもう、我々県民も「安眠」から覚め、タイムスリップから帰還したものと信じたいが。 【蛇足】 田舎には「いいところ」と「悪いところ」がある。当たり前だ。 悪いところとは、田舎の長所短所を例示したりすると、「悪口を言われた」と勘違いし、「そんなに徳島がいやなら徳島から出て行け!」とやられるところ。 若い時分に何度かそういう経験があります。そういうところがまさに「田舎」なんですが。 ・・・というとやはり「出て行け!」と怒鳴られそう。そういうことじゃないのにな。 歴史を正しく認識しようとすると「自虐史観」などというのとよく似ている。 なんでも自分のところがイチバンと思うのはかまわないけど、「自己肥大」は危険です。無邪気なままでいてほしい。 |